死神と夜明けのキスを
明日がどうなるかなんて判らないから面白い。
何故なら私は本来、明日のなかったハナだから。
「えーと、こんばんわ。ハナさん」
「…」
「何か眼を見開いて、口をパクパクさせてますが、すみません。驚かせて」
「あうう」
「あのー、落ち着いてください。そりゃ寝ているあなたの枕元に出てきてたら、ビックリしますよね。身の危険を感じますよね。でも怖がらないで。私は、その、ええ、つまりいわゆる性欲とかありませんので」
「…うう」
「落ち着きましたか?ええとその、私は人間ではありません」
「ハアハア」
「デスヨネー。もっと怖くなっちゃいますよね。あ、今あなたは口が利けないようにしてあります。絶叫とかされると困るので、ごめんなさい」
「ううう」
「ハナさん?いいですか?縛めを解きますが、大声出さないでくださいね。約束できます?」
「コクコク」
「はい、もう声出ますよ」
「ぎゃああああああああ、誰か助けて!…あれ、小さい。声が小さい」
「ああ、よかった。小さな声しか出せないという術と、身動きできないという術をかけておいて」
「うう、殺さないで」
「何てこと言うんですか。強盗とかと一緒にしないでください」
「あ、あなたは何者?」
「ああ、ようやくその質問が出てきましたね」
思い出した。私は頭に怪我をして入院中だ。しかも結構大変な怪我だった気がする。
あれ?何でそんなことになったのかな?
何だか苦しくなって意識が遠のいて、それでもって、父さんと母さんが泣きながら私の手を握りしめて…うんでもって、…思い出せない。
死んだのかな、私?
はっ、誰だこいつ。入院中の患者の枕元に浮かんでいるなんて尋常ではない、つうかこの世のものではない。つまり…
「ようやくその質問が出ましたね。ムフフ、あなた方の言葉で一番近い意味では『死神』ということになりますか」
「シクシク」
「どうしました。いきなり泣き出して」
「私、もう死ぬのね」
「そんな。結論にたどり着くのが早いですよ」
「じゃあ死なないの」
「そりゃあ人間はいつか死にます」
会話が噛み合っているようで、何か噛み合ってない気もする。
「やっぱり。私の寿命はあとどのくらいなの」
「本人には言っちゃだめって、上司から言われています」
「やっぱりもうすぐ死ぬんだ。シクシク」
「面倒くさいな。この人」
入院中の患者上空に現れる非常識な奴に言われたくない。
「どうせなら苦しまないように死なせて」
「えっ、すぐ死にたいんですか?」
「えっ、すぐには死なないの?」
「えーと、まあ、今すぐってわけではないんですけど」
「100年以内?」
「当たり前でしょ。そりゃそうです」
「50年?」
「えーと、そんなにはちょっと」
「…10年?」
「うーん、もう少し短めで」
「ううう、5年?」
「もう一声」
「いやあああ。やっぱりもうすぐ死ぬんじゃないの」
もっと美味しいもの沢山食べたい。友達と遊びたい。ちょっとは悪いこともしてみたい。
まだ彼氏が出来たこともないのに。だから…当然、あの、チューとかその他もろもろもまだだし。
父さんと母さんに親孝行する前だし。
「すいません。死神なんで。まあフツー近々死ぬ人のところに来ます。でも」
「シクシク、でも?」
「そこまで今すぐ、ってわけじゃありませんし、真面目に生きてきた貴方には特典もあります」
「メソメソ。特典?」
「はい。死ぬ前に貴方の願いが叶います」
「じゃあ寿命を伸ばしてよ」
「ああ、それは無理なんです。寿命ですから」
何だこいつ。やっぱり役に立たない。だめじゃん、死神。無能じゃん。
「やっぱり死ぬんだ。ウエエン」
「お気の毒です」
「私のバラ色の人生はこれからなのに」
「ははあ、人生に色があるんですね」
「比喩よ、比喩って知らない?私に透明感があるとか」
「何のことだか。私達には色彩というものがないので」
「へえ、死神ってイメージは灰色とか黒とか…はっ」
「どうしましたか?」
「そんなことはどうでもいいの。どんな願いなら叶うのよ」
「もうちょっとささやかというか、軽い望みなら」
「…じゃ世界を征服したい」
「どこがささやかで」
「やっぱだめ?」
「無理ッス」
「役立たず!」
「これで世界征服できたら、真面目な人が死ぬたびに世界が荒廃します」
「…どんな願いなら叶うのよ。シクシク」
「美味しいものが食べたいとか、推しのアイドルに一目会いたいとか、PVが倍になるとか…」
「ささやかすぎるわ。メソメソ」
メソメソ泣きながらも私は思う。
私、全然この死神のこと怖くないわ。死神ってこんなフランクだったのかしらん。
