悪役令嬢は、思い出が尊すぎるので、潔く消えて差し上げますわ!
こちらの物語は、現在、連載中の作品『王太子殿下(攻略対象)は、溺愛がうんざりなので、今度こそ本格ファンタジーを目指します !?』の小話(マリエッタ視点)です。
本編未読でも読める構成にしていますが、わかりづらかったら申し訳ありません。
あの日、紺碧の夜空に輝いていたのは、水精竜女の涙の如き銀灰の月でございました。
あたくしは、宰相ブノワ=ラグランジュの娘、オルデュラン公爵令嬢として、世に恥じぬ装いで着飾り、国立エスカロワイユ魔導学園の卒業舞踏会に臨んでおりました。
そこで、あたくしは、あたくしの愛しき婚約者に告げられたのでございます。
「聞け! オルデュラン公爵令嬢、マリエッタ=ラグランジュ!! 私、サンクレール王国、王太子リシャール=ロロ=フェルディナン=ド=シュヴァリエは、ここに、貴様との婚約を破棄する!」
そう苛烈なる睥睨で、あの御方は、壇上から蔑むようにあたくしを見下ろし、非情なるお言葉をお突きつけなさる。
翳りゆく黄昏の如き黄金の髪と、底知れぬ深海の如き碧眼をお持ちの、貴き麗しき殿方。サンクレール王国、王太子、リシャール様。
ただただ、麗しいのは、その御姿ばかり。
その御心と、あたくしへの言動は、まるで悪鬼のようだった。
されど、その傍らに。
あの女は、さも当然のように寄り添っていた。
傍目には、あたくしを憐れむように、けれど、どこか勝ち誇ったかの微笑みを浮かべる、あの桃髪翠眼の伯爵令嬢は。
元は平民ながら、「聖女」として、ご神託を受けたがために、すべてを手に入れられた。
富も、栄誉も、名声も。あたくしの愛しい王太子殿下も。
ですから、あたくしは、まったく忌々しくて仕方がなかったのです。
あたくしは、あの女を激しく呪い、【死星の魔王】に助けを乞うて、すべてを元通りにしたかった。自ら、【崩星の魔女】となることを選んでしまった。
それらがすべて、「終わりの始まり」だったのでしょう。
「然るに、貴様は、『世界の果て』なる永久監獄、ミセリア・フィンテラへ追放することとする!」
これに、あたくしは、カッと血が上りました。
いえ。己でも仰天するぐらい、凄まじい憎悪を覚えたのでございます。
「酷い! あんな絶望の地で、高貴なるあたくしが生きていける訳ないではないのっ。この鬼っ! 冷血漢っ! 人でなしっ!!」
気づいた時には、あたくしは、そう口走っておりました。
[左様に言わなければならない]――と。
なぜだか、いつも、あたくしの内なる声が邪な方へと誘うのです。
その声に抗えぬ、あたくしは、道理に反する自覚があっても、もれなく聖女様を虐げ、殿下に嫌悪される所業をついついおこなってしまう。
それも、あたくしがいたらぬ所為だと自制しようとしても止まらない。
これは左様な御心の病なのかしら? ――と。
当初は、甚だ苦悩しておりました。
けれど、いつしか、「これは違う」と考えるようになりました。
だって、或る時、あたくしは心身乖離が明白なること、悟ってしまったから。
あたくしは、何かに呪われてしまったのかしら? ――と。
思い起こしてみても、やはり心当たりがございません。
ただ、その異変の始まりだけは、はっきりしていた。
そう。学園入学後、あの女が、あたくし達の前に現れてから。
すべてが狂ってしまったの。
この3年間、ずっとずっと――。
苦しくて、悔しくて、涙を怒りに換えれば換えるほど、あたくしは、虚しく悲しさが込み上げてきて、その胸には後悔の念が累々と積み重なるばかり。
「おのれ! リシャールッ! この裏切り者めっ。忌々しいアンジェルともども、地獄に堕ちてしまえっ!! 死なば諸共、未来永劫、貴様らを呪い続け、いつか血祭りに挙げてやるっ……」
あたくしは、またしても、我知らず、恫喝いたしておりました。
これに、壇上のお二方はもちろんのこと、周囲の聴衆らもたいそう蒼褪め、「なんて恐ろしい!」と酷くどよめきました。
(……ああ! また!! タガが外れてしまった……!)
あのお2人を許せない気持ちがあるのは本当です。
だけれど、かような事、直にご本人がたに申し上げる気はなかった。
そうして、悔いたところで、この胸の内は、あの御方には届かない。
「無礼者め! やはり、貴様は魔女だ! 誰か、この邪悪なる女を、とっとと連れていけ!!」
その発せられる怒号に、取り囲んでいた兵士らが、速やかにあたくしを捕縛し、連行いたしました。
こうして、あたくしの愛しき婚約者は、あたくしに死にも等しき罰を宣い、暗く冷たい牢獄へ、無情にも、あたくしを投獄したのでございます。
-◇-◇-◇-
あれから、どれだけ時が経ったことでしょうか。
半地下の牢獄に囚われたあたくしは、あまりの絶望に、あの粗末な食事も喉を通りませんでした。
毎夜、微かに小窓から差し込む柔らかな月光に、ややもすると涙誘われ、独り寂しく、さめざめと嘆いて、打ちひしがれていたのございます。
ただ、あの月の満ち欠けを見るに、おそらく、もう7日くらいは経過しているような気がいたします。
「……どうして、こうなってしまったのかしら?」
ぽつりとつぶやき、あたくしは、ワッとやつれた顔を両手で覆いました。
「あの御方は、昔は、とても穏やかでお優しい、面白き御方でしたのに……」
ふと、脳裏に浮かんだのは、幼き頃の、あの御方との懐かしき日々です。
-◇-◇-◇-
あたくしが、あの御方と初めてお会いしたのは、王立ベレマニエ学院初等科の頃でした。
あたくし達は、お隣のお席になって、そこで、お互いご挨拶したのでございます。
「えっ? き、ききき君が、ブノワ=ラグランジュ侯爵のご息女、マリエッタ??」
あの御方は、たいそう御目を白黒なされて、なぜか、ずいぶんと腰が引けておりました。
その当時、あたくしのお父様は、まだ侯爵位で、モンドンヴィル卿と、どちらが次の宰相となるかを争われていて、派閥が二分していたので、現在ほどの権力はございませんでした。
(殿下にとっては、しがないお役人の娘でしかないのに。どうして、これほど怯えておいでなのかしら?)
けれども、よくよくお話ししてみると、あの御方は、王族らしからぬ気さくなお人柄で、いらぬ争いごとを好まぬご信条らしく、あたくしの目を見て、しっかりとおっしゃいました。
「お家のこともあるから、全部が全部じゃないけど。君も、名家のお嬢様だからって、あんまり無理しちゃダメだよ? 君には君の人生があるんだから」
その時、あたくしは首を傾げました。
どうして、この御方は、あたくしにこんなことをおっしゃるのかしら?
