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第1章:ようこそ異世界ツアーへ(前編)

異世界への出発は、想像していたよりもずっと事務的で、味気ないものだった。

ハリウッド映画に出てくるような、壮大な転送ゲートを想像していたのだが、実際は全く違った。

都心から少し離れた、一見すると何の変哲もない雑居ビル。

その地下深くに、例の『管理局』の施設はあった。


地上階は普通のオフィスや店舗が入居しているビルだが、地下へと降りるエレベーターは厳重なセキュリティが施されており、関係者以外は立ち入れないようになっている。

案内されたのは、空港の出国ゲートのような、しかしどこかSF的な意匠が施された空間だった。白い壁と青い光が基調で、無機質なアナウンスが静かに響いている。


「植良侑神様ですね。ヘルス・フロンティア社からの派遣、承っております。こちらへどうぞ」

管理局の職員と名乗る、ヴィレントと名札を付けた、表情の乏しい男に促され、俺は他の異世界ツアー参加者らしき人々と共に、広々とした待合室のような場所へ通された。

そこには、俺を含めて十数名の男女が集まっていた。


皆、どこか不安げで、それでいてこれから始まる未知の体験への好奇心を隠せないような、入り混じった表情をしている。

中には、まるで海外旅行に行くような浮かれた様子の者もいれば、これから危険な場所へ赴くかのような緊張した面持ちの者もいた。

会社の資料によれば、今回のツアー参加者は以下の通りだ。


定年後の夫婦旅行らしい、穏やかな雰囲気の山部やまべさんご夫婦。

夫の与明ともあきさんは、元エンジニアで、物静かだが思慮深い人柄だ。妻の千映ちえさんは、優しそうな雰囲気の女性で、常に夫に寄り添っている。

彼らは、異世界旅行を最後の夫婦二人きりの思い出にしたいと話していた。


小学生くらいの子供二人を連れた、少し神経質そうな宇敷うじきさん親子。

父親のさとしさんは、中小企業の経営者で、今回のツアーを子供たちへの教育の一環と考えているらしい。母親の順子じゅんこさんは、子供たちの安全を何よりも気にしているようで、常にハラハラしている。子供たちは、梨甫りほちゃんと望夢のぞむくん。異世界という言葉に目を輝かせている、好奇心旺盛な二人だ。


バックパッカー風の若者、時待元氣ときまちげんきくん。

彼は世界中を旅しているらしく、今回の異世界旅行も「一生の思い出になる冒険」と捉えているようだ。

陽気で人懐っこく、誰にでも気軽に話しかけるタイプだ。


歴史研究家だという、学者然とした楠本嘉照くすもとよしてるさん。

彼は異世界の歴史や文化に強い興味を持っており、今回のツアーを通じて新たな発見をしたいと熱望している。

古い文献や遺跡に関する話になると、途端に饒舌になる。


アウトドア好きを公言する、快活な森居恵伸もりいやすのぶさん。

彼は登山やキャンプが趣味らしく、異世界の雄大な自然に触れることを楽しみにしている。がっしりとした体格で、見るからに体力がありそうだ。


そして、常にヘッドホンで音楽を聴いている、寡黙な青年、依倚真護いいまもるくん。

彼はほとんど他の参加者と会話せず、部屋の隅で静かに座っている。

何を考えているのか、全く読めない。彼の参加目的も謎だ。


俺は彼らに軽く会釈し、部屋の隅の椅子に腰を下ろした。

これから約1週間、この全く異なるバックグラウンドを持つ十数名と、異世界という未知の場所で共に過ごすことになる。

しかし、俺だけが、『ファンタージア』を探すという、会社からの極秘任務を帯びている。

それが妙な後ろめたさを感じさせた。彼らは純粋に異世界を楽しみにしているのに、俺は…


やがて、別の管理局員が現れ、ツアーに関する最終説明が始まった。

ツアーガイドを務めるのは、カリガンと名乗る恰幅のいい男性。

彼は陽気でユーモアがあり、参加者の緊張を和らげようとしているようだ。

アシスタントは、リィーリィと名乗る若い女性。真面目そうだが、どこか不安げな表情をしていた。


「皆様、本日は『異世界メレディ体験ツアー』にご参加いただき、誠にありがとうございます! 私、皆様のツアーガイドを務めさせていただきます、カリガンと申します。こちらはアシスタントのリィーリィです」

カリガンは、参加者たちに笑顔を向けながら説明を進める。

異世界メレディの概要、滞在中の注意事項、現地での簡単な生活ルール、異世界の人々との接し方、そして簡単な挨拶程度の現地語(管理局から貸与される魔法具によって言葉は自動的に翻訳されるため、ほとんど不自由はないらしいが、挨拶程度は覚えておくと現地の人々とのコミュニケーションが円滑になるらしい)。


そして何よりも「安全は管理局が責任を持って確保している」という言葉が、まるで呪文のように何度も繰り返された。

異世界は危険な場所ではない、と強調しているようだ。

「メレディは地球とは異なる文化、異なる生物、そして魔法が存在する素晴らしい世界です。皆様には、異世界の文化に触れ、自然を体験し、忘れられない思い出を作っていただきたいと思っております」


