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狩りは正しい知識から

 日が暮れた。深夜にはまだ早いが、村の外周を回って魔物を探すことにする。

 村の中心から離れた牧場地帯には街灯がなかったが、彼女は幸い夜目が効く。危なげなく障害物をよけ、周囲を見渡し、微かな物音に耳を澄ませる。

 スティンガーは言ってしまえば巨大な蜂だ。羽音がすればすぐに分かるだろう。

「まだ遠いけど……来てる」

 オークスの言う通り山の方角からこちらに向かってくる羽音を、大きな獣耳が拾った。

 このまま直進ルートを進めば、牧場の家畜小屋が襲撃されるはずだ。

「なんだ、楽勝じゃん」

 思わず口角が上がってしまう。

「たった三匹だけど……ま、いっか。村の外でやろ」

 家畜小屋が戦闘に巻き込まれては、かえって被害が大きくなる。

 彼女はそっと村を出て、山の方角に駆けていく。

 羽音がどんどん近づいてくる。普通の人間だったら臆してしまうほどの不吉で耳障りな羽音に、インニェイェルドはまったくひるまずに進む。

 人間と比べて格段に丈夫な体を持つ獣人にとって、低級な魔物は脅威ではない。魔物をいたぶって遊ぶ残酷な子供もいるほどだ。

「いた」

 中空に浮かぶスティンガーを視認する。

 大きさは胴体部分が猫くらい、羽を広げて飛ぶ姿はそれ以上の威圧感がある。

 蜂の特徴である濃い橙色と黒の警戒色、腹部に一本の毒針。そして写真で見た通り、前腕は鎌状に湾曲していた。

 目視すると同時にスティンガーもこちらに気付いたのか、進むのをやめその場でホバリングする。そして――


 ギチギチギチッ!


 顎を打ち鳴らし威嚇音を発した。

「ノータイムで飛び掛かってこないだけ比較的温厚な魔物かもね。……でも、こっちも仕事だから、ごめんね」

 敵の戦闘態勢にインニェイェルドはにっと笑い、腰に下げた剣をすらりと抜いた。

 子供の時から大事に溜めてきた全財産と引き換えに得た剣だ。一般に普及している鋼製の剣で、冒険者用に少し刀身が短く作られており取り回しやすい。

「先手……必勝!」

 柔らかい土を蹴り飛び上がる。人間とは比べ物にならない脚力で、十メートルの距離を軽々と跳躍し、後ろへ後退しようとした虫の胴体を切りつける。

 ざぐっ、と外骨格に刃が入る手ごたえを感じそのまま振り下ろす。

 地面に叩きつけられた巨大蜂は藻掻き羽をバタつかせているが、腹部の三分の二を切り落とされている状態ではまもなく絶命するだろう。

「むふふ、祝、初討伐ぅ!」

 以前に虫系の魔物を倒した経験が生きている。毒針を使わせる間もなく討伐できた自分の手際の良さに、彼女は思わずにやついた。

「げほっ、くっさ……」

 喜んだのも束の間、スティンガーの体液の臭いなのかむわっと刺激臭が立ち上り咳き込んでしまった。

 あと二体。それぞれ別方向に向かって飛んでいたのを聞き分けていたインニェイェルドはどちらから倒そうかと考える。

 しかし、その結論が出る前に状況が変わった。

「進路を変えた?」

 ばらばらに飛んでいたスティンガーが二体ともこちらに向かってきているのだ。

「探す手間が省けたなー」

 剣を構え、感覚を研ぎ澄ます。

 左右から迫る羽音、右が僅かに早い。

 インニェイェルドは右に踏み込み、今度は下から切り上げる。


 ギィッ!


