戦闘と煙
突然の無茶振りにインはエルリクを睨みつける。
「他に誰がいるんだ? 僕は非力だから自分より大きな死体なんて運べないよ」
「本当に冒険者??」
身長の割にヒョロい印象だが、戦闘が得意じゃないどころか腕力も全然ないようだ。
インの中では冒険者とは腕っぷしの強い、荒事専門職人のイメージが強かったため、エルリクのようなタイプはまさに正反対だ。
しかし文句を言っても何も始まらない。
「はぁ……すぅううう」
インは深呼吸をして覚悟を決めると、ゾンビの方へ駆け出した。
ぬかるみのせいで走りにくさはあるが、数十メートルの距離など一瞬だ。
瞬きする間にインはゾンビの背後に飛び込む。
触りたくないなぁ、と嫌悪感がよぎるも、これも仕事。
心を無にして手を伸ばした。その時。
――ガキンッ!
「うっ」
胸部に衝撃が走り、インはのけぞった。
鎖帷子の上から着ていた上着が破ける。
「なっ……なに?」
敵から攻撃されれば瞬時に戦闘に集中できるインだが、今回ばかりは混乱していた。
どうやって攻撃されたのか、全く分からなかったのだ。
ゾンビはインの方を振り返りもせず、手も足も出していない。
インに背を向けながら歩き続けている。
「どうした?」
先ほどの地点で戦闘の動向を見ていたエルリクも状況が分からないようだ。
どうしたと言われても何も分からない。
攻撃を受けた胸部を見下ろした。
「この感じ……なにか鋭いもので引き裂かれてる?」
例えばナイフや、鋭い爪のようなものだ。
鎖帷子を着込んでいなければ、引き裂かれていたのは服だけでは済まなかっただろう。
「でも変だよね、ゾンビはナイフ持ってないし……身体は普通の人間なの、にっ!?」
ふわっ、と空気の動きをインは耳の産毛で感じ取った。
反射的に後ろに飛び下がる。
一瞬、ゾンビ来ているぼろ服の背面が揺れて、ちかっ、と何かが光った。
インの髪の先が鋭利なもので切られて、ぱらりと落ちる。
「……っ!!」
ぞわ、と全身の毛が逆立った。
歩みの遅さからは想像もできない、目にも見えない速さの斬撃。
さっきの攻撃を受けていたら、目をつぶされていた。
「こいつ、ただの死体じゃない!! めっちゃ速い攻撃してくる!!」
「そうみたいだな。気をつけろ」
後ろから毛ほども役に立たないアドバイスが飛んできた。
「エルリクも戦え……!」
「僕がそんな早い攻撃をかわせるわけないだろ」
パーティーと言う言葉に惹かれてうっかり仲間になってしまった自分の愚かさを憎んだ。
次のギルドに付いたら、パーティーを解消しようと心に誓う。
「くっそ……うわ!」
「ウウウウウ」
歩みを止めなかったゾンビが急に振り返り、インに掴みかかる。
インは死体の手首を掴み、牽制する。
「ぐっ……何この力……!!」
獣人であるインの腕力は、人間の十倍以上だ。
そのインが思いっきり力を込めても押しきれないほど力で押されている。
「アンデッド化して、腕力が強くなるとか、そんなのあり!?」
死体なら死体らしく、生きている時よりも弱体化してほしいとインは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
それより早くこの腕を振り切らないと、この状態でさっきの斬撃がとんできたらよけきれない。
そんな恐怖に冷や汗が噴き出す。
――シュー、シュー……
「……?」
ゾンビから異音が聞こえた。
蒸気を上げるやかんのような、人体から鳴っていることに違和感のある音だ。
「このっ!!」
怖気を感じて、インは全力でゾンビを押し、振り払った。
インに突き飛ばされたゾンビの身体が前方に吹き飛び、地面を転がる。
「やるな、イン」
