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⑬ お嬢様と父の故郷

 イストラート南部アークラッドは穀倉地帯として名高い豊穣な地方である。加えて、気候が似ている南の国サースラビア原産の果物の苗を持ち込み、品種改良を重ねて収穫量も多く味もよい品種の栽培に成功している。

 その品種改良に積極的に投資したアークラッド領主は、さらにその作物を農作物の流通ルートに乗せることで莫大な富を得た。そして、元々民の暮らしの向上のために尽力を惜しまない領主は、その富を民に還元した。ゆえに、この土地では農民の暮らし向きがとてもいい。家も、下級の地方官吏の自宅より大きく、造りも立派なものが多い。

 だが、農民は領主から還元された富を、暮らし向きのことばかりに使うわけではない。新たな労働力を増やし、土地を開墾し、農地を整備して家畜を増やす。そうすればさらに農作物の収穫は増え、それを流通ルートに乗せる領主の懐はますます暖かくなる。そして、領主はさらにその富を農民に還元する。そうやって、いまやこのアークラッド地方はイストラート国内で最も豊かな地方となっていた。

「うわー。長閑なところだねぇ」

 リーアは、眼前に果てしなく広がる農地と、そこで働く人々のどこか余裕のある雰囲気に、思わずため息を吐いた。

 王都でかつかつの生活を送る自分の方が、いかに日々追い詰められて必死で生きてきたのかを思い知らされるほど、ゆったりとした時間がそこには流れていた。

 土の匂いが満ちている。日差しを受けて輝く緑が目に眩しい。リーアは、初めて見る広大な農業地帯に心を奪われていた。

 ……ここが父様の、私のもう一つの故郷なんだわ。

 もし、父がフレイル家の当主の命を救ったりしなければ、見初められて貴族の養子になったりなどしなければ、父はこの豊かな大地の広がる故郷へ帰り、身分は低くとも満ち足りた生活を送っていたのだろうか。

 そのほうが、父様にとっては良かったんじゃないかしら…?

 リーアはふとそう思った。

 いつも庭弄りばかりしている父の寂しげな背中が、脳裏に蘇る。父は、本当はここでの生活を渇望しているのではないだろうか。

 と、その時。

「やめい、やめぇい!」

 突然背後でそう怒鳴りつけられて、リーアは飛び上がり、慌てて振り返った。

「今年は作物など、植えても何にもならんと言うに。年寄りの言うことは素直に聞くもんじゃ。後悔するのは目に見えておる!」

 枯れ枝のような細い二本の足が、膝を外側に百二十度ほど突き出すような形で生えていた。背中も前方に大きく曲がり、右手の上に左手を添えるように持っている杖がなければ、おそらく前のめりに突っ伏しているだろう角度で均衡が保たれている。

