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動く死体の追跡

「何もないね」

 安置室のおそらく死体を置いていたと思われる台の他は何もなかった。

 ただほんのりと腐り始めた段階の死臭が残っている。

「魔物の毛の一本くらいは落ちていると思ったが、見当たらないな。しょうがない、周囲を観察するか」

 安置室の周囲は背の低い草が密集して生えており、なんの足跡も残っていない。

 その手前のぬかるみには、二人が来る前に村人が出入りしたという言葉の通り、複数の村人の物と思われる足跡がついている。

「これ、魔物の足跡が村人の足跡に上書きされちゃってるってことない?」

「あるかもな」

 不審な痕跡を探し、草の途切れる場所を重点的に見て回る。

 村のある方向と逆へ進んでいくと、足跡が少なくなり完全になくなった。

 森側へは野芝がずっと続いていく。

 野芝をたどって歩いていたインがふとそこに泥が跳ねているのを見つけた。

「あれ? ここ……水たまりになってる」

 一部だけ芝がなく水が溜まっている場所を覗き込むと、歪んだ溝が二本あった。

「ねぇ、エルリク! これってなにか関係あるかな!?」

 インは振り返って、別の場所を見ているエルリクを呼んだ。

「――どれだ?」

 ぬっと近づいてきたエルリクが、インの足元に視線を落とした。

 相変わらずパーソナルスペースなど知ったことではない急接近に、一瞬身構えながらも、インは水たまりの中を指さした。

「なんかの跡があるんだけど……」

「……」

 エルリクはその溝を見つめぶつぶつと何事か呟いたあと、森の方へ歩き出した。

「ちょっと! なにか分かったの?」

「おそらく足跡で間違いない。両足を引きずればああいう形になる。指のようなものも見えたから、裸足だな」

「裸足ってことは……」

「死体の足跡だろう」

 歩く死体を想像してインは青ざめた。

「じゃあ本当に死体が動いてる?」

「何かが死体を運んでいるとするなら、人であれ魔物であれ、運んだ何者かの足跡があるだろう。草で残っていないだけという可能性もある」

「それならいいんだけど……」

 迷いなくずんずんと進んでいくエルリク。

 怪異なんていない、お化けなんてありえないと思っているインだが、実際に不可解な現象を目の前にして、じっとりとした恐怖を感じていた。

 もし本当にそんなものと出会ってしまったら、どうすればいいのか。

 エルリクならば怪異と戦う方法を知っているのだろうか? 剣は通用する相手なのか?

 剣の柄を握る手が滑って、自分が手汗をかいていることに気付く。

「ねぇエルリク、もし死体が本当に自力で動いていたら、それって魔物なの? それともエルリクがよく言ってる怪異みたいなもの?」

「……もし分類するなら怪異になるだろうな。あれを使う時が来たか」

 エルリクはなにか意味深なことを言って鞄から手のひらサイズのものを取り出した。

 目盛りがついていて何かの計器に見える。

「これなに?」

「これは僕が温度計を改造して作った、霊探知機だ」

「れいぃ!?」

 あまりの荒唐無稽さに一瞬で恐怖が吹き飛んでしまう。

 胡散臭さ全開の自作グッズをまじまじと見つめてしまう。

「そうだ。霊が現れると、その場の温度がぐっと下がるという。この霊探知機は急激に気温が5度以上下がったときに音が鳴る」

 もっともらしい口調でエルリクは説明する。

 怪異に並々ならぬ情熱をもっていることは知っていたが、まさかこんなものまで作っていたとは。インはしょーもない、という言葉を何とか飲み込んだ。

 人が一生懸命やっていることを笑うのは良くないと母親に教わっていなかったら、内心の呆れ具合を盛大に態度に出していただろう。

「霊がいると温度が下がるって、よくある迷信でしょ」

「いや、事実だ」

「まるで、経験したみたいに言うじゃん」

 探知機の針は一ミリも動きそうにない。

 馬鹿馬鹿しくなったインは、エルリクを追い抜かし森の中へ入っていった。

 木々に光が阻まれるせいか、野芝の密度が減っていく。

 これならそのうち残っている足跡を発見できそうだ。

 くんくんと周囲の匂いを嗅いでみるが、やはり雨のせいで全て掻き消えていた。

「はぁ、もし見つからなかったら宿代は定価なのかな……」


――ガサッ


「っ!」

 ぼやいているインの耳に、茂みを何かが動いた音が届いた。

 そちらに視線を向けると、鬱蒼とした木々の後ろに。


――ぐじゅう……ぐじゅう……


 ぬかるんだ泥の地面を、裸足で歩く音。

 人間だ。異様に舌が飛び出た、青白い顔の、人間の死体だ。

 人影は森のさらに奥地へ入っていき、茂みに隠れて完全に見えなくなった。


 

