⑪ お嬢様と猶予期間
「……そ、……そんなことになったんですか?」
ウェラルドは自室のベッドで横になっていたが、リーアが戻ってきたと報告を受けてすぐに起きだしてきた。リーアの目元が赤いことに気付いて形のいい眉を顰め、事情を聞くと、ますます表情を険しくした。
グッテンハット家での経緯を報告したリーアとレイルは、すでに借りていた衣装を返し、元の下町の少女青年の姿に戻っていた。
「なんだか、勇者の血筋の問題にエリクス家まで巻きこんでしまったようで、申し訳ありません」
リーアが頭を下げると、ウェラルドはとんでもないと首を横に振った。
「父達は、逆にグッテンハット家の弱みを握ることができたと喜びましょう。それにしても、彼もそこまで堕ちましたか。私が体調を崩したりしなければ、あなたにそんな不快な思いをさせる前に見切りをつけたでしょうに」
腹立たしげなウェラルドに、リーアは首を傾げた。
「随分とあいつ……アルジャーノについてお詳しいようですが、ウェラルドさんは彼と接点があるのですか?」
「ええ。彼とは同じ年に神殿に入った同期なのです。尤も、彼は神殿に入って三日で実家に戻りましたけどね」
「……三日」
呆れたように呟いたリーアに、ウェラルドは微笑んだ。
「彼は正妻の子ではありません。母親はグッテンハット公の妾でしたから、彼はグッテンハット家の中でも立場が弱かったようです。おまけに、あの性格でしょう? グッテンハット公は出来の悪い息子を更正させようと規律の厳格な神殿に放り込んだようですが、無駄だったようですね」
「……でも、そうだとしたら私、余計なことをしたのかも知れません」
リーアはしょんぼりと俯いた。
「そんな奴に勇者の剣を渡してしまって。……私、とにかくあいつに剣を渡さなきゃって、そればかり考えて」
「それは、私のせいでもあります」
そう言って、ウェラルドはリーアの手を優しく取った。
「私があのような策をあなたに与えなかったら、あなたは自然にアルジャーノの人となりを分析し、この人では駄目だと判断したでしょう。私のほうこそ、余計なことをしました」
「そんな! ウェラルドさんは悪くありません。もしまた剣が私の元に戻るなら、今度はあんな奴には絶対に渡したりしません。……尤も、もう遅いですけど」
「では、取り戻しに行きますか?」
悪戯っぽい言い方をされて、リーアは肩を竦めた。
「こっちから、あの人に会いに行きたくはありません。それに、あの人もどうしても勇者になりたくないのなら、他の勇者の血筋に剣を託そうとするんじゃないですか? 神殿も、勇者の任命式を急いだりはしませんよね」
「………まあ、そうですね」
急に歯切れが悪くなったウェラルドに、リーアは拍子抜けしてしまった。てっきり、“それはそうですよ!”と笑ってくれるとばかり思っていたのだ。
「リーア殿」
突然、ウェラルドが真面目くさった顔で重々しく口を開いた。
「はい」
「もし、あいつが剣を返すと言ってきても、絶対に受け取っては駄目ですよ」
「は……?」
「あなたは、勇者になってはいけません」
それはつまり、こういう状況になっても、ウェラルドはまだアルジャーノより、リーアのほうが勇者に相応しくないと思っているということだろうか。
「……そのつもりですけど」
リーアが呟くように答えると、ウェラルドはようやく顔を綻ばせた。
「そうですか。それならいいのです」
その安堵したような声に、リーアの胸が軋むように痛んだ。
そんなリーアの気持ちを察してか、レイルがなおも畳み掛けるように口を開きかけたときだった。
屋敷のどこからか、遠くから悲鳴が聞こえた。
「……え?」
ドン、ズーン、と腹に響くような音が聞こえる。
その騒音は序々に大きくなり、だんだんとこちらへと近づいてくる。
「……危ない!」
レイルがリーアを突き倒し、その上に覆いかぶさってきた。
メリメリ、ドゴーーーン!!!
