03---侍女生活、唐突に暗転
目的の扉の前にたどり着くと、女官長はフィリスの方へ振り返る。
ユイカに遭遇し、フランシスからの手紙を受け取った次の日。フィリスは王宮の西――王族の住まいである一画に居た。
「よろしいですか、フィリスさん。ユイカ様は異なる世界より参られた為に、わたくし達にも優しく接してくださいますが、王女殿下と並ぶに等しい地位のお方なのです。くれぐれも粗相の無いように」
「存じております。誠心誠意、お仕えさせていただきます」
常套句って便利だ。全くそうは思っていなくとも、真剣に言えば心からの言葉に聞こえる。
そんな事を思いながら、フィリスは扉の前に立つ女官長、マリエールに頷いた。
……何故、こんな事になったのだろう。
アレか。ユイカを発見したからか。それとも彼女は私に本気で同情されていると思ったのか。いや、それだけではないはずだ。では何が原因か。衛士の所に連れて行ったからか。それともケープを貸したからか。
どちらにしろ、原因が昨日の行動の内のどれかである事は間違いない。
フィリスの脳裏を駆け巡るのは、失敗の羅列と後悔の念。
彼女は思った。
嗚呼。一介の侍女である己が何故、身元不明の第一王子の客人などと言う、面倒この上ない立場の女人の侍女とならなければいけないのだろうか、と。
――フィリスが女官長の使いの女官と遭遇したのは、彼女の仕事場である衣裳部屋での事だった。
身支度を終え、朝食を取って――ついでに食堂でアデルに会って、預かっていたフランからの手紙とそれへの返事を渡し――同室の侍女たちと共に南の衣裳部屋へと向かった。
女官長直属の女官は、其処でフィリスを待ち構えていたのである。
『女官長から、さる高貴な方のご希望で、あなたを連れてくるようにと命じられました』
黒髪の、見目麗しい女官の一言で、フィリスは王城の南から西へ、つまりは官吏たちの領域から王族の住居へと移動する破目となった。物理的な意味でも、立場的な意味でも。
案内された西宮の一室で、彼女が女官長と対面したのが一刻前の事。
女官長自らに、幾つか所作の確認をされたフィリスは、其処で所属の移動を言い渡された。
即ち、『第一王子殿下の賓客であられる、ユイカ・イサワ様たってのご希望です。あなたは今日から、ユイカ様の専属の侍女となるように』と。
濃い灰色の侍女服を手渡されてそう告げられた時の衝撃は、半端無いものだった。
次いで女官長より説明されたのが、『ユイカ様』は、宮廷魔術師達の術式によって異世界から、このルーデイン王国の第一王子、ベルナール・ロジェ・ルーデイン殿下の元へと召喚された賓客である事。
ユイカ――つまりは彼の不審な少女が異世界の人間であり、かつ王子の客人と言う事実。
それに思わず瞳を見開き、眉を顰めかけたフィリスを助けたのは、幼い頃にアデルとの遊びの度に鍛えた、無表情と演技力だった。
そして抗う術も無く、フィリスの移動は完全に決定し、彼女は焦茶色の侍女服から、灰色のそれに着替える事となった。
混乱しながらも脳内で情報を整理して、フィリスが何とか現状を理解したと同時に、女官長に連れられて『ユイカ様』のお部屋へと歩を進めることとなったのが四半刻前。帰ることも横道にそれる事も許されそうに無かった。まるで、市場へ売られていく子羊の気分である。
「それでは、ユイカ様に対面していただきます」
「かしこまりました」
そう、丁寧な返事を返すと、女官長は一呼吸置いてから、丁寧に扉を叩いた。
此処は王城の西の一角にある離宮だ。正式な名をウェインの離宮と言い、一般には白羽の宮と呼ばれている。
女官長が叩いた扉の先にあるのは、この白羽宮の数ある居間の内の一つ。つまりは現在ユイカの居る部屋である。
「ユイカ様。マリエールです。侍女のフィリスを連れて参りました」
「ど、どうぞ!」
マリエール女官長が呼びかけると、部屋の中からすぐに、緊張した声で返事があった。
ユイカの物だ。
「失礼いたします」
マリエールがそう言って扉をを開いて中へ入ったので、フィリスも半歩遅れてそれに続く。
部屋の中は、白と薄い水色で統一されていた。
白木の家具には水色のシルクや繻子だろうか。艶やかな掛け布がふんだんに使われており、カーテンやソファにもレース飾りがあちこちにあしらわれている。
白は純潔、淡い水色は清い魔力。シルクは清廉、レースは繊細。その様な意味合いも籠められていた気がする。
なるほど、未婚の少女に相応しい内装と言えた。
どれも一朝一夕に用意できるものではないから、おそらくユイカの召喚は前々から計画されていたのだろう。少なくとも、他の何かを呼び出そうとしたにも関わらずユイカが召喚されたと言うような、突発的なものではない。
その『王子の賓客』であるユイカは、薄い水色のドレスを着てソファに座っていた。声の通り、緊張しているのだろうか。背筋は不自然なほどにぴんと伸ばされている。
その傍らには二十代だろうか、若い金髪の侍女が一人控えており、彼女は此方にちらりと視線を遣ると少しだけ微笑んだ。
「ユイカ様、こちらが今日より専属侍女の一人となりますフィリス・ランベールです。フィリスさん、ご挨拶を」
「はい」
マリエールに言われて、フィリスは半歩前へと進み出た。
そして侍女服の裾をつまみ、慌てて立ち上がったユイカへ向けて礼をとる。貴人の部屋付きであっても衣裳部屋に控える者であっても、侍女として女官長の見ている前での失態は許されない。母クロエの教育に感謝したかった。
