死体ロンダリング*3
ひとまず、僕は食事を楽しんだ。ソーセージは食べたことを後悔させない素晴らしい味だった。パリッと香ばしい皮に、じゅわりと溢れる肉汁のジューシーさ。そう、ソーセージはかくあるべきだ。つまらない批評なんかしていないで。
それに、マッシュポテトがとても美味かった。滑らかで、けれど水っぽくない。実に理想的なマッシュポテトだったと思う。
そういえば聞きそびれたし、このまま永遠に聞きそびれておこうと思うけれど、パブで出てくるジャガイモはマスターの頭なんだろうか。いや、流石にニワトリが卵を提供するのとは訳が違うか。……違うといいな。
食事を終えたら、早速、僕はパブの裏手に回る。換気扇の排気口とか、エアコンの室外機とか、何かのパイプとか、そういうものが油と埃で汚れて雑多に組み合った横に、今朝見た麻袋が山と積まれていた。
「自分の身代わりに死体を使おう、って魂胆か。いいね!エコだね!」
「エコかな」
ゴミ出しついでに出てきてくれたマスターはそんな感想を言ってくれるが、どちらかというと、エコというよりはエゴじゃないだろうか。まあ、死んでいる以上、利用させてもらってもいいだろう。どうせここは、ストレンジタウンだ。
「ああ、エコだろうとも。ゴミの再利用だ。こういうのがエコってことだろう?……俺だったらなあ、まあ……『一番手っ取り早い方法』を取るだろうけれど、君のその発想は嫌いじゃないよ、ストレンジャー!」
マスターは『ここの死体は好きに使っていい』と太っ腹に許可をくれた。まあ、これらの麻袋は燃えるゴミの日が来ていないからまだここにあるだけで、別に用途があるわけでもないらしい。なら、遠慮することもないだろう。
マスターはついでに『がんばれよ!』とばかりに親指を立てて店へ戻っていく。僕はその背中を見送って、早速、麻袋の内の1つを運びにかかる。
だが、水気を切って袋詰めしたからといって、死体の重さがそう変わるわけでもない。案の定、持ち上げるだけでも難儀する。
「手を貸すか」
「いや、いい。大丈夫」
ニワトリが親切に声を掛けてくれたが、これは流石に僕1人でやるべきだろう。その辺りに古びて打ち捨てられている台車が見つかったので、それに麻袋をなんとか載せる。これで運搬はなんとかなる。
僕はそのまま、職場までガラガラと台車を押していく。
夜のストレンジタウンでは、台車に死体を載せて運んでいる程度じゃ目立たない。何せ往来には、歯磨き粉を延々とまな板の上に絞り出している奴とか、耳と尻尾が生えたポリ袋とか、電柱でポールダンスしている奴とか、まあ、色々なものが雑多にごった返している。煩い奴も黙っている奴も、もう二度と動かない奴も、様々だ。麻袋の台車程度、なんてことはない。
今も僕の横では埋められていた地雷が爆発して生クリームが飛び散って、それを浴びながら際どい水着姿の遮光器土偶が笑っている。『ハッピーバースデー!』とのことだ。まあ、毎日が誰かのバースデーだよな、と納得しながら、僕はガラガラ台車を押し進めていく。
騒がしい往来を進んで、僕は職場のガラス戸を開ける。鍵も何もない、セキュリティの欠片もないガラス戸がなんともありがたい。
台車を押して部屋の中に入ると、冷蔵庫を開ける。無駄に大きな冷蔵庫は、特に何かが入っている訳でもない。空き瓶とコードレス掃除機と煮干しが4つ入っているばかりだったので、それらを取り出して、中に麻袋を詰めておく。明日の朝、冷蔵庫から出せばいいだろう。
冷蔵庫の戸を閉めると、どっと疲れが湧いて出た。何せ今日は朝から色々なことがあった。思い返したくも無いほどに。
僕はそのまま3分くらいぼんやりしてから、職場を出ることにした。勿論、その前に、冷蔵庫にあった煮干しを一等兵蜘蛛に与えるのを忘れない。『叙勲でありますか!?』と目を輝かせる一等兵蜘蛛に、『これからもよろしく頼むよ、兵長』と労いの言葉を掛けて、僕は職場を後にした。
