07---召喚少女と王子の晩餐
書庫から戻った後、ユイカは午前中の茶会の延長と言うように再び茶を所望し、フィリスは宮廷魔術師エドワール・リシュリューについてユイカに話す事となった。
エドワールとはフィオネイア学院で一学年差の先輩と後輩であった事。
彼は学院の普通科を卒業した後、フィリスが侍女として王宮に上がったのと同じように、専門課程に進まなかった事。
そして当時の宮廷魔術師長オディロン・デシャン師の弟子であったアンセルム・エルディー魔術師に弟子入りした事。
学術に対して独特の発想をする青年で、学院では教授と対立しがちだった事。
しかし魔術師に弟子入りしてからはその奇才を発揮し、師匠であるエルディー師の研究の手伝いもしている事。
学院を卒業してからは特に交流も無かったので、主に語ったのは在学中に聞いた問題児としての彼の噂が大半だった。
ユイカは「あー、才能と師匠の七光りがあるから、何やっても許されてるって奴だね」と、一人納得していた。
また、フィオネイア学院とは何か? など、エドワールの他にも知らなかった事柄があったのか、質問は魔術師の事だけに留まらなかった。午前中の茶会でも様々な質問をしていた彼女は、好奇心旺盛らしい。
フィオネイア学院は王都に学び舎を構える、主に十歳から十八歳までの少年少女を受け入れている教育機関である。数あるルーデイン国内の学校の中でも、知名度は五本の指に入る。
生徒の種類は大きく分けて四学年ごと、二つの区分に分かれており、入学から四年間は全ての生徒が一般教養や学術を学ぶ『普通科』に属している。
約半数の生徒がこの普通科卒業と同時に学院から去っていくのは、残りの四年が主に専門課程での勉強になってくるからだ。
フィリスはオディロン・デシャン魔術師の後見で、普通科卒業と同時に侍女として宮廷に出仕したが、アデルは一年だけ専門課程の一つである司書科に進んで資格を取得し、同魔術師の後見の下、閑古鳥の常在している王宮の書庫に就職した。
その辺りの事情まで話したのは、ユイカが退屈だと言って話をねだってきたからだった。
文字の学習はどこへ行ったのやら、しかしどうやらこの国の日常や常識的な話の方が彼女には面白いらしい。
「それなら明日やるよ」と言って、ユイカは結局夕暮れまで、フィリスやカリーヌに話をねだっていた。
しかしそれも、第一王子が白羽の宮に訪れるという、先触れの侍従がやってくるまでであったが。
ルーデイン王国の世継ぎと目されているベルナール・ロジェ・ルーデインが白羽の宮を訪れたのは、日も沈みかけた夕暮れの食事時だった。
先触れの訪れから王子の来訪までは、一刻ほど時間があった。先触れとは本来そう言うものである。
ユイカはその一刻の間に身仕度を整え、離宮の裏方では他の離宮付きの侍女達が、王子をもてなす準備を整えた。
白羽の宮にベルナール王子がやってきた時、彼が伴っていた護衛は騎士が一人だけだった。
護衛は剣を佩いた濃い茶色の髪の騎士で、どうやらユイカともカリーヌとも知り合いらしかった。
ユイカは王子の後ろに騎士の姿を見つけたとたん、「あ、クロードさん」と微笑んだし、カリーヌも彼に軽く会釈をすると、慌てて王子をたしなめにかかったのだ。
当然ながら王子とも騎士とも面識の無いフィリスは、ユイカの脇に控えて大人しくしていた。今朝まで彼女は衣裳部屋付きの侍女だったのだ。官服の修繕や仕立てのために訪れる官吏たちならまだしも、王子や騎士なんて式典でもない限り見掛けもしない。
「仕方が無いのです。巫女の事はまだ、本当に限られた者にしか知らせるわけにはいきませんから」
明るい赤毛の王子は、困ったように微笑んで乳兄妹に言った。
彼は絵物語に出てくるような、王子らしい王子だった。
市井の絵物語の王子のように金髪でこそなかったものの、その緑の瞳は森を思わせる静謐さを宿しており、胸元辺りまで伸ばされた、金に近い直ぐな赤髪は、肩の上で緩く結わえられていた。巷の夢見る少女達が思い描くように、まさしく白馬やら薔薇やらが似合いそうである。
「それとも、我が騎士の腕に不安がおありですか?」
「意地悪を仰らないでくださいまし。そんなはずはありませんわ」
二人が並んでいるさまは、さながら一幅の絵画のようだった。揃って美男美女なのである。
そんな風に少しだけカリーヌと言葉を交わすと、ベルナールはユイカに笑顔を向けて挨拶をした。
「御機嫌よう、巫女。白羽の宮は気に入っていただけましたか?」
「はい! とっても好きです、此処。お部屋も家具も綺麗だし、可愛いし」
ユイカは少し興奮気味に言った。
