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第2章:失われた帰還(前編)

日紫喜部長の情けない悲鳴。最所課長の絶叫。

そして俺自身の声にならない叫び。

体が宙に浮き、どこかへ猛烈な勢いで引っ張られるような感覚。

ツアーで体験したゲート通過とは全く違う、制御されていない、暴力的なエネルギーの奔流だ。


視界が真っ白に染まる。

体が宙に浮き、どこかへ猛烈な勢いで引っ張られるような感覚。

周囲の景色は光の奔流となって歪み、自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのか、全くわからない。

部長や最所課長の声も、一瞬にして遠ざかっていった。


同じ魔法陣に乗っていたはずなのに、なぜかそれぞれが別の方向へ引き裂かれるような感覚がある。

まるで、嵐に巻き込まれた小舟のように、制御不能な激流に翻弄されているようだ。

(まずい…! これは、本当に、まずい…!)


意識が急速に遠のいていく。

最後に脳裏をよぎったのは、オフィスから見えた公園のベンチに座る、フードを被った謎の老人の姿だった。

あの老人は、何かを知っていたのだろうか…? 「そこにはきっとあなたが望むものがある」…あの言葉は、一体何を意味していたのだろうか。


だが、その問いの答えを探る間もなく、俺の意識は完全に暗闇へと落ちていった。

体にかかっていた力が突然消え失せ、俺は重力に従ってどこかへ落ちていった。衝撃に備え、思わず体を丸める。

ドスン!

硬い地面に叩きつけられる衝撃。

肺から空気が押し出され、むせ返る。

全身が軋むような痛みに襲われるが、骨が折れたりするような大きな怪我はなさそうだ。


痛みに耐えながらゆっくりと目を開ける。

視界はまだぼやけていたが、次第に周囲の光景が焦点を結んでいく。

そこは、石畳の上だった。潮の香りがする。

上を見上げると、先ほどまでのトランジット・ポートのような洗練された建物はなく、古びた木造の家々が並んでいる。

屋根は苔むし、壁は風雨に晒されて色褪せている。遠くには海が見えた。波止場のようなものもある。どうやら、港町に漂着したらしい。


体を起こすと、頭痛と吐き気に襲われた。強烈な転移酔いだ。

周囲を見渡す。他に誰かいないか? 部長は? 最所課長は? 山部さんたちは?

「部長! 最所課長! 山部さん!」

声を張り上げるが、返事はない。

必死に辺りを探すが、知った顔は見当たらない。まさか、俺だけがここに飛ばされたのだろうか?


