星降る町*3
何が冗談かは分からないが、ひとまず冗談だったらしいから冗談ということにして笑って済ませるに限る。はい、おしまい。フォーリンが仕事としてじゃない理由でゴルフボールを殺していたとしても僕には関係のないことだ。
「あら、気にならない?殺し屋じゃないなら、私は何なのか、って」
ただ、話を終わりにするには両者の合意が必要だ。フォーリンが話を続ける以上、僕も話に引きずられていくしかない。
「そうだな、知り合いには、『歌の上手い狂人』って聞いてるけれど」
この町においては比較的当り障りが無いであろう言葉で答えると、フォーリンは『あら、大正解』と笑いつつ、コーラのグラスを傾けた。こうした仕草が本当に綺麗な女性だな、と僕はぼんやり思う。
「まあ、そうね。私は『歌の上手い狂人』。殺し屋じゃないし、歌手でもない。そして趣味はマシンガンをぶっ放すこと」
やっぱりアレは趣味か、と納得する。彼女、楽しそうだったからね。
「だから今日は満足よ。マシンガンをぶっ放せたし、また1人、憎い奴を殺せたから」
「無差別、というわけではないんだね」
「流石にそこまで狂っちゃいないわ!」
無差別殺人と計画殺人、どちらがより狂っているのかの判断は難しいところだ、なんて考えつつ、僕はフォーリンの横顔を眺める。『憎い奴を殺した』女性の晴れ晴れとした顔を見ていると、あのゴルフボール頭の彼は一体何をやったんだろう、と気になってくる。
「今夜は気分がいいわ。ねえ、ポテトヘッド。フライドチキンをもう1つ追加で」
だが、フォーリンはこれ以上話さないような気がする。探るなら別のところから探れ、ということだろうか。下手に首を突っ込んでもいいことなんて無いだろうな、とは思うので、まあ、後は今後の僕の気分次第、ということにしよう。
「よし、揚げておこう。ところでストレンジャー。そろそろデザートに取り掛かるかな?」
「ああ、そうする」
マスターが僕の目の前に置いたマフィンは、直径8㎝程度。こんもりと丸い頭が優しいきつね色をして、蜂蜜の香りを漂わせている。これは中々期待が持てそうだ。僕は早速、コーヒーでそれを頂くことにした。
結論から言えば、ハニーマフィンはコーヒーとよく合う、最高のデザートだった。今度またこれがメニューに並ぶことがあれば、是非注文しよう、と僕は心に決めた。
翌朝。僕はたっぷり寝過ごして、ベッドの上で体を起こす。
僕と一緒に寝坊した鍵におはようの挨拶をすると、鍵はまだ少し眠たげに、すりすり、と僕の頬にすり寄ってきた。
時刻は10時50分。これから朝食という気分でもないけれど、コーヒーは欲しい気がする。僕はだらだらと身支度を整えて、パブへと向かうことにした。
時間が時間だからか、パブの中はガランとしていた。僕以外に客は居ないらしい。
「おや、今日は寝坊したのかい、ストレンジャー」
「ああ。この町に来て初めての休日だったものだから」
そして今日も24時間営業中のマスターに挨拶をして、コーヒーだけ注文する。昼食は昼食で摂りたいけれど、ひとまず今はコーヒーだ。
「全く、今日は顔見知りが誰も来ないかと思ったよ。ニワトリも来ないし、君も寝坊したものだから!」
マスターはそう言って笑いながらコーヒーを淹れてくれる。ふわり、と漂う魅力的な香りが、のどかな休日を演出してくれる。
「ニワトリも寝坊かな」
「いや。あいつはどうせフォーリンに付き合わされてどこかで歩いているんだろう。ほら、フォーリンが昨日、また何か殺したみたいだし……」
更に、コーヒーの香りに加えて少々刺激的な話題までもが提供された。コーヒーが来るまでの時間、マスターも暇を持て余していると見えて、聞いてもいないのに話し始める。
「フォーリンは元々、ちょっとしたスターだったんだ」
「彼女の歌は、まあ、あの当時はもっと大人しかったのだけれど、それがこの町の外では受けるらしくて」
言われて、フォーリンの歌を思い出す。バラバラで突拍子もなくて、それでいて一本の筋が通っているような、酷く魅力的な歌だった。あれが大人しかったとしたら、魅力が半減するんじゃないだろうか、なんて思う。
