04---繋鎖の森のルーデイン
ユイカはご機嫌だった。
紅茶を口にしては「美味しい!」と喜び、茶菓子を見ては「可愛くて綺麗」とはしゃいだ。
金髪の侍女の侍女はそれを見てにこにこと笑み、「ユイカ様、もう一杯紅茶をいかがでしょう?」などと給仕をする。
彼女の名前はカリーヌと言う。カリーヌ・シュザン。当年二十一になるシュザン伯爵家当主の妹で、第一王子ベルナールの乳兄妹だ。
女官長マリエールがフィリスを残して去った後、フィリスは彼女もまたユイカ付きの侍女である事を知った。
カリーヌは第一王子たっての希望で、昨日付けでユイカの侍女となったらしい。
自己紹介をした時に、ころころと笑って「殿下のお願いですもの」と言っていた。
さて、ユイカは女官長が出て行った後、早速フィリスに声をかけてきた。
来てくれて嬉しいという事、あの後、衛士からクロードと言う騎士に引き渡されて、ベルナール王子達と会ったこと、そして――自分が《封じの巫女》と言う、王女にも等しい存在だと告げられた事。
紅茶をお供にして、彼女はそれらを楽しげに話した。
「《封じの巫女》、ですか?」
「うん、そうなの」
カリーヌと共に、ユイカの望みに応じて茶を共にしていたフィリスは、目を丸くした。
向かいのソファでユイカが少し不安そうに呟く。
「でもね、私、その《封じの巫女》って言うのが何なのか、よく分からなくって。自分のことなのにね」
そう言って苦笑するユイカに、カリーヌが優しく言った。
「簡潔に言えば、悪しきモノを封じ込める、強大な力を操る巫女なのです。《封じの巫女》とは」
悪しきモノ。
フィリスは、無意識に息を呑んだ。カリーヌは続ける。
「封印の術を根本から操る、巫女姫君。フィリスさんも、小さい頃に聞いたことがおありでしょう?ほら、建国王の」
「封印と建国王……『繋鎖の森のルーデイン』ですか? 御伽噺の?」
カリーヌに話を振られて、フィリスは無意識に祈った。
『繋鎖の森のルーデイン』。どうか、彼女の指す『聞いたことがある』話が、その物語ではありませんよう。
「あら、地域によって呼び名は違うのかしら? わたくしの言いたいのは、『《封じの巫女》とルーデイン』ですわ。封印の姫君と共に、初代ルーデインが建国なさる」
「それなら、同じ物かと。竜退治のお話ですよね?」
「ああ、そうです。じゃあ同じ物なのね」
そんな期待も外れて、返ってきた返事は肯定。
フィリスは無意識に、きゅっと唇を引き結んだ。
「ねえ、それってなあに?」
一人『ルーデイン』を知らないユイカが問いを発する。
「このルーデイン王国の建国譚の御伽噺ですわ」
カリーヌが答える。フィリスも黙って頷いた。
正直、話すよりも今は思考を整理したい。カリーヌが言葉を紡ぐのに任せる。
「六百年ほど前に、この国は建国されたのです。古くには『繋鎖の森の地』と呼ばれていたこの一帯に、現在のルーデイン王国を建国しました初代ルーデイン王は、湖の向こうのユトュリア王国の末王子でした」
「ユトュリア? ええっと、昨日地図で見た北東の方の大きな?」
「そうです。このエゼン大陸は未開の西方を魔性どもが占拠し、東と南は人が国家を築いています。その西端に位置する此処ルーデインは、当時は大半が魔性と竜の領域でしたの。そこから魔性を更に西へと追い払い、住まわっていた竜を退治てこの国を建国したのが初代ルーデイン、ヴァンサン・エリク・ルーデイン建国王なのです」
カリーヌは語る。
「その建国王は。名も知らぬ少女――即ち《封じの巫女》と呼ばれる姫君の手を借りて、魔性を竜を討ち取りて、この安寧の地に人々を導いたと、史書にはあります。それを分かりやすくくだいて、幼子に聞かせるようになったのが『《封じの巫女》とルーデイン』なのです」
言葉を区切ると、カリーヌは一口紅茶を飲んだ。
「建国王の側には、常に《封じの巫女》の姿が有ったと言います。巫女姫の存在は人々にとって、忌むべき魔を封じ込める心強い戦乙女であると共に、安寧を象徴する母妃でもあるのですわ。そしてその巫女姫の後継であられる当代猊下が、ユイカ様、あなた様なのです」
「……わた、し? 私がそんな凄い人の後継者なの?」
ユイカが信じられないというように言った。《封じの巫女》云々は聞いてはいても、それが何なのかは知らなかったのだろう。
――そう、《封じの巫女》とは、人の忌むべき魔性を、『全ての魔を封じ込める』存在。
世に蔓延り、人に害為す魔物や魔族、悪名高い魔王ですら、その手で封印する巫女なのだ。
「ええ。間違いはございませんわ。宮廷魔術師達も『《封じの巫女》を』と条件を指定して召喚したのですし。何よりユイカ様は召喚陣のあった部屋にかけられていた封印結界も、フィリスさんと会ったと言う部屋の窓の封印も、霧散させるように解呪してしまわれたのですから」
カリーヌはにこやかに言う。フィリスもそれにあわせて感心したように微笑むと、ユイカは「そっかぁ」と納得するように呟いた。
《封じの巫女》は、封印を操るのだ。施すのも解呪するのも思いのままに。
特に魔に対する威力は抜群といわれ、一般には《封じの巫女》は魔性封じの巫女と同一である。
「確か、二百年ほど前に当時の魔王を封印したのも、先代の《封じの巫女》様でしたね」
フィリスが言うと、ユイカは首をかしげた。
「魔王? そんなの居るの?」
