ストレンジタウンへようこそ!
それから僕はしばらく、ぼんやりしていた。
ガラス戸はもう開いていたし、その先には沈みゆく太陽が見えた。暮れ泥む空の……太陽に迫りくる死を湛える空の、なんと美しいことか。
カウンターの上ではタワシとサボテンがぴょこぴょこと跳ね回って喜びを表現していたし、軍曹蜘蛛達は勝利を讃える軍歌を意気揚々と歌っていた。そろり、と様子を見にやってきたらしい骸骨は、掃除をするためか、大鎌じゃなくてモップを持ってきている。
骸骨がいそいそと血だまりの掃除を始めたのを見て、軍曹蜘蛛達も、サボテンもタワシも、皆が掃除に動き始める。
結構派手に血が飛んだものだから、掃除が大変そうだ。壁にもカウンターにも血が飛んでいる。カウンターの上、『ブルーバード特別区へようこそ!』と書かれたパンフレットが血に塗れて随分と色鮮やかだ。
……さて。
僕は早速、ゴミ捨て用の麻袋を拾いに行く。死体だの肉の塊だのは麻袋に入れて処理する決まりになっているからね。
そうして掃除を一通り終えると、もう、ここで人を殺したことが夢だったんじゃないかと思われるくらいに綺麗になってしまった。
今回のMVPは骸骨だね。彼のモップ捌きは天下一品で、しつこい汚れもさらりと綺麗に掃除してしまった。まるで魔法のようだったよ。もしかしたら本当に魔法だったのかもしれないけれど。
すっかり綺麗になった職場を見回して、僕らは解散した。定時が来ていたからね。
……ただ、僕は定時を過ぎたけれど、もう少しだけ仕事をしていく。
改めて、死亡届を書いた。2人分、丁寧に、ボールペンで書いていく。
上司の分をひとまず書き終えたら、2枚目に移る。『安浦京』と、かつて僕の名前であって、もう僕の名前ではないそれを書き込んで、なんとなく感慨深いような、そんな気分になった。
そうして、二度と書くことのない名前を書き入れた2枚の死亡届を、処理する。
事務処理は元々得意だ。だから僕はリトルハット行政区の職員に向いていたと思う。今やそれも遠い過去のような気がするけれど、まだ1年経ってないんだよな。変なかんじだ。まるで、かつての自分が死んで、自分が自分じゃないような。そういう。
「やあ、ストレンジャー」
そこへ、訪れた人が居る。ふとカウンターの方を見れば、そこにはニワトリが笑って立っていた。
丁度、2枚の死亡届を処理し終えたところだった僕は、処理した死亡届をバインダーにきっちり挟んでキャビネットに収めてから、ニワトリの方へと向かう。
「どうしたんだい、こんなところに」
「何、お前がどうしたかと思ってな」
ニワトリは笑ってそう言うと、ちらり、と、玄関の方を見た。そこには麻袋が2つ、積んである。僕が殺した人間達の死体だ。
「気分はどうだ」
「中々いいよ」
僕は改めて死体の存在を思い出して笑顔になりつつ、答える。
「復讐は何も生まない。僕が失ったものはもう取り戻せないし、ついでに、僕はついに名前を本当に失ってしまったからね。……だが、それはそれとして、むかつく奴は死んだ方がいい。むかつく奴が死んだら、気分がいい。そうだろ?」
「ああ、その通りだ」
ニワトリは笑って頷く。僕もそれに笑い返したら、鞄を持って、職場を出る。30分近く残業したけれど、気分はいい。ようやく、殺すべき奴を殺して、その死亡届を処理済みのバインダーに収めてやることができたからね。
「ストレンジャー。お前がキョー・アンノーラだったことは俺が覚えておこう」
ニワトリも僕について歩きつつ、そう話す。
「ついでに、お前がむかつく奴をその手で殺したことも、その名誉と誇りと共に、記憶しておく」
「それは……嬉しいね」
僕はニワトリがこんなことを言うとは思っていなかったので、幾分びっくりした。けれど、彼の心遣いが嬉しくあったし、改めて、僕が『安浦京』じゃなくなったことを噛みしめることができた。
もう、僕に名前は無い。戸籍すら無い。全部、『安浦京』と共に葬ってしまったから。
だから今、僕はどこにでも居て、どこにも居ない存在だ。……ニワトリ達の記憶の中を、除いては。
「まあ、何にせよ今日は祝福されるべき日だ。お前がその誇りと狂気にかけて初めて人を殺した、記念すべき日だからな」
ニワトリは歩きながらそう言って、それからふと、にやり、と笑う。
「……そうだな。ついでに、この気分を祝して卵を産んでみるか。ケツがもぞもぞしてきた」
「いいね。是非、その卵を食べさせてくれないかな」
「勿論だとも。お前の記念日の、お前を讃えるための卵だからな」
彼の卵は何時だって最高の味だ。今回も大いに期待が持てる。ああ、楽しみだ!
