奢宵国弓腰伝 〜嚆矢、異界の知恵の実に至る事〜
弓を引き絞る。
鉄の鳥が落とす異界の知恵の実を射抜く。
目論見通り、それは空中で弾けた。
尚香は都で一番高い屋根の上で瓦を踏みしめ、爆風に長い黒髪を靡かせた。彼女の眼下ではバクダンの餌食となった民家が火を噴き、瓦礫にまみれている。
まだ、というべきか。もう、というべきか。
五割。
たった三羽の鉄の鳥が、大陸最大といわれるこの奢宵国を侵略にきて、半刻もしないうちに都を半壊させた。
尚香はもう一度、大弓に矢をつがえる。
鉄の鳥は矢を弾くけれど、あの異界の知恵の実であれば、弓で太刀打ちできる。たった今、尚香がそれを証明した。
また一つ、宮城を狙って――尚香の頭上へと異界の知恵の実が落とされる。
尚香はつがえた矢をめいっぱい引き絞り、射る。
宮城の上空で、異界の知恵の実が弾けた。
「守られた分、守ってあげないと」
尚香を育てたのはこの国であり、この国の太子たちだ。彼らが最初に幼い尚香を守ってくれた。
後宮に隠されていた小汚い娘だった自分を見つけてくれた太子妃。自分を妹だと認めてくれた太子。自分に生き方を教えてくれた右羽林軍大将。
ようやく、彼らに報える時が来た。
西の砂漠を越えて飛来した、最果てガルーダ帝国の軍。
周辺の国々をその傘下に治め、悠々と奢宵国にその手を伸ばしてこれたのは、まさしくあの三羽の鉄鳥とバクダンなるもののおかげ。
ガルーダ帝国には奇しい噂がつきまとっていた。
その一つが、異界の来訪者。たった一人の知識によって、ガルーダ帝国の軍事力は一足飛びに進んだという。
その噂を甘く見た国からガルーダ帝国に攻め落とされた。今、誇張なく大陸の八割は、ガルーダ帝国の版図になっている。
奢宵国も選択を迫られた。
ガルーダ帝国の傘下に入るか、対立するか。
奢宵帝は選べなかった。
選ぶよりも早く、蹂躙が始まった。
尚香は奢宵帝が悪いと思わない。思わないけれど、国運を決することができないほど耄碌したのなら、さっさと太子に玉座を譲るべきだとは思っている。
「それも、皆で生き延びれば、だけど……!」
また一矢、弓につがえる。
鉄の鳥もそろそろ気がついてきたようだ。頭上で煩く鳴いている。
都の五割。
半分も、なのか。半分しか、なのか。
それ以上のバクダン被害が、広がらなくなってきた。
あちこちの民家や楼閣の屋根で、弓の名手たちが矢をつがえている。一番目立つ宮城の楼閣の上から、バクダンを尚香が迎撃した。当然、左右羽林軍の大将たちがこの弱点をつかないはずがない。
三羽の鉄鳥が落とす異界の知恵の実。
次々と羽林軍の弓の射手たちが、バクダンを撃ち落とし始めた。空中で弾けさせることはできずとも、矢で落下地点を変えることくらいはできる。
これが奢宵国の武人たちによる巧みの業。
その筆頭に、尚香が立つ。
都でもっとも天に近い場所で瓦を踏みしめ、矢を放つ。
都民は羽林軍の守備範囲内に避難しただろう。都全てを守ることはできないと判断した太子による、局地的防衛の布陣。尚香の嚆矢が無駄となれば羽林軍も全力で撤退する手筈だったが。
まずは一手。通すことのできた嚆矢に、尚香も安堵する。
安堵しながらも油断なく灰色の空を見上げていれば、ふと尚香の名前が風に乗って聞こえてきた。
鉄の鳥が少し距離をとる。尚香が視線だけをちらりと下に向ければ、楼閣からひょっこりと顔を覗かせる二つの頭。
「首尾はどうだ」
「上々でしょう? だって私たちの尚香だもの!」
兄である権太子と、妃の飛燕太子妃が、楼閣へとよじ登ってきた。
