第8話 依頼完了!
リーヴェの城門をくぐると、夕刻前の光が石畳に長く伸び、昼の熱がまだ路地の底に残っていた。風は粉と麦と獣脂の匂いを押し流し、荷車の軋みと商人の呼び声が薄く重なる。
詰所で通行の手形を返し、アルドたちは真っ直ぐギルドへ向かった。
重い扉が鳴り、酒と革と焚き木のがむっと立ちのぼる。昼の喧噪はほどけ、長卓の半分は遅い昼食と安い酒で埋まっていた。奥のカウンターで帳面をめくっていたアリアが顔を上げ、こちらを見た瞬間に目を丸くする。
「えっ、もう終わったの!? まだあれからほとんど時間、経ってないわよ!?」
「はい。偶然魔物と居合わせまして。そのまま退治しちゃいました」
隣でエリシャが、少し誇らしげに言う。
声の端に、初陣を終えた実感が明るく混ざっていた。
「討伐証を出してもらえる?」
アルドは頷き、〈異界収納〉に手を突っ込んで革袋を取り出す。
アリアがその様子を見て、呆れたように言った。
「魔導師って、ほんと何でもアリなのね」
「何でもじゃないさ。あくまでも、この世にあるものしか実現できない」
「……どういうこと?」
アリアが怪訝に首を傾げた。
いかんいかん、これは魔法学の話になってしまう。彼女に話したところで、わかるはずがなかった。
気にするな、と言わんばかりに革袋をカウンターに置くと、アリアは封を解く。中身を確かめた瞬間、肩がぴくりと跳ねた。
「ちょ、ちょっと! これ……ワーウルフ・ロードの耳じゃないの!?」
「ああ。群れの親玉がロードだったんだ」
「……話が違うじゃないの」
アリアは額に手を当て、次に深く息を吐いた。その顔は叱責に傾くのではなく、責任の所在を探す側の顔だ。
「引き受けてくれたのがあなたたちでよかったわ。他のDランクの冒険者だったら、返り討ちになってたかも。これはうちの責任ね。聞き取り調査の段階で見落としていたんだと思う」
革袋を慎重に戻し、アリアは報告書に何かを書き足していく。筆先が走る音が、室内のざわめきに混じって細く鳴った。
討伐対象の誤認は、冒険者ギルドにとって致命的な瑕疵になり得る。割り振りの難度は、命の長さに直結するからだ。実際に、他の新人がワーウルフ・ロードと遭遇すれば、逃げるしかなかっただろう。
「言っておくが、ワーウルフ・ロードを倒したのはこっちだ。俺は引き立て役に過ぎん」
「もう、何を言ってるんですか。私が引き立ててもらっただけですよ」
エリシャは小声で返すと、くすっと小さく笑った。
カウンター前で交わされたそんな短いやり取りは、すぐ周囲の耳に拾われる。空気の密度がわずかに変わり、長卓のいくつかで会話の方向がこちらに向いた。
「ワーウルフ・ロードに率いられた群れって、強さ二倍って言われてなかったか?」
「てか、Dランクでワーウルフ・ロードを瞬殺ってマジかよ」
「いや、有り得ないだろ。普通にBランク相当なんじゃね?」
「お前、試しに腕試ししてこいよ」
「嫌だよ。ガロスの二の舞にはなりたくねえ」
ガロスの名が冷やかし半分の戒めとして囁かれ、思わず笑ってしまった。
視線が刺さる種類の好奇心はあるが、さすがに近づいてくる者はいない。距離感の測り方が早いのは、ここの連中の長所と言える。
いや、もしかするとアルドたちがこの場所では異質だからか。魔導師と雖も、学者と学生が仕事を引き受けにくる場所ではない。
「……殲滅、と。はい、お疲れ様。それと、今回はごめんなさい。詰所にも、依頼人から話をもっとちゃんと聞くように言っておくわ」
アリアは報告書をまとめ、受理票の控えに印を押した。口調は簡潔だが、謝意と内省が同じ強さで乗っている。
エリシャが勉強熱心なのと同じく、彼女も仕事熱心だった。
「なに、構わないさ」
アルドは短く返した。結果として死人は出ていないし、何も問題はない。それに、ワーウルフの中にワーウルフ・ロードがいたとしても、労力に差はほとんどなかった。ドラゴンが出た、ともなれば話は別だろうが、あの程度の魔物ならば何体来ても怖くない。
「次の依頼はどうする? もう先に引き受けちゃう?」
アリアが問いながら、自然にエリシャへと視線を流した。アルドも同じように横を見る。
弟子は背筋を伸ばし、元気そうに見せていた。だが、その表情には僅かに疲れが見て取れる。昨夜から飛び続け、その足で初めての実戦に臨んだ。初陣の興奮が切れた瞬間に、疲労は雪崩のように押し寄せてくるだろう。別に、何も急ぐ必要はない。ゆっくりのんびり、やっていこう。
アルドは言った。
「いや、今日はいい。また明日にでも来るよ」
「わかったわ。またお願いするわね」
「ああ。よろしく頼む」
アリアが頷き、引き出しから革の袋を取り出す。銀貨と銅貨の落ちる音が、計量皿に粒のように重なった。
討伐の基本金額に、出没帯の安全化の加算、素材の一部の先払い。ワーウルフ・ロード討伐料金も加算されていた。端数を切り上げたらしい小さな気配りも、仕事の速度に紛れている。
「報酬はこれね。素材の本査定は明日回しになるけど、預かり票も渡しておくわ」
「助かる」
革袋の重みが手のひらに乗った。金とは即ち、学びへの自由だ。
腹が膨れて屋根があって、そこに本があれば文句がない。旅をしながら研究する身となっては、まずはこの金が要る。
ギルドを出ると、通りは夕刻前の色をしていた。石畳の目地に沿って斜めに陽が差し、埃が金色の粉になって舞う。足元で影が長くなり、路地の底に涼しさが溜まっていく。
「先生」
呼ばれて振り向く。エリシャがこちらを見上げ、言葉を選ぶみたいに唇を結んだ。
「ありがとうございます。……実はちょっと疲れてました」
「だろうな」
アルドは苦笑を浮かべた。
研究で夜更かしにも徹夜にも慣れているが、アルドだってこうも動き詰めだと疲れてくる。そういった生活に慣れていない彼女なら、尚更だ。
今日は夕飯を食べて、宿で風呂に入って、早めに寝るのがいいだろう。
「思った以上によく頑張った。お前が本気だというのが、十分に伝わったよ」
「当たり前じゃないですか。じゃないと、ついてきませんよ」
控えめな微笑みが、夕光を受けて、薄く色づく。
歩き出すと、彼女は自然に半歩後ろへ入った。足音がふたつ、軽く揃う。
鐘がひとつ低く鳴って。夕刻を知らせた。




