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司書官と侍女の魔王様  作者: 篠崎
2/11

01---侍女は異人に遭遇する




 ルーデイン王国の政治中枢にして、王家の一族の住まうヴァライア王宮。

 深い焦茶色の侍女服を纏ったフィリスは、持ち場を離れて王城の南西に位置する離れに向かっていた。

 長い飴色の髪を黒い幅広のリボンでくくった、十八歳の痩身の少女。

 藍色の瞳をした彼女は、南の棟の衣裳部屋に控える侍女である。

 フィリスが向かう先は、宮殿の西の一角が王族の住居になっていると言う構造上、警備の関係で一種の倉庫のようになっている。

 主に官吏たちの使う事務用品や、王宮で働く侍女達が用いる備品が納められているのだ。

 フィリスが其処へ赴くのも、必要な備品を補充する為だった。南の衣裳部屋は、宮廷に出仕している官吏や衛士、宮廷魔術師達の制服の修繕や仕立てを主な仕事としている。フィリスもまた、先刻までは同僚達と官服の修繕をしていた。しかし、途中で作業に必要な糸が無くなってしまったので、今こうして王宮の廊下を歩いている。

 運の悪い事に、使っていたのは在庫が殆ど尽きていた山鳩色の刺繍糸だったからだ。先日、来月から着任する新任の官吏達の制服を、部屋付きの侍女総出で仕立てたのだが、その時に山鳩色の刺繍糸は殆どが消費されてしまっていた。

 そして先程フィリスが最後の一束を使い切ってしまったので、彼女は仕方なしに南西の離れへ在庫を取りにいく破目になったのだ。

 侍女頭から借り受けた保管部屋の扉の鍵を、フィリスは腕に抱えた私物であるケープの下で、ため息混じりにもてあそんだ。

 離れに行くには渡り廊下のかかった、数ある庭の内の一つを通らなければならない。しかし、あそこは建物の構造上寒いのだ。日陰になっている。

 しかも仕事場を出てきたときは正午の少し前だった。手早く用事を終わらせて戻らなければ、昼食に遅れてしまうかもしれない。

 今日は初春のいい天気であったが、そう言う訳で彼女は少し憂鬱であった。

 少し歩調を速めると、フィリスは廊下の角を曲がる。

 何人かの官吏や侍女、女官たちとすれ違いながら道なりに歩いていくと、やがて木製の大扉が見えてきた。

 開けると中庭の渡り廊下に出る、通路用の扉だ。当然番人は居なかったが、フィリスはその前まで辿り着くと一度立ち止まった。

 抱えたままのケープを纏うためだ。この扉の外は渡り廊下になっている。冬服とは言え侍女の制服だけで、風の強い其処を歩く気にはなれなかった。

 侍女服の上から、萌葱色の裏地のついた黒いケープを羽織ると、彼女は扉に手をかけた。

 案の定外に出てみれば、吹く風は酷く冷たい。

 フィリスは先程よりも僅かに歩幅を広げて、半ば駆け抜けるように渡り廊下を横切りだした。

 うなじの位置で一つに結ばれた、長い飴色の髪も少しばかり風に煽られる。

 春の訪れを感じさせる庭には幾つかの花が咲き、木々も新芽を芽吹かせていた。ふと立ち止まって眺めたくなるような風景だったが、あいにくフィリスにそんな余裕は無かった。寒いのだ。その上刺繍糸の調達に使える時間も限られている。

 フィリスは足早に廊下を渡りきると、間を置かずに渡り廊下の先にあった扉を開けて屋内へと入った。

 時間が惜しい。ケープを着たまま、彼女は幾つかの部屋の前を通り過ぎて、目的の場所を目指す。

 けれど程なくしてたどり着いた部屋の前で、鍵を右手に持ち替えたその時。

 辺りに、場違いな音が響いた。

 大きなものが落ちた時のどさりと言う重い音。

 次いで、――きゃあっ、と。

 主に布地や糸を収納しているその部屋の中から微かに、くぐもった人の声が響く。それは驚いた時に発せられる、小さい悲鳴のようだった。

 妙である。仮にも王宮の備品が仕舞われている部屋なのだから、部屋の扉には鍵がかかっている。この部屋は西側の中庭に面しているので窓も有るが、それらは魔法の一種で封印が施されていた。

 そもそもこの部屋の扉を持っているのは、王城内の三箇所の衣裳部屋を実質的に取りまとめている三人の侍女頭の内、南の部屋を任されているフィリスの直属の上司だけだった。仕舞われている布地や糸は、官服の素材として使われるものが大半なのだから。

 そして、彼女から今鍵を預かっているのはフィリスなのだから、中に人が居るなどおかしい。

 怪訝に思いながら、彼女は恐る恐る鍵穴に鍵を差し込んだ。くるりと回すと、かしゃりと音を立てて鍵は開く。――間違いない。今まで鍵は閉まっていたのだ。だと言うのに、部屋の中から人の声が聞こえるとは、一体どう言う事なのか。