一番見晴らしの良い、一番危険な場所。そんなところに揃ってやってきた太子夫妻に、さすがの尚香もぎょっとする。
「お二人とも、どうして逃げていないんですか!?」
「どうしてって。尚香がここにいるのに、私たちだけ逃げてはいられないだろう」
「民を守るためなら、わたくしたちも身体を張りましてよ」
尚香は天を仰いだ。
そういえば太子夫妻はこういう人たちだった。
誰かが傷つくくらいなら、自分が傷つく。
自分の命一つで百万の民が救われるのなら安いものだと、平気で言うような人たち。
だからこそ尚香も、羽林軍の兵士たちも、彼らを支える文官たちも。この人たちに仕えたいと思う。
その二人が、尚香と同じこの国で一番高い楼閣の屋根まで這い上がってきて。
――当然、敵の鉄鳥はそれを見逃さない。
異界の知恵の実が頭上に落とされる。
「尚香」
名前を呼ばれなくとも。
尚香は弓をかまえ、バクダンを射抜く。
頭上で破裂し、爆風が飛燕の裳裾を大きく翻す。
「妃殿下、日傘は太子妃の嗜みですよ」
「ふふっ。尚香も女の子らしくなったわね」
尚香は足元に置いていた傘を飛燕に差し伸べる。飛燕は笑って傘を広げると、頭上に掲げた。
楼閣の天辺で開花する一輪の傘。
三羽の鉄鳥が集まってバクダンを落としてくるけれど、その全てを尚香が撃ち落とす。
「四十……四十四。そろそろか。尚香、これを」
権太子が落とされた異界の知恵の実を数え、袖口から一本の鏑矢を取り出す。
その鏑矢を、尚香へ差し出した。
「何をするつもりですか?」
「あの鉄鳥を落とす。狩りは得意だろう?」
権太子の挑発に、尚香は肩を竦める。
あの鉄鳥を落とすなんて聞いたことがない。
前代未聞の権太子の策。それでも尚香は請われるまま、矢をつがえる。だって、信じているから。
「まだ打つな。まだだ……四十九……五十一。……装填の様子はないな」
権太子の囁きと同時、鉄鳥が高度を下げてくる。
これまで異界の知恵の実に巻き込まれないように、高度を一定距離保っていた鉄鳥。
その巨躯が地上へ近づいてくる。
狙いは恐らく、楼閣の天辺にいる太子夫妻。
このために、二人は見晴らしのいい舞台へと上がってきた。
「よし、尚香放て!」
権太子の合図で矢を放つ。
甲高い音を立てながら、鏑矢は天高く飛翔した。瞬間、ドシュッと鈍く重い音が四方八方から上がる。
各所の屋根にはいつの間にか床弩が設置されていた。そこから発射された鉄の矢は、矢羽の代わりに網のようなものをたなびかせている。
その網は隣接する床弩が放つ矢の尻にも繋がっていた。投網のように天高く放たれた床弩の網は、鉄鳥の上から覆いかぶさった。
投網が絡まった鉄鳥の推進力が消える。
鉄鳥が落ちる。
一体は市街地へ、一体は宮城の堀へ墜落していく。
そして最後の一体は、この国で一番高い建物へ――尚香たちの居る場所へ墜落してくる。
尚香は叫んだ。
「殿下、飛んで!」
「飛燕、しっかり掴んでいろ!」
権太子が飛燕を抱き上げ、助走をつけて楼閣の屋根から飛び降りた。
飛燕は傘を広げたまま、真っ直ぐに掲げる。
鉄布の傘は風をはらみ、二人の身体を優しく地上へ運んでいった。
尚香の便利道具として開発していた、滑空する鉄傘。こんなところで役に立って良かった。
その様子を見てから、尚香は視線を鉄鳥へと向ける。
――鉄鳥の中に棲む人間と目があった。
高度が下がったことで、接近する鉄鳥の頭部がよく見えた。ずっと腹しか見せなかった鉄鳥の頭。そこに人間が住んでいた。
鉄鳥の中の人間は死を覚悟しているようで、尚香をものすごい形相で睨みつけている。
