第9話 それぞれの不都合
相談は、途切れることなく続くようになった。
最初は、マルディア侯爵夫人の紹介だった。
紹介制であることは変わらない。
だが最近は、ほとんどの客が、最初にこう言う。
「同じ服はいらない」
それが、前提になっている。
応接室の空気は、以前より静かだ。
流行を求める高揚ではなく、自分の事情を差し出す覚悟のようなものがある。
「私は、肩が凝りやすくて」
そう切り出したのは、細身の伯爵だった。
式典用の上着を着るたび、首から肩にかけて鈍い痛みが走るという。
「飾りが重すぎるのでは」
私は、試着中の背中を観察しながら答える。
「重さだけではありません。
力の逃げ場がないのです」
肩に集まった負担が、そのまま首へ伝わっている。
飾りを外すだけでは、根本は変わらない。
「支える位置を少し下げます。
肩で受けず、背中で分ける形に」
伯爵は、鏡越しにゆっくり頷いた。
「軽くするのではなく、楽にする……か」
その言い直しが、正確だった。
別の日。
「逆に、私は軽すぎるのが不安で」
年配の子爵夫人は、柔らかい声で言った。
「格式の場で、“頼りなく見える”のは困りますの」
私は少し考え、布を指でつまむ。
「重さを“感じさせる”ことはできます」
実際の重量は抑えたまま、落ち感と張りで印象を作る。
裾の揺れ方、光の拾い方、縫い目の見せ方。
「安心感は、必ずしも重さと比例しません」
夫人は目を細める。
「それは、試してみたい考え方ですわね」
また別の日。
「暑さです」
短くそう言ったのは、南方領を治める侯爵だった。
「夏場の式典は、正直に言えば拷問だ」
笑っているが、目は本気だった。
私は即座に、脇と背中の構造を思い浮かべる。
外からは分からない通気の道。
汗が滞らない縫い合わせ。
「外からは変えません。
中だけを変えます」
侯爵は、わずかに肩をすくめた。
「それを聞きに来た」
相談は、どれも違う。
同じ布でも、同じ答えにはならない。
体格の問題。
立場の問題。
年齢の問題。
そして、誰にも言わなかった小さな不都合。
私は作業台に戻るたびに思う。
(服の話をしているけど、
聞いているのは“その人の生活”だ)
長時間立つこと。
頭を下げる回数。
階段の上り下り。
暑さや寒さ。
視線の集まり方。
服は、それらを包み隠すものではなく、
受け止めるものなのだと、少しずつ分かってきた。
オーナーも、それを理解している。
「数は増やすな」
帳簿を見ながら、きっぱりと言う。
「だが、話はよく聞け」
「はい」
全部を受けることはできない。
全部に応えることもできない。
けれど。
(“同じではなく、合う”を求めている)
その一点だけは、共通している。
店の外では、相変わらず大きな噂は立っていない。
社交界を揺らすような流行もない。
だが、静かな共通認識が生まれつつあった。
——あの店では、服の話ができる。
——不都合を、恥にしなくていい。
それは、派手な評判よりも、深く根を張る評価だった。
私は今日も針を進める。
それぞれの不都合に、
それぞれの答えを用意するために。
目立たないまま、
確実に。