「…あのですね。ホントは人間に死神が会いに来るということは珍しいんです」
「じゃ、あなたはなんで来たの。グッスン」
「えー、うー、ハナさんが好きなんです」
「は?」
「だ、だから!…あ、あんだが好ぎになったんだな!」
何でいきなりの茨城弁。
「驚きすぎて涙が引っ込んだわ」
「DEATH ヨネー。それはヨカッタです」
「良くないわよ。事態が好転したわけではないわよね」
「そうですね。寿命が延びたわけではありません」
「あなたは私がもうすぐ死ぬということを言いに来たのでも、死亡寸前特典の御用聞きに来たのでもないのね」
「はい。コクりにきました」
「告りにって」
「すごく勇気が必要でした」
死神が勇気を出して告白って。なんじゃそりゃ。
「確認するけど」
「はい」
「あなたは死神よね」
「そうです。人間界の言葉ではそれが一番近いです」
「その死神が勇気を振り絞って私に告白しにきたと」
「そ、そういうごどです。まだちょっとドキドキすんだな」
「私にはモテ期が来たと」
「…あながち間違いとは言えませんね」
「それなのに私の死期は間近だと」
「まあ…それも確かです」
「ウェエエエエエエエン。シクシク」
「す、すみません。お役に立でませんで」
腰の低い死神もあったものだわ。いくら私が好きだからって。
それにしても…死神に好かれる私もどうかと。
彼氏いない歴=年齢の私なのに。
「…ねえ」
「はい」
「何であなたは私のことが好きになったの?」
「…べ、別にどうぢゅうごどもないんだな」
「あなたは慌てると茨城弁がチョロリと出るわ」
「うう。未熟を恥じます」
「白状しなさい。私のどこが好きになったの」
「…あなたが5歳の頃、蜘蛛の巣から助けたバッタのことを覚えてますか」
「全然」
芥川かい。あ、芥川は蜘蛛助けるヒトか。違うか。どうでもいいか。
「デスヨネ」
「5歳じゃあね」
「あれが私です」
「へええええ」
死神を助けたことがあるとは。自分ながらびっくりだ。
死神の告白はまだ続く。
「小学校の時、ガキ大将にいじめられてた犬を助けたことを覚えてますか」
「あ、それは何となく」
「あなたはガキ大将に後ろから跳び蹴り食らわして、大怪我させて家の人やガキ大将の親や先生からメチャメチャ怒られました」
「うう、黒歴史よ」
「あの時の犬が私です」
「何と」
「中学校の時、学校の軒先で巣を作っていたツバメが用務員さんに駆除されそうになった時、止めてくれたのを覚えてますか」
「うん。覚えてる」
「あれも私です」
「でも…私はあのツバメに後からフンを引っかけられたように記憶しているのだけれど」
「もうあの時にはあなたが好きで興奮してしまいつい」
「…いやな性癖ね」
「しゃ、謝罪の言葉もございません」
「以上なの?」
「いいえ、ついこの間。あなたが高校2年生の時、いつもトイレで弁当を食べている女生徒がいたのを覚えてますか」
「そりゃ覚えてるわよ。えっ?まさかあなたがルミちゃん?」
「いやいやいや。さすがに違います。そのルミさんが飼っていた猫が私です」
「へええ、そうだったの?」
「ルミさん、すごく感謝してました。あなたが声を掛けてくれなかったら、他のカースト上位女子から守ってくれなかったら、多分自殺してただろうって」
「感謝されるようなことは別に。フフン」
「ハナさん、何か鼻高々ですけど。ハナだけに」
死神のくせに。寒いわ。
「そんなことないわよ。…ん?でも私ルミの家行って、よく猫と遊んだけど…」
「はい。あなたの膝や胸の感触忘れられません。フワフワでポニョポニョで」
「グワアアアアッ! やめーろーっ」
「す、すみません、ごじゃっぺで。しかし私、性欲とかホントありませんから、そこは安心してください」
死ぬ寸前の私に何を安心させたいのかわからない。
でも、まあ…この死神は悪い奴じゃないらしい。
悪くない死神っていうのがいるのなら、だけど。
「…わかったわ。とにかくあなたは私といくつかの縁があるのね」
「はい、それですっかり好きになりました。わかっていただけましたか」
「ねえ、死神」
「はい」
「あなたに名前はないの」
「ありますが、それはちょっと」
「いいじゃない。教えなさいよ」
「死神に名前を教えられた人間は、その死神に体を乗っ取られるのですが…いいですか」
聞いたことのない新システムだ。
「!…駄目に決まってるじゃない」
「デスヨネー」
「死神に告られた私ですが」
「はい」
「たぶん死神はじめ多くの男性から、今後告られるはずのモテ期ハナですが」
「…はい。ソウDEATH ネ」