ベルナールもそれを見て、「それはよかった」と花のように微笑んだ。
ユイカの身支度を手伝いながらカリーヌに聞いたところによると、王子の来訪は昨日の時点で決まっていたらしい。
ユイカがベルナールと対面した折、その別れ際にベルナールから提案したのだという。
ユイカはその時、聞きたいことがたくさんある、まだ全てを尋ねきれてないからと引き止めたのだが、その時彼には差し迫った公務があったのだ。
だから王子はその時、今日の昼食と夕食を共にする事を約束し、ユイカをこの白羽の宮へ案内させたのだそうだ。二度も食事を共にすれば、ある程度のことは話せるだろうと。
そう言う訳で、部屋付きの侍女――やはり、白羽宮にも三人ほど勤めているようだった――が食事を用意した、白羽宮の食堂へとベルナールを案内すると、フィリスのする事はもう残っていなかった。
とは言っても、別室で手早く肉の挟まれたパンとスープだけの軽食を済ませれば、カリーヌや部屋付きの侍女たちと共に入れ替わり立ち代り、給仕の手伝いをしなければならない。
フィリスに給仕仕事の経験は無いので、専ら裏方で雑用を任せられていたのだが、それでも忙しい事に変わりは無かった。
給仕係りの侍女の手伝いで、一度食堂内に足を踏み入れた時、ベルナールとユイカはにこやかに話していた。王子の後ろの壁には護衛である濃い茶髪の騎士が控えていた。
話の流れから察するに、どうやらユイカの『聞きたかったこと』つまり疑問は、大半が消化されているようだった。《封じの巫女》とは何か、と言うのもそれに含まれているようだったから、恐らく茶会の折に王子に聞きたかったことの大半を、午前中と先程の茶会でカリーヌやフィリスに質問したのだろう。
「だから私、《封じの巫女》として頑張ろうと思うんです。そのために、まずは文字の勉強をしようかなって」
部屋から退出する際に聞こえた、そんなユイカの言葉が、フィリスのその推測を後押しした。
食事を終えると、皇太子はユイカにクロードと呼ばれていた護衛の騎士を連れて、早々に白羽宮から去っていった。
多忙であるのか、ユイカに付き従って見送った時、ベルナールは少し早足で廊下を歩いていた。
さて、来客は帰ったものの、フィリスの心休まる時間は全くといって良いほど無かった。職務中なのだから仕方ないかもしれないが、しかしまるで半年分の心労が一気に襲ってきているかのような感覚なのだ。
そもそも、ユイカから彼女の故郷についてとその決意を聞いてからこちら、フィリスは何かと不安定だった。一見しただけでは分からなかったが、少なくとも内面はそうだったのだ。
移動の初日で緊張していると言うのもあったが、何よりユイカの立場と言である。一度に多くの変化が訪れていたし、今日知ったのは特異な情報ばかりだった。
「あのね、ベル様が明日にでも、知り合いに文字の教師を頼んでくださるって」
ベル様、とはベルナールの愛称であるらしい。
王子殿下との食事を終えて、相変わらずご機嫌なユイカは、就寝前に唐突に言った。
豪奢な浴室での沐浴や、眠りに入る前の支度を終えて寝室に赴いた際の、本当に就寝の間際の事である。
「勉強、あんまり好きじゃないけど頑張ろうと思うの。だって私、《封じの巫女》なんだから、この国の言葉も読み書きできないといけないでしょう?」
ユイカが笑うと、カリーヌが「頼もしいですわ」と口元をほころばせた。彼女はユイカ付きになる以前は、ベルナールの侍女の真似事をしていたと言う。貴人の世話をする手際は洗練されており、フィリスは専ら彼女の補佐くらいしか出来なかった。フィリスは突然の新しい仕事に、今日だけで多く失敗もしたし、カリーヌに助けられて何とか一日の職務を勤め上げられたかどうかといった具合だった。
「ユイカ様の努力、ベルナール様も喜んでくださいますわ」
「そう? よかったぁ」
そう言いながら、ユイカはベッドに体を横たわらせた。
カリーヌが「お休みなさいませ」と言って明かりを消すのにあわせて、フィリスも同じように挨拶をする。
「おやすみなさい」
ユイカからそう返答されると同時に、そして侍女二人は一礼の後に寝室から辞した。
すぐに寝室の隣の控えの間に赴いて、夜警を担当する女官にユイカの就寝を報告する。まさか一日中侍女として勤めるわけにはいかない。昼夜で仕事を引き継ぐのだ。
「ランベールさん」
報告を終わらせて退出しようとすると、フィリスは夜間に白羽宮に控える手はずの女官に呼び止められた。
「マリエール様から伝言よ」
「女官長様から、ですか?」