「鳥の中の住心地はどうかしら? 私はそんな狭いところ、御免だけれど」
弓も、矢もしまう。
丸腰のまま、呼吸だけを整える。
機会は一回。
狙うは鉄鳥の頭部のみ。
投網が絡まった鉄鳥が楼閣に突っ込んだ。
その、寸前。
尚香は墜落するより早く、鉄鳥の頭部に飛び移り、透明な窓を拳で粉砕していた。網が邪魔だったけれど、その膂力で引き裂き、鉄鳥の頭に住んでいた男を引きずり出した。
「くそっ、俺を助けてどうするつもりだ! 何も吐かねぇぞ!」
「馬鹿言わないで。異界人の知識なんて、すぐに越えてみせるわ。私はただ、捨てられた命を拾っただけ。お前の命は今、私が拾った。私の言うことを聞きなさい!」
喚く男の胸ぐらを掴む。
そのまま、崩れかけた楼閣の上から投げ飛ばす。自分も数歩助走をつけて、楼閣から大跳躍する。
瞬間、楼閣が瓦解した。
「尚香、無事か!」
「尚香!」
先に着地している権太子と飛燕が、楼閣から離れた場所で尚香の名を叫ぶ。
もうもうと上がる土煙。
ぱちぱちと燃える鉄鳥。
太子夫妻の表情が変わる。火はバクダンのものか。権太子の読みが外れて、まだ鉄鳥に積まれていたのか。
緊張が走る。
やがて、もうもうと立ち上っていた土煙が薄れていくと、二つの影が姿を表した。
「殿下、ご無事ですか」
「尚香!」
ちょっとボロっとした尚香が、一人の男の首根っこを引きずりながら歩いてきた。
飛燕が駆け寄ろうとしたのを権太子が引き止め、尚香の引きずる男へと視線を向ける。
「それは?」
「鉄鳥の脳ですよ。殺すよりも生かすほうがいいと思いまして」
「よくまぁ、あの状況で助けられたな……」
「御者部分の防御が玻璃だったので。鉄なら諦めていましたよ」
しれっと言えば、権太子は呆れたように肩をすくめた。
「さすがの怪力だな」
「まぁ、これのせいで隠されていましたから」
尚香が後宮の隅に隠されていた理由。
それがこの怪力のせいだった。
女の手に余るほどの大弓を引けるのも、人の倍の距離まで矢を届かせられるのも、この怪力のおかげ。
「この男の処遇はどうする。お前に任せてもいいか」
普通なら権太子が率先して引き取るべきだが、あえて尚香に任せられる。任して、もらえる。
尚香は屈託なく笑った。
「私が拾ってきた命ですから。私が面倒見ますよ」
まずは一つ。
ガルーダ帝国が内包する異界の知識に対し、反撃の狼煙はあがった。
◇ ◇ ◇
明け方、鉄の鳥がごうんと囀った。
がらんとしてしまった後宮の跡地で、鉄の鳥が今か今かと羽ばたくのを待っている。
「くっそ……本当に直しやがった……」
「言ったでしょ、うちの絡繰技師だって負けちゃいないって」
蘇った鉄鳥の背で立ちながら、尚香は足元の青年に笑いかけた。
鉄鳥の頭にある御者席に座った青年は襟巻きを鼻まで引っ張ると、むっすりとした表情を隠してしまう。悪態をついているものの、内心は奢宵国の技術力に驚いていることなんて、この半年の付き合いで尚香にはお見通しだ。
「烏之瑪。羽ばたけそう?」
「その変な名前で呼ぶな」
青年は舌打ちをして、御者席で鉄鳥の神経に触れ、駆動を確かめていく。尚香はその様子を後ろから覗き込みながら、青年をたしなめた。
「言ったじゃない。貴方の命は私が拾ったって」
烏之瑪という名は、鉄鳥の一つ目だと思っていた場所に棲んでいた青年が、玻璃を通して瑪瑙のように複雑な色を持って見えたからそう名づけた。
名を捨てさせ、別人として生かす。
青年を尚香の保護下におくための、絶対条件がそれだった。