「え、嘘、人!?」

 すると鍵の開く音を聞きつけたのか、部屋の中からまた誰かが声を上げた。

 大きさ自体は小さいものであったが、今度ははっきりと聞こえる。

 それは、若い女の声であった。

 フィリスは少し眉根を寄せると、左手でケープの胸元をぎゅっと握り締めた。右手をドアノブにかけ、ゆっくりと扉を開く。

 光がまた一筋、部屋の中に差し込んだ。

「誰か、居るの?」

 そのまま扉を閉めずに、彼女は室内へと足を踏み入れる。

 すっと視線をめぐらせると、左奥の明り取りの窓の下に、誰かが座り込んでいた。先程の声の主だろうか。十五か十六ほどの、若い娘だ。

 ふわふわとした黒に近い茶色の髪は短く、肩を少し越した辺りまでしかない。対して目は黒く、纏う装束は目に寒々しく映った。踊り子の着るような短いスカートに、腕をむき出しにした半袖なのだ。素足を見せる短いスカートは武器を扱う女性の正装にも見られるが、普段から着用するものではない。

 此処は王宮であるから、正装の女武人が居ても全くおかしくは無かったが、少女の傍らには武器が無かった。

 王宮に参じられるほどの武人ならば、周囲からの信頼も彼らの誇りもある。武器の持参は別段咎められる事ではないから、彼女が武人であったならば、獲物を身につけていないのは逆に不自然だった。

 それに、そもそもこの部屋のある棟はあまり人が近寄らないのだ。備品の在庫の補充など、全ての部署をあわせても日に一人がこの離れにくるか来ないかだし、何より庭を隔てれば王族の住居に繋がっている。内部の者でも外部の者でも、どちらにしても滅多に来る場所ではない。

 けれど、何故鍵のかかっていたこの部屋の中に居たのかはすぐに分かった。少女の後ろにある窓が開いていたのだ。仕掛けられた魔法は解除されてしまったのだろうか、今や其処に封印の痕跡は無い。

 と、言う事は彼女は魔術師だろうか。封印の解け方が、まるで始めから何も無かったかのように、綺麗すぎるのが胡乱うろんではあるが。

「誰です? 何故此処に居るの」

 探るようにフィリスが口調を強めると、少女はびくりと肩を跳ねさせて声を張り上げた。

「ご、ごめんなさい! あの、でも、仕方なかったの! 追いかけられててっ」

「追われているの?」

 フィリスは軽く目を瞠った。王宮内で追われているなど……曲者だろうか。

 ドアは開けたままだ。何かあれば逃げられる。それだけ確認すると、フィリスは座り込んだままの少女の反応を待った。

「そう! 私、逃げてきたの。瞬きして気付いたら変な模様の床の上に居て、変な人たちがこっちに剣なんか向けてて……怖くなって窓から外に逃げてきたの!」

 混乱気味に、そこまで一息で言い切ると、少女は涙目で此方を見上げてきた。

「お願い、助けて! あの人たち、わけわかんない事ばっかり言ってくるの! それに変な服だし、怪しいよっ」

 暴走して少女が連ねる言葉に、フィリスはケープの襟元を握る力を、少しだけ強める。

 瞬間的に自分が居たのとは異なる場所に、と言う事態には心当たりが無いわけでもない。が、剣を向けられていたと言う事は、やはり彼女は侵入者か何かなのだろうか。

 それにしても、床に描かれた妙な紋様と言うのが気になる。

「そう、ですか……。あなたに剣を向けていたと言う人々は、どのような服装を?」

 先んじて、疑問を解決したかったフィリスは、不審がられる事を承知でそう問いかけた。

 剣の持ち主が衛士だったなら、彼女は曲者の類で確定だ。けれど、それが魔術師や神官であったなら、向けてきた剣は少女を害す意思の無い、儀礼用の物である可能性が高い。彼らは武器を使った殺生はあまり行わないのだから。

