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吸血鬼

「光魔法は有効。霧化も瞬間的には使えない。思ったよりも戦いようがあって安心した」

淡々と分析するエルリクの後ろから、インが跳びあがり赤魔術師に追撃する。

「おらぁああ!!」

「いい連携だね。勇者パーティーと戦った時のことを思い出すなぁ」

息もつかさぬ連撃を、赤魔術師はメイスで受ける。

ガン、ギン、と重い金属音を出しながら、互いの刃が削れていく。


「っ……はぁあ!!」

声を上げ、インはありったけの力を込めて攻撃を叩き込む。

武器が折れる前に、力が尽きる前に、赤魔術師を斬る――!

「焦ってるね。キミたち獣人は、戦いが長引くとキツいでしょ?」

「うるさいッ!」

見透かされている。

それでも自分にできる最大限の攻撃を緩める気はなかった。

魔術師もインの攻撃を受けるのに手いっぱいで反撃してくる様子はない。

いける――!

 

――バキッ!


思い切り剣を叩きつけられたメイスの柄が折れた。

剣も限界だが、あと一振りだけもてばいい。

「あああああ!!」

インは叫びながら渾身の一振りを赤魔術師に見舞う――


「あった」


すっと赤魔術師が手を伸ばす。

指がインの手首に触れる。

しかしそんなものではインの渾身を止めることなどできない。

インはそのまま赤魔術師の首から胸に向けて刃を振り下ろした。

人体とは思えないほどに固く重い手ごたえ。

それでも刃は赤魔術師の肩口を食い破り、腕が落ちる。

その瞬間、インの全身から血が噴き出した。


「ぎゃぁっ!?」

 

外傷もない肌が唐突に内側から引き裂かれたようにずたずたになり、激痛で悲鳴を上げる。

傷から噴き出た血は無数の針のような不可思議な形状になっていた。

流れ出さずに、皮膚を貫き、傷を大きくしていく。

「うっ……ううう……!」

 

苦痛に喘ぎながら、インは膝をついた。

「イン……!!」

ティナは持ち場を離れ彼女の元へ駆け寄った。

「メルカ……」

治癒魔法を使おうと咄嗟に手を翳すが、こんな状態で治せるのか――体力が底をついているインの命を余計に摩耗させることになるのでは――過去の過ちが脳裏によみがえり、呪文を唱えかけた声がかすれて消えた。


「だいじょうぶ……ティナ……」

血液が固形化しているおかげで見た目に反し出血は少ない。

そう伝えたかったが、激痛に思考を圧迫されて、簡単な語彙を紡ぐのが精いっぱいだった。

「はぇー、これで即死じゃないとか、やっぱ獣人は丈夫だなー」

武器と片腕を失った赤魔術師は残った手で口元を覆って、大げさに驚いてみせた。


エルリクは自身もインの元へ駆け寄りたい衝動を抑えて、ぎっと赤魔術師を睨んだ。

今ここで自分の心が折れたら、パーティーが崩れる。

「何をした?」

敵意が恐怖に飲み込まれないように、エルリクは赤魔術師に相対する。

「んー? 魂をちょこっと傷つけただけだよ? 生き物って体が弱ると魂が無防備になるんだ! 魂を損なえば身体も損なう。簡単な話だよ」

赤魔術師は血で赤く染まった顔で笑った。

壮絶に美しく、恐ろしい――人間に畏怖を抱かせる微笑みだ。


「エルリク……感情的になったらだめ」

インが荒い呼吸の隙間に忠告する。

言われるまでもなく、この凶悪な技の発動条件は相手の感情が高ぶっていることだ。

もう少しで倒せると、感情が大きく揺れた瞬間にインはやられた。

「冷静になるのは……得意でしょ。ムカつくけど……」

「そうだな」

エルリクは考える。

 

戦闘が始まる前、エルリクはメイドと同じ顔をしている赤魔術師を見てひどく動揺していた。そして赤魔術師の犯した罪や、それをなんとも思っていない赤魔術師に激しい憎悪をあらわにしていた。

