生存者
「あれ……?」
「どうした?」
インは足を止めて周りの匂いを注意深く嗅いだ」
街の中心部を越え、民家がまばらになってきたところで、匂いが霧散してしまったのだ。
「怪異の匂いが薄まり過ぎて、これ以上は追えないかも」
必死で匂いの情報をかき集めるが、それを辿ろうとするとさっき来た道に引き返してしまう。
「ここまでか」
「ごめん」
「いや、充分だ。お陰で面白いことが分かったよ」
エルリクは声色を和らげて言った。
自分の頑張りが評価され、インはほっと胸を撫でおろす。
「面白いことって?」
「怪異の移動手段だ」
エルリクは来た道を振り返り、地面を指さした。
「移動手段は2つ。1つは足で歩く。これは戦闘中の移動だ」
「うん」
そんなことは言われなくても分かっている。
インは頷いて先を促した。
「そしてもう1つは、戦闘時以外。つまり通常の移動手段。ジーナフォリオは鏡像の中を移動する怪異だ」
「……鏡像?」
聞きなれない言葉に思わず聞き返す。
エルリクは次に窓を指さした。
「窓や鏡、水たまりなど……光の加減で姿が映ることがあるだろう。それを鏡像と言う。ジーナフォリオはその中を移動している。ここまでも窓から窓へ飛び移りながらやってきたんだろう」
「鏡の中を移動する!?」
言われてみると、ジグザグと縫うような足取りになっていた。
それも窓をポイントにして。
「そうだ。ふふ、実に怪異らしくなってきたじゃないか……!!」
エルリクの興奮した口調にもすっかり慣れてしまった。
普段の何事にも冷めたような態度は全ての興味関心が、ジーナフォリオに吸い取られていたのだとインは納得する。
「鏡や窓……磨かれた食器なども入るか。元の大きさが関係ないとするならかなり自由に動き回れるな。いや、そもそも大きさも可変という場合もあるか」
仲間に呆れられているとは知らずに、エルリクは楽し気に考察している。
鏡を介していたなら、あの時のことも合点がいく。あそこは鏡や窓だらけだったからな……」
ぶつぶつと呟いて自分の世界に入っているエルリクはいつになく幸せそうで、とりあえず放っておくことにした。
それよりもこの凄惨な光景をこれ以上目に入れたくないインは、町の外を眺めた。
美味しそうな果物をつける木が自生している。傍には川も流れ、自然が豊かだ。
恐ろしい魔物か怪異に襲われたこんな状況でなければ、きっと動物たちもたくさんいるのどかな光景が見れたのだろう。
「はぁ……、ちょっと外歩いてこようかな。調査が終わったら呼んで」
「ああ」
気分転換に散歩でもしようと思ったその時だった。
「……あぁああ……」
小さな嗚咽が風に乗って聞こえてきた。
「えっ」
もちろんエルリクではない、女の子の声だ。
苦し気な嗚咽にインは引き返し走り出す。
「エルリク、誰かいる! 生きてる!」
「本当か!?」
「こっち!」
声を頼りに地獄と化したハージュの街を駆け抜ける。
少しくぐもったような泣き声が少しずつ大きくなっていく。
「どこ……!? 返事して!」
倒壊した家の前で呼びかける。
「助けて……」
すると弱々しい声が瓦礫の下からした。
今にも消えてしまいそうな声に、インはその場に膝をつき、瓦礫を手でかき分ける。
「待ってて、今助けるからね! ほら、エルリクも手伝って」
「分かった」
「崩さないように気を付けて!」
煉瓦を上から慎重に取り除いていく。
瓦礫には割れた瓶やガラスの破片も混ざっている。
「……っ!」
インは手の皮膚が切れて血が流れるのも気にせず、瓦礫をどかし続けた。
そして少女の土ぼこりで汚れた足が煉瓦の下から覗いた。
「見えた! もうちょっとだよ」
インは優しく少女に声を掛ける。
エルリクも黙々と作業を続ける。
「げほっ、げほっ……うっ……うぅ」
数分後、瓦礫の下から土と血で汚れた少女を救出した。
年のころはインと同じくらいだろうか。
「あ、ありがとうございます……」
怪我のせいか、ずっと泣いていたせいかしゃがれた声で少女は二人にお礼を言った。
弱々しい力でどうにか上半身を起こそうとする少女をインは制止した。
「無理しないで、横になってて。そうだ、この上に」
あれだけ重い家屋の下敷きになっていたのだ、見た目より重傷を負っている可能性がある。
インは自分の荷物を下ろし、寝袋を取り出すと地面に敷いた。
「でも、汚れてしまいます……」
「気にしないで。地面はいろいろ落ちてて危ないから」
インは優しく微笑みかけ、少女を抱き上げ寝袋の上にそっと寝かせた。
「水も飲んだほうがいい」
エルリクも彼女の様子を見て、水をコップに入れて差し出した。
動くこともままならない彼女に変わってインが受け取ると、少しずつ飲ませた。
「はぁ、お水……おいしい……」
緊張が和らいだのか、少女は水を嚥下して小さく微笑みを返した。
「良かった、生きててくれて」
「あ。……あ、うぅう……みんなはやっぱり……!」
少女は町の惨状をちらりと見て塞ぎこむように俯き、涙を流す。
「そう、生存者は今のところ君だけみたいだな」
「うっ、うぅ……あっ、あいつは!? あいつはどうなったんですか!?」
はっと思い出したように少女は目を見開いて、ガタガタと震え出した。
「落ち着いて……!」
落ち着けるはずがないとは分かっているが、少しでも彼女をなだめようと、インは冷たい手を握る。
「この町を襲ったものならもういない。僕らがここに到着したときには全てが終わっていた」
「そうですか……、うっ、うぅうううう……!!」
歯を噛み締めて泣く少女。
「何があったか話せるか?」
「ちょっと、エルリク……!? そんな状況じゃなくない?」
少女の気持ちを慮ることなどしないエルリクに、インは反発する。
「早く情報を得て1秒でも早くやつを追いたい」
エルリクは悪びれもせずに自分の希望を言った。
自己中なところは前からあったが、悲しみに暮れる少女の気持ちが落ち着くのも待たずに、根掘り葉掘り聞こうとするなんてデリカシーがないどころの話しではない。
「だからって……!!」
インは苛立ち、エルリクに食って掛かる。
だが、その時インの手を少女が握り返した。
「話せ、ます……」
「えっ……」
「……あなた達冒険者、ですよね……。強いですか?」
「あ、えっと……」
インは言いよどんだ。
腕に覚えはあるが、自分は初心者だ。
エルリクは中級ランクを持ってはいるが、戦闘は苦手だという。
少女の言う強い冒険者とは違う気がした。
「僕はアレを5年追いかけている。相対したときのための準備もしている」
「そうですか……、ならお話します。でも、話しを聞いたら、追いかけるのをやめてください。あんなものに、人がかなうわけないんです……」
少女は目元の涙を拭って、滔々と話し始めた。