捕らえられた最初は反抗していた青年も、数日もしないうちに尚香の怪力を前に撃沈した。人形遊びをするかのようにせっせと世話を焼く尚香に抵抗すると、自分が怪我をする。うっかり粉砕された椀や、引き千切られた着物、足裏で踏み抜かれた床板を見て、本当に戦慄した。
もちろん、こっそり逃げようとも考えた。だけどどんな怪力でも皇女である尚香の周りには人の目があり過ぎた。その人の目が青年に対する抑止力となり、逃げること能わず今に至る。
尚香は青年が逃げ出したがっているのを知っていた。知った上で柔らかい布でくるむようにその退路を塞いだ。安全な寝床と、温かい食事、そして清潔な着物。衣食住全てを賄って、青年に恩を売った。
その上で、青年の乗っていた鉄の鳥を奢宵国の技師に修理させ、青年に与えた。
今日という日のために。
「烏之瑪、あと三十を数える間に飛んで」
「無茶言うなよ……!」
鉄の鳥の囀りを聞いて、人が集まってきた。
武官たちの先頭には尚香の師である右羽林軍大将の周泰だけでなく、権太子までいる。困ったような顔をしている権太子の横で、周泰が青筋を立てて尚香に怒鳴った。
「馬鹿な真似は寄せ、尚香!」
「お師様、時間がないのです。馬よりも鳥のほうが速い。ガルーダ帝国の持ち込んだ瘴気が国境を越えたら、奢宵国だってひとたまりもない。その前に止めないと」
鉄の鳥を修理したことで判明した、ガルーダ帝国の禁忌破り。
鉄の鳥の胃袋には瘴気を生む粘っこい水が詰められていた。それを燃やすことで絶大な力が生まれる。ガルーダ帝国は鉄で作られた大きな鳥を空へ飛ばすために、瘴気を生む水を利用した。
瘴気は力を与える代わりに、豊かな土壌や水源を汚染し、枯らす。国一つが瘴気に包まれれば、肌を焼く熱い雨を降らし、実りのあった大地は砂地と化す。
烏之瑪曰く、ガルーダ帝国は異界人により、瘴気を生み出す石と水から莫大な力を得る方法を得たらしい。
最初は生活を良くするためにと鉄の馬が発明された。すると鉄の馬が改良され、人や物資の大量輸送を目的とした瘴気百足が生まれた。
便利になった反面、この瘴気百足により、ガルーダ帝国は瘴気の蔓延が加速する。
今では空は瘴気の黒煙で晴れることなく、植物や大地は枯れ、家畜や人は病に倒れていく。
故にガルーダ帝国は領土拡大に踏み切った。
瘴気を生む禁忌の道具を利用して大地を穢しながら行進し、矛盾するように人が生きられる新鮮な土地を求める。力を得たガルーダ帝国は望むものを全て手に入れる強欲さを得てしまった。
その結果が、烏之瑪のようなガルーダ軍人で。
尚香は彼に、どうして鉄の鳥の操縦士として志願したのかを聞いたことがある。
烏之瑪の名前を与えた青年は空を見上げて答えた。
『もう一度、青空を見たかったから』
二十歳になるという青年が、青空を見ることの出来た最後の世代。あの綺麗な碧空に憧れて、この青年は鉄の鳥に乗り他国を蹂躙した。
尚香はそんな青年に同情はするけれど、同意して許すことはしなかった。
だから今、同じように蒼い空を奪われようとしている場所を助けるため、空に羽ばたこうとしている。――奢宵国の技師たちが半年かけて編み出した、瘴気を吐くことのない新世代の糧を得た鉄の鳥に乗って。
さすがに操縦士を育てることは出来なかったから、元々のこの鉄鳥の主人である烏之瑪に頼んだ。
まだまだ未熟な鉄鳥の餌は片道分だけ。
それも、元々爆弾が入っていた格納庫に予備の餌を詰んでの目安だ。
でも片道あれば充分。
現地に行けば、尚香にもできることが何かあるはず。