台車をなんとなく元の位置に返してから、家へ帰る。玄関ドアの前まで戻ってくると、出番を察知した鍵が、そっと僕の鞄から顔を出す。それを少々くすぐってやってから家の中に入って、内側から鍵とチェーンを掛けておく。ちなみにこのドアは防弾加工してあるらしい。頼もしいことだ。
それから鍵と一緒に風呂に入って、すっかり温まった鍵が眠たげにしだしたところで僕も寝床に入ることにした。
自分の家だからといって特に何もやることが無いのは、良いことなのか、悪いことなのか。まあ、鍵の世話がある分、張り合いもあるというものか。
翌朝、僕は意識して早く起きた。日が昇り始める頃に身支度を終えて、家を出る。
流石にこの時間にはパブはやっていないだろう、と思っていたけれど、なんと、パブは既に営業を開始していた。このパブ、まさかワンオペ24時間営業なんだろうか。いや、まさかね。
マスターのことが心配になりつつ、パブに入ったらマスターが昨夜と変わらない様子で「おや、早いねストレンジャー!」と声を掛けてくれたので、疑問と心配は横に置くことにした。きっとこの町ではあらゆることについて深く考えない方がいい。
それから昨日の朝と同じように、コーヒーとトーストを注文する。今日の卵料理はベーコンエッグだった。あのニワトリの卵なんだろう。まろやかで濃い旨味を内包していながらもさっぱりとした後味で、実に一日の始まりとして相応しい。
そしてやっぱり、コーヒーが最高だった。僕はこの町に居る間ずっと、このコーヒーを毎朝味わおうと心に決める。これくらいの贅沢が無きゃ、やってられない。
特に……今日みたいに、朝から死体と向き合う羽目になると決定しているような朝には。
朝食を終えたらすぐ、僕は職場へ向かった。
職場のガラス戸を開けて中に入れば、まだ、上司の来ていない、がらんとして静かな部屋があった。ひんやりと静まり返って、どこか夜めいた気配すら感じさせる。だが、朝だ。
早速、昨晩の冷蔵庫から麻袋を取り出す。麻袋の紐を解こうと思ったら、結び方がきついのか、はたまた結び目に血か肉汁かが付着して固まってしまったのか、まるで解ける気配が無い。
仕方がない、僕はカッターナイフを鞄から出して、それで紐を切って麻袋の包みを解いた。
そうして、ぼてり、と床に落ちた死体は、昨日見た時よりも生々しさが減っている。水気はちゃんときって袋詰めしたし、何より、一日寝かせたからだろうか。
だが、その分、命が失われた肉としての気配が濃くなっていた。より人形らしい、というか、より死体らしい、というか。
昨日の朝にはまだ生き物だったものが、生き物ではなくなってここに転がっている。その違和感を噛みしめながら、僕はさっさと死体を床に転がしていい具合に配置すると、物陰に隠れておく。
そうして始業6分前になると、上司がやってくる。
さて。上司がどこまで狂人で居てくれるかが問題だけれど。
僕は、ポケットにつっこんであるカッターナイフに触れながら、しばらく、上司と死体の様子を見守ることにした。
上司は物陰の僕に気づくことなく、早速、床の上の死体に気づいた。
ニワトリの見事な鉄パイプフルスイングによって頭部をぐしゃぐしゃに破壊された死体は、恐らく脳以外の全ての臓器が無事だ。まあ、死後1日が経っているけれど。
この町には、出前のカタログを住民票だと納得して持ち帰るような狂人がごまんと居る。ナマコを叱りつけたり、顔面が膝だったり、色々な奴が居る。
そして、消火器を吸引している奴だって、十分すぎる程に狂人だ。そして狂人は狂人だから、死体が死体だということに気づかない。或いは、死体が死体だと気づけたとしても、それが誰かなんて分からない。
