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【書籍化決定】追放された最強魔導師は、弟子の天才美少女と世界を巡る。~無詠唱魔法で無双しながら弟子とゆったり研究旅行~  作者: 九条蓮


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第58話 いざ、設置の儀式へ

 扉の脈動が、ようやく落ち着きを取り戻した。

 半透明の板を覆う紋様は、またただの「流れ」に戻っている。

 さっき一瞬だけ結んだ『下』を示す字形も、痕跡ひとつ残さず溶けてしまっていた。


「……ひとまず、今すぐどうこう、という感じではなさそうだな」


 アルドはそう結論づけると、扉から距離を取り、石像の前まで戻った。

 緊張で張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。


「先生……」


 エリシャが、胸元に手を当ててほっと息を吐く。


「大丈夫だ。触って怒られただけだ」

「怒られたんですか?」

「『まだだ』と、そんな感じの顔をされた気がした」


 顔のない扉に、顔を見たような気がするのだから、人間の感覚というのも案外あてにならない。

 だが、あの拒絶の振動は、そう表現するのが一番しっくりくるものだった。


「……顔のない相手にまで、そんなに嫌われてるんですか、先生」

「やめろ」


 余計な一言を挟んでくる弟子を軽く睨んでから、アルドはぐるりと視線を巡らせた。

 守護獣の間は静かだった。

 石像は胸の陣に淡い光を灯したまま、先程までと変わらぬ姿勢で鎮座していた。

 外からの風は届かない。その代わり、遺跡全体から滲むような冷気が、薄い霧のように肌を撫でていった。


「……一度、ちゃんと休んでおくか」


 ここから先は、本番だ。

 アルドがそう告げると、エストファーネも「賛成だ」と短く頷き、石像から少し離れた壁際に腰を下ろした。

 エリシャも木箱から距離を取り、床に敷かれた古い模様の隙間を選んで座る。腰を落とした途端、張り詰めていた膝から力が抜けたのか、ふう、と長い息をついていた。

 アルドも、石像と扉の間を見渡せる位置に立ったまま背を壁に預け、肩の力を抜く。

 広間の静寂は、不思議と耳に優しかった。

 鼓動のような魔力のうねりは、さっきよりも穏やかだ。

 フィルから託された封筒が、コートの内ポケットでひやりとした重さを主張する。

 命令文と『世界の仕様書』。どれもこれも、ろくでもないものばかりだ。


(せいぜい、こっちの都合のいいように働いてくれればいいが)