「だが、ちょっと色々あったらしい。詳しくはフォーリンかニワトリしか知らないが……とにかく、彼女はスターの座から落っこちたんだか、自ら飛び降りたんだかした。そしてそれ以来彼女は『FALLING STAR』ってわけだ。それがさらに短くなって、『フォーリン』っていうわけさ」
マスターは話して、それからふと、窓の外を見る。窓の外では丁度、扇風機が闊歩していくところだった。羽がよく研がれた金属でできていたところを見ると、きっと殺人扇風機だろう。まあ、このパブの中に入ってこないなら別にいい。
「昨日、フォーリンがゴルフボールを殺したって?」
「ああ、うん。ミラーボールに成りすまそうとしていたゴルフボールに、マシンガンを、こう」
マスターに尋ねられたので、マシンガンを構えて撃つジェスチャーをして見せる。マスターは『いつもの通りだなあ』とのんびり言って、それから、丁度出来上がったらしいコーヒーをカップに注いで出してくれた。
相変わらず、ここのコーヒーは最高に美味い。今日のコーヒーはたっぷり寝坊した気だるい休日にもしっくりくる、重ためな香りと深い深い苦みが魅力的だ。
「成程なあ。ということは、何かまた情報が手に入ったんだろう」
「情報?」
コーヒーカップを片手に聞き返せば、マスターは演劇めいた仕草で顔の前に指を一本、立てる。
「フォーリンは殺し屋でも歌手でもない。情報屋なんだよ。ニワトリの依頼を受けてるのさ」
気になる話を聞いてしまったけれど、ひとまず僕はコーヒーを飲み終えて家に帰る。家を出て1時間もしないで帰宅したのは初めてだったから、鍵が少々戸惑ってくねくねしていた。落ち着かせてやるためにまた少々撫でてやってからドアを開けて、さて、昼食までに少し部屋の掃除でもしようかな、と思い立つ。
この町に来てこの部屋に住み着いてから、まだまともに掃除ができていないから。
掃除は案外、早く終わった。というのも、窓から『あの日助けていただいた蟹です。恩返しに来ました』と蟹がやってきたからだ。脚が12本ではなく8本のやつ。
蟹は立派に成長して、僕の身長を超えるくらいになっていた。そして足が8本もあるものだから、掃除も手早い。窓を拭きながら窓を拭いたり、床を拭きながら床を拭いたり、大変活躍してくれたので、思っていたよりずっと楽に、部屋の掃除が終わったのだ。
部屋掃除の礼に、蟹にはポテトチップスをプレゼントすることにした。食料の段ボールの中に、筒形のパッケージの古き善きポテトチップスがあるのを蟹が見つけて、目を輝かせていたから『よかったら持って行くかい?』と聞いてみたのだ。そうしたら蟹は、僕まで嬉しくなるくらいに喜んでくれた。
まあ、僕としては投げ捨てた蟹が復讐じゃなくて恩返しに来てくれた時点でお礼の品を送るくらいのことはしてもいいと思ったし、お互いに丁度良かったと思う。
掃除を終えて、丁度昼食の時間になった。僕はまた部屋を出て、鍵にまた戸惑われつつパブへと向かう。
パブの中には、客が居た。昼食を取りに来たらしい墓石と、平行四辺形のぼたもち。それぞれが向き合っているものは、ローストビーフとヨークシャープティングのプレート。グレイビーソースがたっぷりと掛かったそれが今日のおすすめなんだろう。
昼食も食べにくるよ、と予め伝えてあったので、マスターは僕の分の昼食を用意しておいてくれたらしい。早速、カウンター席で美味い食事にありつく。本日最初の食事だし、掃除で一働きした後だったし、体は存分に食事を欲していたようだ。僕はさっさと昼食を食べ終えてしまった。
そうして食後のコーヒーを飲みつつ、さて、午後はどうやって過ごすかな、と考えていたところ。
「こんにちは。ストレンジャー、今から昼食?」
「いや、丁度食べ終わったところだよ」
フォーリンが1人、丁度やってきた。断ってから僕の隣の席に座った彼女は、今日も赤いドレス姿だ。もしかしたらまたどこかでマシンガンをぶっ放してきたのかもしれない。或いは……。
「フォーリン。1つ、聞きたいんだけれど」
「ええ、どうぞ」
少し緊張しながら、僕は、彼女に尋ねる。