元々、僕の顔なんて覚えていなかっただろう上司は、早速、床の上の死体に話しかけ始める。
「おい、新入り。いい報せがある。今日の業務は無しだ」
上司は死体のご機嫌を取るようににっこりと微笑んで、如何にも機嫌よく寛大な素振りを見せるのだ。
「君もゆっくり休んでくれたまえ。ただ、ああ、そうだ。10時になったら来客がある。その時には必ずここに居るように。いいね?」
上司はそう死体に微笑むと、肩を震わせて笑い始めた。笑いは次第に大きくなり、やがて、泣き叫ぶかのような笑い声へと変貌していく。
一頻り笑い、そして噎せて、上司は気を取り直すように消火器を吸い始めた。『吸引禁止!違法消火器の吸引は禁止されています!』と書かれた消火器も、上司の手にかかればすぐこれだ。
チラチラと時計を見ながら、上司は少々落ち着かなげにデスク前の椅子に腰かけて消火器を吸い、やがて消火器から口を離してそわそわとそこらを歩き回り始める。一頻り歩き回ったら、今度は床の上の死体に『どうだ、コーヒーでも飲むか?』なんて声を掛けながら殺虫剤を差し出し始める。まあ、要は、浮足立って見える、と言っていい状況だ。
上司がそわそわと落ち着かなげなのを、僕はぼんやり眺めておく。それと同時、なんとなく、壁掛け時計も視野に収め続けて、上司と同じくその時を待った。
9時55分になったら、ガラス戸を開ける音が聞こえてきた。僕は変わらず積まれた段ボールの影でそっと様子を窺う。
「おお、おお!よく来てくれた!さあ、こっちだ」
上司が上機嫌で出迎えたのは、覆面をした三人組だ。1人はフルフェイスヘルメット、1人はバラクラバマスク、1人は炊飯器を被っている。着ている服は皆黒く、如何にも闇の業者、といった風情だ。
「前回はどうも。今回も期待の新人だ。よろしく頼むよ!」
そうしていよいよ、床の上の死体がお披露目される。よく水気を切った死体のお出ましだ。
「さあ、早速やってくれ!」
上司が笑顔でそう言うや否や、3人組はそれぞれ、メスやヤットコ、クーラーボックスやカップ麺などを取り出して、早速、死体の腹を切り開き始める。
だが。
「ん?どうした?早く作業を進めてくれたまえ」
上司が困惑する中、3人組の手が止まる。
黒いライダースーツのフルフェイスヘルメット頭が、首を横に振る。黒いスーツのバラクラバマスクも顔を見合わせて頷く。黒い作務衣の炊飯器は軽やかにタンゴのステップを踏んでいる。
そうして3人組は、すっかり死体の傍から離れてしまった。
「何……何!?」
どうやら3人組はぼそぼそと、上司に何か話しかけているらしい。僕に聞こえないだけか、はたまた、あの上司にだけ受信できる電波か何かを通して話しているのか。
「そんなわけはない!おかしいことなんて何もない!この新人は昨日、確かにここでマーガリンを練り上げていて、今朝、見ての通りここに出勤してきたばかりだ!それが昨日死んでいたなんて、そんな整合性の欠片もない言いがかりをつけられても困る!」
ヘルメットとバラクラバが顔を見合わせて困っている。炊飯器はタンゴからワルツに切り替えた。
「整合性が無い!整合性が無いぞ!整合性が!ええ!?整合性が欲しいのはこっちだ!どうしてくれるんだ!」
だが、上司は狂ったように叫んでいるばかりだ。これにはヘルメットもバラクラバも困り果てている。
何かをヘルメットが喋るが、上司は顔を真っ赤にしてがなり立てるばかりだ。バラクラバがメスを手持無沙汰にふらつかせてため息を吐いている。
そして、ちら、と、炊飯器が僕を見た。
背筋が凍るような気持ちで、近づいてくる炊飯器頭を見つめる。一歩、また一歩、と炊飯器が近づいてくるのだ。