とはいえ、その朗らかな笑顔は、こちらまで何だか胸が温かくなるようでした。
あたくしは、この御方のことがもっと知りたい、――と。
心から思えたのでございます。
-◇-◇-◇-
「ええっ? リシャール様、平民の街へ遊びにゆかれましたの??」
「うんっ! クロードとニルス――ぼくの乳兄弟たちと、庶民の恰好して、こっそり」
或る日、満面の笑顔でおっしゃられた時には、あたくしは、驚き呆れました。
王太子殿下が、平民の真似事をするなんて、――と。
それなのに、あの御方は、まったく楽しそうに、「どこそこの公園へ行った」だの、「大道芸人を見た」だの、「川で舟遊びをした」だの、なんとも愉快にお話しされるのです。
それで、「公園の屋台で食べたお菓子がおいしかった」なんて、おっしゃられると、
「他にご兄弟も、お世継ぎ候補もいらっしゃらないのに、ご自分が、何かあらぬ病を得たり、妙な事件に巻き込まれたり、危うくなるご事態をお考えでないのかしら」――と、
少し――、いえ、かなり、無頓着というか、お頭が足りないのではないかしら、とご心配になったものです。
ですから、名だたる貴族の娘として、あたくしは、この御方をお諫めせねばならない、と考えました。
けれど、次の瞬間、あたくしの口からこぼれた言葉といえば。
「……いいなァ」
と、知らず知らず、子供らしく羨むようにつぶやいてしまったのです。
そうしたら、あの御方は、ぱあっと御顔を輝かせ、にっこりとおっしゃいました。
「じゃあ、今度は、マリーも一緒に行こうよっ。きっと楽しいよっ」
あたくしは、一瞬、「そんなのはしたないですわ!」と口にしかけましたのに。
「う、……うんっ!」
と、まったく平民のような蓮っ葉なお返事をしてしまったのです。
「じゃ、決まりっ!」
そうお笑いになって、あの御方は、あたくしに、ちいさな小指を差し出してきました。
「……なんですの?」
「ゆびきりげんまん! 知らない?」
知るも知らないも、左様なもの、この御国では、目にしたことも耳にしたことがございません。
ですが、あの御方は、ちょっと恥ずかしそうに口元を綻ばせ、「そっか」と。
それは、遠い異国の民が、親しい者同士、大切なお約束する時におこなう風習なのだと、にぎやかにご説明くださいました。
そうして、後日、あたくしは、侍女のメリザンドを巻き込んで、平民の少年になりきり、リシャール様達とお出かけすることになったのです。
-◇-◇-◇-
なぜ、少年かと申しますと、それは、リシャール様が、
「マリーはとっても可愛いから、気をつけないと、ヘンタイさんに目を付けられちゃうよ」
と、ご心配されたからです。
その「ヘンタイさん」というのが、幼いあたくしには、よく分かりませんでしたけれど、「殿下がおっしゃられるのだから、きっと、そうなんですわ」と、その通りにいたしました。
お約束の場所へ参りますと、リシャール様と、その御供がたもまた、平民の装いをなされて、既にあたくし達を待っておいででした。
そうはいっても、子供ばかりで動くのは危険だと、殿下は、御者とお目付け役の従僕――大人の殿方をお2人、付けておられましたが。
とはいえ、御者は、馬車の番があるので、途中、散策場所にほど近い馬繋駐車場で待機することになり、おはぐれになりました。結局、同行されたのは、そこそこお若い従僕だけでした。
しかして、リシャール様ばかりは、いつものあの素晴らしい金の御髪ではございません。
「殿下は、どうして、御髪がお黒くてらっしゃいますの?」
「え? だって、服替えただけじゃ、バレちゃうでしょ」
それはそうなのですが、正直、あたくしは、御自ら、ご身分に泥を塗っておいでというか、そのご様子があまりに凡庸すぎて、情けなくなってしまったのです。
けれども、リシャール様は、あたくしをじっとご覧になるなり、「あ」と何かにお気づきになり、嬉しそうに御顔を綻ばせられました。
「おそろいだね!」
それは、言わずもがな、あたくしの装束でございました。
この日、たまたま、あたくしが身に着けていたお洋服と、リシャール様のお洋服が、まったく同じ仕立て屋で購入したものだったのです。
ただ、あたくしは侯爵令嬢ですから、この自慢の波髪を男の子のように切る訳にもまいりませんでした。ゆえに、編み込み、はみ出しそうな箇所は、お帽子の中に隠しておりました。
「ぼくのは魔法薬で変えてるだけだから全然だけど、マリーの髪は、黒っぽいのにキラキラしてて、いいなあ。ヌバタマの髪とも違うんだけど。こういうの、なんて呼んだらいいのかなあ?」
「……? ぬばたま??」
あたくしは、令嬢らしからぬ造作の崩れた顔で固まり、困惑してしまいました。
すると、リシャール様の御供のモランさんが「王子!」と、お諫められる顔つきで、睨んでおいでです。殿下は、「あ。ごめん、ごめん」と、まったく平民のように、ばつの悪い御顔をなされて、ご自身のご侍従にペコペコされておりました。
仮にも、王太子殿下がかように下々に対して、お腰が低くて大丈夫なのかしら、と、あたくしは何やら心配になってしまったものです。
ともあれ、それぞれ御供を連れた、あたくし達は、平民の街へと繰り出しました。
-◇-◇-◇-
「ねえ! ほら、あそこ。ジャグリングやってる!! すごーいっ。器用だねえ」
「まあ。竹馬を履いて、棍棒をいくつも投げるだなんて。あれで、お怪我でもなさったら、どうされるのかしら?」
「職人さんの見本市だ。革細工の体験もできるみたい。鞄とかにちょっと付けられるカンジのちっちゃいヤツとか作れるかな?」
「そのようなお仕事は、あたくし達のすることではございませんわ」
「犬の品評会やってる! カワイー。お仕事犬は、カッコイイのもコワそうなのもいるねえ」
「小さくて愛らしいコが少なすぎますわ。お仕事用の犬は大きくていかつくて、近づくだけでも危険ですもの」
「クレープ屋台出てる! ねえ、あれ一緒に食べようよ」
「どうしてクレープが更紙で巻かれていますの? 食器も使わないなんて、野蛮ですわ」
などなど、侯爵令嬢のあたくしよりも、王太子殿下でらっしゃるあの御方のほうが、なんとも、本当に平民のような御口をきいて、平民のようなことを進んでなされるのです。
それなのに、御供のモランさんがたは、どちらかというと諦観のまなざしです。
(いえ、正確には、兄君のクロードさんは呆れ、弟君のニルスさんは、なんだかよく分からないまま、殿下とご一緒に、無邪気にはしゃいでおられました)
そうして、ついつい、あたくしが不満を漏らしてしまっても、あの御方は、
「え。ご、ごめんね。面白くなかった?」
「そ、そっか……。うん。そうだよね」
「ううんっ! 別に大丈夫だよ。ぼくは全然そんなの気にしないしっ」
と、いった風に、やたら、あたくしにお気を遣われるのでございます。
もしかして、あたくしの方が無礼なのではないかしら? と、反省させられることもしばしばで。
しかして、そんな奇妙なことばかり繰り返しているうちに、いつしか、あたくしも、すっかり、自分が侯爵令嬢であることを忘れてしまって、あの御方とご一緒に、まったく普通の子供のように楽しんでおりました。
「平民の街だなんて、野蛮で汚らしいものばかりかと思いましたけれど、存外、こざっぱりとしていて、珍しいものばかり! これほど、お作法に縛られることのないのは、たいへん愉快でしたわ」
「そうだよね。楽しいよね。でも、『野蛮』とか、あんまり、そういう偏った見方するのは、良くないっていうか、貴族としては品が悪いかなあ? だって、ぼくら、あの人達のおかげで、この暮らしが維持できてるんだもの。異文化交流だって思わなくちゃ」
殿下は幼いながら、妙に大人びたことをおっしゃられます。
あたくしは少し罪悪感というか、胸が痛くなりました。
「だけど、マリーも普段と慣れないことばかりだったから、たぶん疲れたよね? 今度は、ぼくも、マリーがもっとのびのび楽しめるよう、いろいろ考えてみるから。きっと、また、一緒に来よーねぇっ」
殿下はそれ以上、あたくしを糾弾するでもなく、穏やかにおっしゃってくださいました。
-◇-◇-◇-
やがて、陽も傾き始め、その日は「もう、そろそろ帰りましょう」となったのですが。
馬繋駐車場には、頼りの御者も馬車も、お姿がありませんでした。
お若い従僕いわく、「この馬繋駐車場は、立地上、長時間停泊ができないので、きっと、別の場所に、一旦、引き下がったのでしょう」――と。
