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⑫ お嬢様と旅立ち

 リーアは、正直困惑していた。

 今朝、イストラートの南部アークラッド地方に発つべく旅の準備をしていると、そわそわした様子で近づいてきた父親が、言葉を濁しながらこう言ったのだ。

「その、つまり、だ。お前がそんなに勇者になるのが嫌なのなら、俺が代わりに行ってやってもいいぞ」

 なぜ、今頃になって父親がそんなことを言い出したのか、リーアには到底理解できなかった。そもそも、その台詞は勇者の剣がフレイル家にあったと分かった時点で言うべきじゃないか。

 リーアは、自分と目を合わせようとしない父親の顔をじっと見つめた。落ち着きが無く、腰は低いが腹黒い商人のように手を揉んだりして、明らかに挙動不審だ。

 リーアの脳裏に、昨日の苦い記憶が甦った。

とんでもない人物に勇者の剣を託してしまったことへの後悔。ただ自分が楽になりたいばかりに、安易に重荷を手放してしまった。もう二度と、そんな失敗は犯してはならない。

 この剣は、私が責任を持って、勇者たるに相応しい人物に手渡すんだから。

「ううん、いいよ、別に」

「…………何?」

「今更いいよ。父様には、任せらんない」

 絶句、というのはこういうことなのだろう。オズワルトは口を開けたまま、目だけを何度も瞬かせた。

「だって父様に任せたら、またどこかの善良な人を騙して、剣を押し付けてきたりしかねないもの。だからこの剣は、私が責任を持って勇者に相応しい人物に託してくるから」

「……お前な。親をもう少し信用してもいいだろうが」

 怒る、というよりは諦めの混じった愚痴をこぼしたオズワルトは、無造作に頭をかき回していた手を止めた。年齢の割には量の豊かな髪のひと房が、天井に向かって直立したままになっている。

「まあ、いい。お前がそのつもりなら、俺はもうこれ以上何も言わん」

 何よ、偉そうに。

 リーアはあからさまに批難の目で父を見上げた。

 自分の発言で父親が機嫌を損ねたことは悪いと思うし反省もするけれど、それならなぜ今の今までリーアの代わりに勇者の剣を引き受けると言ってくれなかったのか。

「だが、王都の外に出れば、危険な目に遭うこともあるだろう」

「……え?」

「レイルの言うことを聞いて、気を付けて行くんだぞ」

「……わ、分かってるわよ。心配しないで」

 リーアは強気に笑みを浮かべてみせたが、心の奥から湧き上がってきた不安に、みるみる顔が強張っていく。

 危険……。

 それは、父親が勇者になるのを頑なに拒否する理由である“災厄”が原因だ。まるでこの世の地獄のような光景。それがこれから、また世界中に吹き荒れようとしている。

 やっぱり、父様に代わってもらった方が良かったかな……。

 リーアは後悔したが、今更自分の発言を翻すわけにはいかない。

「あ、それから、これからお前が行くアークラッド地方には、お前の叔父や従姉弟達がいる。初めて会うだろうが、お前にとっては一番近い親戚だ。粗相のないようにな」

「言われるまでもないわよ」

「そうか。……それからな。もし、そいつらに俺のことを何か言われても、本気にするなよ。話半分に聞いておくんだぞ」

 何で?

 リーアは首を傾げた。

 それはつまり、父がアークラッド地方の叔父や従姉弟達にあまり良く思われていないということだろう。

 ははあ。だから悪し様にこき下ろされても、それを鵜呑みにして落ち込むなって言いたいのね。

「分かった。大丈夫よ、父様がどういう人なのか、私が一番良く知っているんだから」

 自己中心的で無責任で怠け者。おまけに今回、卑怯者だということも分かった。これ以上、父親のどんな批難を聞いて心を痛めるというのだろう。役所の地下牢に放り込まれるような犯罪歴がある、というような過去を突きつけられるならともかく。

 リーアが全て語らなくとも、父はリーアの気持ちを察したらしい。

「なら、いいよ。気を付けてな」

 そう言って元気のない笑みを浮かべると、草むしりの続きをするためか、中庭へ通じるドアの向こうへ消えて行った。


「……従姉弟ねえ。どんな人達なんだろう」

 呟いたリーアの脳裏に、ふいに再従兄弟またいとこアルジャーノの二重顎が浮かんだ。

 うえっ、嫌なこと思い出しちゃった。

 慌てて首を横に振ってその鳥肌の立つような嫌悪感を振り払ったリーアは、ふと隣を歩くレイルを見上げた。小柄なリーアに比べて随分と高い位置にあるレイルも同じような想像をしたらしく、口角を下げて奇妙な顔つきをしている。

