懺悔
「エルリク……!」
身体のいたるところにまきつけられた包帯には血が滲んでおり、顔色はひどく青白い。
「あらあら、起きちゃったんですか? もうちょい寝てた方がいいですよ」
ティナは慌てて席を立ち、今にも崩れ落ちそうなエルリクの元へ走った。
インも立ち上がり、ふらふらと上体が揺れているエルリクを支える。
無理やりここまで歩いてきたのだろう、新しい血の匂いがした。
「頼む。答えてくれないか」
聞いたことがないエルリクの切実な声色に、インはどきりとする。
「んー、そうですね。不死者はその名の通りどんなに傷付けても死にません。それぞれ、不死の方法を持ってるそうです。なんで、どんなに追い詰めても殺害は不可能ですね。精々追い払うのが関の山でしょう」
ティナは丁寧に答えながら、エルリクを元のベッドに運ぼうと歩き出す。
インは非力なティナの分もしっかりと支えて、エルリクをベッドに担ぎ込んだ。
エルリクもまたティナが用意したのだろう、軽装に着替えていた。
包帯の巻かれていない場所にも治療の跡が目立っている。
治りの早いインとは違い、傷口はまだ赤く痛々しい。
「うっ……」
ベッドに寝かされたときにどこかが痛んだのか、エルリクは小さく呻いた。
「ごめん、大丈夫?」
大丈夫には見えなかったが、インは心配でついそんな言葉をかけてしまう。
ティナはその場をぱっと離れると、コップに水をついで戻ってきた。
「折角起きたので、お水飲んでください。お粥もありますよ、あとトイレにも行ってもらえるとなお良いです!」
「…………」
「ふふ、おかゆ薄めてきますね~」
天井を見上げたまま返事をしないエルリクに対して、ティナは気を悪くしたでもなく、笑顔でベッドサイドのテーブルにコップを置くと、そのままカーテンの向こうへ消えていった。
テーブルにはコップのほかに包帯や薬の瓶が並んでいる。
エルリクは何か考えているのか、単純に体が辛いのか何もしゃべらない。
「あの子、ティナっていうんだって。私たちの治療をしてくれた人だよ」
それでもきっとエルリクは自分の置かれている状況を知りたいだろうと、さっきのが初対面であるはずのティナのことを説明した。
「ああ、知ってる」
ぼそり、と乾いた唇でエルリクが言った。
「えっ、知ってたの!?」
「ティナがお前の方へ移動したときの足音で起きた。追いかけようとしたが、なかなか身体を起こせなかった」
いつになく小さなかすれた声でしゃべるエルリクにインの心配が募る。
「そっか。結構前から起きてたんだ。無理しないで、もう少し休ませてもらおう」
カーテンの隙間から、ティナがひょこ、と顔を出した。
「イン、おかゆここに置いときますね」
けが人に負担がない程度の量のお粥が入った皿がサイドテーブルに置かれる。
「それから俺ちょっと大人に負傷者二人とも起きたって報告してきます。何か進展があったら報告するように言われるんだ」
「そうなの? 行ってらっしゃい」
ティナの顔が引っ込み、代わりに手をカーテンの隙間から振って、数秒後家のドアが開閉する音が聞こえてきた。
「ティナ、不思議な子だよね。でもとってもいい人だよ」
子と言うには年上過ぎるが、ティナが子供と自称しているので間違ってはいないだろう。
「……」
エルリクは静かに目を閉じて、息を長く吐き出した。
イン以上に怪我の酷い身体だ。薬のせいで眠くなっている可能性もある。
そっとして置こうとインがベッド脇の椅子から腰を上げたその時。
「イン、……悪かった」
エルリクが目を閉じたままで呟いた。
目を閉じていると、あの狂気的な瞳が見えないからか、年相応の普通の青年のようだった。
「悪かったって、何が……?」
謝られる理由がいろいろ思い当たって聞き返した。
横柄な態度のことか、怪異ときけば一目散なところか、デリカシーがないところか。
どれもインは受け入れたあとなので、謝られても今更だが。
「僕はジーナフォリオを探していた。でもそれは倒すためじゃない」
「……うん」
予想外の言葉に、インは息を飲んだ。
これまでエルリクに感じていた違和感の正体がもうそこまで出かかっている。