「キャアアアアッ!」
凄まじい破壊音と共に、砕けた扉の破片が飛んできた。ややあって、蝶番の外れた扉の片方が床に落ちる音と風圧が襲ってきて、やがて静寂が訪れた。
「な、……何だったんだ、今のは。……!」
ウェラルドがそう呟き、次いで息を飲んだ。
「……あ、……まさか、また?」
リーアはレイルの陰から、恐る恐る天井を見上げた。
案の定、そこには勇者の剣が浮かんでいて、青白い光を強弱させながらリーアを見下ろしている。
「……アルジャーノの奴、きっぱりと勇者の剣を拒否したのですね」
ウェラルドが拳を握り締めた。
「いや、そうじゃないんじゃないですか?」
レイルはそう言って立ち上がると、リーアを助け起こした。
「え?」
「だってお嬢様、さっきおっしゃったじゃないですか。もしまた剣が自分の手に戻るなら、今度は絶対にあんな奴には渡さないって。アルジャーノ自身が勇者の剣の主になると認める前だったから、剣は主に呼ばれたと思ってお嬢様の元へ戻ってきたんですよ」
リーアは、主人に甘える犬のような目で微笑むレイルを見て、急に脱力してしまった。
「……そうね。……そうかも知れない」
リーアは呟くと、置いてけぼりをくらって機嫌を損ねたように瞬いている勇者の剣に向かって手を差し出した。
「分かったわ。今度はちゃんとあんたに相応しい勇者を探し出すから、取りあえずそれまでは、私と一緒にいなさいよ」
剣は嬉々として……というふうにリーアには見えた……リーアの手元に下りてきた。まるで意志を持つ生物のようだ。
「ということで、ウェラルドさん。勇者の件、もう少し待っていただけますか?」
リーアは、がっくりと項垂れたウェラルドを振り返った。
「……仕方ないですね。では、リーア殿。これだけは守ってください」
「え?」
「神殿は、あとひと月しかあなたに猶予を与えられません」
「……ひと月?」
リーアは目を丸くした。
「ひと月の後、勇者の剣を手にしている者。その人に、否応なく世界の命運は託されます。そのことを覚えておいてください」
「……それだけ、事態が差し迫ってるってことなんですね?」
「ええ。それから、我が家の被害については、お気になさることはございません。それはグッテンハット家も同意見だと思いますよ」
リーアは息を飲み、破壊された扉を振り返った。
風穴どころではない、人一人通り抜けられるような穴が、壁といわず扉といわず、一直線にエリクス家を貫いていた。
「も、……申し訳ございませんっっっ!!!」
リーアは穴があったら入りたい気分だった。
勿論、勇者の剣が屋敷に空けた穴などではなく、置き場のない我が身を隠してくれる穴に。
「そんなことがあったのか」
夜更け―。
エリクス家を辞して自宅へ戻ったリーアは、疲れもあってすぐに床についた。父とレイルが、蝋燭一本だけの薄暗い部屋の中で、小さな卓を挟んで膝をつき合わせて話し込んでいるとも知らず、夢も見ないほどの深い眠りに沈んでいる。
「旦那様は、どうしても勇者になられるつもりはないのですか? これではお嬢様があまりにお可哀想です」
レイルにそう言われなくても、父として、いや、人間として、リーアに非道いことをしているとオズワルトは分かっている。だから余計に、レイルの言葉が胸に刺さる。何も言い返せないだけに、純粋な彼の懇願が鬱陶しくも思えた。
『……これが勇者の剣なの。すごいねぇ』
自分を見つめる、期待に満ちた目。その目が本当に無邪気だっただけに、遠い過去になってしまった今、それは何物にも換えがたい至宝のように思える。
触れれば砕けそうなほど脆く儚い、無垢な笑顔……。
脳裏を過ぎった愛おしい顔を、オズワルトは頭を一つ横に振って打ち消した。胸の奥の古傷が、忘れかけていた痛みを発する。
「レイル、頼みがある」
「何でしょう」
「リーアに、剣の扱い方を教えてやってほしい」
一瞬レイルは呆気に取られ、次いで不審げに眉をしかめた。
「それは、旦那様はもう、お嬢様が勇者になられることを承知していらっしゃるということでしょうか」
「そうじゃない」
オズワルトは苦笑して、機嫌を損ねた子どものような表情のレイルを宥めた。
「災厄は確実に近づいている。王都の外へ出るのなら、どこで何があるか分からない」
「そういうことなら、俺が命をかけてお嬢様をお守りいたします。それとも、旦那様は俺では不安だとおっしゃるのですか」
「お前の腕を疑っているんじゃない。だが、俺は災厄がどんなものかも知ってるんでな。本格的でなくていい。ただ、もしもの時のために、身を守る術だけは身に付けておいても無駄ではないだろう?」
レイルはまだ不満そうに頬を膨らませていたが、オズワルトが返事を促すように卓を一つ指先で叩くと、しぶしぶ頷いた。
「……分かりました」
「すまんな。世話をかける」
「そんなことはいいんです。それより、そんなにお嬢様のことがご心配なら、ご自分でお教えになればよろしいのでは?」
「あいつが、俺のいうことを素直にきくと思うか?」
「それはそうですね」
あっさり肯定されるのも、それはそれで腹の立つものだ、とオズワルトはレイルを軽く睨んだ。
「それより、これからどうするつもりなんだ、リーアは」
「はあ。とりあえず、次は国内にいる勇者の血筋をあたるそうです。ウェラルド様に見せていただいたイストラート神殿の勇者の系図では、どうやら国内にいる他の血筋の方は、皆さん南部のアークラッド地方に住んでいるようですが」
その地名を聞いた途端、オズワルトは喉に大きな塊がつかえたように呻いた。
「……? どうなさったのですか?」
「……いーや、別に。ちょっと懐かしい響きだったもんでな」
首を傾げたレイルは、ふと何かを思い出したように口を大きく開けた。
「あ。そういえば、その勇者の系図の中に、旦那様のお名前もありましたよ。確か、そのアークラッド地方にいる勇者の血筋は、旦那様のお父上とご兄弟のご家族で……」
そう言いかけて、レイルは首を傾げた。
「旦那様は、お嬢様がご自身の家族に会われるのは、お嫌なのですか?」
「なぜ、そう思う?」
「いえ。旦那様のご様子から、何となくそう思っただけなのですが」
オズワルトは顔をしかめながら舌打ちした。
リーアが他の勇者の血筋に勇者の剣を託す旅に出ること。それはすなわち、己の過去を娘に暴かれることを意味していた。
……そんなことに、今頃気が付くとは。




