表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/31

① お嬢様と家庭の事情

 「……だれ?」

 声をかけると、こちらに背を向けて屈んでいる大きな肩がびくっと震えた。

 ゆっくりと振り向いたのは父親ほどの歳の男だった。

 青ざめた顔でこちらに向き直った彼の右手には、布で包まれた長いものがある。

 何だろう、と視線を送ると、男は大股でこちらへと近づいてきた。

 恐怖を感じて後退りしたが、間に合わない。

 男の手が、肩にかかった。

「誰にも言ってはいけないよ……」

 血走った目は、怒りに震えているようにも、懇願しているようにも見えた。




グランシルド大陸の西に位置するイストラート王国の王都ロザーナは、穏やかな陽気に包まれていた。街に吹き渡る風はやや肌寒いが、降り注ぐ日差しがじんわりと身体を温めてくれる。昼寝をするにはまさにもってこいの天候だ。

 こんな日に、テラスでうたた寝なんて最高よね、と午後の日差しにうっとり目を細めたリーアだったが、パン屋のおかみさんに開口一番、

「嫌な天気が続くねぇ」

と神妙な面持ちで話しかけられて目を瞬かせた。

「え?」

 これは何かの謎掛け? それとも、度々支払いを滞らせる私に対する遠まわしな警告……?

「えへへ、そうかなぁ……?」

 とりあえず愛想笑いを浮かべながらも、緊張感で口元が引きつる。

 だが、そんなリーアの早合点を余所に、おかみさんは深刻そうにため息を吐いた。

「確か、二十年前もこんなふうだった。夏だってのに、妙に肌寒い日が続いてねぇ……」

 現在、季節は夏。しかも、一年で一番暑いとされる時期に当たる。本来なら、今頃は肌が焼けるほどの陽光が照りつけ、蒸し暑い南風の中で汗まみれになっている時期なのだ。

「でも、おばさん。このくらいのほうが涼しくて過ごしやすいと思うんだけど」

「そういう問題じゃない。この季節はずれの涼しさは、災厄が近づいている証拠だよ。ま、あんたの年なら、まだあれを経験したことがないから分からないんだろうけど」

 ため息まじりに呟くおかみさんからパンを受け取りながら、リーアは背筋に冷たいものが滑り落ちるような悪寒を感じた。

 災厄―。

 それは、リーアたちが暮らすこの世界……グランシルドと呼ばれるほぼ円形の大陸全土に、約二十年周期で襲ってくる天変地異のことだ。

 前回の災厄後に生まれたリーアには、災厄について、他人から伝え聞いた知識しかない。真夏なのに雪が降った、三ヶ月以上も雨が降らなかった、逆に厚い雲に覆われてひと月以上も太陽を拝めなかった……等々。だが、災厄の真の恐ろしさはそんなものではない、らしい。

「でも、今回もきっと、勇者様が何とかしてくれるよ。災厄が起きるたびに、神様に選ばれた勇者様がグランシルド四王国の軍勢を率いて、災厄を鎮めてくれるんでしょ?」

 グランシルドは、混沌と楽園の狭間に存在する。神は、まだ未成熟な楽園を混沌から守る盾として、グランシルドを創った。そして、グランシルドに生きる人間達に、混沌の襲撃である災厄と戦うための力を与えた。その力を持った者が「勇者」なのだ。

「私達は、勇者様が災厄を鎮めてくださるまで、何とか乗り切ればいいんでしょ? それに、王都はこんなに大きな城壁に囲まれているんだもん。大丈夫だよ」

 おかみさんは大きく息を吸い込むと、何も分かっちゃいない、といった様子で首を横に振った。

「魔物に、城壁なんか関係ないんだよ。連中は、いろんなところから湧いて出てくるんだから」

「……湧く?」

「やだよ、この子は。知らなかったのかい」

 おかみさんは呆れたといわんばかりの声を上げ、説明を続けようとするも、別の客に声をかけられてその応対に回った。

 リーアはおかみさんのだぶついた二重顎が喋るたびに伸び縮みするのを眺めていたが、すぐに踵を返して店を出た。店内にはまだ数人、客がいる。その客が切れるのを待っておかみさんと話の続きをする気にはなれない。

 王都は貴族街ともなると華やかな雰囲気だが、下町になると建物も道路も何もかもがごみごみしていて埃っぽい空気が漂っている。怒声と、喧嘩のような会話と、悲鳴のような笑い声がこだまして、それに売り物の鶏や豚なんかの声が混じる。喧騒に包まれた街は姦しいが、生命力に満ち溢れている。リーアは貴族街で生まれ育ったが、賑やかなこの下町が嫌いではなかった。

 下町からやや勾配のある大通りをゆっくり北へと登っていくと、立ち並ぶ家屋もだんだんと大きく、門構えも立派になっていく。最近では商人達が財に物をいわせて豪邸を競って建ててはいるが、彼らが貴族街と呼ばれる区画内に居を構えることは許されない。

 家紋を刻み込んだ門の向こうに、広い庭と邸宅が広がっている。その貴族の個性によって、屋敷や庭の造りに特徴があり、それが自然と当主の人となりを表しているのが面白い。

 財力のある貴族の邸宅と、没落した貴族の邸宅の違いは一目瞭然だ。まず、庭の様子が違う。貧乏貴族は、庭の手入れにまで金と人手が回らない。更にひどければ、邸内の体裁を取り繕うことさえ難しくなってくる。末期になれば、衣食にさえ事欠くようになる。