それゆえ、あたくし達は、お若い従僕のおっしゃられるまま、はぐれた場合にお約束していた場所というのに、移動したのでございます。
目的地に着いた後、やはり、そこには御者の姿が見えなかったので、お若い従僕は、「探して参りますので、どうぞ、こちらでしばしご待機下さい」と申して、一時、離脱いたしました。
あたくし達もまた、じっとそちらで待っていたのですけれど、不意に、プチ・モランさんがお腹を壊されたご様子で、案じられたリシャール様が、「お花摘みに参りたい」と、あたくし達に一言申されました。
いえ、厳密には、最初、「きじうち」とお言いかけなされて、あたくしが「きじ?」と、きょとんと首を傾げましたので、慌ててお言葉を直されたのですが。
(『お花摘み』なんて、通常、殿方がお使いになる表現ではございません)
とはいえ、「きっと、侯爵令嬢である、あたくしに容易に趣旨が伝わるよう、敢えて、そのお言葉をお選びになったのですわ」と、内心、滑稽に感じつつも、あたくし達もさして触れませんでした。
また、青い顔でお腹を押さえるプチ・モランさんの御姿が、それはそれは、お気の毒に見えましたので、あたくし達も快く「ええ。どうぞ」と申し上げました。
お3人は「Merci(=ありがとう)」と、しばらくお離れになりました。
しかしながら、男の子の格好をしているとはいえ、10歳のあたくしと、14歳の侍女メリザンドが、女2人ばかりで待つのは、いささか不安です。
あたくしは暮れなずむ茜色の空を見つめながら、「どうか、お早く戻っていらして」と切に願っていると、突如、「キャッ」とメリザンドが悲鳴を上げました。
そして、あたくしが振り返るより早く、背後から何者かに薬品臭のするハンカチを口元に宛がわれ、あたくしは、あっという間に気を失ってしまったのです。
-◇-◇-◇-
目を覚ました時には、もはや、日はとっぷりと暮れていて、あたくしは、縄で縛られ、冷たい床に、無造作に転がされておりました。
あたくしは、埃臭く不衛生そうなあばら家の如き場所に閉じ込められてしまっていたのです。
そのお部屋と1枚扉で隔てられた廊下の先で、見知らぬ男達が騒ぎます。
「話が違ェじゃねえかっ!」
「攫ってこい、って言われたの、コイツじゃねえだろっ」
「まったくだ。アイツを消せば、いずれ、あの御方がすべてを手に入れられる。オレたちゃ、その恩恵に与って一生大尽風吹かせられる、って算段だったんだろーがよォっ!」
とんでもないことをお話ししています。
が、どうやら、あたくしは、どなたかと間違われて誘拐されたようでした。
そして、捕らえられたのは、どうも、あたくしだけのようでした。
(……メリッサはどうなったのかしら? それに、殿下がたは??)
あたくしは侍女のメリザンドが無事かどうか気になりましたし、リシャール様がたも、あのまま、あの場にお戻りになられたら、危険だったのでは? と、胸騒ぎがいたしました。
「とにかく逃げなければ」と、あたくしは、この拘束を解く方法を考えていると、部屋の隅に、割れた酒瓶の残骸がございました。
あたくしは、必死に芋虫のように這いずり回って、その残骸の元へ行き、その欠片を1つ取り上げました。
これで縄を切ろうと考えたのです。
けれども、なにぶん、慣れないことですから、なかなか上手くいきません。
「いたっ!」
あたくしは、鋭利な瓶の断面で指を切ってしまいました。辺りは暗いので、ほぼほぼ見えませんが、その痛みのほどは、火箸を当てられたようにヒリヒリ熱くジンジンと、じわりと血が滲む感覚が走りました。
それでも、あたくしは、諦めませんでした。
ブツッ
と、鈍い音が手首の先で響いて、ひとまず、縄は残っていても、両手の自由が利くところまでは達成できたのです。
-◇-◇-◇-
とはいえ、そこには窓がなく、出入口の扉は1つだけ。
しっかり鍵も掛かっていますし、きっと、戸の表には見張り番もいるはずです。
ほどなくして、扉の向こうで、
ドスンッ、ドスンッ
と、大きな足音が聞こえます。あたくしは、慌てて、最初、そうなっていたのと同じように横になり、捕まっているフリをしました。
ギイィ……
と、薄気味悪い音を立てて、扉が開きます。
入ってきたのは、ゴロツキ風の3人の大男でした。
「このガキか?」
「へい、アニキ!」
「予定とは違ったが、こいつァ、ラグランジュ侯爵の娘だ。さっき裏を取ったから間違いねえ。仕方ねえから、今回は、こいつを人質に身代金をガッポリ稼ぐぞ!」
「侯爵の娘!」
「ひょーっ! しかも、あの名門ラグランジュ家のですかいっ」
(まあ、なんてこと!)
あたくしは腹立たしくなって、「こんな下賤の者達の思い通りになってたまるものですか!」と、一泡吹かして逃げてしまおう、と考えました。
我がラグランジュ家は、【月】の守護を持つ、【闇】魔法の使い手ですから、あたくしにも、その心得がございます。
まだ10歳のあたくしには、お父様やお兄様ほどの腕前はございませんが、たった1つだけ、初歩のものなら使うことが出来ました。
(今に見てらっしゃい!)
「こいつ、その手の狒々爺に、高く売れそうな上玉ですぜ!」
「ほほう。どれどれ? どんなツラしてやがんだ??」
おぞましいことを吐き捨てながら、大男らは近づいてきます。
あたくしは、気を失っているのを装い、ジッと念じました。
ひたり
と、悪臭の酷い大きな足が迫ったのを見計らって、あたくしは唱えました。
「ルナティカーラ・テネブラリウス・ネロヘイズ!」
あたくしの小さな両手から、
ぶわっ!
と、黒々とした闇靄が飛び出します。
「ぐわっ!?」
それは、たちまち、大男らの頭の周りに取りつき、その視界を奪います。
「えいっ!」
「ぎゃっ!?」
あたくしは逃げ道を塞いでいた1人に、
ドカッ!
と、体当たりして、転倒させ、全力で空いた戸口から逃げ出しました。
「おい! ガキが逃げたぞっ」
「捕まえろっ」
大男らの号令に、どこからか、わんさか手下らしい男達が出てきて、あたくしを追いかけます。されど、走りながらでは、あたくしも魔法を唱えられませんでした。
そうして、あたくしは、己が閉じ込められていた場所が、とても薄気味悪いお屋敷跡であることを知りました。
単に、あまりにぼろぼろなので、あばら家の1角に見えていただけで、そこは、おそらく、元は貴族か富豪かのお屋敷だったに違いありませんでした。きっと、破産したか、後継ぎがいなかったなどで、ずいぶんと昔に廃墟になったらしかったのです。
小さなあたくしにとって、その廃墟は、まるで迷路も同然でした。
窓の外を見るに、廃墟の周囲は、雑草生い茂る広いお庭で、その向こうに塀がずっと続いているようでした。その立地は、どうも、閑静な街外れらしく、近隣住人も乏しく、滅多なことでは、外部の人間には気づかれそうもありません。
そのうえ、お昼はあんなに晴れていたのに、今は、闇天に、とぐろ巻くかの雷雲がゴロゴロと、しとしと雨も降ってまいります。
(どうしよう……。こんなひどいお天気で。お外に出られたとして、逃げられるかしら?)
そんな不安に駆られても、この両足を動かさないことには、誘拐犯からは逃れられません。
あたくしは、血も凍るほどの恐怖を圧して、懸命に追跡の手を避けて避けて、欺いて、とにかく必死に走り続けます。
そうして、この不気味な廃墟からの脱出を試みたのですけれど、深窓の令嬢として、さほど体力もなかった、あたくしはなかなか追手らを振り切れませんでした。
「あっ!」
不意に、足がもつれて、
すってんころりんっ
と、あたくしは転んでしまいました。
これを好機と見た追手らは、その足を速めて、一気に迫ります。
あたくしは、「ヒッ!」と戦慄し、あちらこちら逃げ惑い、とうとう、廃墟の厨房跡のような場所へと追い詰められてしまいました。
「観念しやがれ! クソガキ」
「ううっ……」
あたくしは唇を噛んで、ガクガク震えました。
このまま、殺されてしまうのではないか、と。
武器を持った追手らは、にじりにじりと、小さなあたくしに迫ります。
すると。
何やら、ガタタンッ! と近くで大きな物音がしたかと思うと、
しゅるんっ、しゅるんっ、しゅるんっ
と、煮炊き用の暖炉の煙突から、小さな影が複数、這入ってきます。
「ランペリアル・ブリアンテ・アドヴェルスィー・オーリアン・コンフュズィア―!」
聞き覚えのある男の子の声が響いて、辺りは、
カッ!