「はぁはぁ……はぁはぁ……覚えとけよ」
エルリクの呑気なリアクションに苛立つ。
気が付くとエルリクはインのすぐ後ろまで移動してきていた。
「なにか分かったことはあるか?」
「はぁはぁ……なんか、シューシュー言ってた。口じゃないどっかから!」
インは吐き捨てるように投げやりにエルリクの質問に答える。
「ふむ……」
エルリクは顎に手を当て、深く一度頷いた。
「決まりだな」
「何が? てか、逃げた方がいいんじゃないの?」
インの視線の先でゾンビがゆらりと起き上がった。
完全にインを敵と認識したのか、またよろよろと近づいてくる。
「いや、必要ない」
エルリクはリュックから、棒状の道具を取り出した。
太い木の棒で、先端には何かの薬品が塗りこまれている。
まるで松明のような形状のそれを地面に刺し、マッチを擦ると、松明のように引火した。
「はい」
「なにこれ、げほっ」
激しく煙を噴き始める木の棒を押し付けられたインは咳き込んだ。
「早くゾンビに向かって投げろ。僕が投げても届かん」
またしても力仕事を頼まれたインは、しょうがなく木の棒をゾンビの足元に向かって投擲した。
ゾンビの足元に落ちたそれは、直後、猛烈な勢いで煙を噴き出した。
「煙やば……!」
「風上から投げれてラッキーだったな。あれは人間がくらっても涙が止まらなくなる」
ゾンビは煙に包まれてあっという間に見えなくなった。
うめき声も上がらない。
「それで、これなんなの。見えなくなっちゃったけど、大丈夫なの?」
「ああ。これは農業用の殺虫発煙木だ」
「殺虫?」
「殺虫剤と言えど成分が強いからな。効くのは虫だけじゃない。人も鳥も爬虫類も魔物も、もろに吸い込めばダメージを負う」
煙は風に乗って、森の奥にもくもくと広がっていく。
とばっちりを受けた動物や魔物が気の毒なくらいの激しさである。
「えぐ……そんな武器初めて聞いた……」
「武器じゃない。農薬だ。動きの速い魔物に対しては決定力がないからか、武器屋や道具屋で扱われることもない、普通のものだ」
そんな会話をしているうちに、燃え切ったのか煙は風に流されて薄くなっていく。
「だが、この手合いにはよく効くだろう」
「あっ!?」
煙が晴れると、動く死体は再び地面に倒れ伏していた。
びくびくっと痙攣したように体が激しく動く。
そして、ぼこり、と腹の肉が盛り上がり、そこから細長い巨大な線虫のようなものが飛び出した。
「キモッ!!」
恐怖とは別の感覚で鳥肌が立つ。
地面でのたうち回っているそれは、木々の隙間からこぼれる光を反射して僅かに光っている。鱗があるようだ。
「地中に逃げるぞ、仕留めろ」
「ううっ、きしょい~!!」
インはうねる謎の生き物に嫌々近づいて、剣を抜くとそいつの首を落とした。
首を落とすとこと切れて静かになるどころか、一層激しく暴れまわった。
「ひぃいいい……! なんなのこいつ!!」
「睨み通り、ワームだな」
「ワームぅ……?」
暴れるそれに近づくエルリク。
インはこれ幸いとエルリクの後ろに隠れた。
「他の魔物に寄生する魔物だ。ワームというが、生物としては蛇に似ている。目が退化しているが、鱗があるだろう。舌も2股に別れている」
動きが鈍くなったワームの身体は捨て置き、エルリクは近くに転がる頭部を軽く蹴ってひっくり返した。
べろん、と赤い舌が飛び出す。
「ほ、本当だ……」
恐る恐る覗き込む。
動いていると大きく見えたが、長さは2メートルあるかないか。
細さも相まって、見かけより小さな魔物である。
インは少しほっとして、やっと冷静に観察できるようになった。
「ピット器官という温度を感知する感覚器官を持っていて、近づいてきた外敵を攻撃するようだ」