 老人は、大きく吐息した。喉の奥で、何かが気道を塞ぎかけているような苦しげな呼吸音が、リーアの耳にも届いた。

 老人が声を掛けた相手は、リーア達ではなく、農具を担いで近くを通りかかった農夫達だったらしい。農夫達は足を止め、苦笑いを浮かべている。

「災厄が迫ってるっていうんだろう? そんなことは分かってるさ、セシル爺さん。けどな、だからといって、俺ら農夫は何も作らないで遊んでるわけにはいかないんだよ」

「馬鹿か、お前らは。ワシは無駄と言っておるのではない。そんな暇があれば、本当に必要なことをしろと言っておるんじゃ」

 老人の剣幕は凄まじく、苦笑した農夫の背後で、もう一人が不快感を顕わにした。

「とにかく、ほんの僅かでも収穫が得られる可能性がある限り、俺達は誰が何と言おうと農作業を続けるさ。それが、アークラッドの農民である俺達の誇りだからな」

「フン、勝手にせい。聞き分けのない若造めが」

 セシル爺さんはそう吐き捨てると、鼻息も荒くその場を去っていった。

「……ちぇっ、老いぼれが。昔は農地担当の役人だったか知らんが、隠居しても喧しくて堪らんわ」

 農民の誇りがどうの、と言った男が、忌々しげにため息を吐いた。

「俺達のことを心配して言ってくれているんだろう。あれでも一応、前の勇者の弟になる人だし、悪意からあんなことを言う人じゃない」

「そりゃ、分かっちゃいるが……」

 へえ、前の勇者の弟ねぇ……。

 農夫達の会話を何気なしに聞いていたリーアは、ふとある単語を反芻し、驚いてレイルを振り返った。

「確か、さっき、前の勇者の弟って……」

「セシル・ガードナーと言えば、お嬢様の祖父に当たる方ですね」

 レイルが素早く系図を書き込んだ紙を取り出して、その名を確認した。

「あの人が、私のお祖父さん……?」

「オズワルト様の、お父上になる方ですね」

 リーアの胸に、込み上げてくる感情があった。

「……やっぱり、父様の身内って、変な人ばっかりなんだぁー!」

「お、お嬢様。それほど悲観なさらないでください。まだ、二人しか会ってないじゃないですか」

「でも……」

「最初にハズレ籤を引いてしまったのだと思えば、後はお楽しみばかりじゃありませんか。元気を出してください」

「誰がハズレ籤じゃと?」

 突然背後から大喝されて、リーアもレイルも文字通り飛び上がった。

「失礼極まりない奴らじゃ。余所者だな。名を名乗れ!」

 一介のご隠居とも思えない迫力で凄んだセシルは、右手で杖を持ち上げ、その先端をリーアとレイルに突きつけた。


「何ぃ。お前さんがオズワルトの娘じゃと?」

 セシルは何度も目を瞬かせて、穴が開くほどリーアを見つめた。

 実の祖父だと分かっていても、リーアは気味の悪さを感じ、その禿げ頭を叩いて逃げたい衝動に駆られた。

「あの親不孝もんは、今、一体どこで何をしておるんじゃ?」

 リーアが自分の孫だと知っても、セシルは目に涙を浮かべるわけでも、その折れそうに細い腕を伸ばしてリーアを抱きしめるわけでもなく、厳しい表情で二人を睨み付けた。

「……家で、テキトーに草なんか毟ってますけど」

「何じゃと? 一応、生きてはおるのか。なら何故、お前さんが勇者の剣を持っておるのじゃ」

 セシルに杖の先で背負った勇者の剣を指し示され、リーアは驚いて目を瞬かせた。

 勇者の剣は布で何重にも包んでおり、一目見ただけでは剣であるかどうかも分からないはずなのだ。

「な、何でわかったんですか?」

「質問したのはワシの方じゃ。答えい」

 セシルは、本当に“頑固ジジイ”という言葉がぴったりな人物だった。

「それなら、お話しますけど……」

 リーアが口を開きかけた時だった。

「おじいちゃーん!」

 小道を、一人の若い女性がこちらに向かって駆けてきた。

「もう、どこに行ったのかと思った。役人はとっくに引退したんだから、もういい加減村の人達にあれこれ指示するのはやめたら? ……あら、どちらさま?」

 女性はリーア達の存在に気付き、祖父に説教しようと腰に当てていた手を慌てて下ろした。

「身内じゃ」

「えっ、身内……?」

 女性は驚いて口元に手を当てた。その顔立ちや仕草に、リーアは自分に近いものを感じ、思わず女性の側に駆け寄った。

「オズワルト・フレ…、ガードナーの娘で、リーアといいます。あなたは……?」

「お、オズワルトって、あの、オズワルト叔父さん?」

 素っ頓狂な声を上げた女性は、リーアの天辺から爪先までじろじろと眺めると、いきなり手を伸ばして、リーアを豊満な胸に押し付けるように抱きしめた。

「よく来たね! 私はアンネ。オズワルト叔父さんの兄ルドルフの娘さ」

「う、……うぐっ。アンネさん」

「アンネでいいよ、リーア。それより叔父さんは今、どこで何をしてるのさ。災厄が迫っているっていうのに、未だに神殿は沈黙したままだし」

 アンネはそう言いながらリーアから体を離して、改めて初対面の従姉妹の顔をじっと見つめた。

「嬉しいねぇ。こんなところで立ち話も何だから、うちにおいで。ちょうどお昼の支度ができたところだから」

 溌溂としてパワフルなアンネに腕をつかまれ、断ってもいないのにまるで連行されるように、リーアはアンネの家に連れて行かれることになった。

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