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第1章:ようこそ異世界ツアーへ(後編)

トランジット・ポートと呼ばれるその街は、まさに異世界の縮図だった。

石畳の道は広く、様々な種族が行き交っている。

背の高いエルフ族は優雅なローブを纏い、しなやかな足取りで歩く。

屈強なドワーフ族は、金属の装飾を施した革鎧を身に着け、足早にどこかへ向かう。


そして、最も多様なのが獣人族だ。

犬や猫、狐、狼、熊、鳥、魚など、様々な動物の特徴を持つ人々が、それぞれの部族ごとに特徴的な服装や装飾品を身に着けている。

彼らは互いに言葉を交わし、商取引を行い、笑い合っている。

その活気は、日本の都市とはまた違った種類のエネルギーに満ちていた。


街には、石造りの重厚な建築物や、木造で曲線的な意匠が凝らされた建物が並んでいる。

屋根には、地球では見たことのない植物が植えられていたり、不思議な形の風見鶏が取り付けられていたりする。

街の至る所に、魔力を帯びた光を放つ街灯が設置されており、昼間でもほんのりと周囲を照らしている。


街の中心部には、大きな市場が広がっていた。

色とりどりのテントが立ち並び、そこでは見たこともない果物や野菜、香辛料、そして生きている魔物(食用らしい)や、その素材が売られている。

鼻をくすぐる異国の香りに、俺は思わず足を止めた。


薬草と思しき植物や、乾燥させた不思議なキノコなども売られており、俺の薬草研究者としての好奇心が猛烈に刺激された。

「さあさあ、皆様、こちらへ! まずはメレディの美味しい空気を胸いっぱいに吸い込んでください! 日本のそれとは違って、魔素…マナと呼ばれるエネルギーが満ちているんですよ! 体が軽くなるような、活力が湧いてくるような感覚があるはずです!」


カリガンはテンション高く説明を続けるが、俺の意識は別のものに引き寄せられていた。道の脇に生えている雑草。

その中に、地球のオオバコによく似た植物を見つけたのだ。

葉の形や茎の伸び方がそっくりだ。しかし、葉の色が微妙に違う。

わずかに青みがかっていて、葉脈が銀色に光っているように見える。


(あれは…薬効があるのか? それとも毒草か…? オオバコに似ているということは、もしかしたら止血や傷の治癒に効くのかもしれないが…)

思わずしゃがみ込んで観察しようとした俺の肩を、アシスタントのリィーリィが軽く叩いた。

「植良様、あまり皆からはぐれないでくださいね。トランジット・ポートは比較的安全な場所ですが、慣れないうちはガイドの側を離れないのが一番です。それに、不用意に植物を触るのは危険な場合もあります」


「あ、ああ…すみません。つい癖で」

慌てて立ち上がり、ツアーの列に戻る。

他の参加者たちは、カリガンの説明に熱心に耳を傾けたり、物珍しそうに周囲をキョロキョロしたりしている。


宇敷さんのところの子供たち、梨甫ちゃんと望夢くんは、尻尾の生えた犬獣人の子供と早速何か言葉を交わそうとして、順子さんに「梨甫! 望夢! 勝手に知らない人に話しかけちゃダメでしょ! 危ないでしょ!」と、地球にいた時と変わらない剣幕で窘められていた。

山部さんご夫婦は穏やかに微笑みながら、異世界の街並みを管理局から貸与された特殊な記録装置カメラのようなものだに収めている。


時待くんは、既に何人かの現地の人と意気投合し、大きな声で笑っている。

楠本さんは、古い石造りの建物の壁に刻まれた、地球にはない文字のような模様を熱心に調べている。

森居さんは、街の片隅にある、見るからに頑丈そうな武具店に興味津々で、ガラスケースに並べられた剣や鎧を眺めている。

依倚くんは、相変わらずヘッドホンで耳を塞ぎ、どこか遠くを見ているようだった。彼はこの異世界を見て、何を思っているのだろう。


ツアーは、異世界メレディの文化に触れる様々なプログラムで構成されていた。

トランジット・ポート市内の観光、市場での買い物(推奨された範囲内でのみ)、見たこともない食材を使った料理を出すレストランでの食事(味は意外といけた。

魚介類や、地球にはいない動物の肉、そして色とりどりの野菜が使われていた。

中には薬草が使われている料理もあり、俺はこっそり味見してノートに記録した)、簡単な生活魔法のデモンストレーション(火を起こしたり、水を出したり、物を宙に浮かせたりする程度だが、参加者たちは大興奮だった)、獣人たちが営む工芸品店や、エルフ族が経営する宝石店巡りなど。


俺も一応、会社からの任務である『ファンタージア』に関する情報を集めようと試みた。

ツアーの合間に、カリガンやリィーリィに、それとなく「この世界には、何か特別な薬効を持つ、珍しい植物はありますか?」とか、「言い伝えられているような、神秘的な花を探しているんですが…」などと尋ねてみたが、返ってくるのは当たり障りのない答えばかりだった。


