冴える息
川沿いにフーウィル地方を北上すること2ヵ月。
途中村や町に寄っては、ジーナフォリオに関連する情報を集めた。
主に見えない何かに背中を触られた人はいないか、近隣で人や動物、魔物の不審死はないかと聞き込みをした。幸い新たに襲われた村はないようだ。
ただ、フーウィル地方の王都パテラに立ち寄った際にそれらしい情報を得ることができた。
パテラのギルドでは依頼の取り下げが多発していた。
ここ数日間の話らしいが、魔物の討伐依頼を建てたもののその魔物が消えてしまったという。ただ単に場所を移動しただけならいいが、もっと危険度の高い魔物が現れて逃げたのではないかと、近隣住民は不安に思っているらしい。
その不安を証明するように、討伐依頼の代わりに見回りや警備依頼がたくさん立っており、冒険者たちは警備は基本報酬が低いとぶつくさ言いながらクエストを受注していた。
「私たちも警備クエスト受けてみる? 現地調査しつつ、お金を稼げて一石二鳥じゃない?」
インは依頼書を指さして提案した。
「よく見ろ。警備クエストは期間が長い。調査はできるが、足止めを食らうことになる」
一か月も同じ場所の警備をしていては、ジーナフォリオがまた移動してしまう可能性は大いにある。
インは肩を落とした。
「でも路銀は大丈夫なんですか? 俺たち、ここ2ヵ月ろくに働いてないですけど」
「あと一か月は貯金で何とかなる。いらない道具も処分した」
エルリクは軽くなった荷物を背負い直す。
ジーナフォリオを感知するための謎の自作装置やら、どこからか買い集めていたオカルトグッズを根こそぎ売ったらしい。
インからすればあんなガラクタに値がつくとは到底思えなかったが、なにやらマニアが高額で買ってくれたらしい。
「奇特な人もいるもんですね」
まるで理解できないとティナは肩をすくめた。
「視えるようになったお陰で不要になったが、今も見えないままなら有用な道具だぞ? ジーナフォリオにもちゃんと反応した」
「けど、あれってただ寒くなると音が鳴る温度計じゃ……」
「異常な気温低下速度を感知する装置だ」
「ひゃい……」
相当こだわって作っていたのだろう、エルリクにぎろりと睨まれてインは縮こまった。
「とりあえず、魔物が消えたポイントまで行ってみましょうか。痕跡が残ってるかもしれませんし」
のらりくらりとマイペースにティナが割って入り、三人は北フーウィル山脈の麓へ向かうのだった。
「はぁ、はぁ……こんなんほぼ山登りですよ……!」
一番体力のないティナが岩肌に腰を下ろした。
麓とはいえそこそこの傾斜があり休み休みでもかなり体力を消耗する。
「私も休みたーい」
「はぁ……人間が最弱の人種だと思っていたが、こう見ると案外捨てたものじゃないな」
エルリクは持久力のない二人のために、足を止めることにした。
「うう……さっむ……」
震えるティナ。
「このあたり標高が高いからだな。夏だからと軽装備で来たが、もう少し厚着を用意するべきだったかもしれない」
エルリクは持ってきた道具を下ろして、簡単に火を起こす。
そして水を温めて飲むべく、遠火にかけた。
「インは平気そうですね」
「うん? 故郷の方がずっと寒いからね。これくらいなら半袖半ズボン余裕だよ!」
「野生児じゃん!?」
「野生児じゃないし……! 獣人だからってそんな野山駆け回らないし!」
精神年齢が同じくらいな二人がじゃれ合うのを見ながら、エルリクは昼食用に持ってきたパンも焼き目をつけることにした。
パンの焼ける良い匂いが漂ってきて、二人は言い合うのをやめる。
「お腹空いてきましたね……」
「食べていいぞ。既に焼き締めてある保存パンだ。全人種共通して食べられると書いてあった」
「さっすがエルリク!」
各々自由にパンを取り頬張った。
ドライフルーツが練り込んである芳醇な味わいに、思わず笑顔になるティナとイン。
エルリクは特段表情を変えていないが、大口であっという間に完食したところを見るとかなり気に入っているようだ。