瘴気のせいで援軍を出せずにいる権太子の代わりに、打開策を見つけてあげたい。
その一心で、尚香は烏之瑪の座る御者席の後ろで仁王立ちになる。
「お師様。絶対に私が、私と烏之瑪が、国境で好き放題している鉄の鳥を全部撃ち落とすから」
だから、行かせてください。
尚香の威風堂々とした姿に、その場にいた誰もが唇を噛み、掌に爪を立てた。
あまりにも眩しい。
権太子が勇猛果敢な妹の切った啖呵に拍手を送る。尚香の武勇を信頼する者たちから次第に拍手が送られ始めると、尚香は嬉しそうにはにかんだ。
ただ若干名、その姿が気に食わなくて背を向ける。
そのうちの一人である周泰が踵を返して吐き捨てた。
「こんの馬鹿弟子め! 勝手にしろ! 儂の軍が先に着いていても文句は言うなよ! ――太子、出撃命令を!」
「師弟揃ってやる気だね。でも周泰は駄目だよ。国境に蔓延ってる瘴気を浄化する方法ができるまで、右羽林軍は出せない」
権太子の厳しい判断に、周泰は憮然とした表情になる。そんなこと、今まで何度も言われているから分かっている。
分かっているからこそ、権太子の英断を今か今かと手ぐすね引いて待っている。
「だから尚香、分かってるね?」
尚香は頷く。もう一人、不機嫌そうな顔でずっと尚香に背中を向けている青年へと頭上から声掛ける。
「行くよ、烏之瑪」
「だから、変な名前で呼ぶな」
烏之瑪は前髪ごと持ち上げていた厚い眼鏡をおろし、鉄の鳥の舵を握る。
異国の青年の瞳が燦然と輝いた。
「天候よし。風向きよし。風速よし。エンジンスタンバイ。姫さん、座って窓閉めろ!」
尚香は言われるまま、玻璃でできた厚い窓で御者席に蓋をする。
御者席後部の狭いスペースに身を潜ませた尚香は、ガタガタと身を震わせる鉄鳥の躍動を感じて。
「シャヨウ型ゼロ号機、離陸する!」
烏之瑪の言葉と同時に、全身を押し上げるような圧が尚香を襲った。
ゴウンと鳴いた鉄鳥は大空へと大きく羽ばたく。
尚香が玻璃の窓からそっと外の景色を見てみれば、大地はあっという間に小さく遠くなっていって。
「本当に飛んでる……!」
「そらそうだ。異界の技術はすげぇよ。たとえ瘴気で国を穢しても、こんなもんを手に入れたら手放せねぇ。……奢宵はよくやったと思うぞ」
便利な物を使うために瘴気の蔓延を許したガルーダ帝国。対する奢宵国はその技術を盗みながらも、瘴気を生み出さない方法を編み出した。たとえ効率が悪くとも、その身を滅ぼさないように。
そして今、ガルーダ帝国にとって一番の脅威が奢宵国となる。
皇都より鉄鳥が飛び立ち約一刻。
尚香たちは今にも国境を越えようとしている瘴気の黒靄を捉えた。
「あそこ……!」
「あれが瘴気だ。あれが出てるってことは鉄の鳥以外にも来ているぞ」
国境に近づくにつれ、ガルーダ帝国による蹂躙の惨劇が露わになっていく。
国境を定めていた関所の壁は崩れて瓦礫と化している。今はその瓦礫のせいでガルーダ兵士も前進できずに立ち往生しているだけだ。
「左羽林軍の姿が見えない」
「捕まったか、死んだか、後退したか。だけど関所を瓦礫にしたのは正解だな」
「どうして?」
「戦闘用大型鉄の馬の瘴気戦車がいるし、物資補給用に瘴気百足の線路が引かれてる。瓦礫を退かすまではあいつらはこっちに来られねぇ」
ガルーダ帝国に弱点があるとすれば、瘴気による行動制限だ。瘴気の黒靄が空を覆えば、鉄の鳥は使わなくなるらしい。黒靄を人間が吸えば死に至るからだとか。
さらに瓦礫で地上の道を塞げば進軍も遅くなる。足止めとしては最適解。