「ひっ……! なにあれ!?」

 明らかに異質な存在にインは悲鳴を上げた。

 想像するのと実際に見るのとでは天と地ほども違う。

「……」

「エルリク、見なかったの!? 今の!」

「見たぞ」

「何でそんなに落ち着いてんの!?」

 あんなものを見たとは思えないくらい薄い反応に、インは声を荒げる。

 せめて一緒に怖がってくれれば気がまぎれるのだが、エルリクは全く動揺していないようだ。

「お前こそ何をぼーっとしているんだ。行くぞ」

 それどころか、迷いなくゾンビの消えた森の奥へと踏み込んでいく。

「ちょ、ちょっとぉ!?」

「探して欲しい、というのは単に探せばいいだけじゃなく、死体を持って帰れという依頼だろう? あれを回収しなければここまで来たのに無駄足だ」

「それはそうだけど!!」

 今は別にそんな正論を求めていない。

 インは泣きそうになりながらエルリクに続いた。

 あのゾンビをまた見ることになるのは嫌だが、この暗い森に一人置き去りになるのはもっと嫌だ。

「怪異なんて存在しないとあれだけ豪語していたのに、随分怖がるんだな」

「そっ、そりゃ……見ただけでも結構キモイし、どうやって戦えば良いのかもわかんないし不気味じゃん。私はエルリクみたいな怪異マニアとかじゃないから!」

 怯えた獣はよく吠えるというが、インもまた怖さを誤魔化すように言い訳をした。

 エルリクはそんなインを気遣うなんてことはなく、容赦なく森の奥へ奥へ、早足で進む。

「ねぇ、そんなずんずん進んで大丈夫なの? 迷ったりしない?」

「方位磁石で大体の方角は確認している。狂ったりしたら終わりだが、今日中に引き返せば自分たちの足音を辿って森の外まで出られるだろう」

 エルリクは首にかけていたペンダントをパチン、と開いた。冒険者証ではなくアクセサリーを首から下げているなと前から思っていたが、どうやら小型の方位磁石のようだ。

「そ、それはよかったなー」

 追跡をやめる口実を失って、インは渋々柔らかい土を踏んでゾンビを追いかけた。

「嗅覚は使えるか?」

「ううーん、雨と泥の匂い、あと死体の臭いがほんのりする。他は分からない」

 雨のせいで匂いの情報はあまり拾えない。死体のような強烈な匂いが辛うじて感じられる程度だ。

「では聴覚の方は?」

「ん……いろいろ聞こえてるよ。木の葉に溜まった水が落ちる音が多めだけどね」

 こちらは雨が止んだおかげでかなりノイズが少なくなった。

「良いだろう、視認で来た」

 エルリクはそう言って足を止めた。

「い、いる〜」

 森の中の少し開けた場所に出た50メートルほど先に、動く死体がいてインは泣きそうになりながらそれと対峙する。

「こっからどうするのぉ……?」

「まずは索敵だ。動く死体以外の魔物や魔法の気配はするか?」

「えっ、うーん。……無い」

 耳を澄ましてみるが、獣の息遣いや足音はない。人間の出す物音も、魔法の気配もない。

「やはり魔物や獣に運ばれた線はないな。実際に自立歩行しているし。それから魔法でもないとなると……」

「やっぱり怪異なの?」

「いや、探知機はなんの反応もない」

「それあんまり当てにしない方がいいと思う……」

 自作のおもちゃになぜか絶大な信頼を置いているエルリクに、インは率直に言った。

 ゾンビは二人を気にも止めず、よろよろふらふらと歩き続けている。

「とりあえず自立歩行の仕組みを解明するのは後でいいか。まずは回収だな。行ってこい」

「ええっ!? 私!?」

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