もし赤魔術師がエルリクを殺そうと思っていたら、その時簡単に殺せたはずなのだ。

赤魔術師はエルリクたちを殺したいのではない。

自分に歯向かう生き物で、遊びたいのだ。


「大丈夫、私はまだ戦える……!」

「イン、駄目だよ、今無理したら……!」

「今無理しないでどうするの、全滅よりマシでしょ」

ティナの制止を聞かず、インは膝をついた状態から両手を前につく。

赤魔術師にもダメージがある。

刺し違えてでも時間を稼ぐ。

「フーッ……フー……!」

深く息を吸い込む――前回の獣化から十分な期間が空いていないが、体への負荷を度外視するのなら、変身自体はできるはずだ。


「待て、イン」

エルリクは赤魔術師が追撃してこないことを確認し、インの方を振り返って言った。

「お前のそれは最後の手段だ。取っておいてくれ」

「エルリク……!」

エルリクは腰のホルスターから、一振りのナイフを引き抜いた。

ジーナフォリオと戦った時の短剣よりもより短い、銀製の短剣だ。

「ぷっ……あはははは!!」

それをみた赤魔術師はこらえきれずに吹き出して笑った。

「あーあー、次はキミががんばるの? 獣人ちゃんでも無理だったのに、キミに勝ち目なんてないと思うんだけど! それにそんなちっさい武器でどうにかなると思ってる?」

けらけらと甲高い声で嘲る少女。

「あいにく僕は非力だからな。大剣よりもこっちの方が扱える」

エルリクはそんな挑発をもろともせず、薙いだ湖面のような瞳で赤魔術師を見据えた。


「ふふふ、この匂い……銀でしょ?」

「ああ。伝承もあながち間違っていないことが分かった。これも吸血鬼にはよく効く。三つの地方、八つの都市で同様の逸話が残っている」

「へぇ、よく調べたね。じゃあ本当にそれで殺せるかやってみてよ!」

赤魔術師は心底楽し気にスキップでもするような軽やかな足取りで、エルリクの元へ向かってくる。

「……っ!」

エルリクもまた地面を蹴って銀のナイフを構える。

薄紅の蕩けた魔術師の瞳がエルリクを映している。


エルリクはそんな彼女の顔から視線を外した。

吸血鬼の目は魔眼である。

相対したとき、恐怖を感じたのも、怒りを感じたのも、異様な感情の高ぶりは魔眼と目を合わせたからと考えられる。

魔眼の力で感情を揺さぶり、魂への直接攻撃をすることで簡単に致命傷を与える。

「あはっ……気付いちゃった? でもよそ見しちゃ危ないよ?」

エルリクの視線の動きですぐに彼の考えを看破した吸血鬼は、小さな体躯で彼の懐に潜り込むと、下から覗き込むように見上げた。

「ぐっ……!」

咄嗟に目を閉じつつ、ナイフを横に薙ぐ。

 

ざり、と肉の繊維を削ぐような手ごたえ。

やはり、銀で斬れる――勝機を見出したエルリクの首に生暖かい感触が伝った。

「はぁ……むっ♪」

吐息、そして、鋭く甘い痛み。

赤魔術師が尖った牙でエルリクの首筋に噛みついていた。

「エルリクッ……!! クレアーレ!」

ティナはとっさに魔法を放っていた。

ジーナフォリオと違い小さな的だ。

接近している仲間に当たるかもしれない。

それに残り魔力的にもこれが最後の一撃だ。


「ンふっ」

赤魔術師はエルリクに噛みついたままで、背中から皮膜のある翼を展開した。

そして石の礫をその片翼で叩き落とす。

薄く繊細そうに見える翼だが、しなやかで頑丈なようだ。

「くっ……! そんな!」

自分の最後の攻撃手段が防がれ、ティナは絶望の声を上げた。

しかしエルリクは、赤魔術師がティナの魔法に気を取られた一瞬の隙を逃さずに、自分に組み付いている少女の腹から上に向かって逆袈裟に斬りつける。

「きゃっ……!」

赤魔術師は悲鳴を上げてエルリクを突き飛ばした。


その辺の女の子に突き飛ばされるのとは話が違う。

地面に叩きつけられる衝撃と共に、肩が折れる鈍い音がした。

頭は極力守ったつもりだったが、それでもその衝撃には勝てず、ぐわんぐわんと世界が回る。

意識が遠のくのを、必死に唇を噛み締めてこらえるが、その口の中も血の匂いでむせ返る。


「ふー……すーぐ死んじゃうから忘れてたけど、人間って諦めが悪いんだったね。獣人は勝てない相手には挑まない動物らしい賢さがあるし、妖人だって死ぬ運命をすんなり受け入れる潔さがあるよ? キミも見習った方がいいんじゃないかな。しつこい男は嫌わるからね」

与太話をしながら赤魔術師は歩み寄ってくる。

口元に付いた獲物の血をぺろりと舐めとると、鎖骨に出来ていた傷が治っていく。

あれはエルリクが組み付かれる瞬間に付けた傷だ。

インによって切り落とされた腕の傷も塞がっている。

 