「先の無礼をお許しくださいませ。お召しにより参じました、フィリス・ランベールです」
「えと、ユイカ・イサワです。あの、よろしくお願いします!」
ユイカが立ち上がり、そう答えながら頭を下げようとした。
「ユイカ様」
「……あ! ごめんなさいっ」
すかさず女官長が注意する。仮にも『王女と同格』である者が、格下の者に軽々と頭を下げてはいけない。
「でも、フィリスさんは私の事助けてくれたし……」
ユイカは少し口ごもったが、女官長のたしなめるような視線に押し黙った。
そして僅かに頬を膨らませ、不満そうにどさりとソファに座りなおす。
「ユイカ様、それではお付きの侍女はこの者でよろしいのですね?」
マリエールが言った。
それに誰より驚いたのは、当のフィリスである。
侍女となる事は告げられてはいたが、貴人付きの侍女であるとは聞いていない。
――貴人に使える侍女、と言うのは、大きく分けると二種類に分けられる。
ひとつが、今マリエールが言ったような貴人付きの侍女。
これは貴人の身支度や買い物、外出や遊びを手伝い、簡単な給仕や身の回りの世話をする、貴人の話し相手を主な仕事とした侍女である。
もうひとつが貴人の部屋付きの侍女。
こちらは主に裏方の仕事や雑用を任せられ、部屋の掃除や生活用品の手配、貴人付きの侍女の補佐を主にこなす者だ。
フィリスは当然、自分は後者であると思っていた。
当然だ。彼女は権力者を後ろ盾に持つわけでも、貴族の血を引くわけでも、特別功績を立てたわけでもない、本当に一般の侍女なのだから。むしろ貴人の部屋付きになる事すらおかしい。
それが、貴人付きの侍女とは。そう言った役目に付く者は、大抵が貴族や騎士の家系であったり、彼らを後見に持つ身元のはっきりとした人々である。間違っても家系を遡って調べる事のできない――彼女は孤児であるし、養い親とて身寄りが無いのは同じだ――フィリスがそういった役目を賜る事など、常識的に考えればありえなかった。
驚くと同時に、フィリスは呆れた。
誰だ、そんな無理を押し通した輩は、と。
「うん、勿論です!」
ユイカが力いっぱい肯定する。
「左様ですか。ですが、このような事はあまり多い事ではありません。その事を、心にお留め置きくださいませ」
「わかりましたぁ。……でも、王子様も良いって言ってましたよ?」
「それは、ユイカ様がお願いなさったからですよ」
「そうなの?」
……ユイカ、彼女が元凶か。
どうやら王族に頼んでまで、彼女はフィリスを自分付きの侍女にしたらしかった。
正直に言おう。フィリス個人の意見を述べるならば、いい迷惑である。
人事などフィリスが決める事ではないのだが、それでもユイカが王子相手に余計な事をねだりさえしなければ、現状は実現するはずは無かった。
貴人付きの侍女としてあてがわれる個室や、当然大幅に上がるであろう給料を差し引いたとしても、だ。
貴人付きともなれば、勤務時間も増えるし休暇も取り難くなる。
お金も大切ではあるが、それよりも家族との時間を大切にしたいフィリスにとってはありがたいことではなかった。今までの給料でもやりくりすれば何とかなっていたのだ。第一、仕事も一から新しく覚えなおさなければならない。
それに、突然高位の侍女に任じられた故に引き寄せるであろうモノも面倒だった。
人の嫉みや、ユイカが交流を持つ貴族、その使用人たちとの付き合いである。
万が一不興でも買ったら、最悪の場合、フィリスは仕事を辞めるしかない。それも現在後見人を引き受けているアデルともども、だ。
主人であるのは異世界から来たと言うユイカだ。当然、其方と此方は常識も文化も慣例も異なっているだろうから、常であれば存在するであろう彼女の庇護は当てにできない。
そのユイカは「王子様って、やっぱり優しいんだね」などと、感心したように呟いている。
傍らでは金髪の侍女が「その通りですわ」とにこやかに彼女に同調し、次第に空気は緊張を孕んだものから、ほんわかとしたものに変化した。
「ねえ、フィリスさん」
そわそわと、ユイカがフィリスに声をかけた。
「あのね、信じてもらえないかもしれないけれど、私、異世界から来たの」
それは知っていた。
「はい。女官長より伺っております」
「……! そ、それでね!」
頬に僅かに笑みを浮かべて即答すると、ユイカの表情がぱぁ、と明るくなった。
「私、フィリスさんが侍女になってくれて、凄く嬉しいんだ。だって、この世界で初めて、私に優しくしてくれたんだもん」
――なってくれて、ではない。フィリスはならざるをえなかったのだ。
それでも彼女はにこやかに、「王宮の侍女として、当然の勤めです」とのたまった。
言葉に棘は感じさせない。
ユイカがますます嬉しそうに笑う。
女官長もフィリスの所作に失敗の類が無い事に安心したのか、最初に比べていくらか柔らかい空気を纏っていた。
「これから、よろしくね!」
「勿論です」
同調を言葉にしながら、再びフィリスは礼をとった。
ユイカ付きの侍女となった事で、来週の休暇は確実に流れるであろう。
フランシスにも当分会えなくなるし、家族で遠出もしばらく出来そうにない。
自分も残念だったが、アデルやフランシスにその事を伝えなければならないのがことさらに憂鬱だった。彼らの笑顔が曇るのは見たくは無い。
心底嬉しそうなユイカとは対照的に、フィリスは内心で盛大にため息をついた。
勿論、表面ではにこやかに笑みを作っていたが。
愛想笑いとか、仕事する上ではある程度必要だと思います。
王宮なんて言う、狐狸の巣窟では特に。