「やっぱり死期が近いのね」
「すみません。残念ですけど」
「あなたのせいではないわ」
「はい。まったく」
「助かる方法はないのね」
「……………はい」
「今、だいぶ間があったわ」
「そ、そーたごどはねえべな」
「あったわよ。何で茨城弁なのよ」
「い、いいえ。長い間も茨城弁も勘違いです」
絶対何かこいつ隠してる。
「正直に言って。あなたは私が好きなのね」
「はい。心から」
「その私がこんなに悲しんでいます」
「おいたわしい」
「そしてあなたは私の寿命を延ばす方法を知っています」
「…し、知らねんだな!」
「正直に言ってくれたらチューしてあげてもいいわ」
「実はだんな」
「おい」
やっぱり何か抜け道があるらしい。
絶対この死神に吐かせる。
「これがバレると私はミカエル様に怒られて、死神失格になってしまいます」
「誰?ミカエルって」
「人間界の言葉で一番近いのは社長とか店長とか親方とか」
「意外と親しみやすい感じだわ」
少しの間があり、死神はハアアと長いため息をついた。
「どうしても寿命を延ばしたいですか」
「当たり前でしょ。死にたくないわ」
「…わかりました」
「どうすればいいの?」
「まずチューしてください」
「覚えてたか」
「当たり前です」
まさかファーストキスを死神に奪われるとは。
何という数奇な私の運命。
「おい、死神。先に助かる方法を話せ。私の初チューがほしかったら」
「う、…わかりました。簡単に言うと私と合体すれば寿命が延びます」
「うぇっ、いやらしい」
「ち、違うってぇ」
「また茨城弁」
「違いますって。要するに私があなたの体を乗っ取ってしまえば、決められたあなたの死期はチャラになります」
「えーと、そうしたら私はどうなるの?」
「体はあなた、心は私、そして多分頭脳は小学生並み、ということでしょうか」
「駄目じゃん」
「駄目ですか」
「駄目よ」
「デスヨネー」
ですよねえ、じゃないよ。
何だか希望が出てきたと思ったら、とんだ駄目駄目案だ。
私と死神はちょっと見つめ合って、どうしてか微笑みあった。
どういう気持ちだったのか、自分でもよくわからない。
「デスヨネじゃなくて、それは私が生きてることにならないでしょう」
「うまくやれば、あなたの意識と同居できるかもしれません」
「…?よくわからないんだけど」
「ひとつの体の中にあなたの意識と私の意識、両方があるような状態です」
「想像できないわ」
「ま、私もやったことないですから」
「死ぬよりはマシかしら?…うん?」
「どうしました」
「それだと…例えば私が誰かとデートしてるときもチューしてるときも、あなたは私の中でそれを見てるって事?」
「そういうことです。なお、あなただけの気持ちで体を動かすこともできませんので、チューは私もしてることになります」
「だ、だ、駄目です。無理無理無理。例えばウンチしてるときもオシッコしてるときも」
「はい、私といっしょにしてるわけです。ちなみに私ウンチもオシッコもしたことないので楽しみです」
「ば、ば、馬鹿いってんじゃないわよ!絶対無理!絶対耐えられない」
「デスヨネー」
私も死神もこんな話をしながらいつの間にか笑顔だ。何でだ。私は多分もうすぐ死ぬのに。
自分の死ぬ孤独な夜、話し相手になってくれる者がいることに私はきっと感謝している。
「もうすぐ明け方です」
「そうね。あれ?真っ暗なのに…なぜ私にもわかるのかしら」
死神はしばらく黙って、そして意を決したように近づいてきて囁いた。
「…ハナさん、禁を破ってお伝えします。間もなくあなたは死にます」
「うん、何だかわかったの。…やっぱり明け方に死ぬの?」
「はい。あなたは一昨日落ちてきた工事現場の鉄筋を頭に受けて、この病院に入院されました。下にいた小学生の男の子を助けたんです」
「それがあなた?」
「いいえ。今回は無関係です」
「何だぁ」
「…ハナさんはいつもそうだ。そうやって誰かを助けて馬鹿を見る」
「そんなつもりはないのだけれどね」
「ハナさん、もう一度言います」
「…」
「あなたが大好きです。ずっとずっと大好きでした。今でもこれからもずっと」
「死神さん……」
「タイムリミットです。あなたの望むようにします」
「…わかったわ。あなたと共に生きるわ」
「承知しました。あなたに私の名前をお教えします。その名前を呼べばあなたの体は私とあなた、二人のものとなります」
「さっき言った乗っ取られるってやつ?」
「そうです。でも私が途中で息を止めまして合体を中断します」
「そしたら私の意識も残るのね」