 すでに臨戦態勢で鎌を振り上げていたスティンガーの胸から上を両断する。

 短く鋭い鳴き声を出して、真っ二つになったスティンガーを顧みることなく、その場で身を翻し、振り向きざまに剣を横に薙いだ。

 すぐ後ろまで迫っていた三匹目のスティンガーの横面に切っ先が入り、顎を砕きながら地面に撃ち落とした。

「はぁっ……、ちょい早かった」

 タイミングのズレに舌打ちし、バタバタと暴れるスティンガーの胸部に剣を突き立てた。

 ピクピクと痙攣し、すぐに動かなくなったスティンガーから剣を抜く。

 これで初クエストはクリアだ。

 ギルドの受付にソロで大丈夫かと心配されたがまったく問題なかった。普通クエストは2人以上で挑戦するものだと忠告され、同行者を紹介するか尋ねられたのだ。

 報酬の少なさを考えれば、あの時助言のままにベテラン冒険者を誘っていたら、子供の小遣い程度にしか手元に残らなかっただろう。

「前払いと合わせて大銅貨6枚か……」

 新しい装備を買うには足りないが、数日の宿と消耗品を補充するには事足りる。

 幸い無傷で討伐できたため、少し休んだら次のクエストを受ければいい。

「なんだ、意外とやってけそう」

 冒険者なんて他に職がなかった人間がやる割に合わない危険な職業だと、叔母には散々脅されていたが自分には合っているかもしれない。

 インニェイェルドは倒したスティンガーの鎌を切り取り討伐の証拠として皮袋に詰める。

 毒腺も持っていければ何かに使ったり売ることもできそうだが、知識も専用の道具もない状態で下手に触らない方が良いと判断した。

「よし、後は村に戻って……」


 ブーーーーーーン……


「……ん?」


 皮袋を背負った瞬間、耳に異音が届いた。

 スティンガーの羽音だ。複数匹いる。

「これは、ボーナスタイムかな」

 一匹につき大銅貨一枚。一匹ごとの報酬は少なくとも、たくさん倒せば倒しただけ懐に入ると思えば、やる気が出てくる。

 剣を再び鞘から抜いて、新たな銅貨の飛来を待ち受けた。



「はぁっ、はぁ……無限湧き?」

 インニェイェルドは半分キレていた。

 切っても切っても、次のスティンガーが飛んでくる。

 気づけば常に三、四匹のスティンガーに囲まれている。

 正直、報酬はもういいから撤退したいほど疲弊していた。だが、ここで引いたら殺人蜂を引きつれて村に戻ることになる。

「くっ、あっち行け!」

 剣を振るい威嚇するも、相手には怯えるという感情がないのか逃げていくことはなかった。いつのまにか、腕は鎌による切り傷が無数についている。

「このっ……ぎゃっ!?」

 切りかかろうとした瞬間、足元に転がっているスティンガーの死骸を踏んだ。

 まずい、と思ったが足がもつれて地面に転倒した。

「いっ……」

 反射的に閉じた目を開くと、自分に向けられた毒針が目前に迫っている。

 終わった。避けられない。

 咄嗟に顔を庇った腕に鋭い痛みが走った。

「グゥうッ!」

 ぞわ、と鳥肌が立って、インニェイェルドは唸りながら腕に纏わりつく敵を振り払う。

 刺された箇所が火が付いたように痛み出す。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 立ち上がって逃げるべき状況だが、彼女は地面に這いつくばったまま、自分を囲む虫の群れを見渡していた。

 明らかに増えている。数を数える余裕はもうない。

 羽音がやかましく反響し彼女の冷静さを奪っていく。

「はぁ、はぁ……うっ!?」

 ジンジンと右手が痺れ、握っていた剣を取り落とした。

 麻痺毒だ。利き手で庇ってしまったことを後悔した。

 麻痺はどれくらいで回復する?

 まだ腕が痺れているだけだが、足に毒が回ったらどうなる?

 なにも分からない。

「……え、死ぬとかある?」

 まるで他人事のような言葉が口をついて出た。

「稀にある」

「マジか……。って、誰!?」

 ふいに近くから、男の声がした。

 あまりに自然な調子だったため普通に返事してしまったが、我に戻って声の方向に視線を向ける。

 低木の影に見知らぬ男が膝をついてしゃがみ、こちらを見ていた。

 黒い闇に沈み込むような黒い髪と瞳。

 暗褐色の外套に、軽装ながら頑丈そうなブーツ。

 背には巨大な荷物を背負っている。

 腰に差した長物の武器を見るに冒険者のようだが、一般的な戦士職というより斥候職に近い装いに見えた。

「スティンガーは自分より大きな動くものを敵とみなして攻撃する。やつらが去るまで動かなければそれ以上は攻撃されない」

 インニェイェルドの問いを無視して男は言った。

「は……?」

「それを知らずに頑張って応戦し続けるガッツのあるやつは稀に死ぬ」

 どんよりと暗い瞳でスティンガーの群れを見つめながら、つらつらと補足説明をする。

 生気のこもっていない声色に、ぞっとしてインニェイェルドは息を呑んだ。

「い、いつからそこにいたの?」

「十分前くらい。山中のスティンガーを全部狩るつもりなのかと思って、ここに隠れてた」

「そんなわけあるか……!」

「死にかけを放置してただろ。スティンガーは死にそうになると仲間に脅威を知らせる警戒フェロモンを出すんだ。それで次々誘引されてる」

 淡々と解説を続ける男。その間にもどんどん周囲にスティンガーが増えて続ける。

「あっ、あの臭い……!」

「基本的な知識だ。冒険者ならそれくらい調べておけ」

「うっ……」

 以前倒したことのある蜂の魔物にはそんな特性はなかった。同じようなものだと見た目で判断したのが間違いだった。

 このまま動かなければ攻撃されないらしいものの、こんな危機的状況が続くのは精神的につらい。今すぐこの包囲を抜け出したい。

「あのぉ……助けてくれない? 刺されて身動きが取れないんだ」

 恥を捨ててインニェイェルドは見知らぬ男に救援を頼んだ。

 村であった人間とは違い尊大な態度が気になるが、今頼りにできるのはこいつしかいない。

「いいぞ」

 思ったよりあっさりと男は承諾した。

「いいの?」

「フェロモンで誘引されてきたスティンガーは敵が見えなくなってもしばらく当たりを警戒するからな。僕も朝までここで待機するの嫌だし」

 すっ、と男がその場で立ち上がった。


 ブゥン……!


 スティンガーは見失っていた敵を見つけたとばかりに、男に向かって一斉に飛んでいく。

 男は慌てることなく、背負っていた巨大な鞄に手を突っ込み、なにか丸いものを取り出した。

「えい」

 どこか間抜けな掛け声とともに、それを放り投げる。

 弾がスティンガーの一匹に当たり、パキ、と割れた瞬間。

「み゛ゃっ!?」

 痛いほどの光が目に飛び込み、インニェイェルドは悲鳴を上げた。

 何も見えない。目が痛い。

「なっ、な、何したの!?」

「スティンガーは光に弱いから、強い光を使って一次的に仮死状態にできる。そこを仕留めればフェロモンは出ない」

 律儀に説明をする男の声に混ざって、足音と魔物を切り裂く音が聞こえる。

 視界は真っ白だが、おそらく解説の通りの光景が繰り広げられているのだろう。

 インニェイェルドの目にうすぼんやりと輪郭が戻ってきたのは、全てのスティンガーが駆除された後だった。


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