と、凄まじい光に包まれました。
「ぐわっ!」
「何だっ!
「まぶしいっ!!」
追手らが怯んだところ、
ぐい
と、力強い、けれど小さな手に、あたくしの腕が引っ張られました。
「マリーッ! こっち!!」
「リシャール様っ!」
あたくしは目を剥きました。
なんと、リシャール様とモランさんがたが助けに来て下さったのです。
-◇-◇-◇-
リシャール様は【太陽】守護の【光】魔法を使われるご家柄ですので、先程の閃光は、紛れもなく、その御力に相違ありませんでした。
「くそっ!」
「ガキのくせに!」
「どっちも捕まえろっ!」
「特に、あの先頭のチビだけは絶対逃がすなっ!!」
先頭をゆくのは、あたくしの腕を引くリシャール様です。
一体どちらでご調達されてきたのか、まだ10歳のリシャール様とプチ・モランさんは、お怪我しないよう先丸加工がなされた、小剣を装備されておりました。13歳のモランさんは、細剣と防御用短剣をお持ちでした。
お3方は、お若いながら、巧みに敵の攻撃を掻い潜り、その手にした剣で、
カンッ、カンッ、キンッ、カンッ、ビシッ!
と、追手の魔手を打ち払いながら、ずんずん道を切り開きます。
あたくしも息が上がりながら、必死で皆さんに着いてゆきました。
しかして、あたくし達4人が、とうとう廃墟を脱して、濡れそぼる雑草繁茂する土砂降りのお庭を抜けて、鉄格子の門まで辿り着いたところ、
なんと、誘拐犯の頭領らしい軍団が門前で待ち構えていたのです。
「おとなしくしな、ガキども!!」
そうかと思うと、廃墟側からは、追手らを引き連れた若頭風の大男もやって来ます。皆が皆、狂気の獣のように、爛々と、その眼光を燃え立たせておりました。
「もう逃げられねえぞっ!」
「ガキのくせに、ナメたマネしやがって!!」
あたくし達は、もはや、絶体絶命でした。
けれども、リシャール様は、その御顔もキリリと落ち着いてらっしゃいます。
「マリーッ。こっちの敵は、ぼくがゼッタイなんとかするからっ! 向こうの、お願い出来るっ?」
「えっ……」
あたくしは戸惑いました。
リシャール様は申し訳なさそうに、
「情けないよね。おれ、男なのに。ホントなら、王子のおれが全員守れなきゃいけないんだけど、ここは手分けした方が確実に逃げられそうだから」
と、ガックリうなだれました。
しかし、そのサファイアの瞳は、したたかに輝いておられます。
あたくしは「おれ?」と、どうにも平民のような粗野な御口をきかれる王太子殿下を不思議に感じました。けれど、かような状況で、あたくしを信頼して、頼りにして下さる御姿が嬉しく思えて、ほんのり胸に熱いものが込み上げてきたのです。
「お任せくださいませ! だって、あたくし、ラグランジュ家の娘ですもの!!」
「うんっ! ありがとうっ」
あたくし達は微笑み合って、それぞれ、標的に向かって魔法の詠唱態勢に入りました。
モランさんがたは、あたくし達が虚を衝かれないように、剣で守りを固めます。
「ルナティカーラ・テネブラリウス・ネロヘイズ!」
「ランペリアル・ブリアンテ・アドヴェルスィー・オーリアン・コンフュズィア―!」
漆黒の闇靄とまばゆい閃光が、背中合わせに構えるあたくし達の各々前方に、
ぐゎんっ!
カカッ!
と、瞬く間に広がり、敵を襲いました。
「うおっ!」
「ぐぎゃっ!」
などなど、醜い悲鳴を上げて、前門の虎も後門の狼も後退します。それどころか、あたくしが仕掛けた闇靄を受けた者等の一部は、錯乱状態となり、同士討ちを始めました。
狼男が満月の夜に魔獣に変身するように、【月】には魔性を呼び寄せる霊力がございます。ラグランジュ家は【月】の加護がございますから、あたくしの【闇】魔法にも、その付加効果があったのかもしれません。
それに、リシャール様の光の目潰しを食らった敵達も動揺して、あたくし達を捕まえるどころではありませんでした。
「今のうちに逃げよう!」
「はいっ」
あたくし達は、鉄格子の門でなく、廃墟の敷地をぐるりと囲う塀の一部にあった壊れた隙間へ、まっすぐ走ってゆきました。
それは、ちょうど、小柄な者が通れるほどの小さな隙間です。(あのゴロツキらにはきっと無理でしょうけど)子供のあたくし達はもちろんのこと、品よく痩身のモランさんも、するりと充分通れました。
しかして、あたくし達は、あっという間に廃墟の敷地外へと脱出しました。
あたくし達は、走って走って、駆けるに駆けて、誘拐犯らと、その恐ろしい魔窟から、見事に逃げおおせたのでございます。
-◇-◇-◇-
果たして、あたくし達4人は、一心不乱に駆け続け、ようやく辿り着いたのは、街角に佇む小さな教会でした。そちらでは、既に、あたくしの侍女メリザンドが待っておりました。
というよりは、誘拐犯の居場所に目星をつけたリシャール様がたが、この教会を出発拠点として、あたくしのために、決死の救出活動をなさってくださった、といいますか。
あの激しい雨もすっかり止んで、禍々しかった真黒き空は、いまや、レモンを1雫注いだマロウ・ティーのように、綾なる薄紅色に変わりつつあったのです。
「すぐに助けられなくて、ごめんね。ずっと1人で心細かったよね。おれ、全然、気がつかなくて。Je vous prie de m’excuser.
(=どうかご容赦くださると幸いなのですが)」
リシャール様は、落ち込んだご様子で、たいそう慇懃に、あたくしに謝罪してくださいます。
あたくしは「いいえ」と首を横に振って、涙ぐみながら申し上げました。
「お迎えに来てくださって、ありがとうございます。あたくし、本当に嬉しかった!! Ça me touche beaucoup. Je ne sais pas comment vous remercier!
(=まったく感動いたしました。感謝してもしきれないぐらい!)」
気づけば、暁の空には、薄雲が、貴婦人が白いドレスの裾引くかの如くゆるゆる流れて、その遥か彼方には、7色の美しい虹が荘厳に掛かっております。
「まあ! なんてキレイなL’ arc-en-ciel(=虹)」
「ホントだ! スゴいっ! 天の門みたいっ!! なんだか、このまま、ずっとあっちへ行けそうだなぁっ」
日の出を受けて、朗らかに微笑むリシャール様は、たちまち、あたくしの心を虜にしました。
その魔法薬の効果もすっかり消えた黄金の髪は、まったくその旭日を写し取ったかの如く、風そよぐたび、キラキラと、神々しくさえあります。
遥かなる蒼天の如き碧眼は、きゅんと吸い込まれそうに青く澄んでおりました。
「あの虹の向こう側へ行けたら……。ぼくら、もっと自由になれるかなっ?」
そう語られる無垢なるも凛々しい横顔に、あたくしは、この上なく胸が、
トクン
と高鳴り、うっとり見惚れてしまいました。
しかしながら、恥ずかしくてたまらない、あたくしは、
「に、虹の向こう側、だなんて。きっと、無理ですわ! おとぎ話ではないんですから。仮にも、この御国を背負われる御方が。もっと現実をご覧くださいましっ」
と、なんともこましゃくれた言葉を発してしまいます。
けれども、殿下は「そっか」とお一言、怒るも嘆くもされませんでした。
「じゃあ、向こう側へ行けなくてもイイから。こんなキレイな虹を、また、こんな風に一緒に見られるといいねぇ」
なんて、のほほんとおっしゃいます。
それはそれは、とても温かくて、たいそうお可愛らしい「le meilleur sourire(=最高の笑顔)」でございました。
そうして、あたくしは、それに胸打ち震えると同時に、ふと、気になりました。
あの誘拐犯の標的は、侯爵令嬢ではなく、実のところ、王太子殿下だったのではないかしら?
