(12)700年前のサイン
それから、どれくらい時間が経ったのか・・・
目を開けたら千種さんの碑が見えた。うぅ、と低くうめいて頭をあげると、ハナちゃんも倒れているのが目に入った。
「・・・ハナちゃん。ハナちゃん・・・」
彼女のところまで這っていき、もう一度名前を呼ぶと、彼女はゆっくり目を開けた。
「・・・ここは?」
よかった、ハナちゃんも無事だ! オレはそっと起き上がり、それから辺りを見回してみた。何が起きたんだろう。一年たちが見当たらないけど、彼らも無事だろうか。
「これは・・・千種さんの碑?」 ハナちゃんが体を起こしながらつぶやいた。
「うん、そうみたい。オレたち、元の世界に戻ったようだ。何が起こったのかわからないけど」
「あれ、カミナリよね。私、目の前の木が光って裂けたのが見えた気がするもの。そこから先は覚えてないけど」
「カミナリ!?」
オレは慌てて体中を確かめてみたけど、外傷はないし、特に痛みもない。ってことは近くに落ちたカミナリの衝撃で気を失って、現代に戻って来れた、ということだろうか。
「みんながいないってことは、戻ってきたのは私たちだけってことかしら」
「そうかもしれない。みんな、無事ならいいんだけど」
オレとハナちゃんは、周辺を少し探してみたけど、彼らが飛ばされてきた形跡は見当たらなかったので、下山することにした。
途中、千種さんの碑から少し下ったところに、かつて最澄さんも休んだ(のではないか)と言われる岩がある。確かに腰を下ろすにはちょうどいい大きさだ。頭を整理しながらちょっと一服したい、とオレは言って、ハナちゃんと二人で腰を下ろした。
タバコに火をつけ、千種さんのことやこれまでの出来事を思い出していた。結局、オレたちはなぜタイムスリップなんてしたんだろう。千種さんを救うことはできなかったし。700年も前の侍と知り合いになっただけだ。そんなことをぼーっと考えていたら、岩の根元の文字が目に入った。
最初は雨で跳ねてこびりついた泥が文字のように見えるだけかと思ったけど、よぉくみたら、それは盛り上がっているのではなく、彫られていた。
何故かはわからないけど、心臓がバクバク言い出した。
オレは素早く岩から降りて、その文字に顔を近づけてみる。
アドレナリンがどっと噴き出す!
「こ、これ!! 見てハナちゃん!!」
そこには、多少の劣化はあったもののはっきりと「ヤセ ハナ 皆無事」と彫られていた!
「この岩ってさ、最澄さんも比叡山に行くときに腰を下ろして休んだといういわれがあるんだよ。それが本当だとしたら、一年たちの時代にはもうここにあったはず!」
「つまり?」
「オレたちと別れて下山する時に彼らが彫ったんだよ! カミナリに打たれて彼らも気を失ったかもしれない。けど、けど無事だったってことを、700年後のオレたちに伝えるために、下山する途中に彫ったんだよ! 最澄さんの時代からあった岩なら、この先700年も残るだろうと考えて、彼らが彫ったんだよ!」
希望的観測を、オレは一気にまくし立てた。
「・・・700年も先の私たちに伝えるために・・・」
「うん、きっとそうだ!」
いつか彼らと再会したとき、「ちゃんと見つけたぜ!」と見せてあげるために彼らが彫った文字を写真に撮った。彼らは僕たちにサインを残してくれたけど、僕らの無事を彼らに伝えるすべがないのが、ちょっとはがゆい。そんなことを考えながら僕たちは下山した。
もしかしたら途中で霧が出てくるかも、と期待したけど(不安になったけど?)、今度は何事も起きず、無事に家に帰り着いてしまった。
百万遍の交差点でハナちゃんと別れるとき、彼女がおもしろいことを言った。
「案外、健太郎は千種さんか一年さんかの子孫だったりしてね!」
だとしたら今回のタイムスリップに多少の意味を見出せるかもしれないけど、おそらくそれはない。なぜってオレは埼玉の山奥の生まれだし、彼らのように勇ましくもない。別れ際、ハナちゃんにもボールペンを一本あげた。彼女は「何で私にも?」的な顔をしながら大笑いしてくれた。
あれから何度も比叡山には登っている。そのたびに必ず束のボールペンを持って、千種さんの碑が建っている丘で一息入れるけど、あの時以来不思議な現象には出会っていない。ベンチ代わりに腰掛けて折れたパイプは、今もまだそのままだ。
了
 