異常なまでのジーナフォリオへの執着。名声や金のためではないとは思っていた。
だけど、その真意について触れるのをインはずっと躊躇していた。
なぜならそれが、エルリクの暗い瞳の正体だと感じていたからだ。
押しつぶされそうな緊張の中、エルリクが口を開いた。
「僕はあいつに殺されたかったんだ」
予想はしていなかった。
しかしこれまでのエルリクの歪さがどこからくるのか、腑に落ちてしまった。
「僕の自殺に付き合わせた。何としても逃がすべきだったのに。僕は目の前のあいつに対して自分の持てる力全てで立ち向かうことしか考えられなくなってしまった。君を自分の力の一部と思い込むくらいには、冷静さを欠いていた」
ぼそぼそと、覇気のない声でつづられる懺悔。
憔悴しきり、生きる意味を全て失った末期患者のような声だ。
「エルリク……、私は気にしてないよ。あの戦いには私から割って入ったし」
インはもう一度椅子に腰を下ろした。
そして深呼吸をして、覚悟を決める。
この間出会ったばかりの人間の素性なんてどうでもいいと思っていた。
でも今は違う。
今は彼を仲間だと思っている。
「ねぇ、エルリク。これまで聞いてこなかったけどジーナフォリオのことを教えて。何があったの?」
「……」
外から物音は聞こえない。ティナもしばらく帰ってこなそうだ。
エルリクはまぶたをゆっくりと開いた。
天井のランプの光が、暗い瞳に小さな光を落としていた。
「僕は……僕の故郷はあいつに襲われて滅ぼされた。父も母も、屋敷で働く者たちも、領民たちも、家畜もみんな死んだ。十年前のことだ。僕が唯一の生き残りだ」
滔々とエルリクは語り始める。
やたら大きな態度といい、どこか品のある身のこなしといい、平民の出ではないと感じていたが領を監督するほどの貴族だったらしい。
そして語られた過去はハージュで見たのと同じ――いや、それ以上に凄惨なものだった。
なんと声を掛けるべきか分からずに黙るイン。
エルリクは続けた。
「僕はあれを一目見てすぐに魔物じゃない何かの仕業だと分かった。人や動物を食うでもなく、怒りを向けるでもなく、触れるものをすべて壊して回るだけの化け物だ。そして何もかも殺し尽くした後で夢のように消えてしまった」
それはジーナフォリオと戦ったインにも良く分かる。
あれは普通の魔物なんかじゃない。
「みんなお化けに殺されたんだと主張したが、事件のショックで混乱しているとまともに取り合われなかった。錯乱していたのは事実だったしな」
エルリクの口調は諦観に満ちていたが、その裏に悔しさの残滓を感じる。
拳を握るほどの力もないのか、エルリクの手は小さく震えるばかりだった。
「結局、故郷は魔物の群れに滅ぼされたということになり、僕は遠い親戚に引き取られた。僕はその家でずっと鍛錬に明け暮れていた。僕がもっと強ければみんなを守れたんじゃないかと、おこがましくもそんな風に思っていたんだ」
弱冠十歳の子供にとって、そこまで思い詰め自分を追い込むことがどれだけの負担になるだろうか。
「自分を責め続けた日々は辛かった。辛くて、すぐに限界が来た。僕はいつしかこう思うようになっていた。どんなに鍛錬を積み強くなったとて、あいつには到底敵わなかったと。だからあの時、だれも救えなかったのは至極当然のことで、僕のせいではないんだと」
悲痛な内心の吐露と言うにはあまりにも淡々とエルリクは言葉を繋げていく。
おそらくあまりにも苦しみすぎて感情が摩耗しているのだ。
それが逆に痛々しくもあった。
「それを証明するためには、僕はまたジーナフォリオに相対しなくてならない。そして自分の持てる限りの力で戦い、そして理不尽にあっけなく殺されなくちゃいけない。その日を夢見て、僕は冒険者になった。自分なりの対抗策を調べ、身に着け、鍛錬をして、あいつを探し続けた」
エルリクはうつろに自身の手のひらに視線を落とす。そこには鍛錬や捜索の旅の間についた古傷がびっしりと埋め込まれている。
「ずっと一人でやっていくと決めていたはずなのに――、自分が救われるためだけの戦いに、なぜ他人を巻き込んでしまったんだ……」
エルリクは顔を覆い後悔を口にした。
自分自身への怒りもそこにあった。