 肩の緊張が十分に落ち着くのを待ち、アルドは壁から背を離した。


「……よし。そろそろ行くか」


 声に、エリシャがぱっと顔を上げる。

 エストファーネも、鞘に預けていた手を離して立ち上がった。


「さて……フィルからの指示書にあると、ここから少し進んだ場所に封印核(コア)を設置する場所があるらしい」

「見せてくれ」


 エストファーネが手を差し出す。

 アルドは内ポケットから羊皮紙を取り出し、折り目を伸ばして見せた。

 簡易な見取り図と、いくつか記号。守護獣の間を中心に、幾つかの脇道が描かれている。


「ここが今いる広間だ。守護獣の間。で、これがさっきの『扉』の位置。その横の、この細い通路の先が……」

「なるほど、すり減った魔法陣らしき印があるな。ここが設置場所か」


 エストファーネは図面を眺めながら、眉間に皺を寄せた。


「すぐ近くだな。私が先に見てこよう」


 言って、自然な動きで剣の柄に手を置き、一歩踏み出そうとする。

 アルドは、それを視線だけで制した。


「いや、いい。三人一緒に行こう。もしもの時に、誰かひとりが欠けていると厄介だからな」

「……そうだな。承知した」


 短い沈黙ののち、エストファーネは苦い笑みを漏らした。


「どうも、こういう場面だと前に出たくなる癖が抜けないな。〝紅鷹(レッドホーク)〟の時もそうだった」


 思うに、この女騎士は責任感が強すぎる気がした。守らなければ、という感情は、時として自分自身の危機管理を甘くする。

 もしかすると、アルドやエリシャへの恩が彼女がそうさせるのかもしれないが、アルドは恩よりも利を選ぶ。未知の場所でのリスクは避けたかった。

 アルドは少しだけ肩を竦め、エリシャの方へと顔を向ける。


「エリシャ。ここからは俺が運ぼう。お前は少し休んでいろ」

「えー……」

「何で不満そうなんだ」

「いえ、何だか力不足だと言われた気がしたので」


 エリシャは唇を尖らせた。


「そういうわけじゃない。お前の出番がここからもあるかもしれんから、温存させたいだけだ」


 アルドは言って、木箱に手を翳す。

 先程までエリシャが維持していた〈浮遊魔法(フローティオ)〉の術式は、一度そこで丁寧に解いてやった。

 支えを失った箱が僅かに石床へ沈もうとする瞬間に、〈浮遊魔法(フローティオ)〉でもう一度浮かせた。

 もちろん、声には出さない。ただ、頭の中だけでその『意味』をなぞり、魔力を流すだけだ。

 木箱の底に、見えない手が差し込まれたように持ち上がった。石棺ほどの大きさの箱が、空気を押しのけるようにすっと浮かび上がる。

 埃がゆっくりと舞い、その影が床の文様をかすめていった。


「……前から思っていたのだが、あなたには詠唱というものがないのか」


 箱が安定した高さを保ったのを見届けてから、エストファーネがぽつりと言った。

 アルドは肩越しに彼女を一瞥する。


「ワケありでな。できれば、内密にしておいてくれると助かる。いい加減、()()()()()()にも疲れたんだ」


 意味のない単語をいくつか並べて、口だけ動かすあの作業。学院時代から散々やってきたが、あれはあれで妙に神経を使う。

 エストファーネは一瞬だけ目を瞬かせ、それから「了解だ」とふっと笑みを浮かべた。


「安心しろ。私も、喋らなくていいなら余計な説明はしたくない方だ。口数の少なさには自信がある」

「それはそれで、騎士としてどうなんだ」

「必要な時にだけ喋ればいい。今みたいにな」


 軽口を交わす間にも、箱の位置は微動だにしない。

 アルドは魔力の流れを微調整しながら、遺跡内の空気の重さと相談した。


(まあ、今さら隠し通せるものでもないか)


 これまでは、周囲に人がいるときは極力詠唱したふりをしてきた。適当にそれらしい単語を並べ、口の動きで「魔法らしさ」を演出する。同僚にも生徒にも、余計な詮索をさせないための工夫だ。

 だが、今この遺跡にいるのは、自分とエリシャとエストファーネだけ。

 エリシャには、とっくに知られている。エストファーネにも、知っておいてもらって損はないだろう。

 そう判断したのだが──。


「…………」


 視線の端で、銀髪の弟子がどこか不服そうな顔をしているのが見えた。


「なんでそんな顔をしている?」


 気になって訊いてみると、エリシャは頬をぷくりと膨らませた。


「……だって。先生の秘密知ってるの、私だけだったのに」

「…………」


 アルドは一瞬、返す言葉を見失ってしまう。確かに、アルドの無詠唱について知っているのは、エリシャだけだった。それを誇りに思っている節があることにはうっすら気付いていたが、まさか怒られるとは。

 エリシャは相変わらずじと目でこちらを見上げていた。


「お前な……」


 どう返せばいいのか本気でわからず、アルドは僅かに眉間を揉んだ。

 横から、呆れたような溜め息が落ちる。


「やれやれ。学者殿は、もう少し人間についても関心を持った方がよさそうだな」


 エストファーネは肩を竦め、口元だけで笑っていた。

 彼女の言葉の意図がわからず、アルドはますます首を傾げたのだった。


(……女の感情というものは、神代語よりも難解かもしれん)