カリガンの説明は、まるで旅行会社の宣伝文句のようだった。

彼の言葉を聞いていると、本当に安全な観光旅行に来たかのような錯覚を覚える。

しかし、俺は知っている。ここは観光地ではない。

俺は任務で来ているのだ。そして、異世界は、地図にも載っていない孤島に飛ばされるような、予測不能な危険が潜んでいる場所なのだと。


「転移ゲートを通過する際、少し浮遊感や、目を焼くような眩しさを感じることがありますが、すぐに収まりますのでご安心ください。気分が悪くなった場合は、すぐにスタッフにお知らせください」

リィーリィに促され、参加者たちは一人、また一人と、部屋の奥にある巨大な金属製のリングのようなゲートへと吸い込まれていく。

ゲートの縁からは、微かに青白い光が漏れている。まるで、時空の扉が開かれようとしているかのようだ。


時待くんが「よっしゃ、冒険の始まりだ!」と意気揚々とゲートをくぐっていく。

宇敷さん一家は、子供たちが不安にならないように、手を繋いでゆっくりと進んでいく。

山部さんご夫婦は、穏やかな表情で互いに微笑み合い、ゲートへと向かった。

楠本さんは、研究者の探求心に駆られているのか、興奮した様子でゲートを観察している。

森居さんは、これから始まる異世界での活動に胸を膨らませているようだ。依倚くんは、相変わらず無表情で、ただ黙って順番を待っている。


俺の番が来た。深呼吸を一つ。もう後戻りはできない。

会社の命令、『ファンタージア』、異世界…様々な言葉が脳裏を駆け巡る。

覚悟を決めて、ゲートの前に立つ。

管理局の職員に本人確認をされ、最後の注意事項を聞く。


「それでは、どうぞ。異世界メレディへ」

促されるまま、俺はゲートをくぐった。

金属のリングを抜けた瞬間、カリガンの言った通り、ふわりとした浮遊感と、目を焼くような白い光に包まれた。

全身が分解されて、再構築されるような、奇妙な感覚。

ほんの数秒だっただろうか。あるいはもっと長かったのかもしれない。

時間の感覚が曖昧になる。光が収まると、俺は全く違う場所に立っていた。


足元には、硬い石畳の感触。

「…ここが、異世界…」

目に飛び込んできたのは、日本の常識では考えられない光景だった。

頭上には、地球の太陽よりも大きく、しかし光は穏やかな、二つの太陽が輝いている。

一つはオレンジ色に、もう一つは青みがかった白色に。

空の色も、地球の青とは違う、澄み切った、どこか幻想的な碧色だ。

吸い込む空気は、日本のそれとは違う、濃厚な植物と土の匂い、そして潮の香りが混じったような、独特の香りがした。


周囲には、古びた石造りの建物や、木造の家々が並んでいる。

日本の建築様式とは全く違う。

どこか中世ヨーロッパ風でありながら、屋根や壁には、見たこともない植物の装飾や、奇妙な形の彫刻が施されている。そして、行き交う人々の姿。


人間と変わらない姿の人もいれば、明らかに違う者もいる。

ピンと尖った長い耳を持つエルフ族、ふさふさの尻尾を生やした獣人族(犬、猫、狐、狼など様々な種類がいるようだ)、背が低く頑丈そうなドワーフ族、そして、鱗に覆われた肌を持つ者…。

彼らは、皆それぞれの言葉で話しているが、管理局から貸与された翻訳機のおかげで、その言葉は脳内で日本語に変換されて聞こえてくる。


「ようこそ、メレディ大陸、ギハイメス地方の玄関口、トランジット・ポートへ!」

隣には、いつの間にか転移を終えていたカリガンが立って、満面の笑みで言った。

彼の声は、異世界の空気に負けないくらい響いていた。

他の参加者たちも、呆気に取られたり、興奮した様子で辺りを見回している。

宇敷さんのところの子供たち、梨甫ちゃんと望夢くんは、尻尾の生えた犬獣人の子供と早速何か言葉を交わそうとして、母親の順子さんに「梨甫! 望夢! 勝手に知らない人に話しかけちゃダメでしょ!」と窘められていた。


山部さんご夫婦は穏やかに微笑みながら、異世界の街並みを写真(管理局から貸与された特殊な記録装置らしい)に収めている。

時待くんは、既に何人かの現地の人々に話しかけているようだ。

楠本さんは、古びた建物の壁に刻まれた模様を熱心に調べている。

森居さんは、街の片隅にある武具店に興味津々だ。

依倚くんは、相変わらずヘッドホンで耳を塞ぎ、どこか遠くを見ているようだった。


これが、異世界。

『ファンタージア』が存在するという、世界。

俺の奇妙な出張は、今、本当に始まってしまったのだ。

想像を絶する現実を前に、俺はただ立ち尽くすしかなかった。

足元に生えている、見慣れない雑草にさえ、異世界の力を感じた。

この世界の全てが、俺にとっては未知であり、研究対象なのだ。

薬膳開発部の社員として、ではなく、薬草を愛する一人の人間として、この世界を知りたいという欲求が、俺の心の中で芽生え始めていた。

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