僕は笑った。
笑いたい気分だったから、歩きながら大いに笑った。
人を殺した夕暮れは、最高の気分だった。
そうして僕らはPUB POTATO HEADで、いつも通りカウンター席に着いて、そこでそれぞれの飲み物と食事を楽しむことになった。
今日のメニューはフィッシュアンドチップス。それに野菜たっぷりのミネストローネと、僕を祝うために焼いてくれたらしいハニーマフィンとが並ぶ。
僕はニワトリやマスターやフォーリン、それに加えて今日は夜更かしの日と定めたらしい小さなレディと天使にまでに今日の顛末を聞かれては答え、その内そこにぼたもち伯爵や整合性売り、アルマジロや畳敷きのホットカーペットなどが集まってきて、いつの間にか僕はすっかり囲まれることになってしまった。
気のいい連中は僕の記念日を祝して、大いに飲み、大いに食べた。ああ、勿論、各自が、だ。僕が、じゃない。『あちらのお客様からです』は無かったよ。まあ、来てたら僕の胃袋が破裂していただろうから、ここの連中がケチで助かったよ。やれやれ。
まあ、皆、気のいい勝手気ままな連中だから、それぞれが好き勝手、色々やり始める。
アルマジロは体長2㎝のティラノサウルスをそっとテーブルの上に積み上げてティラノタワーを拵えていたし、『住民票ありますか!?炭酸入りはいやです!』と駆けこんできた緑茶の彼を皆で大いに歓迎して、マスターが気取ってバーテンダーの真似を始めたかと思ったらジュースにミントを添えて氷をたっぷり加えたノンアルコールカクテル『住民票』を振舞った。
更にその内、整合性売りが演奏し始めればフォーリンがそれに合わせて歌い、天使がタンバリンを見事な腕前で演奏し、そしてぼたもち伯爵と小さなレディによる優雅でかわいらしいダンスが合わさって、実に上等なショーを見せてもらうことができた。
それからマスターとマスターとマスターによるウィリアム・テルごっこが始まって、マスターがマスターの頭の上に置いたものを次々にクロスボウで打ち抜く、というのをやって見せてくれた。最初はリンゴで、次が玉ねぎで、その次はジャガイモだ。ああ、マスターの頭じゃなくて、普通のやつ。
その間、整合性売りのバンドネオンとフォーリンのピアノ、それに天使のタンバリンによる『ウィリアム・テル序曲』が演奏されていて非常に賑やかだった。
まあ、つまり、楽しい夜だったよ。本当に。
そうして過ごしていると、ふと、マスターから小さな皿に乗せられた茹で卵と一杯のコーヒーが提供された。食後のデザートの更に後に出てくるこれは何と呼んだらいいんだろうね。
「さて、改めて……」
ニワトリは居住まいを正すと、にやり、と笑って、僕に手を差し出した。
「ようこそ、奇異の人。心から、お前を歓迎しよう。……奇怪な町へ、ようこそ」
ニワトリが笑うのを見て……僕もまた、笑う。
「ああ、ありがとう。これからもよろしく」
僕らは固ゆで卵とコーヒーで乾杯した。
卵は苦み走ったコーヒーとよく合う、いい味だった。ああ、本当に、最高の日だ!