あたくしを助けにいらしてくださったけれど、それこそ、あの御方のほうが
「C'est comme un papillon de nuit voler dans la flamme.(=飛んで火にいる夏の虫)」ではなかったのかしら??
など、諸々、気になったのですけれど、ご本人は、まるで頓着しておられないようでした。
その後、あたくし達は、事態を知って駆けつけられたお父様がたに、こっぴどくお叱りを受けてしまいました。
かの誘拐犯らは、通報を受けた憲兵や警察に取り囲まれ、あえなくお縄になったそうでございます。
伝え聞いた話によりますと、どうやら、王政打倒を狙う者らのご謀反の企みがあって、リシャール様の御供をしていた、あのお若い従僕もその一味だったようです。
御者は、それらとは無関係でしたが、残念ながら、その組織の者に人気ない場所に連れ出され、その御命を奪われてしまったのだといいます。
ただ、誘拐犯らは、収監された後、謎の病(?)を発症して連続不審死し、お若い元従僕は、「すべては私の浅はかな行動でした」と遺書をしたためて、牢獄内で縊死していたようでございます。
-◇-◇-◇-
「ああ……。なんだか、とっても大昔のことを思い出してしまったわ」
いつの間にやら、舟を漕いで、あたくしは夢を見ていたのだと気がつきました。
月影落ちる目の前に在るのは、塵芥に汚れた壁床、ずたぼろの藁筵、頑強な鉄格子。
獄内に格子小窓はあって、決して真暗ではないはずなのに、今のあたくしには、こちらの方が、あの遠き日の廃墟よりも寂しくて恐ろしい、地獄の魔窟のように思えました。
「此度は、あたくしが、あの咎人のように首を吊ることになるのではないかしら?」
いえ、現実には、あたくしに言い渡されたのは、「世界の果て」への追放ですけれど。
かくして、人知れぬ大地で、魔獣か何かに襲われ、ただ独り死んでしまうくらいなら。
むしろ、今ここで、自ら命を絶ったほうが、公爵令嬢として誇り高いのかしら? とすら考えてしまいます。
できれば、あのまま、儚くも美しい懐かしい記憶の海に溺れていたかった。
そうして、また涙が止まらなくなって、静かにうつむいていると、ふと、どこからか冷たい風が流れてきました。
なにやら、鉄格子の向こう側に、小さな黒いエナメル靴が見えます。
幼い女の子の両足のようでした。
ハッとして、あたくしが顔を上げますと、いったいどちらから入り込んだのか、鉄格子の向こうに、黒い日傘を差して、喪服を着た、真白い髪と紅い瞳の陶器人形のような、お可愛らしい女の子が、お1人、いらっしゃいました。
ただ、じっと、無言で感情のゆらぎのない瞳であたくしを見ています。
あたくしは気後れいたしましたけれど、令嬢らしく、にこりと微笑みかけました。
「Bonsoir.(=こんばんは)どなたか存じませんけれど、建物の中で御傘を差すのは、よろしくございませんわ。『不幸になる』と、皆さん、おっしゃいますもの」
「……。サさナイと、ミつかるカラ」
淡々と、白いお人形ちゃんはおっしゃいます。
さてはて、「見つかる」とは、その黒い御傘で、看守の目を欺いて、忍んでいらっしゃったということでしょうか?
「それで? 何の御用かしら。あたくしは、もはや罪人で、囚われの身。公爵令嬢ではないので、きっと、あなたに何もしてあげられないと思うのだけれど」
「……。キミ、オコてル?」
「え」
「あのオウジ。でてスて?」
「détester(=嫌い)? ハ……?? あの……」
唐突に、奇妙な発音で尋ねられ、あたくしも戸惑ってしまいます。
「嫌ってはおりませんわ。いえ、許せないところはございますけれど」
「……フゥン」
白いお人形ちゃんは、そう一言、すぐに興味を失ってしまいます。
あたくしはふっと苦笑いたしました。
「裏切られた、と考えてしまえば、楽なんでしょうけど。嫉妬に狂って、人道に外れたおこないをした、あたくしにも落ち度があるので」
「それでも、なお、『もう一度、あたくしの方に振り向いてくださらないかしら』って、ずっと心に願ってしまって。叶うはずもないのに。何もかも、ままならぬのが、ただただ悲しいのですわ」
「カナシい? どシて」
白いお人形ちゃんは、ちょっと首を傾げます。
あたくしは力無く申し上げました。
「ですから……その……。あの御方は、婚約者である、あたくしを捨て、聖女様とお幸せそうに微笑まれるのですけれど。その笑み、お振舞い、何もかもが作り物というか。今思えば、あたくしの恋焦がれた、あの御方でないような気がして、どうにも承服しきれないのです」
「その視界の先にいるのが、あたくしでないから、そう曇った目で見てしまうのかしら、と悩んだこともございましたけれど。あたくしがお声掛けいたしますと、いつも、邪見にされてしまって、それを確認することすら能わなくて」
「その腹いせといいますか、あたくしもまた、大変な罪を犯してしまったのです。宰相の娘でありながら、御国を存亡の危機へと導いてしまいました。ですから、もう、それらを考えるのも、ほとほと疲れてしまったというか……」
あの氷の瞳とつれなき所業の数々を思い起こすと、涙が溢れます。
「……ソウ」
白いお人形ちゃんは、暗いまなざしで、また、つぶやきます。
「あのオウジ、キミとおなジ」
「え」
「あクとぅーる。ココロ。ヨワい。おもて、でれナイ」
「acteur(=役者)……?」
あたくしは当惑いたしました。
公のお立場にある御方が、本音と建て前を使い分けることは珍しくございません。公爵令嬢である、あたくし自身、そうですし。
とはいえ、この白いお人形ちゃんの「表、出れない」という表現が少し気になりました。
あたくしは、その真意を問いたかったのですけれど、何もかも見透かしたかの一点の曇りもないガーネットの眼差しに、なにか己の卑小さを思い知らされるようで、どうしても訊けませんでした。
「……キミ、オウジ、きらい、チガう。――なンデ?」
「何で、と申されましても」
「キミ、めシャン。でモ、あのオウジ、モとヒドい。ぴんくアタマ選んデ、キミ、マジョになル、止めなカタ。キミ、でてスてすル、ケンリあル」
片言すぎて、「méchante(=悪役)」もそれと分かりづらく、あたくしも困ってしまいましたけれど。
「恋心というものは、理性では止められないものですわ。ただ、殿下にとって、そのお相手は、あたくしでなかった。それなのに、あたくしは、諦めきれず、あの御方にすがってしまった。ただ、それだけですから――」
必死にあたくしは、その胸の内を訴えようとしました。
すると、白いお人形ちゃんは――。
「……ナンで?」
きょとんとした様子であたくしに尋ねてきます。
「キミ、ヒドいコト、サレたノニ。そンナに、あのオウジと、ケッコンしたイ……??」
「――!!」
あたくしは絶句いたしました。
これに呼応するように、頭の中に、幼き日の無邪気なあたくしの声が蘇ります。
<あたくし、ゼッタイ、ステキなマドモワゼルになってみせましてよ! ですから、かならず、あたくしを、リシュさまのおヨメさんにしてくださいね♡>
それを御耳にされたリシャール様は、本当に難儀したようにご苦笑されていて。
だけれど、幼いあたくしは、そのお困り顔さえも、「なんて、お可愛らしいのかしら」とうっとりしてしまいました。それが、今でもありありと目の前に浮かび上がってきます。
「……。あたくし……あたくしは……!」
言葉が、ぐっと喉元でつかえました。
けれども、白いお人形ちゃんは、一切、気に留めることなくおっしゃいました。
「トットと、でてスて。オウジ、すテレば、キミ、ラクになれルのニ」
無情な口調でおっしゃる白いお人形ちゃんに、あたくしもドクンと胸がざわめきました。深刻に思い悩んでしまったのです。
(このコのおっしゃる通りだわ。あたくしが、あの御方へ執着を、もっと早くに捨て去っていれば。かような恐ろしい事態にはなっていないのに――!)