「君は、町の外にも詳しそうだけれど、町の外の情報を教えてもらうことって、できるかな」
すると、フォーリンは目を細めて笑った。
「誰から聞いたのかは大体想像がつくけれど、まあ、いいわ。やってあげる」
カウンターの向こうでマスターが『降参』というように両手を掲げると、フォーリンは楽し気にくすくす笑って、マスターに今日のおすすめとコーラを注文する。今日はフライドチキンじゃないらしい。
「それで、ストレンジャー。あなたは何の情報が欲しいの?」
早速目の前に置かれたコーラのグラスを傾けながら、フォーリンは手帳を取り出してメモをとり始める。依頼を受けたらメモする、ということなのかもしれないし、そういう振りをしているだけかもしれない。
「ええと、人の情報が欲しい。今、何をしているか、とか、その程度が分かればいいんだけれど」
「それくらいならお安い御用よ。それで、その相手の名前は?」
ちら、と視線を手帳から僕へ移したフォーリンを見つめ返して、僕は少々緊張しながら、言う。
「安浦。安浦、京」
随分と久しぶりに口にした名前だったけれど、覚悟していたよりはずっと滑らかに言えた。
内心でほっとしつつ、『それ、どういう字を書くの?』というフォーリンの質問に応えて書いて見せたり、その間にマスターがフォーリンの昼食を運んできたり、『その相手の住所は?』『リトルハット行政区。少なくとも、僕がこっちに転勤してくるまでは』なんてやりとりをしたりして、ひとまず、僕の依頼は受け付けられた。
「ふうん……分かったわ。調べておいてあげる。次に町に戻ってくるのが何時かは分からないけれど、多分、きっとそう遠くじゃないわ。その時に教えてあげるわ」
「ありがとう。助かるよ、フォーリン」
僕は彼女と握手し合う。彼女は『狂人』らしいけれど、狂人と手を組んじゃいけないってこともないだろう。それに彼女は狂人の中では相当に理性的な方だ。手を組むには理想的な相手だろう。
それから僕らは少々雑談に興じた。フォーリンは、今までに見てきた中で面白かった客の話や、歌の話、コーラの良し悪しについてや、最近ストレンジタウンでよく見かける猫の耳と尻尾が生えたポリ袋が懐かせてみると案外可愛いという話なんかをしてくれた。
僕は、職場の兵長蜘蛛とその部下の新兵蜘蛛達の話や、うちの鍵の話、それから、近々職場の枯れた観葉植物の代わりに何か植物を育てようと思っている、なんて話をした。まあ、つまり、他愛もない話だ。
それからフォーリンは、僕がこの間、臓器売買の手から死体を身代わりにして逃れた時の話を聞きたがった。どうも、マスターからちらっと聞いて、大層その話がお気に召したらしい。僕がことの顛末を伝えると、彼女はきゃらきゃらと笑って喜んだ。『私が知る限り最も整合性が役立った瞬間だわ!』とのことだ。後であの整合性売りに伝えておこうかな。君が売ってくれた整合性のおかげで、1人のレディーが笑顔になったよ、とでも。
「それで、あなたの上司はどうしたの?まさか、あなたが死んだものと思っているのかしら」
「そうだね。僕が上司の前を横切っても、まるで何も見えていないようだった。ただ消火器をふかしているだけでね」
「あらまあ。公務員ですら消火器吸引してるなんて、世も末ね!」
「ついでに部下の給与を横領しようともしている。世も末だよ」
フォーリンは怠惰な公務員の話がお気に召したようで、さっきからずっと楽し気に笑っている。あの上司も話のタネにはなったんだから、まあ、全く僕の役に立ってくれなかったわけじゃないな、と僕は少しばかり、上司に感謝を捧げた。0.1カラット分くらい。まあつまり、吹けば飛ぶような重量の感謝だけれど。
「その上司、いつか反消火器勢力に消されるんじゃない?」
フォーリンはコーラを飲みつつそう言う。
……そして僕は、流石にその言葉を、聞き捨てならない。
「反消火器勢力?それ、冗談じゃなかったのか?」
「え?あなた、反消火器勢力を知らないの?」
驚く僕に、驚くフォーリン。成程ね。そこは冗談じゃなかったって訳だ。
なら、あの上司の命運が尽きる日も近いかもね。