「薬草なら市場に行けばたくさん売ってますよ! 回復薬の材料になるポポ草とか、解毒作用のあるムーンリーフとかね! ただ、詳しい効能は専門の薬師に聞かないと…」

「珍しい花ですか? うーん、エルフの国には光る花があるって聞きますけど…『ファンタージア』? さあ、聞いたことない名前ですねえ。伝説上の植物なんじゃないですか?」

どうやら、彼らガイドも幻の花については何も知らないらしい。

あるいは、知っていても俺のような一社員には教えてくれないのか。


会社が言う「極秘ルート」とは何なのか。

本当に『ファンタージア』はこの異世界に存在するのか。

疑問と焦りが深まるばかりだった。

極秘任務と言われたものの、具体的な情報や調査方法は何一つ知らされていない。文字通り、手探りの状態だ。

このまま手ぶらで帰るわけにはいかない。


ツアー中の他の参加者たちも、それぞれの方法で異世界を楽しんでいた。

時待くんは持ち前の好奇心とコミュニケーション能力で、現地の人々とすぐに打ち解け、様々な話を聞き出していた。

彼は異世界の冒話や伝説にも興味があるらしく、俺も彼の話から『ファンタージア』に関する断片的な情報を得ることを期待した。


楠本さんは、トランジット・ポートにある古い図書館のような場所で、異世界の古文書を調べていた。

歴史研究家として、彼はこの世界の過去を知りたいのだろう。

森居さんは、武具店で店主のドワーフと話し込んだり、街の外の演習場で兵士たちの訓練を見学したりしていた。


依倚くんは、相変わらず他の参加者と積極的に関わろうとせず、常にヘッドホンで音楽を聴きながら、街の片隅で静かに過ごしていた。

何を考えているのか、未だに全くわからない。

山部さんご夫婦は、ゆったりとしたペースで観光を楽しんでいた。

二人はいつも手をつなぎ、互いを気遣いながら街を歩いている。

異世界の風景を写真に収め、土産物を選び、現地の食事を楽しむ。

彼らにとっては、純粋な観光旅行なのだ。


彼らを見ていると、俺ももう少し肩の力を抜いて、この異世界を楽しんでみてもいいのではないか、という気になった。

だが、会社からの任務という重圧は、俺の心を完全に解放することを許さなかった。

そうこうしているうちに、あっという間に時間は過ぎていく。

トランジット・ポートでの異世界体験は、驚きと戸惑いの連続だったが、同時に、『ファンタージア』の手がかりが全く得られないことへの焦りも募っていった。


1週間のツアー期間が、音を立てて終わりに近づいている。

このまま手ぶらで帰って、日紫喜部長に何と報告すればいいのか。

社畜根性が染み付いた俺は、成果ゼロという状況に、言い知れぬプレッシャーを感じていた。


そして、1週間のツアー期間が終わりに近づき、帰還の日が訪れた。

トランジット・ポートの中心部にある、帰還ゲートのある管理局の施設へ移動した。

行きに来た時と同じ、白い壁と青い光の、無機質な空間だ。


「皆様、メレディでの滞在はいかがでしたでしょうか? 短い間でしたが、お楽しみいただけたなら幸いです」

帰還ゲートのある施設で、カリガンが最後の挨拶をする。

彼の顔には、ツアーを無事終えたことへの安堵と、参加者たちとの別れを惜しむ気持ちが浮かんでいるようだ。

参加者たちの顔にも、安堵と、ほんの少しの名残惜しさが浮かんでいた。


「いやー、面白かったなあ! 次はもっと長期のツアーに参加したいもんだ! 今度はもっと危険な場所にも行ってみたいな!」と森居さんが興奮気味に話す。

「梨甫も望夢も、帰りたくないって言うのよ。異世界の学校に通いたいなんて言い出すんだから」と宇敷さんの奥さんである順子さんが苦笑いしながら話す。子供たちは、異世界での体験がよほど楽しかったらしい。


山部さんご夫婦は、「良い思い出ができました。ありがとうございました」と、ガイドの二人に静かに微笑みながら感謝の言葉を伝えている。

彼らは、無事に地球へ帰れることに安堵しているようだ。

俺も、表面上は彼らに合わせて頷いていたが、内心は複雑だった。

結局、『ファンタージア』に関する何の手がかりも得られなかった。


このまま手ぶらで帰って、日紫喜部長に何と報告すればいいのか。

いや、それ以上に、異世界に来ても、結局何も特別なことは成し遂げられなかったという、自分自身の不甲斐なさに対する失望感も大きかった。

「では、皆様、お帰りのゲートはこちらです。順番にご案内しますので、パスポート(管理局から貸与された、身分証明と転移ゲート通過に必要なものだ)をご用意の上、お進みください」