あたくしは、唇を噛んで、囚人服の胸倉をつかみ、じっと考えました。
(これほど酷い目に遭っているのに。どうして、あたくしは、いまだに、あの御方に焦がれ続けているのかしら?)
すると、フッと、あの幼き日の、純真無垢な笑顔が浮かびます。
<こんなキレイな虹を、また、こんな風に一緒に見られるといいねぇ>
あたくしは、きゅん、と胸が切なくなりました。
-◇-◇-◇-
(そうですわ。あたくしが、ずっとずっと見たかったのは、あのL’ arc-en-cielではない。あのまま2人、同じように時を重ねて、朗らかに微笑み合う、穏やかで幸福な未来――)
あたくしは、拳を固く握り締め、「ううっ……」とくぐもった泣き声を上げました。痩せ細った手で口元を覆い、冷たく埃臭い床にうずくまってしまいます。
「……」
白いお人形ちゃんは、押し黙って、ただただ静かに、泣き崩れるあたくしを見ていらっしゃいました。
しかして、ほどなくして。
フォォ
と、白いお人形ちゃんの小さいお手々が、ぼんやり黒紫色に光っています。
「……?」
何かの魔法でしょうか?
あたくしが目を丸くして、首を傾げておりますと、
白いお人形ちゃんは、その小さいお手々を、スッと鉄格子の隙間へ滑り込ませ、あたくしに小さい何かを手渡してきます。
「キミに、あげル」
「え」
そうして、あたくしの手の平に、
ころんっ
と、転がり込んできたのは、
オパールもかくやと見紛う、パラフィン紙のキャンディ包みでした。
あたくしは、不思議に思って、カサと包みを開けて見ますと、その中には、キンセンカの花弁を閉じ込めた、黄金の鼈甲飴が入っております。
「このお花……!」
あたくしは目を見開きました。
キンセンカは、夜明けに花開き、夕暮れには閉じてしまう。
太陽と共にあって、それに向かって鮮やかに咲ける、気高くも愛らしいお花。
王家の紋章は、「王冠を戴いた鷲獅子」ですが、
リシャール様個人の紋章のモチーフは、このお花です。
「あの……」
「キミ、すてラレない、みたい、だカラ」
どぎまぎして、あたくしが白いお人形ちゃんを見返しますと、その人形らしいクリッとした紅いお目々でおっしゃいます。
「キミ、うそツイてナイ、カラ。キミ、しんじテみル」
「はあ……」
「モドたら、キミ、もと、すなお、なタほうがイイ」
「戻る? それは、いったいどういう……」
よく分からないまま相槌を打って、眉をハの字に下げておりますと、
カツーン、カツーン……
と、遠く暗い通路の先から、冷たい足音が響きます。
あたくしもそれに気を取られ、音のする方向を見つめてしまいます。
あちらには、この半地下の牢獄へ出入りするための階段がございました。
「大変っ! 見回りが来ますわっ……」
あたくしが慌てて白いお人形ちゃんを振り返りますと、
「……あら?」
と、思わず、間の抜けた声を出してしまいました。
そこには、もう白いお人形ちゃんの御姿はございませんでした。
歩いたり走ったりして逃げた、というよりは、まったく、忽然と、煙のように掻き消えてしまったのでございます。
(たどたどしいお話し方でしたもの。もしかして、あの子……、この牢獄に宿る妖精さんだったのかしら?)
いえ、あの御装束からすると、幽霊か、死神の使い、という可能性は、なきにしもあらずなのですけれど。
ただ、このキンセンカの鼈甲飴をくださった時、一瞬だけ触れた指先は、確かに、温かな人間の手だったのでございます。
そうこうしているうちに、見回りがやって来ました。
あたくしはサッと鼈甲飴を後ろに隠しました。
「――おい。1人か? 何か人の話し声のようなものが響いていたが」
「それは、あたくしが、ただ、この身の上を嘆いて、独り言ちていただけですわ」
しれっと言い張ってみますと、見回りは、
「まったく。何だ! 人騒がせな!!」
と、ズカズカと怒って出ていきます。
見回りの姿がすっかり見えなくなりますと、あたくしは、そっとキンセンカの鼈甲飴を取り出しました。
「……あたくしだって。やり直せるものなら、やり直したいですわ」
あたくしは、
ぱくり
と、その鼈甲飴を口に含みました。
「…………ふふ。甘い」
ふわりと優しい甘さが広がります。
そして、後から、ちょっぴり苦い。
「……リシャール様」
あたくしは、たちどころに、この上なく悲しくなってしまいました。
失われてしまったあの時が、まっすぐなあの御方への愛しい想いが溢れて、ぼろぼろ、涙が止まりません。
「ああ……。もう2度とお目にかかれないまま、あたくしは旅立つのね」
明日は、とうとう、あたくしの流刑地移送の出発日です。
叶うものなら、泣き疲れるまま、このまま眠るように息絶えてしまいたい。
そんな悲嘆の中で、あたくしは、最後の夜を過ごしたのでございます。
-◇-◇-◇-
夜が明け、お役人と兵士らがずらずらと、あたくしの眼前にやって来ました。
「これより移送を開始する」
口数少なく、厳めしい顔つきでおっしゃられたのは、退役軍人の監察官、壮年のギヨーム=コロー子爵です。
言われるや、あたくしは、手足に重量ある錘と鎖が付いた、首輪と枷をはめられ、牢獄馬車へと乗せられていきました。
牢獄馬車とは、その名の通り、本来、客車にあたる部分が、鉄格子を積載した荷馬車のようになっております。
また、その牢獄には、封呪と雷縛の魔法がかけられておりました。
あたくしは、この国でも屈指の魔法の使い手でしたので、脱獄などできないよう、厳重に拘束体制が敷かれていたのです。
けれども、絶望に駆られたあたくしは、ぐすぐすと涙しながらも、「もうどうでもよい」と、虚無に心腐せ、きたる流れに身を任せておりました。
曇天の中、牢獄馬車は、ゴトゴトと、王都エルセイユの北外れ、石畳の大通りを進んでいきます。
やがて、罪人の移送を見に来た聴衆らの姿も視界に入ってきて、
「この魔女め!」
「よくも、恐ろしい魔物を我が国に解き放ちやがって!!」
「地獄へ落ちろっ!!」
などなど、怨嗟の怒号が飛び交い、あたくしに向かって、嵐のように飛礫が投げられます。大きなものは鉄格子で阻まれましたけれど、小さなものはなんなく隙間を通り抜け、
ドッ! ゴンッ! ゴスッ!!
