侵入者たち
ティナは牙を剥きだしにしている番犬の顔を横から怖々観察する。
数秒もしないうちにエルリクに飛び掛かりそうだ。
「……やるしかないかぁ」
ティナは小さく呟いて覚悟を決める。
番犬がエルリクに気を取られているうちに呼吸も整えられた。
「おーいっ、ワンころ、こっちにも侵入者がいるぞぉ~!」
ぴょんぴょんとその場で跳んで、番犬の気を引く。
巨大な犬は耳をピンと立てて、こちらにも警戒を払っている。
唸り声を上げるのを辞める。
どうやら、どちらを優先的に排除するべきか思考しているようだ。
このまま番犬の感じる脅威度を拮抗させれば、攻撃を食らわずに済むのでは?
ティナはそんな浅知恵を働かせるが、次の瞬間番犬は体の向きを変えティナに突っ込んできた。
「やっぱそうなるよねぇ!」
怪我で上手く動けないエルリクの代わりにここの囮は自分がやる、と覚悟していたがすごい勢いで攻撃に転じる番犬に恐怖心を抱かないのは無理だ。
ティナはエルリクとインから番犬を遠ざけようと、番犬の警戒範囲の境を目指して走る。
――グルルルッ!
「ひぃっ、唸ってるぅ!!」
情けない悲鳴を上げるティナに番犬の牙が迫る。
「ティナ、屈め!」
「うわっ!?」
エルリクの声が届いた、その次の瞬間、ティナは前に飛び込むような形でかわす。
番犬の牙がティナの肩を掠めて、ティナは地面に転がった。
「大丈夫か!?」
ティナを案ずるエルリクの声。
同時に周囲に石が転がる。
ティナへの追撃を防ごうと、エルリクが番犬に向けて投げたものだと分かった。
「いっ……痛ぁ……」
ティナは苦痛に顔を歪めながら起き上がる。
肩から出血はない。
だが、まるで接続が切れてしまったかのように、噛まれたほうの腕が動かなくなっていた。
「あっ、やば……」
「っ、こっちにこい!」
異常事態を察したエルリクが番犬を呼ぶ。
番犬は転がっているティナを捨て置き、標的をエルリクへと変えた。
あくまで侵入者の抹殺ではなく排除が目的のようだ。
負傷したティナより、塔に近いエルリクが優先されてている。
「エルリク、気を付けて! こいつの攻撃、魂を傷つけるタイプのやつです!」
「魂を?」
「やられると、一時的に動けなくなります!」
身体の自由を奪う攻撃。
侵入者を生け捕りにするにはもってこいの能力だ。
「なるほど、即死はしないわけだな。それならまだ粘れるな」
エルリクは不敵な笑みを浮かべた。
身を隠しながらひたすら走って、塔の真下にたどり着いたインは、さっと後ろを振り向いて状況を確認する。
番犬が守っているという領域に入った瞬間、インの視界に変化が起きた。
ティナとエルリクが相手をしている番犬の姿が見えたのだ。
淡く輝いているところはいかにも神霊の類だが、その姿はどうにも先祖返りした獣人によく似ている。
司祭という人がどのような魔法で召喚したのか分からないが、もしかしたら獣人の祖霊かもしれない。
そんな想像をしてしまう。
インは頭を振って無駄な思考を振り払うと、草むらから飛び出す。
今、二人が作ってくれている隙に、急いで自分の仕事をやり遂げなくては。
幸い番犬は侵入者を追いかけて扉から離れている。
「あった、魔法陣っぽいやつ!」
扉前にたどり着いたインは扉に彫りこまれた紋様を見つけ、二人に知らせた。
刻まれているのは共用語でも故郷のものでもない見慣れぬ文字だ。
番犬と同じく淡く輝いている。
「予想通りだ。破壊しろ……!」
「うん!」
インは剣を抜いて、扉に突き付けた。
――オォオオオォーン!