リィーリィに促され、参加者たちは一人、また一人と、帰還ゲートへと誘導され始めた。

ゲートの向こうには、地球が見えている…はずだ。

俺の番が近づいてきた。

これで、異世界での奇妙な出張は終わりだ。

また、あの淀んだ空気のオフィスに戻り、代わり映えのしない日常が始まるのだろう。

少しばかりの異世界の土産話と、何も得られなかった任務の報告という、お土産付きで。


その時だった。

「待て待て待て! おい、植良くん! ちょっとこっちに来い!」

突然、大声で俺を呼んだのは、ツアー中は何かと理由をつけて別行動を取りたがり、ガイドたちを困らせていた日紫喜部長だった。

彼は、管理局の職員に何かを言い募っているようだ。


いつの間にか、彼の隣には最所課長も控えるように立っている。

彼らは、どういうわけか今回のツアーに「オブザーバー」という名目で同行していたのだ。

もちろん、俺の監視役も兼ねているのだろう。

しかし、ツアー中はほとんど姿を見かけなかった。何をしていたのだろうか。


「部長? 何かありましたか?」

俺が近づくと、部長は苛立った様子で俺を睨みつけた。彼の顔には、焦りと怒りが浮かんでいる。

「何かありましたか、じゃない! このまま手ぶらで帰れると思っているのかね? 『ファンタージア』の『フ』の字も見つかっておらんではないか! お前は何をしていたんだ!」


部長の声の大きさに、他の参加者たちが訝しげな視線を向けてくる。

まずい、と思った。彼らには、俺の任務は知られてはいけないのだ。

「しっ! 部長、声が大きいです! ここは管理局の施設ですし、他の参加者もいます!」

「ええい、構わん! 成果がないなら、これから立てればいいだろう! まだ時間は残されている!」

「は? これからって…もう帰る時間ですよ? ゲートが閉まってしまいます!」

「ふん、甘いな、植良くん。我々にはまだ時間が残されている。実はな、さっき市場の裏手にある『闇市場』で面白い情報を仕入れてきたのだよ」


部長はニヤリと笑い、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

それは、粗末な手描きの地図のようなものだった。

地図には、この管理局の施設の周辺が描かれており、施設のすぐ裏手に「古ノ遺跡区画」と記された場所がある。

そして、そこに何か印がつけられている。


「これは…?」

「闇市場の商人から買った『秘宝の地図』だ。もちろん、それなりの金はかかったがね。これによれば、この施設のすぐ裏手にある古い遺跡区画に、何か『価値あるもの』が眠っているらしい。商人曰く、とてつもない宝が隠されているとかなんとか。もしかしたら、『ファンタージア』の手がかりが…あるいは、『ファンタージア』そのものが隠されている可能性だってある!」

「部長! それはあまりにも危険です! カリガンさんたちも、指定されたルート以外には絶対に行かないようにと警告していました! 遺跡区画は立ち入り禁止区域のはずです!」


俺は必死に部長を止めようとした。

管理局の職員も、「お客様、そちらは立ち入り禁止区域でございます。危険ですのでおやめください!」と慌てて駆け寄ってくる。

「うるさい! 我々はこのツアーに多額の費用を払っているんだ! 危険だなんだと騒ぐな! 秘宝が眠っているかもしれない場所を見過ごせるか! 最所くん、植良くん、我々に続け!」


部長は有無を言わさず、地図を片手に管理局の施設の一角にある、立ち入り禁止を示すロープが張られた薄暗い通路へと足を踏み入れた。

ロープには「危険! 立ち入り禁止!」と異世界の言語で書かれている。

最所課長は「ぶ、部長ぉ…! 危険ですぅ…!」と悲鳴のような声を上げながらも、部長の命令には逆らえず、慌てて後を追う。彼の顔は、完全に引きつっている。


「ちょっ、待ってください! 部長!」俺も慌てて二人を追いかける。

山部さんご夫婦や他の参加者、管理局員に引き留める間もなかった。

通路の奥は、埃っぽく、カビ臭い空気が漂っていた。

明らかに管理されていない、古い遺跡の一部なのだろう。

壁には苔が生え、地面には瓦礫が散乱している。薄暗い空気の中を、懐中電灯の光だけが進んでいく。


「部長、戻りましょう! これはまずいです! どんな危険が潜んでいるか分かりません!」

「うるさい! 文句を言うなら、『ファンタージア』を見つけてこい! もう少しだ、地図によればこの先に、地下へと続く階段があるはずだ!」

部長が、苔むした壁の一部に手をかけた瞬間だった。


足元の石畳が、突如として青白い、不気味な光を放ち始めたのだ。

地面に埋め込まれているように見える石が、複雑な幾何学模様となって浮かび上がり、まるで生き物のように蠢いている。

それは、トランジット・ポートで見た、洗練された転移ゲートの魔法陣とは全く違う、古く、歪んだ紋様だった。


「な、なんだこれは!?」

部長が驚愕の声を上げる。

「まずい…転移魔法陣だ! しかも、かなり古いタイプ…! 不安定だ!」

後方でカリガンが叫ぶ。

最所課長の顔は、恐怖で完全に引きつっている。

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、魔法陣の光は急速に強まり、俺たちの体を包み込んだ。

「うわあああああっ!」

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