「どうする。これ以上近づくと俺らも瘴気に飲まれる。地上に降りるか、引き返すか」
尚香がどうするべきか思案していると、不意に視線の先で何かが光った気がした。
「何か今、光った気がする」
「あぁ? そんなの気の所為……うわ、まじかよ」
烏之瑪の顔が引き攣った。
尚香も見つけた光の源に視線を凝らして、目を疑う。
瘴気百足がもうもうと瘴気の黒煙をあげながら、鉄の鳥を屋根の上に乗せて国境へと近づいてきている。
あの鉄鳥をどうするのかといえば、瘴気百足の背を滑るように走らせて、空へと旅立たせてくる。
鉄の鳥は空へと放たれると低空飛行で瘴気の黒靄を抜け、関所の内側、尚香たちのいる奢宵国の空へと侵入してきた。
「瓦礫を退かせれねぇから、空からってかぁ!?」
「烏之瑪、全部落とすよ!」
「馬鹿言うな! 何騎いると思ってんだ! いち、に、さん……七騎相手に一騎で太刀打ち出来すか!」
烏之瑪が叫ぶと同時、敵のうちの一騎がこちらへ向けて真正面から飛んでくる。烏之瑪は舵から片手を離すと、舵の脇にあるつまみを操作する。
敵方の鉄の鳥の嘴が、ぴかっぴかっと光った。
「光ってる。何をしてるの?」
「光譜っていう、光の言葉だ。ここのつまみを捻ると光る。光の長さと拍を組み合わせて言葉にするんだが……」
ぴかっ、ぴかぴかっ、ぴかっ!
「あれはなんて言ってるの」
「……一番聞きたくねぇ言葉!」
目の前の鉄の鳥が急上昇する。
その腹には細長い筒のようなものがあり、筒の先端が尚香たちへと向けられた。
「やべっ、掴まってろ!」
「わ、あっ!?」
烏之瑪が急下降させた。頭上をすごい勢いで何かが通過していく。地上に墜落した何かは派手にはじけ飛んだ。
異界の知恵の実だ。
「敵と認識された! 逃げるぞ!」
「馬鹿言わないで。ここで食い止める!」
尚香は窓を開けて、鉄鳥の外へ飛び出した。
長い黒髪が向かい風を受けて後ろになびく。突然の風圧に烏之瑪が慌てて力いっぱいに舵を握る。尚香は武器を握ると、鉄鳥の上で仁王立ちになった。
頭上に影がかかる。烏之瑪が何か叫んでいるけれど、風の音で聞こえない。
尚香は武器を掲げて――跳んだ。
槍のような武器を頭上に一直線。
上空にいた鉄の鳥の右翼に突き刺さる。
そのまま尚香は穂先を開いて大穴を開けた。
「通った……!」
これは、尚香専用に改造された武器。
見た目は傘だ。だけど石突きは槍のように尖っているし、骨組みは堅くちょっとやそっとじゃ折れやしない。さらに小間は奢宵国の技術の結晶である絶対に破れない鉄壁の布、金剛布でできている。
閉じれば矛に、開けば盾に。
玩具のようなこれが尚香の武器だ。
尚香の怪力をもってすれば、この武器で鉄の鳥程度の薄い外殻なら破壊できる。
槍のような長い獲物は格納場所に困るし、鉄鳥を叩き落とせるような大剣は重くて空中では扱いづらい。考えた末に空中戦で扱いやすいと思ったのが、飛燕太子妃を護衛する際に暗器として携帯していたこの戦闘傘だった。
尚香は鉄傘で開けた穴から素早く鉄鳥の右翼へと乗り上がり、均衡を崩させる。駄目押しとばかりに右翼の付け根に石突きを突き立て、めりっと胴から切り離した。
一騎、鉄の鳥が一直線に落ちていく。途中、兵士が脳から脱出して落下傘を開くのが見えた。
尚香もまた、傘を開きゆるやかに降下していく。
足元に烏之瑪の操る鉄鳥が来たので、尚香は傘を閉じ、すたんっと鉄鳥の背に着地した。
「危ねえことすんなよな!? 肝が冷える!」
「できるって思ったからやっただけ」
一騎墜落させたことで、尚香は空中戦でのやり方を覚えた。