奴らはどうするつもりだろう。死体の臓器は使い物にならないから、やはり僕を殺そうと考えるのだろうか。それとも、死体の臓器は別として、僕の臓器も欲しいという理屈か。
何にせよ、僕は激しく脈打つ心臓と、暑くもないのに流れる汗とをどこか他人事みたいに感じながら、ポケットに手を伸ばす。
炊飯器がぴろりろりろり、と電子音を鳴らしながら、開く。
するとそこには、炊き立てのバースデーケーキがほっこりと湯気を上げていた。
誰の誕生日かは分からないけれどおめでとう。
炊飯器が僕の前から去っていく。その間もヘルメットとバラクラバは2人で話したり、上司になじられたりしている。どうも、この状況は放っておいても好転しそうにない。
状況はまるで分からないが、上司は整合性のある説明をヘルメット達に求めているようだし、ヘルメットとバラクラバも上司に整合性のある説明を求めているらしい。炊飯器はコサックダンスを踊り始めた。
このまま膠着していれば、いずれ痺れを切らした上司が暴れ出すか、はたまた、ヘルメット達が上司を襲うかするかもしれない。或いは、今度こそ僕が見つかってバラされるか。
なら、先に動いた方がいいんじゃないだろうか。
考える僕の耳に、「整合性!整合性!」と叫ぶ上司の声が突き刺さる。その煩さといったら、本当に耳障りという言葉が最適なのだけれど、今はそれどころではなく……。
僕はそっと、窓から外に出た。もしかしたらヘルメットかバラクラバかが気づいたかもしれないが、構わず、走る。
そして、出張所の前の通りに出た時……期待していたそれは、居た。
「あっ!そこの方!お兄さんでもお姉さんでもなく、ただ、そこのあなた!」
僕を見て顔を輝かせる売り子の姿に、きっと僕の顔も輝いただろう。
「整合性、買わない?ジャンク品だけれどまだちゃんと使えるよ!」
「ああ、ありがたい!1つ売ってくれ!」
「これでいいな」
僕は『整合性』と書かれたシール(よく閉店間近のスーパーで刺身に貼ってあるような風情のシールだ)を、ぺた、と、床の上の死体に貼った。
すると、上司はにっこり笑顔になった。
ヘルメットとバラクラバも、覆面の下でよく分からなかったが、きっと笑顔になっていた。
炊飯器は作務衣の裾を翻しながら、勇ましくソーラン節を踊っていた。
炊飯器の中には相変わらずバースデーケーキが湯気を上げていて、ハッピーバースデーの曲が電子音で流れ始める。
何もかもが平和だった。
臓器売買の3人組は、死体をバラし、ケーキを食べ、死体の臓器をクーラーボックスに入れて帰っていった。そして上司は、どうやら僕が死んだと認識したらしい。その後、僕が上司の前を通っても僕の姿を認識していない様子だった。便利な脳味噌をお持ちのようだ。
それから僕のことを認識しなくなった上司が消火器を燻らせるのを眺めたり、僕は兵長蜘蛛になったばかりの蜘蛛がどこからともなく一等兵蜘蛛や二等兵蜘蛛を連れてきて小隊を編成し始めているのを眺めたり、折り紙で鶴を折ったりしながら午後五時まで過ごした。
そうして太陽が『嫌だ、沈みたくない!』と悲鳴を上げる快い時刻、僕は職場を後にして往来を歩き始める。
『やれやれ、俺はもう引退したんだがな……』と呟きながら街灯が灯り始める中を、我が家に向かって歩いていく。
明日から、どうすればいいだろう。上司は僕のことを認識しなくなったらしいが、僕の死亡届なんかが出されないようにだけ、気を付けておけばいいだろうか。
まあ、タワシの毛の本数は数えなくて済みそうだし、マッチ箱は開閉しなくてよさそうだ。折り紙は、まあ、暇だったらやってもいいか。
さて。
そうしてパブの前まで帰り着いた僕は、そこで朝は見かけなかったものを見る。
それは、パブのドアに張り出されたビラだった。素朴な一色刷りのビラには、こう、書いてある。
『FALLING is coming!』