お腹が満たされて落ち着いたインは、お湯を冷ましながら山を見上げた。
「……この川どこまで続いているんだろう?」
ずっと川に沿って歩いてきた。
下流へどんどんと流れていき、果ては海にたどり着く大河だ。
「この山のどこか……川は山の湧き水や泉が流れ集まって形成される。そこが行き止まりだ」
「なんやかんやでちゃんと追い詰めてる感ありますね」
山には鏡なんてものは当然ない。
行き止まりに追いこんでしまえばそれ以上、逃げることはできないはずだ。
「私たちから逃げてるわけではなさそうだけどね」
相手が逃げられない状況を作れたとて、勝てなければ意味がない。
今日まで情報を集め、最善の準備をしてきたが、前回のまけっぷりを思い出すと、インには正直自信がなかった。
「まあそうですねー。不死者にとっては俺たちなんて、おやつみたいなもんだし。それかその辺歩いてるちっちゃい虫」
ティナも同じく勝算は薄いと感じているようだ。
「うう……あっっち!!」
格の違いの例えにインは落ち込み、白湯を思い切り一口飲んでしまい、猫舌に苦しんだ。
「いや、今回で必ず仕留める」
そんな諦観の空気を打ち破って、エルリクは言った。
「場所もほぼ特定できている、人の居住区から離れていて周りを巻き込みにくい場所、未熟だが強いイン、怪異に特攻のある魔術を使えるティナ、これ以上の条件が揃うことはもう二度とない」
「エルリク……」
好条件の一つに自分が入っていることが嬉しくインは思わずにやけてしまった。
普段は手厳しい言葉ばかりもらうが内心では信頼されていたのかと思うと面映ゆく、エルリクから視線を反らした。
「その意気やヨシ。けど深追いは厳禁ですよ。今回は死ぬつもりではないんでしょう」
「ああ」
エルリクは温かいお湯を胃に流し込んで力強く頷いた。
食事を終え片づけを済まし、再出発という時だった。
身体の中心から冷えるような、異様な寒気が三人を襲った。
「……!!」
はじけるように顔を上げるインの鼻が、枯れた花と錆の匂いを感じ取った。
ぞわぞわと粟立つ皮膚。
「ついに来たな」
荷物を下ろしながらエルリクは前方を見据えた。
「さーて、いよいよ大詰めですね!」
ティナは無理やり笑顔を浮かべて自分を鼓舞しながら、ロッドを取り出した。
インも剣を抜いて匂いの漂う先を見つめる。
「なるほど、丸見えになると余計に悍ましい姿だな。不死者のくせに死者の塊みたいじゃないか」
以前に姿を現した時は姿こそ現していたが、幽鬼とでも呼ぶべき曖昧な出立ちだった。
それが今は鮮明に、一つ一つの人間の躯の顔かたちまで見えている。
そのあまりの醜悪さにエルリクの額から汗が流れ落ちた。
おぉおおおおおおおおぉぉ……!!
ジーナフォリオもまた殺すべき標的を見つけ、血を凍らせるようなけたたましく恐ろしい叫び声をあげる。それは攻撃に転じる合図だとインとエルリクは知っていた。
同時にインにもおぼろげにその悍ましい姿が見えるようになる。
本能的な恐怖はある――しかし、それで怯むような心持ちの冒険者はここには一人もいない。
「ティナ!」
エルリクの掛け声に、ティナはロッドを掲げる。
「アルマ!」
ロッドから青い光が迸り、インとエルリクの武器が光を纏う。
魔法ではない、魔術の呪文――ジーナフォリオ対策に習得した、魂そのものに対する干渉を可能にする魔術。
これで一定の時間、魔物と戦うようにジーナフォリオに対して物理的な攻撃が通る。
「あとは頼みましたよ!」
「任せろ」
インとエルリクは2手に別れてジーナフォリオへと駆けだした。
肋骨でできた牙をガチガチと鳴らし、前方に飛び込んできたインに噛みつく。
「動きがとろいんだよ!」
インは地面を蹴って飛び上がると、噛みつき攻撃を見事にかわし、ジーナフォリオの鼻先に跳び乗る。
間髪入れずに、ジーナフォリオは前足でインを叩き落とそうとする。
その動きを見切ってインは追撃の反対側へ跳び下がりつつ、切りつけた。