「きっと多分、メイビー」
「…不安すぎる」
「ハナさんの体が透きとおってきましたね」
「あら、本当だわ。どういうこと?私の透明感のビジュアル表現とか」
「違います。死期が近い表れです」
「冗談が通じないわね。…急がないと」
「もう少しです。タイミングが問題なんです。ご臨終と合わせて私の名を呼ぶんです」
不思議なことに私の心は落ち着いている。
もうじき今までの自分とは違う自分が生まれる。
いやもしかしたら失敗してやっぱり死ぬのかもしれない。
それでも…最後に自分のことをこんなに思ってくれる人…死神に出会うことができたのだから、私の人生は短かったけど、少しはマシなものになったんじゃないかな。
きっとそうだ。
「ねえ、ところで」
「はい」
「私の寿命は何年延びるの?」
「わかりません」
「えっ、どういうこと」
「私の残り寿命の100分の1、ということになってます。あっ、そろそろご臨終ですよ」
「えええ?あなたはそれでいいの?」
「もちろんです。ハナさんといっしょに生きられるのなら、100分の1で充分です」
「死神さん。…あなたの寿命って?」
「ハナさん、準備はいいですか?」
「うん。…死神さん、何だかごめんね、ごめんね」
「大丈夫ですよ。ハナさん、あなたに頼られるのがずっと私の夢でした」
「…ありがとう。あなたの名前は?」
「はい、私の名前は…」
「あなたの名は?」
「ホープ」
「ホープ?」
「はい、『ホープ』です」
「希望か…。ありがとう、ホープ」
「こちらこそ、ハナさん。うまくいきそうですね。二人揃って体が薄くなってきました」
「ねえ、待って」
「もう時間ないです」
「死ぬ前に私のささやかなお願い叶えてくれるんでしょう。まだ聞いてもらってない」
「覚えてましたか」
「私の願いは…キスして!ホープくん」
「あっ、私も忘れでたんだな。さっきチューしてくれるって言ってだじゃねえが、ハナさん」
「よし、ハナの初チューだ。ホープくん、受け取れ」
「あっ、だめだっでば。今は」
目が覚めたら病院のベッドだった。夢を見ていたのではないことはすぐわかった。何故なら私自身が元死神の『ホープ』でもあったからだ。
そして事態はものすごくややこしくなっていた。ハナとホープはひとつの体に別人格として存在する予定だったのだが、どういうわけか完全に融合してしまっていた。死神の記憶とハナの記憶が両方あり、ものの感じ方や考え方も溶け合っているようで、妙な感覚だ。
病院のベッドの横では父さんと母さんが泣きながら、私の手を握っていた。何かご臨終寸前だったのだが、夜明けとともにいきなり起き上がって笑ったので二人とも腰を抜かしたらしい。デスヨネ。
何となく元の体の持ち主が優先されるのか、ハナの方に若干人格が偏っている感じもするけれど、じゃあ私はハナかというと、ホープでもあるのだ。
どうしてこうなったのか考えてみるのだが、あの融合寸前のキスが原因かと思われる。もちろんどちらにとっても初チューだったし、初人格融合だったから、確かなことは言えない。
死神の寿命は幅があって千年から一万年、これは誰にもわからない。人間と同じだ。ということはハナホープの寿命は残り10年から100年のどこかだ。10年だとするとちょっと短いけど、100年だとしたら人間では超長寿だ。でもこれだって普通に生きてたら、わからない事なんだから考えたって仕方ない。
明日がどうなるかなんて判らないから面白い。
何故なら私は本来、明日のなかったハナだから。
私はその後退院して普通の生活に戻ったのだが、ちっとも普通ではない。何だか何をしても感動してしまうのだ。朝ご飯の味噌汁に「美味い!」と絶叫して母を驚かせ、トイレに行ってその何だ、それに感動し、通学途中の桜並木を見た時、人間がこの桜を一年に一回見ることの意味が体中にブワワワワワアと襲ってきて、あまりの尊さにそこで泣き出してしまった。
何故なら私は本来、色彩のない世界にいたホープだから。
他にもいろいろ変わったことはあるけれど、言っていたらキリがない。
慌てると茨城弁が出るようになってしまったこと、人と喋ることが前よりもっと好きになったこと、メッチャ鈍くさいのに体を動かすのが楽しくて仕方ないこと、一日の終わりが名残惜しいこと。
残念だったこともある。二人合わさったのに学力はあんまり変わらなかったこと、それとハナモテ期は錯覚だったこと。…DEATHヨネー、だべ。
読んでいただきありがとうございました。
一日一日を大切に…という教訓は、まあ、特に込めてはいません。
そんなことは当たり前DEATHよねえ。