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開幕

冒険者の町ハージュ。

他地方との中継地点であり、周りに魔物が多く、クエストも集まりやすい。

加えて豊かな自然に囲まれた土地は、武器や防具の材料にも事欠かない。

ハージュに定住し、町の護衛として働く元冒険者も多い。

限りなく加護の薄い土地柄にも関わらず、栄えているのはそう言った要因が重なっているからである。


「冒険者の町かぁ。なんかワクワクするなぁ。もしかしたら、上級冒険者の人に会えるかも?」

ハージュへと向かう道を歩きながらインは思いを巡らせた。

シウテルーナのギルドではそれらしい冒険者を見なかった。

冒険者証を確認したわけではないが、上級冒険者となれば装備一つとっても格が違うはずである。

「会ってどうする」

「えっ、それはもう……握手してもらったり?」

「稽古をつけてもらうとかじゃないのか」

「あっ、それも!!」

すっかり浮かれているインをエルリクは無感動に見下ろしている。

「なんかさ、上級冒険者に会ったらこうしなきゃいけない、みたいなマナーとかあったりするの?」

インは”ギルドでは嫌われる性格”と言われたことを気にして、こそこそと訊ねた。

「ない。強いて言えば血気盛んなやつが多いから、あまり関わらない方がいい」

「ぐぬぬ……やっぱり天才って変わった人が多いのかぁ」

 憧れで目が曇っているインは、どんな言葉でもポジティブに解釈して呟く。


ハージュに近づいてきたからか、シウテルーナ周辺と比べて道も綺麗に整えられており、二人の歩みも順調だ。

目的地まであと一時間ほどまで迫ったその時――

「ん? なにあれ」

インは道の上に障害物があるのを視認した。

それもかなり大きい。

「落石……?」

「なにかあるな……落石だったら厄介だが」

その時風に乗って、インの鼻孔に血の匂いが届いた。

「……! これって……!」

インはそれを感じ取るや否や、駆けだした。

「おい、一人で行くな……!」

一瞬で遥か後方へ置き去りにしたエルリクの呼びかけが小さく聞こえる。


だが、それよりもインは先に状況を確認しなくてはと走る。

もし感じ取った匂いに間違いがないとしたら、誰かの命が危ないからだ。

明らかに重症な、多量出血レベルの匂いだ。

そしてその予想を裏付けるように、血の匂いが濃くなっていく。

「う……、あっ!」

そしてそれが見えた。

馬車が横倒しになっており、倒れた馬にマサドーの群が食らいついていた。

「離れろぉ!!」

インは血相を変えて、マサドーの群に切りかかる。

「ガゥウウ!」

魔物もやっとありついた肉を奪われてなるものかと、血を流しながら毛を逆立てて威嚇する。

「うぉおおおおんッ!!」

インも負けじと獣の咆哮のような大声で叫んだ。

びりびりと空気が震え、怯んだ魔物にもう一太刀浴びせる。「ぎゃんっ!」

深手を負った個体が撤退するのを皮切りに、マサドーの群は食いかけの獲物を置いて逃げ出した。


「はぁはぁ……馬は、もうだめか……」

剣を鞘に戻し、倒れた馬を見下ろす。

完全にこと切れ、内臓は大方食いつくされていた。

馬車は一頭立ての小さなもので、装飾のない簡素な作りから小規模な荷馬車のようだ。

御者台に人の姿はない。

そして濃い血の匂いは、馬とは別に荷馬車の中からも漂ってきていた。

「……っ」

ぞわぞわと嫌な感じがして鳥肌が立つ。

 

その時、後ろからやっと追いついたエルリクの足音がした。

「はー……、凄まじい声だったな。大型の魔物でも出たのかと思った」

走ってきたのだろう、珍しく息を切らしている。

「魔物に声のデカさで負けたらダメってお父さんに言われてるから」

「面白い教育方針だな。……巨石じゃなくて馬車だったのか」

軽口をたたいた後で、エルリクも馬車に起きた悲劇に気が付く。

「ハ―ジュから出てすぐの道中で魔物の群れに襲われたんだな。……ん? 御者の姿がない。逃げたのか?」

エルリクは首を傾げ当たりを見回した。

馬の方が美味いのだろうが、飢えた魔物が人間のような狩りやすい生き物を放っておくとは思えない。

その僅かな違和感に首を傾げるエルリク。

しかしそのエルリクの疑問に答える余裕がインにはなかった。

横転している幌馬車に近づく。

ここからする血の匂いの正体を突き止めなくてはならない。

入り口で布が絞られており、中の様子は分からない。

インはそっと手を伸ばし、紐を解いて――入り口を広げた。

「……ひっ!!」


――赤い。


荷馬車の中は真っ赤に染まっていた。

積んでいたのだろう木箱も、御者の荷物も大量の血を被って、元の色が分からなくなっている。

血の海の中にはピンクや白の臓物や骨がバラバラになったものが沈んでいる。

「うっ……ぐ!」

もう誤魔化しようのない血生臭さがインの脳を揺らした。

切断された死体なんて生易しいものではない、細切れよりもよほどひどい。

まるで人体を大きな岩で液体になるまですりつぶしたような、原型をとどめないレベルの破壊。

そこまで破壊されていても、悪夢のようなスープの中に浮かぶ頭髪や、細かなパーツが、それが確かに人間だったものだと主張していた。


「う、うそ……なにこれ」

頭が痺れた様になり目の前の光景を拒絶する。

吐き気が喉を行き来し、インは溜まらず荷馬車から跳び下がって、地面に這いつくばってえずいた。

そんなインの様子を横目に、エルリクは入れ替わるように荷馬車の中へ入っていった。

見ない方がいいと止めようと思ったが、激しい咳に阻まれ何も言葉が出てこなかった。

視界からエルリクの靴が消え、ばさり、と幌馬車の布をくぐる音がした。

「えっ、えぅ……エルリクっ」

涎を拭い、その背中を追いかけた。

「…………」

エルリクは黙って荷馬車の中の光景を見ている。

あまりの光景に絶句しているのだろうか、一言も発さずに釘付けになったように、ぐちゃぐちゃの人体だったものを見下ろしている。

「い、一旦離れよう?」

恐る恐る声をかけた。

「く……ふ、ふふっ」

すると、エルリクの肩がぶるぶると震え出し、エルリクは痙攣したかのような息を吐き出した。

「ねぇ、大丈夫?」

自分も人のことを言えた状態ではないが、エルリクの普段とは違う反応に不安と心配が一気に加速する。

もしかしたらパニックになっているのかもしれない。

無理やりにでも手を引いて馬車から出た方が良さそうだ。

インは震えている彼の手をとろうと手を伸ばす――


「ふっ、は、あはははははははははは!!」


響き渡る哄笑。

エルリクは上半身を折るように屈めて、笑っていた。

「え、エルリク……!?」

インは驚いて、伸ばしかけていた手を引っ込める。

「はははははっ、見つけた! やっと……!!」

エルリクの声は、歓喜で震えていた。

熱に浮かされた様に興奮している。

この異様な光景を見て、喜んでいる?

突然のことにインは取り残され、現実感を失っていた。

ただ呆然と仲間を見上げる。

「――イン」

エルリクは振り返り、笑顔で彼女の名を呼んだ。

それは以前にも見たことがある、破綻した満面の笑み。

「ハージュへ急ぐぞ」


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