(9)士道とは
落ちたテントを引っ張り上げ、若い衆が設営し直している間に、オレと一年は事の顛末を千種さんと正孝に説明した。
オレたちと一緒に千種さんを追いかけたこと、到着したと思った丘は700年後の世界であったこと、戻る方法を思案していたら地震があり、丘の崩落に巻き込まれたはずだが、気づいたら先ほどの天幕の下にいたこと。
「なんと。一年は八瀬殿の時代に行き、再びこちらに戻ってきた、と。ふーぬ、ますます天狗の仕業とかしか思えんのう」
「天狗、かどうかはわからないけど、健太郎がこの時代と未来を行ったり来たりしているのには、見えない意思が働いている気がします」とハナちゃんが言った。
「見えない意志、とは?」一年が聞き返す。
「つまり、この時代で健太郎に何かをさせるため。 みなさんに引き合わせたのも、何度かいなくなってもまた戻って来れたのも、誰かが、健太郎に、何かを、させようとしているんじゃないかしら」
「何か、とは?」 そういって正孝がオレを見たけど、
「さぁ・・・」と、とぼけてオレは一年の顔を見た。
千種さんのことに決まっている。千種さんに石碑の事実を伝え、麓の村に下山させるためだ、と健太郎は思った。
「利発なおなごじゃ」 しばらく黙って聞いていた千種さんが、ハナちゃんの方を向いてつぶやいた。
「ハナと言ったか。どうじゃハナ殿。一年の嫁にならんか」
突拍子もない千種さんの申し出に、ハナちゃんと一年は、
「はっ?」
「なっ!」
と驚きとも動揺ともつかぬ声をあげた。
「お、親方様、このようなときになにを・・・」
「ははははは、うろたえるな一年。冗談じゃ。ハナ殿とて、遥か先の世から来て、お前のように戦ばかりしておる男の嫁になどなりたくもなかろうて」といって、千種さんはいつものように豪快に笑った。
ハナちゃんは、せっかく助けてやろうとしているのに何言ってんだ、このオッサン的な表情で苦笑いするしかなかったようだ。
「ときに一年。700年先の世で、何を見てきた?」
何かを見透かしたような千種さんの問いに一年もはっとしたようだった。
「な、何を、といわれましても、いたのはわずかな時間でしたし、場所はここでしたから、今と同じように木が生えていて・・・」とちょっとしどろもどろな一年に、
「なんじゃ、700年も先の世で見てきたのは木だけか、もったいない。 しかし八瀬殿、その世ではもはや刀は必要ないと言っておったの」
「はい。美術品として残ってはいますが、切り合いをするようなことはありません」
「そうか、戦はもうないか。わしも一度、戦のない世を見てみたかった」
千種さんは少し寂しそうに見えた。
「ところで一年。先ほど天幕から這い出てきたとき「間にあった」と言っていたが、何に間におうたのじゃ?」
そう問われて、一年は
「そ、そのようなことを申しておりましたか。少し動揺しておりましたのでよく覚えていませんが、お、おそらく戦に間に合った、と言ったのかと・・・」
動揺っぷりが激しかったが、千種さんはそれ以上の追及はせず、オレの方に向き直り、
「八瀬殿。人はいずれ死ぬ。それは700年後の未来でも変わらないであろう。それが今日であるのか、明日なのか、わしにはわからぬが、いつであっても悔いを残さぬよう、武人として日々を生きておる。」千種さんの言葉に、オレは静かに頷いた。そして思った。千種さんはもしかしてこの戦で自分がどうなるかを知っているのではないだろうか、と。
この人は家臣を思い、村を思い、その人々を救うために戦っている。だとしたら、自分の命を守るために今すぐ山を下りろと言われて、降りるだろうか、そんなことを潔しとするだろうか。。。
オレは700年後のこの場所に、あなたを悼む石碑が立っていることを伝えるべきかまだ迷っていた。
そんな迷いの中をぐるぐると巡っていると、俄かに外が騒がしくなってきた。斥候に出ていた若い足軽がテントに飛び込んできて、足利の軍が近づいていること、一部では交戦が始まったことを千種さんに伝える。
千種さんは何事かを正孝に耳打ちすると、正孝は若い弓手数人とともにテントを後にした。
いくら正孝が獅子奮迅の働きを見せようとも多勢に無勢。ここが包囲されるのも時間の問題だろう。千種さんは腕組みをし、まっすぐ前を見据えながら、何かを決める必要があることを強く感じているようだった。
激しい戦いの中、正孝たちが全力で応戦し続けるものの、次第にその数は減っていく。
やがて降伏を迫る敵将の声が聞こえるほどに包囲が狭まったとき、
「親方様、ここは我らで凌いでみせます。今はどうか山を下り、陣形を整えください。」
四面楚歌の状況が迫る中、一年はついに千種さんに山を下りるよう告げた。武士として、親方様を守り抜く覚悟を決めたのだ。一年たちが命を懸けるのは、千種さんのためであり、また、千種さんが守ろうとしている未来のためでもあるのだ。
千種さんはその言葉をしばし静かに受け止めた後、深いため息をつく。そして、厳しい表情で一歩前に踏み出し、目の前にいる者たちを一人ひとり見つめた。
「お前たちの覚悟は十分に伝わっておる。しかし、ここでお前たちが討ち死にしたら、その後に残る者たちはどうなるのだ? お前たちが守ろうとしている村はどうする。お前たちの子や孫は。八瀬殿が来たという700年先の未来まで、子孫の命を紡いでいくためには、今、お前たちがここで死んではならぬのだ。」
「し、しかし」と言いかけた一年を手で制し、千種さんはこう続けた。
「足利のもとにはわしが向かう。老いたりとはいえ、かつては足利軍が頭領、尊氏を破った千種忠顕の首で足らぬとは言わせぬ。お前たちの未来、預からせてもらうぞ」
そういうと千種さんはゆっくりと立ち上がり、何か言いたそうな一年を今一度制しながら、
「あとは任せたぞ、一年」とだけ残し、漆黒の闇の中に踏み出していった。
「千種さん!」
オレは思わず叫んだ。
「八瀬殿。そなたの住む、弓もなければ、侍もおらんという世を、わしも本当に見てみたかった。今のこの戦の世からは想像もつかんことじゃが、一年やその子、孫たちが、いずれそのような世界を作るんじゃな。そのためにわしは今できることをする。願わくば、八瀬殿とはもう少し話してみたかった」
そういうと千種さんは、おもむろにテント入口の幕をばさりと上げて、
「やぁやぁ、音にこそ聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは帝が右腕として足利幕府にその名をとどろかせた千種忠顕である」、と大声を張り上げて、一人足利軍に対峙した。