「え? あ、ええっと、青、だったかな? 薄い青系のびらびらしたコートだったよ」

 果たして『何故そんなことを聞くのか?』と言った疑問は返ってこなかった。

 少女が提示した情報は、魔術師を連想させる物。

 ならば、彼女は王宮に害なすモノでは無いのだろう。宮廷に仕掛けを張り巡らせている魔術師を前に、捕縛されない侵入者は少ない。

 明らかに不審な格好で、情報を零してゆく彼女がその少数である可能性は、フィリスには考えられなかった。

 となると、彼女が何であるか、思い当たる節が出てくる。

 向けられた儀礼用の剣、床の紋様、不審な格好、魔術師。

 彼女が今居る此処が、王宮内の魔術師に割り当てられた一角とかなり離れているのがひっかかるが、恐らく浮かべた答えは間違っては居ないだろう。

 ケープから左手を離し、フィリスは床に膝を突いてかがんだ。少女の警戒を解かせるように、その藍色の瞳に同情の色を浮かべる。そして少女の黒色の目に視線を合わせた。

「大変でしたね。私は此処に勤める侍女で、フィリス・ランベールと言います。あなたの名前を伺っても?」

「うん。私はユイカ。イサワユイカだよ。ええっと、フィリスさん?」

「ユイカさんですね、分かりました」

 この国の響きではない名前だった。

 けれどそれも、フィリスにとっては彼女の推測を後押しする材料でしかない。

「では、ここから出ましょう。衛士のどなたかに申請すれば、恐らく保護してくださるでしょうから。案内しますので、そちらへ行きましょう」

「保護……安全なの? 家に帰れるかな?」

「そうですね、何の問題も無ければ」

 穏やかな声音でユイカに告げると、彼女はほっとしたように微笑んだ。

 それを確認したフィリスはすっと立ち上がり、ユイカに「立ってください」と声をかけた。

 彼女がおたおたと立ち上がるのを見届けると、フィリスはユイカと立ち位置を入れ替わるようにして開いたままの窓を閉める。

 元のような封印を施す事はできなかったが、一見しただけでは異変は見つからないだろう。ユイカの保護と一緒に、窓の術式が破られていた事も衛士に伝えれば、宮廷魔術師に連絡が行くはずだ。

 次いで彼女は、刺繍糸の在庫が仕舞われている棚へ向かうと、当初の目的を果たすために山鳩色の刺繍糸を捜しだす。

 目的のものは案外すぐに見つかった。棚から刺繍糸のぎっしりと詰まっている小箱の一つを取り出し、フィリスは左手でそれを抱える。

 ユイカの方へ振り返ると、彼女は物珍しげに室内のあちこちへ視線を遣っていた。

「ユイカさん、行きましょう」

 フィリスが声をかけると、ユイカは「はい!」と彼女の方を向いた。

 そして開け放したままの扉へ向かうフィリスの後をついてくる。ユイカは靴を履いておらず、足を包む白い靴下は乾いた土で汚れていた。

 ――下働きの誰かに、この部屋と廊下の掃除を、改めて頼まなければ。

 フィリスが僅かにため息をついたのにも気付かずに、ユイカは壁の装飾や床の造りが珍しいのか、きょろきょろとあたりを見回している。

 でも、それも仕方ないのかもしれないとフィリスは思った。

「ユイカさん、此処から先は少々複雑な造りです。はぐれないよう、注意してくださいね」

 彼女は恐らくではあるが、この国ではない何処かより、宮廷魔術師によって召喚された異人であるのだろうから。 

 ――淡い青は魔術の象徴。その色を公の制服として纏うのは、宮廷魔術師達であった。

 床の紋様は魔法陣で、向けられた儀礼剣は、おそらく召喚の為の魔力の収束させる媒体と考えるのが妥当だろう。

 ユイカが妙な衣服を身に着けているのも、『一瞬で移動した』と言うのも、遠い地より召喚されたのならば説明がつく。

 もっとも、元々は人の領分に在る魔術ではないのだから、召喚魔法には危険が伴うし、専用の魔法陣を描くのには高価な材料が必要と記憶している。滅多に行われる事ではなかったから、その辺りは妙ではある。

 それに、ユイカを見つけたときに、部屋の窓の封印が解除されていたのも気がかりだ。

 しかし、フィリスは一介の侍女である。

 必要以上に詮索するよりも、何も知らず、気付いていないフリをして行動するのが、即ち己と周囲の安全に直結すると考えた。

 つまり、フィリスはユイカを『何者かに追われていたと証言する、南西の離れで見つけた少女』として、その身柄を衛士に保護してもらうだけでいい。

 後の事は全て彼らが判断し、処理してくれる。それがユイカを侵入者とするモノでも、不審なだけの迷い人とするモノでも、はたまたフィリスの予測通り召喚された異人とするモノでも、彼女には関係の無い事だった。

 ただ『助けて』と請われただけの初対面の異人の保護以上に大切なモノなんて、フィリスにはいくらでも存在する。それはある意味非情であると言えるかもしれないけれど、ユイカの言が虚言で無いとは限らないのだ。危険な橋など渡りたくはない。

 「わかりました!」との言葉と同時に、ユイカが己に続いて部屋の外へ出たのを確認すると、フィリスは開いている右手で、部屋の扉をきっちりと閉める。

 そして、彼女は右手の鍵を使い、ゆっくりと扉に鍵をかけた。





 区切りの悪い序章しか投稿していないにもかかわらず、お気に入りやお気に入りユーザーに登録してくださった方が居るようで。こんなに中途半端なのに申し訳ないやら嬉しいやら。本当に、どうもありがとうございます。

 最初の方は地の分ばかりで、文章が重苦しいかもしれません。キャラクターが出てきて固まってくる頃には、もう少し軽い感じの文章に仕上げられればと思います。

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