と、あたくしの身体のあちこちに当たりました。
ソラマメほどの飛礫でも、たやすく痣となって、じんじん痛み、血も滲みます。
屈辱ではありましたけれど、これが、あたくしの犯した罪の報いなのだと思うと、本当に申し訳なくて、恐ろしくて、ただただ、耐えるしかなかったのでございます。
――その時でした。
にわかに、牢獄馬車の遥か前方が、
ザワッ
と、どよめき、空気が凍りついたのでございます。
「これはしたり! そは、こちらにおいでになられぬはずの、やんごとなき御方の御姿がお在りになるが――」
コロー子爵は怒気まじりの御声で呼び掛けます。
まもなく、それを払拭するかの、涼やかで勇ましい殿方の御声が轟きました。
「まやかしではない。この私、サンクレール王国、次期王位継承者、リシャール=ロロ=フェルディナン=ド=シュヴァリエは、己が意志でこちらへ赴いた!」
「……!?」
あたくしは目を白黒させました。
(そんなはずない……! だって、あの御方は、あたくしのことを嫌っておいでだもの)
きっと、「恋しさあまりに幻聴が聞こえたのだろう」と。
あたくしは、ざわめく胸を必死で抑えようと致しました。うつむいて、懸命に聞かぬようにしたのです。
けれど――。
「マリエッタ!」
血相を変えて、獄中のあたくしの前に現れたのは、紛れもなく、あたくしの元婚約者、サンクレール王国、王太子、リシャール殿下でした。
-◇-◇-◇-
あたくしの痩せ衰えてみすぼらしい姿に、リシャール様は酷く動揺されておいででした。
そして、雷縛の呪いにもお気づかれず、無造作に鉄格子をつかみ、
バチッ!
「痛っ!!」
と、怯まれます。
まるで、純真な少年のように反応される様に、あたくしは、
(……ああ!)
と、胸がいっぱいになりました。
(間違いない! これは、ずっと、あたくしが恋焦がれていた、あの御方ですわ!!)
そう。目の前のリシャール様は、まるで、憑き物がとれたように、幼き日の頃の、あの篤実な面影を宿していらしたのです。
「リシュ様!」
あたくしも、喉から絞り出すように、その名を呼んで、すぐさま歩み寄ろうといたしました。
それなのに。
(……!?)
あの王太子らしからぬ凡庸そうな御顔を見るに、あたくしは、なぜか、奇妙にムカムカと、凄まじい憎悪が沸き上がってきたのです。
そして、気がついた時には、こう口走っておりました。
「おのれっ! リシャールッ!!」
自身でも分かるくらいに恐ろしい鬼女の形相で、あたくしは、リシャール様を睥睨し、その喉、絞め殺したくなってしまったのです。
「この期に及んで、よくもノコノコとっ…………!!」
(ダメ!)
「ヒッ!」
リシャール様も完全に腰が引けてしまって、後ずさりされます。
あたくしでない【あたくし】は、
ガシャンッ!
と、雷縛の鉄格子を握り締めました。瞬間、
バチンッ!!!
と、凄まじい痛みと痺れが、あたくしの全身を駆け抜けたのでございます。
「あうっ!?」
あたくしは醜い悲鳴を上げて、瞬く間に気絶してしまいました。
「…………」
――キミ、もと、すなお、なタほうがイイ。
遠のく意識の中で、ひそやかに、白いお人形ちゃんの御声が響いたような気がいたしました。
(あ……!)
ほんの一瞬、
あの微かに甘くて苦い、キンセンカの鼈甲飴の味が、再び、あたくしの内にじんわりと広がりました。
(リシャール様……)
真暗な奈落に堕ちていったあたくしは、懸命に腕を伸ばしました。
いえ、伸ばさずにいられなかったのです。
これは、夢幻でしょうか?
否、きっと夢ではない。
あたくしは、その暗闇の先に、確かに、尊くも懐かしい金色の光彩を視たのだから――。
-◇-◇-◇-
果たして、全身、痛くてたまらなかったのが、突如、ぽうっと、眼裏にまばゆい輝きを感じるや、何やら、じわじわと、体の芯から温まってきました。それに合わせて、だんだんとその苦痛も薄れ、心なしか活き活きしてまいります。
ほどなく、枯れ木のような、あたくしの痩骨に、柔らかくも温かい感触と、逞しい腕の力を感じました。
ゆるゆる瞼を開けてみますと、そのあたくしを、じいっと心配そうに覗き込む、金髪白皙の美青年の御顔がございます。
かの御方は、その大きく優しい御手で、ぴたぴたと、あたくしの頬を柔和に撫ぜられ、静穏に囁かれました。
「――大事ないか? マリー」
その程低くも耳心地の良い、端正な御声は、どこか頼りなく、若干、震えておりました。潤んだ碧眼は、碧き銀河の1雫を閉じ込めたかのガラスのようでございました。
「……リシュ様?」
どういう訳か、あたくしは、すっかり牢獄の外に出され、なぜか、リシャール様の腕の中におりました。また、先程の温かい光は、リシャール様の治癒魔法であったのだと悟ったのです。
あたくしは、「夢でも見ているのかしら?」――と。
ぼんやりした頭のまま、その優しき碧の瞳を眺めていました。
そのご容貌はまったく同じであるはずなのに。
現在、あたくしの目の前にいらっしゃるのは、あの卒業舞踏会の、聖女様の傍らにて、悪鬼のように、苛烈にあたくしを罵倒した、あの御方ではございません。
(……ッ!)
ああ。間違いない。
これは、あたくしがよく見慣れた、麗しくも穏やかな殿方。
我が国、唯一無二の王太子殿下。
愛しくてたまらない、あたくしの元ご婚約者様。
(リシャール様!!)
思うや、じわ、と涙が溢れてまいります。
「ごめんなさいっ……、ごめんなさいっ……!! あたくし、なんてことを……っ」
「ああ。分かっているとも。だからこそ、私は、君に会いに来たんだ」
リシャール様は、あたくしをいたわるようにおっしゃってくださいます。
「私はまったく酷い男だ。あんな別れ方をしてしまったばかりに。ずっと、君のことが気掛かりだった」
そのお言葉に、今にも雨降らしそうな御顔をしてらっしゃいます。
あたくしもまた、「ううっ……」と胸が詰まりました。
「リシュ様は酷くありませんっ! だって、あれは、あたくしの自業自得だったんですものっ」
告げるや、あたくしは、堰切ったように、反省と謝罪の弁を繰り返しました。何度も何度も飽くほどに。それこそ、涙も枯れよ、とばかりに、この数年間、ずっと大切に心に抱えてきた想いの丈を訴えたのです。
「あの日、あたくしは、貴方様に一目で恋に落ちて、貴方様の妻になれる日が来るのを、一日千秋の想いで待ち侘びていた」
途端に、リシャール様は、「え」と至極驚かれたように、「そうなんだ?」と小首を傾げ、
「意外だな。私は、もっと、君に嫌われているかと思ったよ」
と、きまり悪そうに、ほんのりはにかみ交じりに、お笑いになられます。
そうして、ちょっとお考えになられた後、そろそろとあたくしに御顔を近づけ、
コツン
と、優しく、あたくしの額に、その御額を突き合わせられました。
あたくしは、
ドキン
と、胸が波打ちました。
けれど、よくよく見ますと、リシャール様は、お耳の端まで真赤になられて、どうにもソワソワと落ち着かないご様子です。
なんというか、本当は恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない、といったご印象でしょうか。
内心では、きっと、お早くお離れになりたいんでしょうけれど、死人のように痩せこけたあたくしを憐れんで、どうにか元気づけたい、と必死に耐えているようでございました。
ただ、あたくしのよく知る、遠き日のあの御方なら、むしろ、異性と手と手を繋ぐだけでも精一杯のような気がいたします。けれども、18歳にもなる殿方がそれでは情けない、とご自身で気にされ、果敢に虚勢を張ってらっしゃるのでしょうか。
「そんなこと……っ。ただ、あたくしは恥ずかしかったのです。貴方様が、たいそうお麗しく、神々しくて、お素敵だったから」
かたや、リシャール様は、いたたまれないご様子で、
「……マリー」
と、あたくしの名をお呼びになられ、その戸惑う御姿も、無垢なる少年のように初々しくございます。