 世界の命令文よりも、目の前の弟子の機嫌を読む方が難しいというのは、どうにも納得がいかない。

 ひとまず、これ以上深入りすると話が脱線しそうなので、アルドは箱の向きを調整した。


「とにかくだ。無詠唱の件は、仲間うちだけでも知っておいて損はない。取りうる策も変わるからな。エリシャもそれで納得してくれ」

「……はぁい」


 エリシャはまだどこか不満げではあったが、返事そのものは素直だった。

 その声色に、ほんの少しの安心と信頼が混じっていることは、アルドにもわかった。

 守護獣の間の脇に口を開けている通路へ、浮遊させた木箱を滑らせていく。

 エストファーネが先頭に立ち、その後ろに箱、そのすぐ隣をアルドとエリシャが並んで進む形になった。

 脇道は、さっきまでの大広間よりも天井が低い。

 壁は滑らかに削り出されており、ところどころに古い刻印が薄く残っていた。

 床に刻まれた線は、長い時間の中ですり減り、途切れ途切れになっている。


「……あまり、歓迎されている感じの道ではありませんね」


 エリシャが小声で言う。


封印核(コア)の設置場所だからな。頻繁に人が歩くような通路ではないのだろう」


 アルドはそう答えながら、周囲の魔力の流れを探る。

 扉のある広間ほど濃くはないが、この通路にも微かな循環があった。

 遺跡全体の『血管』のひとつ、といったところか。

 やがて、通路がふっと開ける。

 脇道の突き当たりに、天井の高い小部屋が現れた。

 中央には、石棺を横倒しにしたような台座。

 その周囲の床には、かつて魔法陣が描かれていたのだろう痕跡が、輪郭だけを辛うじて残している。

 かつては緻密だったであろう線は、今やすり減り、ところどころ欠けていた。だが、その中心がここであることだけは、誰の目にも明らかだった。

 天井には、小さな穴がいくつも空いている。

 そこから差し込む淡い光が、台座の縁を淡く照らしていた。


「ここか……」


 アルドは足を止め、室内の空気を静かに吸い込んだ。

 ここにも、扉や守護獣の間と同じ『匂い』がある。

 世界の命令文に近い場所の、硬い、冷たい、けれどどこか整然とした感触だ。

 浮かせていた木箱を、台座の上へ慎重に移動させる。


「少し下げるぞ」


 魔力の支えをほんの僅かに抜くと、木箱の底が石面へ近づいていく。

 角が台座の縁に触れないよう、姿勢を細かく調整しながら、ゆっくりと。

 箱が石面に触れる、その瞬間──遺跡全体が、息を吐いた。

 足元から、微細な震えが伝わってくる。

 壁に刻まれた文様が、ほんの僅かに光を帯びたように見えた。守護獣の間から届いていた鼓動のリズムが、遠くで重なり合う。


「……今の、感じました?」


 エリシャがきょろきょろと辺りを見回す。


「ああ。正しい位置に『戻せ』と言われていたのは、どうやら本当らしい」


 アルドは木箱から手を離し、ひとつ息を吐いた。

 台座の縁には、古い文字がぐるりと刻まれている。

 神代語と、その後の時代の補足文が、幾層にも重なっていた。

 ここが『核』の眠る場所であり、同時に何かしらの手順を要求している場所であることが、ぼんやりと伝わってくる。

 背後で、金属の擦れる音がした。

 エストファーネが剣を半ばまで抜き、部屋の周囲を一周している。出入口や暗がりを一つひとつ確認し、潜んでいる気配がないかを探った。

 ひとまわりし終えると、彼女は出入口近くに立ち、剣を鞘に戻す。


「私はここで外の警戒に当たる。設置の儀式とやらを、済ませてくれ」

「了解だ」


 アルドは短く答えた。


「任せてください!」


 エリシャが、勢いよく手を挙げる。

 その声には、緊張と同じくらい、期待の色が混じっていた。

 ここから先は、世界の命令文に触れる作業だ。

 姉妹遺跡の封印核(コア)を設置し、遺跡全体の命令体系を一度緩める。誰もやったことがないことに挑戦するのだから、やはりアルドとて緊張するものがあった。


(やれやれ……)


 アルドは木箱の上に軽く手を置き、視線をエリシャと交わした。


「いいか、エリシャ。ここから先は、一つ間違えると遺跡全体が暴れるかもしれん。心してかかるぞ」

「はい。でも、先生が一緒なら大丈夫です」


 迷いのない返事に、思わず苦笑が浮かぶ。

 師としての責任と、世界の裏側に触れるという厄介な仕事。

 どちらも、今さら放り出すことはできない。


「……よし。始めるか」


 腕まくりをするような気持ちで、アルドは木箱の封印陣へと両手をかざした。

 こうして、今度はふたりの設置儀式が始まるのだった。

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