吸血は攻撃を兼ねた回復なのだろう。

「はぁ……はぁ……」

腹に付けた新しい傷はまだ治らない。

血が足りないのか、時間が足りないのか。

それは定かではないが、銀でダメージを負わせられることは確定した。

そしてエルリクにはもう一つ分かったことがある。

「楽しさより、面倒臭さが勝ってきちゃったな。そろそろお片付けの時間にしよっか」

赤魔術師はゆっくりと歩み寄ってくる。

 

エルリクは体を起こそうとするが力が入らない。指先も冷たく震えている。

手から滑り落ちそうなナイフを親指の付け根と手のひらで握り直した。

背後は切り立った崖だ、逃げ場はない。

「ふふふ、幽霊造って遊ぶのもいいけど、やっぱ間近で嗅ぐ血の匂いも最高だよね。これからはたまにやろうかな?」

赤魔術師は短いスカートをふわりと優雅に広げてエルリクの目の前に座った。


「遊んでくれたお礼に、最後は良い夢で終わらせてあげるね――坊ちゃん」

赤魔術師は倒れ伏したエルリクの頭を膝にのせて、血まみれの髪を撫でた。

魔眼が淡く光る。

揺さぶる感情はなにも悪いものばかりではない。

「エリシア……」

かつて胸にしまい込んでいた慕情が、堰を切ったようにあふれ出した。

ずっと彼女を守れなかったことを悔いていた。

ずっと彼女に会いたかった。

ずっと彼女の元に行きたかった。

「坊ちゃん、私がお傍にいますよ? 最期まで」

彼女は優しく微笑んで、エルリクの首に手をかける。

魂を掴んだ。

小さな子供のようにゆらゆらと揺れる弱い魂。

死のために人生を捧げてきた脆弱な魂だ。

簡単に握りつぶしてしまえる。

「坊ちゃん、おいで」

「エリシア、待ってて僕は――後で行くから」

それは二人でよくしていたやり取りだ。

エルリクを呼ぶ彼女をこうしてよく待たせていた。


「え?」


 赤魔術師の胸に、深く銀の刃が潜り込んでいく。

 驚いて瞬きする赤魔術師の魔眼の支配が解ける。

「イン、突き落とせ」

「ガウッ!」

エルリクの合図で巨大な獣が躍り出て、赤魔術師の羽に食らいつく。

「しまっ――」

魔眼の副作用で視野が狭まっていた吸血鬼は、その接近にギリギリまで気が付かず、羽はたやすく噛み折られた。

咄嗟に霧化しようとするが、体は固められたように動かなかった。

「賭けだったが――やはり先人の知恵は偉大だな」


銀が弱点と言うのは単に斬れるというだけではない。

銀が体内にあるとき、霧化を無効にする。

先ほどの腹部への攻撃の時、時間があったにも関わらず霧化せずエルリクをナイフごと突き飛ばしたのがその証左だ。

インは首を一振りして、赤魔術師を崖下へ叩きつける。

空中に投げ出される赤魔術師は跳んで逃げようと羽を広げるが、ずたずたに切り裂かれ使い物にならないことを悟った。


「こんな高さ……うぅっ!!」

せめてダメージを最小限に着地しようと、体勢を立て直そうとした赤魔術師は崖下の地形を見て、目を見開いた。

急流。

深く激しい川の流れが、彼女に牙を向いている。

「嫌――!!」

悲鳴を上げる間もなく、水しぶきを一つ上げ、不死者は飲み込まれて行った。




「浮き上がってこないですね」

ティナは崖下を覗き込み呟いた。

轟轟と水の音が鳴り響くばかりで、魔術師の甲高い声は聞こえてこない。

「……吸血鬼の弱点の一つに流れる水がある。この川の流れは海まで二つの大陸を横断して続いている。海まで流れるか、その途中で消滅してくれるのを祈るか」 

失血と怪我で目が回っているエルリクは、獣化しているインにもたれ掛かりながら呟いた。

「不死者だけど死ぬのかな……」

「死にはしないだろう。無限に近い体のストックがあると言っていた。僕らが戦ったアレも、欠損のような損傷を治さずいたところを見るに、替えがある体なんだろう」

「うげぇ……」

「ぐるる……」

二人はげんなりした様子で唸った。

「またどこかで復活するんですかね、キリがないなぁ」

「ああ。だけど、今回は生き残れた」

エルリクはインとティナに視線を送る。

二人も強く頷いた。

  



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