聖女様に対しては、もっと堂々とされて、年齢相応の大人の余裕というか、どこか妖しげな色香のようなものを醸し出されていたはずなのに。
それでも、あたくしがずっと焦がれていたのは、こちらの御方のような気がしてなりませんでした。
その別人の如きお変わり方は、冷静に考えてみれば尋常でないことなのですが。
されど、話せば話すほど、その恋しき想いが強くなります。
「あたくしは素直になれなかった」
これまでの嫉妬深く狭量な自分を顧みて、
「貴方様に相応しいのは、このあたくしだけ。貴方様は、あたくしのモノだと」
そんな傲慢な胸の内をさらけ出すのは、やはり、ばつが悪くございましたが。
「ですから、あたくしは、アンジェル様が、あたくしから貴方様を奪ったと逆恨みして、その途方もない絶望から逃れようとして…………っ」
と、ワッと慟哭します。
とっても情けなくて申し訳なくて、甚だ悔いずにはいられませんでしたけれど。
あたくしは、どうしても止められなかった。
ただ、貴男様には、あたくしだけを想っていただきたかった。
あたくしも、ついつい、幼き頃を思い出して、かつて「悪の華」と謳われた18歳の公爵令嬢マリエッタではなく、あの夜明けの虹を見た、ただ10歳のマリーとして、素直に泣きじゃくってしまっていたのです。
見ると、リシャール様もはらはら涙ぐんでおられます。
「そうか。それは、とても苦しかったね」
リシャール様は、そっと、あたくしの黒銅髪をお梳きになられます。
「君は、思いのほか泣き虫だ。だけれど、私は、ただ頑なな君しか見ていなかった。それが、そもそもの間違いだったんだ」
そう打ち明けられながら、ふんわり撫でてくださる御手は、この上なく慈しみに満ちていた。
「マリー。君は、本当は、たいそう気高く心正しき女性だった」
リシャール様は、まっすぐ、あたくしを見つめます。
「それを私が壊してしまったんだ」
言われるや、ほんの少し、やりきれない、なんだか悔しそうな御顔をされます。
「ゆえに、謝るのは、私の方だ。君が道を踏み外す前に、私は、君の孤独に気がついて、その哀しき心に寄り添うべきだった。婚約者である君のことを第一に考えて、もっと大切にしなければいけなかったんだ」
その言の葉は、微かに震えています。
リシャール様は、あたくしをぎゅっと抱き締め、また、静かに涙されました。
あたくしもふるふる切なくなって、声を上げずにいられませんでした。
「いいえ! 悪いのは、すべて、あたくしです」
悔いたところで、過ぎ去った日々や、その罪過が覆ることはないのだけれど。
「それなのに、貴方様は、あたくしを極刑にはなさらなかった。
そればかりか、こうして、わざわざ、あたくしに会いにいらっしゃった」
「そうして、今、心よりの謝罪と、最後のお別れをおっしゃって下さいました。
まことに、もったいなき限りでございます」
ですから、あたくしも、ほんのりためらいつつも、思い切って言葉にいたしました。
「いったい【世界の果て】が如何なる場所か、思い巡らすこと、なんとも難しくございますが」
ただただ、まっすぐ、この愛しい御方の双眸を見つめ、
「この余生、かの地で己の過ちを省みて、ただただ慎ましく、世の安寧を祈ろうと思います」
ひたむきに、晴れやかな笑顔を作ろうといたしました。
たとえ、ぎこちなくても。
そうすることで、この御方の心意気に報いたいと感じたのでございます。
これに、リシャール様も、「クッ」と、小さく悲嘆をこらえるように、ほんの僅かですけれど、下を向かれました。
お互い、嗚咽が込み上げてきて、たまらなくなります。
しかして、リシャール様は、すぐにお戻りになられて、
「ああ……。君は、本当に奥ゆかしい女性だね」
と、また、あたくしの目をじっと見られます。
「犯してしまった罪は消えないけれど、そうやって永遠に償う心持ちでいることは、とても大切だと思う」
そう揺るぎない気色で、リシャール様は申されました。
「そうして、これが、たとえ、私達の今生の別れとなったとしても。私は、また、来世で君と会いたいと思う」
凛と清秀に、したたかにおっしゃられるその御姿は、本当に素晴らしかった。
あたくしは、ドキリと胸が高鳴って、
「ら、来世でも……?」
(まさか、あたくしのこと、『愛している』って、おっしゃってくださるのかしら……?)
と、しげしげ、その碧い瞳を見つめておりました。
けれど。
「その時こそ、私達は、真の友人になれるはずだ!」
リシャール様は、胸を張って、とっても自信満々におっしゃられます。
(――えっ?)
――が、そこに甘やかなるものは、一切ございません。
強いて申し上げるなら、どこか、決起集会で意気揚々とご演説でもされるような……?
「……??」
あたくしは、なんともあんぐりしてしまって、拍子抜けしていると、
ほどなく、リシャール様も、
「え? あれっ?(ひょっとして、俺、間違えた??)」
と、なにやら、ご自分の手落ちをうろたられるご様子でした。
とはいえ、その間の悪いお返事をされるこの御姿こそ、この御方らしいというか。これこそ、あたくしが焦がれた王太子殿下と申しますか。
たちまち、あたくしは、プッと吹き出しました。
まったくお腹の底からおかしくなって、クスクス、嬉しくなってしまったのです。
「はい……、はい。リシュ様……!!」
あたくしはにっこり微笑みました。
やはり、この御方は、なんだか、お頭が足りない。
ですが、あたくしには、それすらも愛しく映って仕方がありませんでした。
そして、同時に、あたくしは悟りもしたのです。
きっと、この御方の中では、あたくしも、聖女様も大差ない。
あの熱に浮かされたかのご様子こそ、実はまやかしで、あの白いお人形ちゃんがおっしゃったように、あたくし達は、ただ一時、そういう舞台に上がらされているに過ぎなかった。
公爵令嬢と王太子殿下として。
ただ、周囲に求められるままに。
それを演じ続けていた。
そして、この御方は、きっと、あたくしのことを大切に思ってくださっているけれど、その感情は、あくまでも、幼馴染み、ないしは、近しい義兄妹の域を出ないものである、――と。
(もし、あたくし達に来世があったとして。その時こそは、1人の殿御と1人の女人として、ご認識していただけるかしら?)
もはや、泡沫の夢にすぎないかもしれませんけれど。
「でしたら、もう、これが潮時ですね」
あたくしは、おもむろに立ち上がり、みすぼらしい囚人服で、精一杯の膝折礼をいたします。
せめて、最後くらいは。
令嬢らしく美しく気高い姿をその眼に焼きつけていただきたい。
宰相の娘、元王太子妃候補、オルデュラン公爵令嬢、マリエッタ=ラグランジュとして、その名に恥じぬように――。
あたくしは高らかに申し上げました。
「オルデュラン公爵令嬢、マリエッタ=ラグランジュ。殿下のお言葉を胸に、最期の刻を生きて参ります」
「この命、果てるまで――」
「かの遥かなる大地から、最愛なる貴方様がお造りになる御国を案じております!」
かくして、あたくしは、大輪のダリアの微笑みでお別れします。
だって、これこそが、現在のあたくしにできる、「le meilleur sourire(=最高の笑顔)」なんですもの。
「A dieu, Ma chère patrie !! (=さようなら、愛しき祖国よ!!)」
短編といいつつ、ここまで長々と、最後までお読みくださった方々、ありがとうございます!
連載中の本編『王太子殿下(攻略対象)は、溺愛がうんざりなので、今度こそ本格ファンタジーを目指します !?』は、リシャール主人公の、女性向けと男性向けを行ったり来たりしている(謎ジャンル)闇鍋系ファンタジーです。(※本編は『挿絵あり』です)
100%人力で「執筆&描画」の二刀流にチャレンジしています。
(なので、ストックあっても、毎回、校正等に時間がかかって、更新時間&頻度がマチマチなんですが……)
ご興味持たれた方は、是非ぜひ、ご一読を!
つたないなりにも、苦心惨憺しながら懸命に制作しておりますので、なにかご反応等いただけると幸いです!!




