(6)千種忠顕卿
源太の先導で、オレは再び雲母坂の幕営地に戻ってきた。昨日来た時より人が少なく感じるのは、丘の前線基地に男たちが移動したからだろうか。一年・正孝両名と合流したオレは、急に姿を消した顛末を詳細に話した。
「崖から落ちたと思ったら、元の時代に・・・。不思議なこともあるものだ。まぁしかし、ケガもなく無事に戻られて何よりでした」
「ところで八瀬殿、親方様とお会いになられますか。昨日八瀬殿と出会ってからの顛末をご報告申し上げたところ、大変興味深く思われたようで、お戻りになったらお連れするようにと承っております。」
こうして、ついに面会できた千種忠顕は、たぶん誰よりも大きくて立派なテントのような仮住居の中にいて、一年たちより立派な鎧を纏い、体躯も大きく、口髭を蓄え、しかし優しい目をした男だった。
「その方が八瀬健太郎か。」
「聞けば、遥か遠い先の時代から来たとか。確かに見慣れぬ装束じゃな。それでは矢の一本も防げまい。」
「私たちの時代では、もう戦がないので矢は飛んできませんし、刀も持ちません。」
「おぉ、そうであった。源太もそう言っておったな。 なんでも刀すら持たず、仕える殿もいないとか。殿がいなければどうやって飯を食うておるのか」
「確かに殿はおりませんが、会社、、、というところに勤め、給金をもらっていますので食うには困りません。」
「なるほどな、そんな時代に住んでおるのか。写真やらライター、、、と申したか、八瀬殿が一年にくれたアレじゃ、火起こしがたやすくできる小さき道具、確かにここよりは随分と便利な時代のようじゃ。そんな便利なところから、なぜわざわざここに来たのだ」
「それが、なんと説明したらいいか・・・。一年殿たちが前線の陣営を作られた小高い丘は、実は私たちの時代にも残っています。その丘に置かれている椅子のようなものに座って休憩していたところ、その椅子が壊れて崖を転がり落ちた、、、と思ったのですが、気が付いたら・・・」
「この時代に来ておった、と。面妖なことよのう。天狗にでもだまされたか」と言ってから、千種少将は特にオレの話を疑うでもなく豪快に笑った。
「まぁよい。ところで八瀬殿。聞いておるやもしれぬが、わしらは足利と戦の最中じゃ。明日、日の出とともに一年らが布陣した前線へと登るが、八瀬殿はここでしばらく休んでおられるといい」
「千種様も前線にお登りに?」
「もちろんじゃ。大将が登らなくてどうする」
「いや、大将は前線から離れたところで指揮だけをするのかと、、、」
「もちろんそういう武将もおる。じゃがわしは、戦況をじっと待っておるというのが性に合わん。それにわしが麓におれば、誰かが戦況を伝えに麓におりてきて、また前線まで戻っていかねばならん。十分な兵がおればそれもいいが、わしらの兵は数が多くないからそうもいかん。もっとも十分な数の兵がおっても、わしは前線に行くがのぅ」と言って、また豪快に笑った。
オレは迷っていた。オレたちの時代のあの丘には千種少将の碑がある。それはつまり千種さんはあそこで戦死するということだ。それが今回の戦いなのかどうかはわからないけど、そのことを伝えた方がいいのか、それとも・・・。と考えあぐねていたら、テントの外から「親方様」という声がした。千種さんは「ん」とだけ返し、一年に目で合図を送った。一年は軽くうなずき、
「八瀬殿。親方様はこれから明日の準備がございますゆえ、今宵はこれで」とオレに言った。オレは千種さんに面会と滞在を許してくれた礼を言って、お土産です、とボールペンを一本渡し、テントを後にした。
外には正孝もいて、聞けば明日、源太とともに千種さんの護衛として前線に登るという。オレには、この間のテントを自由に使っていいが、そういう訳でもてなしができなくて申し訳ないと詫びた。申し訳ないも何も、勝手に来たのはオレたちだ。寝るところを貸してもらえるだけでもありがたい、と逆に礼を述べた。この時代、さすがに男女同衾は禁忌なのか、ハナちゃんは村の女子供が住んでいる住居に寝泊まりしてもらうらしい。
自分のテントに入るとき、正孝がこう言った。
「ところで八瀬殿、源太の太刀を振り払ったそこもとの抜刀、実に見事でござった」
抜刀・・・。ただ反射的に抜いて振り回しただけだし、そんなカッコいいもんじゃなかったはず。でも本物の侍に褒められて悪い気はしなかった。だからお礼にボールペンを一本上げた。