プロローグ
「――ご乗車ありがとうございます。間もなく秋田、秋田に到着します。お出口は――」
ボーっとしていた顔が、車窓から射してくる陽の光に当てられ、少しだけ覚める。朝の八時に新幹線に乗って、かれこれ三時間ぐらいは経っただろうか?イヤホンで耳に蓋をし、好きなアニメソングを聴きながら雑音をかき消し、新幹線の心地のいい揺れを感じて景色を眺めるのは嫌いじゃない。
けれど退屈な時間だというのは確かだ。お気に入りの曲はもうかれこれ四、五回は聞いたと思う。退屈になるだろうからとダウンロードしていた映画は自分には合わなかったし、退屈になるだろうからと表紙買いした小説は結局最初だけ読んで、目の前のテーブルに積んでいた。
そんな映画や小説みたいに、新しい暮らしも合わないのだろうか?と、私、横手凛に一抹の不安がよぎる。
今車窓から広がっている景色は、私にとって初めての場所。中学まで東京で暮らしていた私は、高校生になったこの春、秋田県へと引っ越しをする。両親の実家があるわけじゃない。きっかけは思いの外単純で、父さんの転勤である。聞いた話だと、田舎での暮らしに憧れを持っていた父が、秋田に支部ができるという話を聞いて転勤を願い出たらしい。
その話を三か月前の第38回家族会議で聞いた事を思い出した。
「凛、ごめんな!」
テーブル越しに父さんは謝罪をした。田舎での暮らしにあこがれを持っていて、それでも娘の進路や学校生活に変化が出てしまう葛藤はあったらしい。だけど、転勤後の昇給や手当の話もあり、今後の生活を考えたときに…と、色々考えた結果、転勤が決定となった。
「いいよ父さん。色々考えて決めたことでしょ?私は大丈夫だから」
「いや……でも……うん。本当にすまないな、凛。でもきっと、あっちの生活も楽しいものになるさ!」
立て続けに父は気を紛らわせるかのように話す。
「そうだ!秋田の景色は綺麗らしいぞ!特に男鹿半島の夕焼けは、父さん一度見てみたいなぁ!」
私に気を使ってなのか、父さんはいろいろなスポットを饒舌に話していた。
でもその言葉は私の耳にはあまり入ってこなかった。
いい子ぶって転勤に肯定した。本当は慣れ親しんだ場所を離れるのが嫌だった。友達が多いわけではなかったけれど、それでも気の合う友達に巡り合えていた。帰り道に寄るファストフードで友達と駄弁るのが好きだった。通学で乗った電車の人込みは嫌でたまらなかったけど、今となっては少し、本当に少しだけ寂しい。けれど、私が駄々をこねても何かが変わるわけでもない。だから私は自分の意見を押し殺した。
「――ご乗車ありがとうございます。秋田。秋田。――」
そんな事を考えていたら、新幹線は目的地に着いたらしい。見慣れない駅が目に入る。
席の上にある荷物置き場からお気に入りのリュックを持ち出し、乗車口へと向かう。
降りる人はポツポツといるようだが、東京とはまるで人数が違う。春休みの平日というのもあるだろうが、それでも私にとっては閑散としているように思えた。
乗車口の前に立つ。私にとって初めての土地。ここから一歩踏み出せば、今までの自分とは別れを告げるような気がした。それと同時に、幾許かの期待と生まれ変わる自分に出会えるのではという思いもあった。
プシュー……と扉が開く。一歩を踏み出す。人にとっては小さな一歩だが、私のとっては大きく、とても大きな一歩に思えた。かの宇宙飛行士ニール・アームストロングもこんな気持ちだったのだろうか?……比較するのもおこがましいだろうけど。
新幹線の外に出た瞬間、春の穏やかな風が吹き抜け、何だか私を歓迎しているように思えた。いや、そう思い込んで自分を鼓舞しようとした私がいた。
乗車券と特急券を改札口に入れ、駅構内に入ると、竿灯や大きい犬のぬいぐるみも飾ってあった。なんで犬?と思ったが、そういえばその名の通り、秋田犬の原産だったことを思い出した。モフモフしてそうで可愛い……。
構内を見渡して感じたことは、とてもシンプルだということだ。東京駅や新宿駅、魔の池袋駅のように複雑ではない。人もそこまで多いわけではなく、なんだかゆったりとした時間が流れているようで、ちょっとだけ異国に来たような感覚だった。私も駅構内を色々と見渡しながらゆっくりとバスの停留所まで歩く。
「ここが、秋田県……」
駅を抜け外に出た瞬間、そんな言葉を呟く。
知らない街に知らない場所だらけ。
縁もゆかりもなかったこの町で、私、横手凛の高校生活が始まるんだ。