死体ロンダリング*2
飛躍した推理だ。自分でもそう思うけれど、どうにも、色々なものが頭の中で絡み合う。
うちの上司は、新たに異動してきた人員を1人ずつ殺しては臓器を売っているんじゃないか、とか。つまり次は僕の臓器が売られるんじゃないか、とか。
思考は更に絡まりながら、どんどん飛躍していく。上司が出した手紙と、ヤギに4分の1ほど食われた手紙の関連性。路地裏で聞いてしまった会話。滑り込みセーフ大学とやらが臓器売買にかかわっているらしい事実。それから……異様に安い臓器の値段。心臓に200万は、無いだろう。せめて500万は、出してくれ。
いや、200万も500万も関係ないか。心臓を売った奴は金を使えない。そして、心臓を『売らされた』奴としては、自分の心臓で儲ける奴なんて死ねばいいので、できることなら200万どころか2円くらいで買い取ってほしい。
そんなことを考えながら歩いていたら、道端に絡まったコードが落ちていて、わたわたと藻掻いていた。よくよく見てみれば、空飛ぶスパゲッティモンスターだ。どうやら、空を飛んでいたところで釣り糸に絡まって墜落してしまったらしい。
それどころじゃない気もしたが、人によっては信仰対象だ。蔑ろにするのも気が退けたので、絡まっていた釣り糸をカッターナイフで切りつつ、助けてやった。
空飛ぶスパゲッティモンスターがふよふよと空へ帰っていくのを見送って、僕は、さて、と考える。
このまま職場に戻るのは、あまり賢いとは言えないだろう。ついでに、明日出社するのはもっと賢くない。
明日出社したら間違いなくバラされるだろうし、今日、このあと戻った時点でバラされる可能性だってある。そして明後日に出社したら、明々後日にバラされるかも。
かといって、永遠に戻らないっていう訳には、いかない。職を失う訳にはいかない。特に、このストレンジタウンでは。
……まあ、諦めはついている。この町に異動することが決定してから、ある程度、諦めという名の覚悟ができている、というか。まあ、そんなかんじ。
職場に戻ると、上司は僕に気づいた様子もなく、消火器を吸引していた。
「ただいま戻りました」
僕が声を掛けてはじめて、上司は消火器から口を離して僕を見た。
「ああ、新入り。コーヒーは買ってきたか?」
「残念ながら、品切れでした」
いつの間にか消火器がコーヒーにすり替わっている上司の頭の中を覗いてみたい気分だったが、それはそれとして、僕はできる限り愛想よく笑いかける。
「それから、郵便局で何通か手紙を預かってきましたよ」
どうぞ、と差し出すのは、ヤギに食べられたアレを除いたものだけだ。上司はそれらを僕から受け取って、妙に機敏な動作でそれらを確認した後、ぞんざいに放り出した。
「これで全部か?全く……遅い、実に、遅い。全く、全く……」
上司はぶつぶつと呟きながら、またも消火器を吸引し始めた。飽きないんだろうか、あれ。
「返事は遅い、最近の消火器は高いし、全く、碌でもない……」
ぶつぶつと言いながら、上司はまた、僕のことなんて気にならないとでもいうかのように、上司の世界に沈んでいってしまった。
僕はその様子をそっと伺いつつ、デスクに戻って折り紙を再開する。52羽目の鶴を折り始めてすぐ、いつもの『住民票が間違ってるんですけれど』の緑茶の人がやってきたので、すぐ中断する羽目になったけれど。
結局、緑茶の人は大人しく帰っていった。臓器売買のあれこれでちょっと上の空だった僕は『ああ、正しい住民票をお持ちします。少々お待ちください』と言ってからデスクに戻って、そこで上司がゴミ箱に捨てた出前のカタログ(さっき僕が運んだ封筒の内の1つがこれだったらしい)をコピーして『お待たせしました。こちらです』と渡したのだが、緑茶の彼はそれで満足して帰っていったのだ。明日からもう来なければいいが。
それから僕は定時まで鶴を折り続けて305羽を折り終えた。明日にはゴミになっている可能性が高い鶴だが、ひとまず、何らかの達成感は得られたような気がする。具体的なところはまるで分からないけれど。
上司がさっさと消えていったのを見て、僕もさっさと帰る。
……明日、どうしようかな、とぼんやり考えながら。
僕は家に帰る前に『PUB POTATO HEAD』に寄って、そこで夕食を摂ることにした。
今日のおすすめはグリルソーセージのプレート、とのことだったので、多少、注文に躊躇した。何せ、朝、不愉快なウィンナーソーセージが1人死ぬのを見たばかりだ。