*
ストレンジタウンに雪が降る。
白く儚い雪は、狂った町の狂気を覆い隠すように降り積もる。
パブの前では今、小さなレディと天使がきゃあきゃあとはしゃぎ声を上げながら、雪遊びをしているところだ。
2人は『Winter Wonderland』を歌っている。『Gone away, is the blue bird……Here to stay, is the new bird……He sings a love song, As we go along……』と、楽し気な歌声が聞こえてきて、ついつい僕の表情も綻んでしまう。
2人が作った雪だるまを存分に眺めてからパブの中へ入って、いつも通り、最高のコーヒーと朝食のセットを注文する。
マスターから『最近めっきり寒くなってきたね。俺の頭の糖度が上がっちまう』なんて話を聞いてそれに笑って、来店してきたニワトリとも挨拶を交わす。『近々フォーリンがまた戻ってくるらしい』なんて話を聞いて、じゃあその時までには練習中のアコースティック・ギターを多少はマシに演奏できるようにしておきたいな、なんて話す。
ゆっくり朝食を楽しんだら、僕はゆっくり出勤する。
白い雪の積もった道を、雪を踏みしめて、一歩一歩。白銀に輝く街並みは、いつものストレンジタウンとはまた少し違った風情だ。さっきの2人が歌っていた歌じゃないけれど、正に『Walking in a winter wonderland』っていうところかもね。
僕はさっきの歌を口ずさみながらのんびり歩いて、整合性売りが『常識のたたき売りだよ!ジャンク品から新古品まで幅広く扱ってるよ!こんな町じゃ役に立たないけれど、こんな雪の日に投げて遊ぶと楽しいよ!』と楽しく商売しているのに挨拶をする。
ぼたもち伯爵が彼の家であるトーテムポールの横に5段重ねの雪だるまを拵えているのを眺めながら挨拶して、子供達が楽し気に遊び回っているのを眺めて、そうして僕は楽しく出勤する。
出勤したらガラス戸に挨拶して、それからサボテンを撫でてやって、タワシに『今日はカウンター業務ですか?』と聞かれたので『よろしく頼むよ』と答え、軍曹から昇進して曹長になった曹長蜘蛛と、雪の町の巡回について打ち合わせを行って、それからのんびり出勤してきた骸骨に表の雪かきを頼むべく、鎌の代わりに雪かきスコップを手渡す。
そして僕は朝の報告を行う。『本日もストレンジタウンの死者はゼロ』。この町始まって以来、ずっと続いてきた同じ内容のメールをリトルハット行政区長へ送信する。
……まあ、一度だけ、僕が初めて人を殺したあの日の翌日だけは、『死者2名』と報告をした。死亡届の手続きを行ったわけだからね。けれど、それについても全く反応が無かったところを見ると、区長はやっぱり、ブルーバード特別区からのメールなんて全部読まずに捨てているっていうことだろう。ありがたいことだ。
あの日からしばらくの間だけ、リトルハット行政区の職員2名が行方不明、というニュースが流れていた。けれどそれも今やすっかり忘れ去られて、平穏な日々が続いている。
それからしばらく、僕はストレンジタウンの地図を製作していた。
まともな地図さえ無いこの町だけれど、これからも僕が長く住む町だ。一応の存在とはいえ行政機関に所属しているんだから、多少、町の手入れくらいはしようかと思ってね。
ただ、そうしているとカウンターの方から『私はタワシです!』とタワシの声が聞こえてくる。見れば、緑茶の彼が『住民票持ってきました!』と元気に、人間を1人連れてきていた。
その人間は目に理性をちゃんと宿していて、そして、狂気は欠片くらいしか見当たらない。まあ、言ってしまえば、この町に来たばかりの頃の僕みたいな、そういう奴だった。
「見たことの無い顔ですね。転入の方ですか?」
これはタワシには難しい業務だろう。彼女が本領を発揮するのは狂人相手の時だ。見る限り、目の前の人は『まだ』狂人じゃない。己に降りかかった理不尽に憤り、憤ることにも疲れてここへ来た、ただの『異邦人』だ。
「ええ、まあ……ええと、手続きの類、何かありますか?」
「でしたらこちらの転入届を。ああ、元々の居住地の自治体に転出届は提出されましたか?まだでしたら郵送可能な自治体もありますから、一度調べてみることをお勧めします」
僕は必要であろう書式を揃えて、新人に差し出す。その人は戸惑いながらも少しずつ、必要事項を書き込んでいった。
「……狂気の町っていうのも、そう悪くないものですよ」
そんな新入りの姿を見ながら、僕はつい、そう言って笑う。
「慣れれば楽しいものだ。それに案外、あなたの助けや救いになるものが、この町にあるかも」
新入りは明らかに戸惑っていた。『そんな訳があるか』というような表情でもあったけれど、少しの期待もあるんじゃないかな。かつて僕がそうだったように。
「あなたは歓迎されたくないかもしれないけれど、僕はあなたを歓迎しますよ」
僕はもう、『異邦人』じゃない。今は僕が、彼らを迎え入れる側だ。
「ようこそ、ストレンジタウンへ」
さあ、狂気と暴力の素晴らしき町へ、ようこそ。
完結しました。あとがきは活動報告をご覧ください。
また、本日より新連載『終身刑のエルフ』を開始しております。よろしければそちらもどうぞ。