番犬が空を仰ぎ見て吠えた。
「お、怒ってる……?」
明らかにこれまでの威嚇鳴きと違う声に、ティナは冷や汗を流す。
番犬はティナに興味をなくしたように、新たな侵入者の方へ一直線に向かう。
「イン……!」
「大丈夫ッ!」
インは文字の彫られた表面を削ぎ落すように、刃を倒して力を籠める。
「ごめんなさい、通してください……!」
先祖かもしれない番犬に対し、インは敬意を持ちながらも魔法陣の一部を切り落とした。
爪がインの首を掻き斬ろうとするその瞬間に、魔法陣から光が消え、それに呼応するように番犬も夜風に霧散して消えた。
「――はぁ……上手くいった?」
インは振り向きざまに巨大な獣の影がなくなったことを確認して呟いた。
「ああ、完璧だ」
いつの間にか近くに来ていたエルリクが頷く。
怪我をしている身で、そんなに早く走ることができない状態であることを考えると、番犬が消える前から、こちらに向かってくれたのだろう。
インにはそれが妙に嬉く感じた。
「魔法陣消しちゃったけど、大丈夫かな? 術者の司祭さんにバレない?」
「へーきへーき。常時感知するとか、あのポンコツ司祭には出来ないと思いますよ! 仮に出来たとしても魔力コストの都合で、数時間に一回とかじゃ無いかなぁ」
またしても司祭のことを好き勝手に言うティナ。
一体どんな人なのだろう。逆に興味をそそられる。
「いずれにしてもあの番犬をどかさない事には入れなかったわけだ。バレる前に目当ての本を探そう」
エルリクは扉に手をかけるも、がちっ、とロックのかかっている音がして、開かなかった。
「えっ、鍵もかかってるの!?」
番犬さえクリアすればすんなり侵入できると思っていたインは小さく悲鳴を上げた。
「番犬と鍵で二重のロックになっていたわけか。……まあ、重要施設のセキュリティとしては妥当だな」
「落ち着いてる場合じゃないでしょ! どうするか考えなきゃ……」
そうは言ったものの、インには上手い考えが浮かばなかった。
鍵を盗む? それか鍵も物理的に壊す?
どちらもバレる確率が格段に跳ね上がりそうだ。
エルリクも考えをめぐらせているのか、顎に手を当て虚空を見つめていた。
「俺に任せてください」
そんな中でティナが、にまにまと笑った。
二人が見守る中、しゃがんで片手に土を一握りする。
「そしてこの土に力を込めて……クレアーレ」
呪文がかかった土が、ティナの手の中で動き出した。
うにうにと、蠢き集まり固まって、土くれでできた一本の鍵になった。
「えっ、か、鍵っ!」
「これをかしゃっと!」
ティナはなんの迷いもなく土から精製した鍵を鍵穴に差し込んだ。
――かちゃり、と軽い音がして鍵が回った。
「魔法って便利~、泥棒し放題じゃん?」
インは感心して思わず俗っぽい感想を漏らした。
「いやいや、今の魔法はただ土の形と密度を操れるってだけの魔法ですよ? 作るもののイメージがしっかりできないとこんなにうまくいかないんですから!」
ティナは捕捉しつつ得意気に言った。
「鍵なんて複雑な形のものを良く再現で来たな」
「いつか侵入してイタズラしてやろうと、鍵の形メチャクチャ覚えたんで」
第一印象からは想像できなかったが、ティナはかなりの悪ガキのようだ。子供を自称するのも納得だとインは内心呆れるのだった。
そんな風に思われているとは知らないティナは、自信満々に神殿の扉を開いた。
古い扉にありがちな大仰な音を立てて、こちらの肝を冷やしてくると思いきや、意外とすっと静かに開く。
中の空気は冷たい石の匂いがした。
神殿と言うからには古めかしい内装なのだろうと想像していたが、意外と最近の絨毯が敷かれている。
中央には1000人は入れそうな礼拝堂があった。
礼拝堂は吹き抜けになっており、天井はずっと高く、暗い夜では闇に霞んでいる。
「すごいな……今の技術でこの塔を建てるのは無理なんじゃないか?」
「ですね~、昔の人は僕らよりずっと頭が良かったんだと思います。あ、書庫はこっちです」
礼拝堂を突っ切って奥の扉に入る。
窓がない部屋だ。
エルリクとティナはランプをつけて部屋の中に進んだ。
本棚と机が並んでいる。古い紙の匂いが充満していた。
「ここが書庫か?」
「いいえ、ここは事務室です。その辺に置いてある書類とかは触んないで下さいね。村人の家系図とか罪状とかなんかいろんな個人情報が一万年分蓄積したやつですから、どっかに混ざったら俺も元に戻せません」
「これ全部記録なんだ。す、すごい量だね……」
「古いのは捨てちゃえばいいのにって俺も思ってます。この文書に保護魔法かけるのも司祭の仕事なんで、無駄なことしてるよなぁ、本当に」
ぶつぶつとここにいない村の最高権力者に文句を言うティナ。
「ティナは司祭さんになにか恨みでもあるの?」
「んー、別に~?」
どうやら話す気はなさそうだ。
エルリクもインもあまり他人の事情に突っ込んでいくタイプではない。
それに今は悠長に雑談をしている場合ではない。
できるだけ迅速に目当ての情報を見つけなくてはならないのだ。
事務室からさらに奥へ廊下が続き、下り階段があった。
「こっちです」
「地下室?」
「ワクワクしますよね。俺が小さい頃はこの地下室に入れるかって度胸試しが流行ってたんですよ。まあ、大体は途中で大人に見つかります! それで俺はアホほど叱られました」
階段を下りていくと真っ暗な地下階が広がっていた。