けれど、店内にちらほらと見える他の客(サングラスを3重にかけた人とか、ジャックオーランタン頭の人とか、平行四辺形のぼたもちとか)のテーブルには、随分と美味そうなソーセージと付け合わせのマッシュポテトの皿が載っているのだ。こんがりと焼き目のついたソーセージも、如何にも滑らかでまろやかなのだろう見た目のマッシュポテトも、僕の食欲を存分に刺激してくれたので、しかたない。それを注文する。
僕がカウンター席に着くと、カウンターの向こうでは早速、さっ、と茹でられたソーセージがじっくり焼かれ始める。ぱり、と皮が弾けては脂が滴り、なんともいい香りを漂わせるのだ。ああ、これは美味そうだ。
存分に期待しながら待っていると、やがて、大ぶりなソーセージが5本焼き上げられて、皿に盛られる。そこにマッシュポテトが添えられる。本来ならここにビールでも付けたらいいのだろうけれど、生憎、まだこの町で酔えるほどには危機感を失っていないので、パンと野菜のスープを付けてもらった。
「ところでストレンジャー。君、何かあったのかい?少々浮かない顔をしているように見える」
僕の前に料理を置きつつ、マスターがそう、聞いてくる。少々食欲を損なう話題だが、まあ、しょうがない。
「どうも、うちの上司が臓器売買に手を出しているらしくてね。どうも、僕がバラされそうな気がする」
僕がごく簡単に、今日の出来事をマスターに話す。もしよければ何か冴えたアイデアをくれないか、という淡い期待を込めつつ。
「成程。じゃあ、これが最後の晩餐か?ま、そういうことなら楽しんでいってくれ」
マスターは少々おどけてそう言うと、僕の皿の横にパンが入った小さなバスケットを置く。バスケットの中には手のひら大のカンパーニュがいくつか盛られている。香ばしく焼けたソーセージには確かに、こういうハードなパンがよく合いそうだ。
そして、まあ、今の僕に必要なのは、もしかすると明日を生き残るための冴えたアイデアじゃなくて、こういう刹那的に美味い食べ物なのかもしれないね、なんて思う訳だが、それはそれだ。今美味いのは嬉しいし、明日を生き残れればそれはそれで嬉しい。多分。
「参考までに聞きたいんだけれど、いいかな、マスター。『一番手っ取り早い方法』を除いて、他にどうすればいいと思う?」
早速パンを手で割って、その断面に視線を落としながらそう尋ねると、マスターは『うーん』と唸る。どうやら考えてくれているらしい。ありがたいことに。
「そうだな……まあ、それなら、上司を告発しちまう、っていうのはどうだろう?まあ、どこに告発するかによっては余計に酷いことになるかもしれないけれどなあ」
「成程ね」
告発、か。無論、このストレンジタウンに警察なんてものは存在しないし、裁判所なんてものも存在しない。いや、在るのかもしれないけれど、そんなものが機能していたらここはこんな様相じゃないはずなので、まあ、それらに告発するなんて悪手中の悪手だろう。
他に告発するべき相手がいるとしたら……リトルハット行政区の区長、だろうか?いや、そんな奴はこんなところのこんな事件如き、一々気に留めないだろう。ストレンジタウンで僕が1人死んだところで、区長にとっては何の痛手でもないはずだ。だって上司は僕を殺しても『ブルーバード特別区、本日の死者は零』と報告して寄越すのだろうから。
となれば、これはどこに告発すればいいんだろうか。臓器売買に義憤を燃やしてくれるような機関が果たして存在するのだろうか。
「どうした、シケた顔が揃ってるじゃないか」
僕とマスターがしばらく悩んでいたら、かろん、とドアベルの音も軽やかに、ニワトリが店に入ってくる。堂々とやってきて、一言断ってから僕の隣の席に座る。堂に入ったニワトリの仕草を見ていると、少し落ち着きを取り戻せる気がした。
「何かあったのか、ストレンジャー」
「明日、僕は上司にバラされて滑り込みセーフ大学に臓器を売られているかもしれない、って話さ」
折角だ。ニワトリにも話してみると、ニワトリは首を傾げて、にやり、と笑う。
「なら、その上司とやらを殺せばいい。或いは、滑り込みセーフ大学か?まあ、どちらにしろ簡単なことだ」
そして、『一番手っ取り早い方法』をあっさりと、勧めてくるのだ。まあ、そうだろうな、とは思ったさ。
「できればそれ以外で、と思ったんだけれどね」
「ほう。お前には難しいか?ストレンジャー」
ニワトリの言葉は、責めるようではなくて、同調を求めるものでもない。なんとも新鮮な感覚だ。
「なあ、ストレンジャー。殺すなんてのは、簡単なことだ。実に簡単なことだが……難しいことだと思い込もうとする奴は多い。主に、そう思い込むことによって『だから自分は安全だ』と思い込む方向に向かって」
ニワトリの言葉を聞いて、ああ、成程ね、と納得する。
このストレンジタウンでは、しょっちゅう人が殺される。そんな中だからこそ、殺すのが、簡単なんだろう。
