赤ばむ
「ティナは何か見つけた?」
インは絶望的な気分で、もう一人の解読者に訊ねた。
ティナは緩慢な動作で、積み上げられた本の山の中から一冊の本を引き抜いた。
どうやらティナも芳しくない様子――
「じゃーん! 第一魔導書、はっけん!」
と思わせたのはフリだったようで、ティナはしたり顔でその本を紹介した。
「えっ、それってすごい本なの?」
「もちろん! 価値が分かる人に売り飛ばしたら、一生遊んで暮らせそうな希少本。ほら、一見しただけでも、他の本と違うでしょう? ここなんか魔石を砕いて散りばめた装飾が――」
「中身は?」
エルリクがすかさずツッコミをいれた。
「見て驚くなかれ!」
ティナは二人に目配せして、大げさな仕草で本のページをペラペラとめくった。
「お、おぉ……? って、白紙じゃねーか!」
「いでっ」
思わずインはティナの脳天にチョップを入れた。
エルリクも希少本を覗き込む。
「写本でも作るつもりだったんだろうか? 途中で頓挫して、表紙だけでも飾ろうと白紙のページを入れたのか……? まあ、すごい値がつくのは確かだが、今回の主旨とはズレるな。真面目にやれ」
「ひゃい……」
二人に睨まれて、ティナはしゅんとしながら本を閉じた。
「まったく、それどころじゃないのに。私は書架に戻るからティナはちゃんと内容読んで――ん?」
ティナに小言を言うインだったが、ふと違和感を覚えて上を見上げた。
「……」
「どうした、イン?」
「……なんか変なにおいがする。焦げ臭いような」
エルリクとティナは顔を見合わせる。
二人には全く分からないが、嗅覚のすぐれているインであればいち早く異臭に気付いてもおかしくはない。
「どこから臭ってくるか分かるか?」
ここは書庫であり、隣にも呆れるほどの紙がある。こんなところで火事に見舞われたらひとたまりもない。
「待って……すんすん……」
インは空気の匂いを嗅ぎ集中する。
そして書庫の扉を開け廊下に出た。
廊下は真っ暗で、火の手は見えない。
「……階段の方……」
どくんどくんと鼓動が早くなり、インは緊張に身体をこわばらせた。
「ってことは上からですか!?」
「まずいな。上階が焼けたら地下からの脱出は難しくなる。取りあえず状況を確認しに行こう。ティナ、階段の位置を教えてくれ」
「はい。さっき俺たちが使った中央階段。それから、東階段と西階段が廊下の両端にあります」
ティナはいつになく真剣な表情で答えた。
「分かった。イン、一番炎が遠そうな方角はどっちだ?」
「あっち」
インは西を指さした。
「行こう」
本来であれば本を元に戻し、何事もなかったように工作をしてから退出する予定だったが、そうもいっていられない状況に、三人は持ってきた荷物を持って書庫を飛び出した。
廊下は涼しく、どこかで火が燃えているとは到底思えないが、エルリクはインの嗅覚を信用していた。
忍び込んだ時の慎重さもかなぐり捨て全速力で廊下を駆け、突き当りにたどり着いた。
「……!!」
階段のすぐ下まで来て、エルリクとティナの鼻にもその臭いが届いた。
木や布の繊維が焼ける臭い――そして、
「っ!!」
血相を変えたティナが階段を駆け上がる。
「待ってティナ!」
インとエルリクはその背中を慌てて追いかけた。
長い地下と地上を結ぶ階段を上っていく、その途中から明らかに温度が上がり出した。
運動で体温が上がったなどでは説明が付かないほどの熱さに、汗が浮かぶ。
「はぁ、はぁ……どうなってるんだこれ……」
階段を上り切ったティナは体力の限界と、煙と火に覆われた景色に立ち尽くした。
「ここにいると危ない、外に避難するぞ」
エルリクはティナの手を引いて出口を目指して歩き出した。
インは口を押え煙を吸わないようにしながら二人の先を歩く。
幸い西側は燃えるものが少ないのか火の回りが遅く、視界が不明瞭になるほどの煙も出ていない。
「げほっ、……出口は一個なんだよね……?」
「はい……!」
「ティナ、火の勢いを弱めたい。なにか魔法でできないか?」
「一瞬なら! クレアーレ!」
ティナは前方に手を翳し、魔法を放った。
天井の一部が剥がれ落ち、燃え盛る炎の上に蓋をした。
「今です!」
「うん!」
できた即席の足場を使って入り口まで全力疾走した。
身体が多少辛くても冒険者装備を着込んできたおかげで、炎をある程度防ぐことができた。
もしも軽装できていたら、とエルリクは内心冷や汗をかいた。
「外――だッ!」
熱で歪んだ扉をインは体当たりで内側からぶち破り、転がるように外に出る。
エルリクとティナも倒れ込むように、塔を脱出した。
そして顔を上げた三人は絶句した。
燃え盛る3つの塔と、そこかしこに血を流して倒れ伏した妖人たちの姿が目に飛び込んできたからだ。
「父さん……!!」
ティナはその内の一人に駆け寄って抱き起す。
「っう」
その頭部は半分が赤く染まっている――恐ろしい力で殴打されたかのように頭蓋が砕かれひしゃげている。
一目見て絶命していることを悟ったティナは衝撃で喉を詰まらせた。
吐き気と涙が同時に湧き上がり、亡骸を抱えたままえずくことしかできなかった。
混乱と悲しみと怒りで何も考えられなくなる。
「ティナ……」
そんな彼の様子を見て、エルリクもまた自分が冷静さを失っていくのを感じた。
家族を失い錯乱するティナが、どうしても過去の自分と重なってしまう。
トラウマの光景が目の前を覆い尽くしそうになる。嫌な汗が噴き出してくる。
「はーっ、はー……」
意識して深呼吸をする。
意識を現実に戻す。状況を把握しなくては。
建物に火をつけ、出てきた村人たちを殺した何かがいるはずだ。
周囲には村人が抵抗したのだろう、戦闘の跡がある。
インは辺りを警戒しているようだが、周囲は火と煙と血の匂いで充満している。
いつも通りの感知能力は発揮できないだろう。
耳が右に左に動いているところを見ると、敵の存在を捕捉できていないようだ。
「イン、一旦引こう。僕もティナもまともに戦える状態じゃない」
「でも……っ、もしかしたら生存者が……」
「悲鳴は聞こえるか?」
「それは……」
インは口ごもった。彼女が一番よく分かっているようだ。
ティナが居住区だと紹介していた塔はほぼ全焼している。
魔法で火力を増強しているのは明らかだった。
「僕の復讐には二人とも必要だ。こんなところで失うわけにはいかない」
「わ……かった」
「ティナを頼む、僕は後ろを警戒しながらついていく」
「うん」
インは悔しそうに頷いて、泣きじゃくるティナの前に膝をついた。
彼は亡骸を抱きしめながら肩を震わせていた。
「ねぇ、ティナ。ここを離れるよ」
「できない……っ。みんなをここに置いていけない……!」
嗚咽の隙間からティナの拒否が聞こえてくる。
インはエルリクを見上げる。
この状態で他人の言い分を受け入れるほどの余裕などないと身をもって知っているエルリクは首を横に振った。
「ごめんね、ティナ」
「あっ……!」
インはティナを強引に抱き起す。
その拍子にほとんど力が入っていなかったティナの腕から亡骸が滑り落ちた。
「いやだっ……! 父さん!」
藻掻くティナの気持ちを考えると胸が張り裂けそうになるが、インは心を鬼にして彼を拘束するように抱え、燃え落ちるメナイスを背に走り出した。