「あの見えない攻撃はこのワームの噛みつき攻撃だったんだ……」
死体の中に身を潜めて、至近距離から高速の噛みつき攻撃をしてくるなんて、初見殺しも良いところである。
「でもこいつ、魔物じゃなくて人間の死体に寄生してるみたいだけど」
「ああ。ワームのことは知っていたが、人間の死体に寄生するケースは初めて見た」
エルリクはあっけらんとした口調で、さらに説明を続ける。
「こいつの最終宿主はコカトリスだ。巨大な鶏のような魔物知らないか?」
「知ってる知ってる! めっちゃ凶暴なんだよね! ニワトリに蛇がくっついてるようなやつ!」
「本来のコカトリスに蛇の部分はない」
「えっ、嘘ォ!?」
絵本や図鑑で見るコカトリスにはすべからく蛇の尾がついていた、
誰もがコカトリスと聞けばそのような姿を思い浮かべるだろう。
「蛇の部分は、コカトリスに寄生したワームの成体なんだ。ああやって、宿主の獲物を横取りしたり、宿主の機動性を活かして繁殖相手を探す」
「……知らない方が良かった……」
有名な魔物の意外な真実に、インは顔色を青くする。
「そうやって繁殖したワームは地中に卵を産み付ける。卵から孵った幼体は、コカトリスのエサになるにはまだ小さすぎる。そのため、コカトリスが餌にする鹿や野豚のような動物の死体に入り、まるで生きているように中から動かすんだ」
どうやらそれがゾンビの正体だったらしい。
しかしインの中にふと疑問が浮かんだ。
「でもコカトリスだって腐った肉は食べないんじゃ?」
コカトリスは生きた獲物を狙う。それはつまり腐肉を食べる食性ではないということだ。
「それがワームの幼体に入られた肉は腐らなくなる。それどころか腐敗臭すらしなくなっていく」
「生命の神秘だァ……」
ドン引きしながら賞賛の言葉を投げかける。
「そうやってコカトリスに目論見通り食べられると、まず胃に陣取って栄養を横取りして育つ。そして胃壁を食い破り、背中から尾にかけての筋肉組織に定住する。これがワームの一生だ」
「わぁあ……気持ちわるいぃ」
インは身震いする。自分がコカトリスだったら絶対に宿主になるなんてごめんだ。
「人間の死体はコカトリスが食べられるか食べられないかギリギリの大きさだから狙われないと思っていたんだが、こういうこともあるのか。いや人間の子供なら適正な大きさか? 子供の死体に寄生していたものが、人間の死体に寄生する習性として残ったのか? 死体を埋めると魔物になる……あながち間違いじゃない伝承だったな」
エルリクはぶつぶつと呟いて、考察の世界に入ってしまった。
ワームはこと切れて、血の水たまりを広げながら動かなくなった。
「ていうか、正体がワームだって見当ついてたなら、最初から言ってよ!」
詳しい説明を一通り聞いた後で、インは気付いた。
鎖帷子と身体能力のお陰で怪我をせずに済んだが、最初からワームだと分かっていればもっと楽に戦えたに違いない。
恨み言を言うとエルリクはぶつぶつ呟くのを止め、不機嫌そうにインに視線を移した。
「最後まで怪異の一種である可能性を捨てたくなかった」
「でも、今回のは明らかにジーナフォリオっぽい被害じゃなかったじゃん」
「そうだな」
エルリクはあっさりと認め、ふっと遠くを見つめた。
「だが、もし本物の怪異が存在することが証明できれば、ジーナフォリオも怪異だと主張するのが簡単になるだろ」
「なんでそんなに”ジーナフォリオは怪異”ってとこにこだわりがあるの……」
エルリクの熱意はやはりそこにすべて集結するらしい。
意味が分からないが、いい意味でも悪い意味でも変わらない姿勢に、インはほんの少し――ほんの少しだけ安心するのだった。