簡単に殺される町では、簡単に殺せる。そういうことだ。それが、他の町とストレンジタウンとの、一番の違いなのかもしれない。
「そうだね。僕以外にとっては、簡単なことだって、ある程度分かっているつもりだ」
諦めなのか覚悟なのかよく分からないものを胸の中に確認して、それが理性によるものか感性によるものかは考えないようにして……ひとまず、苦笑する。自嘲すべきところかもしれないが、まあ、苦笑、ということで。
「僕も、いずれはやらなきゃいけなくなるかもしれない。今回を逃れたって、上司をどうにかしない限りはきっと次がまたあるんだろうからね。だが、今回はなんとか、それ以外を探してみようと思っているところなんだ」
『いずれ』を考えると、少々、気が重い。まあ、1つには『面倒だ』という点において。
「成程な。やはりお前は『異邦人』、というわけだ」
けれど、やはり、どうにも、『一番手っ取り早い方法』を試す気にはなれない。だから僕はまだこの町にとって『異邦人』なんだろう。
「おいおい、ストレンジャー。君、この町に向いてないんじゃないか?」
「それは嬉しいね」
マスターの冗談めかしたような言葉に、僕も冗談めかして返す。すると、マスターもニワトリも、どこか嬉しそうな、優しさすら感じられる笑みを小さく浮かべてみせるのだ。
『この町に向いてない』。つまりまだ、僕は幾分、正気っていうことだろう。恐らく、マスターよりも、ニワトリよりも。
「さて、ストレンジャー。お前がこの町に向いていないにしろ、どうせお前は明日もこの町に居る。そうだろう?」
「そうだね。ついでに、明後日もこの町に居られるようにしたいものだ」
正気な僕には辛いことに、明日は確実にやってくる。麗しき月が夜空に溶けて、憎き太陽が顔を出し、そして明日がやってくるのだ。本当にこの世界はどうかしてる。
「明日は欠勤かい?ストレンジャー」
「まあ、そうしたいのは山々なんだけれどね、マスター。多分そうすると、僕がバラされる日が明日から明後日になるんじゃないかと思う」
あの頭のおかしい上司にそんな機転が利くかどうか分からないが、あの上司は頭がおかしいからこそ明日を明後日に、明後日を明々後日に、延々と間違え続けていきそうな気がするし、その果てにあるのは積もっていく僕の無断欠勤だけだ。来年の異動のためにも、一度だって欠勤が無いのが望ましい。我ながら真面目なことだ。
「まあ、ひとまずは明日、臓器売買のバイヤーを適当に丸め込めないかやってみるつもりだけれど」
「狂人に話が通じると思っちゃいけないよ、ストレンジャー」
まあ、だろうね。あの上司にはありとあらゆる話が通じない。上司が2人居たら、きっと全く噛み合わない話を延々と続けてくれるだろう。
一応、勝算が無いわけじゃない。上司はともかく、バイヤーの方は多少話が通じる可能性だってあるわけだし、そうでなくても、上司が消火器で朦朧とするように仕向ければいい。今日ヤギに食べられかけたあの書類は上司には隠して僕が持っている訳だし、あれを使えば、バイヤーの方を言いくるめることができるかもしれない。例えば、『僕が上司で、そっちの消火器を吸っている奴が新入りだ』というように。
「なら、俺が代わりにやるか?」
だが、ニワトリにそう言われてしまうと、僕の考えなんてあっという間に崩れていく。
「俺も滑り込みセーフ大学にはちょっとばかり『お礼』をしたいことがある。代わりに俺が『出勤』してやってもいいぞ、ストレンジャー」
ニワトリの言葉に、考える。まあ、色々と。彼と滑り込みセーフ大学との間に何があったんだろう、ということをぼんやり考えて、それから、ニワトリに任せればまあ上手くいくんだろうな、とも考える。
今朝見た鮮やかな殺戮劇は、今も脳裏に焼き付いている。ああいう風に躊躇なく人を殺せるニワトリなら、臓器売買のバイヤーも、僕の上司も、躊躇なく殺してくれるんだろう。今朝の光景を上司の顔に重ねて想像して、今朝の記憶通り、上司の血と肉片が路地に飛び散っていく様子で頭の中を上書きしていく。
ニワトリが代わりになってくれれば、間違いなくこの問題は『手っ取り早く』解決するだろう。これが一番手っ取り早くて、かつ、安全な方法だ。
そう……代わりに。
「……あ」
そこでふと、僕は気づいた。
僕の上司よりもニワトリよりも、『代わり』に相応しい奴が居るんじゃないか、と。
「マスター。1つ、つかぬことを聞きたいんだけれど」
「うん。どうした?」
気づいたついでに、カウンターから身を乗り出す勢いで、マスターに尋ねる。
「今朝の死体、まだあるかな」
そう。『代わり』というなら、死体こそが身代わりに相応しい。何せ、死人に口無し。死体は文句も反論も、何も言わないんだから。