「なんだか、嬉しさ半分、怖さ半分って感じ……」

 今まで一度も会うことがなかった、父の兄弟と、自分自身の従姉弟達。どんな人達なのだろう。いい人達であって欲しい。だが、期待が膨らめば膨らむほど、それが打ち砕かれたときの衝撃を想像してしまう。アルジャーノの時のように……。

「きっと、大丈夫ですよ。いい人達に決まってます」

 レイルのやけに自信に満ちた言葉に、リーアはおかしくなって噴き出してしまった。

「何でそう言い切れるのよ」

「だって、旦那様とお嬢様のご親戚ですから」

 じゃあ、アルジャーノはどうなの? という言葉をリーアは飲み込んだ。

 旦那様とお嬢様のご親戚。それで何もかもすんでしまうレイルを、リーアはとても愛おしく思った。


 王都をぐるりと取り囲む城壁の門を出ると、目の前には緩やかに下る丘と、その丘を這うように伸びる道がはるか彼方まで続いていた。道幅は馬車が一台ようやく通ることができるほどで、緑の丘に石灰岩質の白っぽい土が映え、青い空と地平線がつながっているその光景は、これまで王都から出たことのないリーアにとって衝撃的なまでの美しさだった。

「……うわぁ」

 感嘆の声を上げたリーアだったが、それに続いたレイルの言葉に驚かされた。

「空の色が薄い。夏の花も咲いていないし、やはり災厄はすぐそこまで迫っているのですね」

「そうなの?」

 見上げると、レイルは眉間に皺を寄せていた。その顔つきが意外に精悍で、胸の鼓動が跳ね上がり、その動揺を隠すようにリーアはすぐに目を伏せた。

「ええ。二十年前も、夏だというのに肌寒い日が続いたそうです。やがて厚い雲が空を覆い、太陽の光が遮られ、昼間だというのに灯火が必要なほど暗い日々が続いたとか」

「……へえ」

「災厄の中心である大陸中央から遠く離れ、堅固な城壁で幾重にも守られている王都では、さほどの被害はなかったでしょうが、その間、中央神殿付近ではまさに地獄のような光景が広がっていたと聞きます」

 レイルはリーアよりも年長だが、先の災厄の折にはまだ物心もつかない赤ん坊だった。だから、災厄の記憶はなく、知識も他人からの伝聞でしかない。それでも、その災厄の終結後、混乱する復興期に育ったレイルは、リーアに比べて災厄に対する危機感が強く、災厄の際に起こる異常現象にも詳しかった。

「お嬢様を脅すわけではないのですが、災厄から五年ほど経った頃、用事で俺は父と一緒に王都の外に出たことがあったんです。その時、人の腕ほどの長さの鋭い牙を持つ、馬より大きな動物の骨が幾つも道端に転がっているのを見ました。ほら、ちょうどあの辺りに……」

 リーアは反射的に体を竦めて飛びのいた。

 レイルが指差した先には、叢の陰に白っぽい石が転がっていただけだったが、そうと分かってもリーアの額や腋の下から汗が噴き出した。

「……びっくりするじゃない」

「すみません。でも、本当の話です。それに、先の災厄の折には、もうすでにこの時期には、大陸中央付近の山間部で魔物の襲撃が起こっていたとか」

 リーアの背筋を、冷たいものが滑り落ちていった。

『王都の外に出れば、危険な目に遭うこともあるだろう』という父の言葉は、そのことを指していたのだ。やっぱり、その言葉を聞いたときの嫌な予感は当たっていた。

「……それを知ってて、私を止めなかったのね、父様は!」

 庇うとすれば、一応父はリーアに代わって勇者になろうかと言ってくれた。

 でも、娘の身を案じるのなら、もっと積極的に、強引に引き止めるべきじゃないの!

「ほんっっっと、信じらんない!」

「まあまあ。旦那様には、何か俺達には計り知れない理由があるんですよ」

 そう答えながら、レイルも胸の奥に何かわだかまりを抱えているような顔をしている。

「そうかしら。信じらんないけど」

 不満げに吐き捨てながら、そう言えば自分も最近そう思ったことがあったな、とリーアは思った。

 前の災厄の時、前勇者の甥として従軍し、イストラートのフレイル伯爵の命を救って娘婿にまでなった人だ。それが、貴族の入り婿になった途端、ああも堕落してしまうものだろうか。

 初めて訪れる父の出身地で、隠された彼の過去について何か分かるのだろうか。

 荒れ果てたフレイル邸で庭弄りばかりしている父しか知らないリーアは、内心期待半分不安半分だった。

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