 リーアの生家フレイル家は、まさにその末期の状態にあった。

 下町の住人はおろか、この貴族街に暮らす人々も、リーアが本物の貴族の娘だと知っている人々は少ない。フレイル家には娘が一人いたが、すでに亡くなったか、病気で寝たきりになっていると思われていた。リーア自身が否定しないので、世間ではそういうことになっている。

 そもそも、リーアの外観も行動も、貴族の娘たる常識を大きく逸脱している。着ている服はあまりにみすぼらしく、下町娘と変わらない。第一、貴族の令嬢は昼間から徒歩で出かけたりはしないし、家事雑用をするなどもってのほかだ。

 貴族の娘であるリーアが、使用人同様の生活を送っているその原因は、父にあった。

 リーアの父オズワルトは、元々貴族ではなく、地方の役人の息子だった。先の災厄の際にイストラート軍に従軍し、その時にフレイル家の先の当主、つまりリーアの母の父の命を救ったのが縁で、オズワルトは母と結婚しフレイル家の養子に迎え入れられた。だがその後、オズワルトは、急逝した祖父に代わって官職を求めるわけでもなく、ただフレイル家の身代を食いつぶすだけだった。いよいよ生活に困窮してからは、時折金を持ち帰ることはあったが、それは覆面と偽名を使い、裏町で違法な賭け試合をして手にしたものだった。母は、そんな父に振り回されて苦労した挙句、呆れたようなため息を残して息を引き取った。リーアが七歳の時のことだった。

 自宅の門が見えるところまで来たとき、リーアはふと眉をひそめた。

 誰かが、自宅の門の前で手を振っているのが見える。目を凝らすと、どうやら例の甲斐性なし極悪親父らしい。

 恐らく、いつものように暇を持て余して庭の草取りでもしていたのだろう。シャツの袖を肘までまくり上げているが、そのシャツに泥と草の汁が染み付いている。

 自分が必死に手を振っているのに、娘が慌てる様子もなく悠然と歩いてくるのを見て苛立ったのか、さらに父の動作が大きくなった。

 ……まるで子どもみたいだわ。恥ずかしい。

 リーアは仕方なく歩調を速めた。

 だが、それでも娘が門前まで辿り着くのを待ちきれなかったのか、オズワルトは今までになく強張った表情で迫ってくると、いきなりリーアの肩をガッチリと掴んだ。

「リーア、お前、俺に何か隠し事をしてないか?」

 差し迫った顔でそう言われると、善良な人間は誰でも一瞬返答を躊躇う。腹黒い者は、隠し事をしていようがいまいが、何食わぬ顔で「ない」と即答するのだろうけれど。

 リーアは目を白黒させながら、赤黒く変色した父の顔を見上げた。よく言えばどんなことにも動じない、悪く言えば暢気な父だが、よほどのことが起きたのか、血圧がだいぶ上がっているようだ。

「……えーっと、例えば、どんなこと?」

「お前、俺に例を挙げさせるほど、思い当たる節があるのか」

 情けない表情になったオズワルトは、思い直したように一つ大きな息を吐くと、言葉を継いだ。

「そうだな。……誰かから、何かを貰わなかったか?」

「……あっ」

 リーアが突然声を上げると、オズワルトはビクリと肩を震わせた。

「まさか、お前……」

「ごーめんなさいっっ! 一週間前にお向かいのオーデルトン家からいただいた、パーティの残り物のブラックベリーパイ、あんまり美味しかったから、自分で全部食べちゃったのよねー。バレちゃった? あはははは」

「ぶっ、…ブラックベリーの? ……貴様、俺がそれを大好物だと承知での嫌がらせか? そうなんだな?」

 オズワルトの目は本気で怒っている。まるで拗ねた子どもが地団駄を踏むように怒りを露にする父を、リーアは冷たく一瞥した。

「何よ。大の大人がブラックベリーパイごときで」

「ごときだと? ごときだと?? それがたった一人の父親の好物を、欲望に駆られて一人で平らげた親不孝者の言うことか??? 今からでも遅くない、吐け!」

「バカ言わないで! もう一週間も前のことなのよ。とっくに下から出て行ってるわよ!」

「……お取り込み中、申し訳ありませんが」

 咳払いと共に、オズワルトの背後から声が割り込んできた。

 言葉遣いは丁重だが、聞くに堪えない親子喧嘩を終わらせようとする強い意志が込められている。

 第三者が近くにいたことに驚き、リーアは父の肩越しにその人物を見上げた。

 中背ながらすらりとして見えるのは、均衡の取れた体つきと完璧な所作ゆえだろう。白い肌に金色の髪が日の光に輝いて、男にしておくには勿体ないほど整った顔立ちが、高貴な身分だと物語っているようだった。

「オズワルト殿。私があなたの元を訪れた用件と、たいぶ話がずれてしまっているようですが」

「これは。……申し訳ない、ウェラルド殿。予想外の娘の裏切りに、つい頭に血が昇ってしまって」

 予想外?

 リーアは首を傾げた。

 では、父の言う『隠し事』とは、近所からのおすそ分けを独り占めしたり、市場で値切り倒して余った金で買った菓子を一人でこっそり食べたり、といった類のことではないらしい。

 再度、金髪の青年は咳払いをした。

「往来では人の目もあります。ひとまず、中へ入りませんか」

 そう言うと、ウェラルドはフレイル家の人々の返答も待たず、踵を返して門をくぐった。

 確かに尤もだけど、それはこの家の住人である私達が言うべき台詞よね。

 リーアは内心そう呟きつつ、幾分厚かましい青年の優美な後姿を見送ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