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番犬

日が落ちて数刻後。

身体がなまらないように、家の中で素振りをしていたインにティナが声を掛けた。

「そろそろ行きましょうか。エルリクを起こしてください」

「もう? まだ真夜中って時間じゃないけど……」

「大人たちは寝るのが早いんです」

「早寝早起きなんだ」

「いや、10時間くらいは寝てますね。時間持て余してるんで」

「な、なるほど……」 

 

寿命の長い人種らしい特徴に、インは納得する。

それによって動ける時間が伸びるのなら好都合だ。

「早くしないと俺も眠くなります」

「起こしてくる!」

案内人が眠ってしまったらいざというときに非常に困る。

インは早足で部屋の隅に行くと、寝息も立てず死んだように眠っているエルリクの肩を揺さぶった。

「エルリク、出発するって! 起きて」

「ん……ああ」

 目を擦り上半身をゆっくりと起こすエルリク。

「傷は大丈夫そう?」

「問題ない」

エルリクがベッドの脇に置いてある水差しから水を一杯飲むのを見届けて、インはティナの元へ引き返した。


「俺も明かりの準備しよ。ランタン3つあったかな」

「私はいらないよ。夜目効くから。……ていうか明かりつけたらバレない?」

「バレる確率は上がるけど、ないと文字読めないですし。お、丁度二つ発見」

ティナは戸棚の奥からランタンを引っ張り出す。

軽く振って燃料が減っていることを確認したティナが油を取りに行く。

「ていうかそもそもなんだけど、ここの大人ってどんな人たちなの? 私たちの様子見にきたりもしないし……」

大都市のような人が溢れているところで、旅人がほとんど注目されないというのなら良く分かる。

しかしこのような小規模な村で、それもどこか排他的な空気が漂う場所で、何も接触してこないというのは不気味だ。


「大人は外部と関わるのが苦手なんですよ。自分のペースが乱されるのが嫌いっていうか。たまーに国のお役人が来ることがありますが、基本司祭が一人で対応してます。妖人の気質的なとこですけど」

「気質かぁ……」

とくとくと燃料タンクに油が注がれていく。

「子供の時はみんな感情豊かなんですけど、大人になるにつれてこう、核と一緒に頭も固くなるって言うか……穏やかなんですけど、超ドライなんだよね」

「ティナを見てると信じられないな」

こんなに喜怒哀楽が激しいティナが、大人になってそんな風になるとは想像しがたい。


「待たせた」

数日振りに冒険者装備に着替えたエルリクが二人と合流した。

「こっちも丁度準備が終わったところです。では~秘密の書庫にしゅっぱーつ!」

テンション高くティナが拳を上げ、先陣を切って家の外へ出た。

ぎぃ、と木のドアが軋んで開く。


久しぶりの外気にインは目を細める。

ハーブの匂いがすっと消えて、感覚が研ぎ澄まされて行くような気がした。

月明かりがあり外はランタンなしでも歩けそうだ。

外に出てみると、牧歌的な森の中の集落をイメージしていたインは驚いた。

見上げるほど大きな塔が三つも建っていたからだ。

背の高い樹に囲まれた森の奥に、こんな場所があったなんて知らなかった。


「すごい……こんなに高い塔、王都でもあまり見ない」

「へー、そうなんですね。でかいなぁとは思ってましたけど」

ティナは比較対象を知らないのか、特に自慢げにするでもなく頷いた。

「これ大昔に建てられたんですよ。一説によると不死者の一人が立てたんだとか。廃墟になっていたここに俺らの先祖が住み着いたそうです」

不死者のイメージがジーナフォリオのせいでかなり悪いが、建築ができる文明的な不死者もいるらしい。

「居住区はあっち、病院や学校の施設はあっち……俺たちが目指すの一番遠いアレ……聖堂です」

 

他二つの塔と比べると、細身だが一番高さのある建物だ。

どうやって造ったのか想像もつかないが、繊細な彫刻があしらわれ森の中にあるというのに白く綺麗に保たれている。

「すごいな……どうすればこんな建物が造れる?」

エルリクもインと同じ疑問を持ったようで、月の光に照らされた尖塔を見上げていた。

「もう造れないんじゃないですかね? この集落は魔王との戦争以前にあった建物をそのまま使ってるので。失われた技術の恩恵ですね。大人たちが当時の技術を再現しようといろいろ頑張ってますけど、あと何前年かかるのやら」

 

小声で会話しながら、聖堂へ足を進める三人。

外を出歩いている人物はおらず、集落は静まり返っている。土地的にも加護の薄いエリアのはずなのに、魔物や夜行性の動物の気配すらないのは失われた何らかの技術が機能しているのだろうか。

「見えてきましたよー……って二人とも、止まって下さい」

先を歩いていたティナが足を止め、手で行き先を制した。

「何かあった?」

「巨大な犬のようなものがいるな」

声をひそめてエルリクは聖堂の入り口を見据えた。

しかしいくら目を凝らしてもそんなものはおらず、インは首を傾げた。

 

ティナはそれに驚いて、エルリクの方を振り向く。

「えっ!? 見えますか!?」

「ああ」

「マジですか……! あー、死の境をさまよった人が稀に知覚の才能を得るっていうのは、迷信じゃなかったんですね」

「なになに、どういうこと!?」

置いて行かれたインは二人を交互に見た。当のエルリクは冷静に目の前にいる何かを警戒しているようだ。

「つまりあの犬も、怪異か?」

「生きてないものって意味ではそうですね。多分司祭が夜間の聖堂を守るために喚んだ番犬かな」

エルリクは番犬を見つめる。

座っている状態だが、足元の草が倒れていないところを見るに、肉体はないようだ。

それでも体高はエルリクの数倍もあり、口から覗く巨大な牙は恐ろし気だ。

エルリクは気を失い覚えていないが、奇しくも先祖返りしたインの姿と同じサイズ感である。

「それって、攻撃されたらヤバい感じ?」

「司祭がわざわざ置いてるなら、確実に侵入者をぶちのめしますね。エルリクたちが戦ったやつみたいに物理的な攻撃が可能かもしれないし、そうじゃなくても呪いみたいな攻撃手段は絶対にありますねー」

インは息を詰まらせる。怪我が治り切っていないエルリクはもちろん、インもまだ万全ではない。出来れば戦いたくない状況だ。

誰も起こさないように、静かに戦うのも難しいだろう。

「うーん、どうするかなー。まともな入り口はあそこくらいなんですよね。数十メートルよじ登って、窓割って入るのは……さすがに厳しい気もするし」

「もう少し近づけるか?」

腕を組み頭を悩ませるティナに、エルリクが訊ねた。

「どうでしょう? ちょっとずつ近づいて様子を見ますか。見えてないインは一番後ろで大人たちを警戒してて下さい」

「う、うん」

じりじりと聖堂と番犬に近づいていくエルリクとティナを、インははらはらしながら見守る。


「……攻撃してこないですね!」

「おそらく防衛範囲が設定されているな。無尽蔵に動き回れるようにしたら、いくらなんでも魔力が足りないだろう」

エルリクは注意深く番犬とその周りを観察する。

番犬はじっとしている。

休んでいるのでも眠っているのでもなく、絵のように静止している。

「……不思議な光景だな。あちこち5年も旅してきたが、まだまだ見たことがない存在がいるものだ」

エルリクは足元の石を拾い、番犬の前に投擲する。

ぽす、と草の上に落ちた石に、番犬が反応した。

座っていた体勢から立ち上がり、小石の匂いを嗅ぎ始めた。

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