その時、別の声が聞こえた。

「おい、アンタ! 大丈夫かい!?」

声のする方を向くと、数人の人影がこちらに近づいてくるのが見えた。

彼らの姿は、トランジット・ポートで見た人々とは少し違っていた。

粗末な衣服を身に着け、顔には疲労の色が濃い。そして、その中に、見慣れた顔を見つけた。


「……山部さん? 部長!」

なんと、そこにいたのは、山部さんご夫婦、そして日紫喜部長だった。

俺と同じように地面に転がっていた彼らも、ゆっくりと体を起こしている。

山部さんご夫婦は、互いの無事を確認し合い、安堵のため息をついている。

日紫喜部長は、全身泥まみれになりながら、混乱した様子で辺りを見回している。


「おお、植良くん! 無事だったか!」

山部与明さんが駆け寄ってきて、安堵したような声を上げた。

千映さんも心配そうな表情で頷いている。

「ば、馬鹿な……なぜ、ここに……! 我々は、どこに飛ばされたんだ! 最所課長はどこだ!?」


部長は、パニックに陥っている。

最所課長の姿は、やはり見当たらない。

「最所課長がいない…」

俺が呟くと、部長は顔を青ざめさせた。

「あいつは…どうなったんだ…まさか、転移に失敗して消滅したとか…!?」


しかし、それどころではなかった。

この場所がどこなのか、全く分からないのだ。

管理局の施設ではない。トランジット・ポートでもない。

山部さんが持っていた地図を開くが、やはり該当する場所は見つからない。


「わからん! 港町みたいだが、地図にないぞ……我々は、一体どこに飛ばされたんだ……!」

部長の顔に、絶望の色が浮かぶ。

他のツアー参加者たちの姿も、全く見えない。

恐らく、あの制御不能な転移に巻き込まれたのは、あの古い魔法陣の近くにいた俺たち三人(と最所課長)だけだったのだろう。


他の参加者たちは、無事に地球へ帰還できたのだろうか。

私たちに近づいてきた島の住民らしき人々が、訝しげな目で私たちを見ている。

彼らの言葉は、管理局から貸与された翻訳機のおかげで理解できた。

彼らの服装は質素で、顔には日焼けの跡や、海の男特有のたくましさが刻まれている。


「アンタたち、一体どこから来たんだい? そんな格好…船が難破でもしたのか?」

彼らは、私たちを遭難者だと思っているようだった。

日紫喜部長は、自分が地球から来たツアー参加者であり、トランジット・ポートから転移に失敗してここに飛ばされたことを必死に説明したが、島の住民は怪訝な顔をするばかりだった。

地球? 異世界? そんな言葉を聞いたこともないという様子だった。

彼らにとっては、この島が世界の全てなのだろうか。


彼らの話を聞くうちに、この場所がどのような場所なのか、徐々に明らかになってきた。

ここは、異世界メレディの大陸から遠く離れた、辺境の孤島。

ミシラニィ島。

外界との交流はほとんどなく、たまに本土から行商人がやってくる程度らしい。そして、この島には、地球と繋がる転移ゲートなど存在しない。

管理局の施設も、地球との通信手段もない。


「……つまり、我々は本格的に、異世界に取り残された、というわけか」

日紫喜部長は、現実を突きつけられ、その場にへたり込んだ。

言葉にならない絶望感が、彼を襲ったのだろう。

トランジット・ポートの安全な施設から、突然、見知らぬ辺境の孤島に飛ばされ、しかも帰る手立てがない。

それは、サラリーマンとして安定した生活を送ってきた彼にとって、あまりにも過酷で、非現実的な現実だった。


彼の顔からは、これまでの威勢の良さが完全に消え失せ、ただただ茫然としているだけだった。

部長は、苛立ちを隠せず、部下である俺に八つ当たりを始めた。

「お前が! お前が『ファンタージア』などと言い出すから! そしてあの地図などという馬鹿げたものを…! お前のせいだ! 全部お前のせいなんだ!」

彼の声は震え、目に涙が浮かんでいるようにも見えた。


彼自身が闇市場の地図に飛びつき、立ち入り禁止区域に足を踏み入れたことを棚に上げ、責任を俺に押し付けようとしているのだ。

山部与明さんは、そんな部長の隣で静かに眉をひそめながらも、どうにか状況を打開しようと、島の住民にさらに詳しい情報を尋ねていた。

妻の千映さんは、夫を支えるように寄り添っている。

彼らは、部長のようにパニックになるのではなく、冷静に状況を把握しようとしていた。その落ち着きが、俺たちの唯一の救いだった。


俺は、部長の八つ当たりを黙って聞いていた。

確かに、俺が『ファンタージア』について話さなければ、部長があんな地図に興味を持つこともなかったかもしれない。

しかし、立ち入り禁止区域に足を踏み入れたのは、部長自身の判断だ。

だが、今はそんなことを言い争っている場合ではない。


混乱しながらも、どこか冷静な自分がいた。

ここでパニックになっても状況は好転しない。

まずは、この島のことを知る必要がある。

そして、ここで生きていく方法を見つけなければ。


帰れない、という事実は、あまりにも重いが、それを嘆いていても始まらない。俺はサラリーマンとしての自分を一度捨て、この異世界でどう生き抜くか、という現実に目を向け始めていた。

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