「当然ですわ。魔性の族にも王は居ます。人々を苦しめる魔物や魔族を、遍く纏め上げ、率いているのが魔王なのですから」
カリーヌが、その碧眼に柔らかな光を浮かべながら無邪気に言った。
ユイカはその言葉にも驚いて、「ここって、魔法だけじゃなくて魔物も居るんだ!」と目を瞠る。
「でも、人に害為すって、言ってたよね?」
一瞬の沈黙の後に、ユイカは不安げに聞いてきた。
「そうですね。この城や王都は宮廷魔術師の結界により、日夜守られてはいますけれど、大半の街や村にはそんな物はありません。街道を旅する時なども、魔物に遭遇しやすいですね」
「魔物は人を傷つけるの?」
「ええ、まあ。傷つけるというよりは、喰らう、と言った方が正しいですが」
「そんな……」
フィリスの返す答えに、ユイカはますます哀しげに眉根を顰める。
かしゃりとユイカは茶器をテーブルに置き、何かを考え込むようにうつむいた。
「この世界って、私の居た所みたいに平和じゃないんだね」
「ユイカ様のいらした世界は、平和だったのですか?」
この国は、ここ数十年は大きな戦火も無く、平和な時代といわれていた。十年ほど前に、国全土で疫病が流行った事や、北方には飢饉の訪れた地域もはあったが、その他は特別に大きな災いも無い。
そんなルーデインよりも、彼女の国は平和なのか。
カリーヌが尋ね、ユイカが語りだすに、フィリスは耳を傾けた。
「うん。魔物なんか居なくて、やっぱり魔法なんかも無いんだけど、代わりに科学って言う技術が発達していたの」
それがユイカの、故郷の世界。
「国が何百もあって、その中には危険だったり貧乏だったりする国もあるんだけれど、私の住んでいた『ニホン』って言う島国はとっても平和だったんだ。武器を持ったりしちゃいけないから。危ないものを持っていたり、危ない事をする人は、ケイサツが捕まえてくれるから、みんな安心して暮らせるの」
――『ニホン』。
フィリスはその国の詳細に、驚いたようにユイカを見て、無意識に言葉を発した。
「ケイ、サツ?」
「あ、えーと、こっちでは警備兵って言うのかな? そんな感じの人たち。国の役人なの」
ユイカは言葉を置き換えて、解説を入れながら続ける。
「私は元の世界では学生で、コウコウって言う学校に入ったばっかりだったの。向こうは夏だったなぁ。学校が終わって、晩御飯の時間まで家でパソコンで小説読んでたら、突然この世界に喚ばれたんだ」
コウコウ、パソコン。
この世界には存在しない単語に、フィリスはひゅっと息を呑んだ。
ルーデインよりも、ユイカの世界は遥かに平和らしい。
カリーヌは、懐かしそうに語られるユイカの日常を聞いて、いたわしげな視線を彼女に向けている。
「そうだったのですか……」
「うん。でも、魔を封じるのが私の役目なら、この世界で皆を守る事が私のやるべき事なら、私はそれをやり遂げたい」
「ユイカ、様」
「家族や友達ともうまくいってなかったしね。向こうでだらだら学生してよりも、むしろ、私を必要としてくれているこの世界にこれてよかったかも」
「心強い限りですわ――」
カリーヌがその献身的な決意に感動したと言ったように口元を覆った。
フィリスは動けないままで、それを見ている。呼吸をするのももどかしい。
決意を固めたように、ユイカは力強く頷いた。
「私、頑張るね。《封じの巫女》の名に恥じないように、魔王も魔族も魔物も、できるなら全てを封じて、この世界のみんなに安心してもらいたい」
気の強い笑みを浮かべて、ユイカは誇らしげに言った。
何故、そこまで思うのか。
それを見たフィリスの脳裏を駆けたのは、そんな言葉だった。
何故、それほどまでに。懐郷を欠片も語らないのか。
「故郷に帰りたいとは、思わないのですか?」
フィリスは恐る恐る聞いた。
そして、ユイカから返ってきた言葉。
「そんな事よりも、この世界が平和である事の方が大事だと思うの」
私一人の幸せよりも、みんなの幸せだよ――……。
そう笑って言ったユイカの言葉に、ゆっくりと、フィリスは瞳を瞬く。
いや、瞬きと取られるだろうほどの時間だけ、フィリスは息苦しいほどに重くなった体を休めるように瞑目した。
「そう、ですか」
空気を震わせて、発声する。
もしかしたら声は擦れていたかも知れないが、その事にかまえるほど、余裕は無かった。
――故郷へ。
故郷へ、帰りたいと。
帰還が叶わずとも、せめて今ひとたび故郷の家族と見えたいと。ずっと願っていたその女人を、フィリスは識っている。
フィリスに家族をくれた女性。
優しい色をした彼女の言葉は、もう耳にすることは無くとも、忘れてはいない。
『一度でいい。帰りたいのよ、家族のために』
彼の人は、あんなにも故郷へ帰りたがっていた。
けれど戦火が彼女の帰路を閉ざして久しく、切望した帰還も叶わずに、とうとうあの日逝ってしまったたおやかな女人。
その彼女を、知っているからこそ。
「心配しないで、フィリスさん。私、帰ったりなんてしないから」
笑ってそんなことを言うユイカに、どうしてもフィリスは親しみをもてなかった。
お気に入り登録をして下さっていたり、読んでくださっている方が居るようで、とてもありがたいです。
それにしても、そろそろ計5話になるのに出てきている男性がアデルだけとか。逆ハーレム傍観のはずなのに、その逆ハーレム要員が中々出てこないと言う。早く話を進めたいです。