こちらも鳥を飼っている。
空を飛ぶ敵なんて、もう怖くない。
「烏之瑪、あとどれくらい飛べる?」
「燃料の残目盛りがあと二しかねぇ。追い回すのも、追いかけ回されるのも無理だ!」
「なら、私の足場にはなれるね。私が傘を開いたら、足元に来て!」
「おいこらぁ!」
尚香はまた大きく跳躍した。傘を開いて風を受け、こちらを狙って真後ろについた敵の鉄鳥の視界を塞ぎながら、玻璃の窓へと張り付く。
鉄の鳥の脳に棲んでいる兵士ににっこりと笑いかけた。
「玻璃は割れるのよ」
呆けている兵士を前に、玻璃でできた鉄鳥の目を潰す。兵士をぽいっと外へと放り投げた。
兵士は絶叫しながら墜落していく。地面に激突する前に落下傘を開いて、ゆるやかに落ちていった。
尚香はそれを見届けるとその場から大跳躍し、一番近くにいた鉄鳥に飛び移る。同じように玻璃の窓を素手で粉砕し、中にいた兵士を外へと放り投げた。
さすがに近づくのは危険だと思ったのか、鉄鳥が近づいてこなくなる。
尚香は跳躍し、傘を開いた。
烏之瑪が足元に機体を滑り込ませる。
「上に」
尚香の指示で、烏之瑪は上空へ上がる。
跳躍した時の飛距離が足りないなら、上から落下して飛距離を稼げばいい。
尚香は獲物を捕捉できるギリギリの地点を見極めて、跳躍する。
滝から落ちる鯉のように、まっすぐに敵の鉄鳥へ落下した。
鉄傘を突き出し、構える。
鉄鳥の胴体に尚香が全体重を乗せて突き刺す。
がっくんと鉄鳥の均衡が崩れる。
鉄鳥の背中に着地した尚香は同じように玻璃を粉砕し、中にいた兵士を放り捨てた。
これで四騎。
残りは三騎。
黙ってやられるわけもなく、三騎は烏之瑪の機体を取り囲むと、胴から見せる筒から轟音で異界の知恵の実を打ち出した。
「おい、中引っ込め! さすがに逃げるぞ!」
「平気! たぶんこれくらいなら――」
尚香は傘を広げた。
ちょっと揺れるだろうけど、烏之瑪には我慢してもらおう。
尚香は鉄の鳥を舞台に、傘を広げて踊る。
右翼へ、左翼へ、後尾へ、頭へ。
傘を広げて、鉛の玉を受け止め、転がして、跳ね返して、踊る。
熟練の芸子のように、尚香は傘を道具に鉛玉を転がして遊ぶ。
これが、尚香が傘を盾に選んだ理由。
金剛布は異界の知恵の実でも破れない強度を持っている。小間で柔らかく受け止めることができれば破裂もしない。尚香の豪速の矢でも貫けないほどの強度だから、盾には最適だ。
ただ必要なのは技量だけ。
小間で受け止められずに破裂したら、その衝撃は直に自分の身に響く。
「異界の知恵の実、お返ししてあげる」
傘の上で転がしていた鉛玉を、尚香は落下させた。
いつの間にか烏之瑪の操る鉄鳥は瘴気百足の頭上にいて、落ちた異界の知恵の実は瘴気百足の装甲を弾けさせた。
「燃料がもうねぇって!」
「じゃあ、関所の中に避難しよう」
「そう簡単に言いやがって……!」
四騎残してしまったけれど、瘴気百足に打撃を与えられた。戦果としては充分だ。
「その前に、あの鉄の鳥に光譜でこう伝えてくれる?」
「なにをするつもりだ」
嫌そうな顔の烏之瑪に、尚香は笑顔で答える。
「権太子の伝言を」
「伝言って?」
「これ」
ぴらっと一枚の紙を烏之瑪に渡す。
それを読んだ烏之瑪は天を仰いで溜め息をついた。
「奢宵を敵に回したのは失敗だな」
「後悔した時には遅いんだよ」
烏之瑪は光譜を打つため、舵の横にあるつまみをひねる。
――瘴気を浄化したければ、異界の人間を連れて奢宵国皇都へ。
これが奢宵国からの、最初で最後の救済となる。