王城の南の衣裳部屋にフィリスを迎えに来た、あの黒髪の女官だった。銀鎖と珊瑚の装飾持ち。
「ええ。貴人付きの侍女に移動になったのだから、当然あなたにも個室が与えられるの。この白羽宮の一角よ。シュザン様が移ってきている部屋の向かいだから、彼女に案内してもらうといいわ。もう移れるはずだから、二、三日中に荷物を持ってきてしまった方がいいわよ」
「個室、ですか」
そして、彼女から部屋の鍵を手渡される。
フィリスは軽く目を瞠った。そうだ。忘れてはいたが、自分もユイカと言う貴人に付く侍女となったのだから、主人の居室の近くに個室が与えられるのだ。それが王宮での通例である。
シュザン様――王子の乳兄妹であり、貴族でもあるカリーヌに、女官は敬称をつけて呼んだ。
カリーヌもまたユイカ付きの侍女として、第一王子宮のカリーヌに与えられた移動してきたのだろう。
思わず視線を向けると、カリーヌは「案内しますよ」と、金の髪を揺らして微笑んだ。
フィリスは黒髪の女官とカリーヌに礼を言うと、カリーヌと連れ立って控えの間から出た。そして彼女について、白羽宮の北東寄りの一角へと向かう。
「ええっと、幾つか伺いたいのですけれど」
「何かしら?」
歩きながら、フィリスは尋ねた。
「個室持ちの侍女にとっての、何かしらの決まりとかは有りますか?」
例えば四人部屋でも、幾つかの暗黙の了解があったように。
そう言うと、カリーヌは「そうね」と少し考え込むように口元に手を当てた。
「食事は他の方と同じように食堂でとるわ。でも、たいてい夜食か朝食だけだけれど。主人の食事の世話もしなくてはならないから、昼食と夕方の軽食の殆どは控えの間で頂くの。決まりは特に無いけれど、王宮内での通例を守らなくてはならないのには変わりないわ」
そして、思い出したように彼女は続ける。
「ああ、それと自室には警備上問題が無ければ、友人や恋人を招いてもいいの。王城内での外出も、衛士に報告をした上であれば仕事に支障が出ない限りは自由だし。そう言う点はありがたいわよ」
ふふ、と微笑して、カリーヌは何か含むように言った。
「そうですか……また何か、分からない事があったら伺っても?」
「ええ、勿論。――ああ。此処よ。こちらがフィリスさんのお部屋」
いつの間にか、目的の場所にたどり着いていたようだった。一定の間隔で通路には扉が並んでおり、白羽宮に仕える侍女が個室を賜れば、その扉の奥の部屋は一つ一つ埋まっていくのだろうと察せられた。
礼と共にカリーヌに挨拶をすると、彼女もまたフィリスに挨拶を返して、向かいの扉の奥に消えていった。
フィリスも示された部屋の扉を開けて、賜ったばかりの個室に足を踏み入れる。
軽く仕切られて二間になっているその部屋には、手前に小さな机と椅子が、広めに場所を取られた奥の間には、ベッドとクローゼット、化粧台が置かれていた。濃い灰色の侍女服の替えを始めとした支給品は手前の部屋の机に置かれており、家具や壁紙は一見簡素ではあったが、上品な物だった。
フィリスの私物は一切見当たらない。流石にそこまで気配りがしてあるわけではなく、元居た四人部屋に、自分で取りに行かなければならないようだった。
「……疲れた」
部屋の確認を終えると、ため息交じりの独り言を呟いて、フィリスはくるりと後ろを向いた。ドアノブに手をかけ、部屋の外へ出る。貰ったばかりの鍵を使って部屋の扉を施錠すると、そのまま早足で白羽の宮から出るべく廊下を歩いた。
外出が自由と言うのは、好都合だった。
まだ夜の遅い時間でもなかったから、同僚や上司への挨拶や荷物の移動などの用事を、今日の内に幾つか済ませることが出来そうだった。
――それに家族に、アデルに、一刻でも早く話して相談したい事があった。
フィリスはひとまず上司であった侍女頭に現状を報告してから、アデルの元へ行く事を決めた。
一人で何かを抱え込むのは、あまり得意ではない。今までだって何かあっても、物心ついた時からまるで仲の良い双子の如く一緒に居た家族と、いつも二人で背負ってきたのだ。
母クロエがフランシスを身籠ったと知った時も、産後間もない母と生まれたばかりの弟と共に、まだ十なったばかりの時分に知り合いも居ない王都へ越してきた時も、そしてクロエが死んだ時だってそうだった。
ぽっきり折れてしまう前に、アデルに会おう。会って話して、また二人で前へどうにかして進むのだ。
フィリスはやがてたどり着いた白羽宮の衛士の詰め所で、詰めていた衛士の一人に外出する旨を伝えると、足早に離宮を後にした。
地味に、ですが男性キャラも出せるように……早く展開を進めろ、私。