Unnamed*5
僕が笑う先で、『安浦京』はむっとした表情のまま、ばん、とカウンターに『手続き取り消し申請』を叩きつけた。無言のまま、『さっさと処理しろ』と言いたげな様子だ。殺される可能性なんて全く考えていないのかな。
「忘れたのかな」
僕はカウンターの中、立ち上がる。
「僕が転籍届だの転出届だの、理性的に行政ルールに従った行動を取っていたから、印象に無かった?それとも、外で街灯が綺麗に整列していたから、そういう風に思わなかったのか」
「な、何を言っているんだ」
上司が喚きかけたけれど、僕が移動したら彼も黙った。
こっちがカウンターの内側に居る時には強気なのに、僕がカウンターから出たら急に戸惑うっていうのは、面白いね。殴っていい相手が殴っちゃいけない相手になった、みたいな戸惑い方だ。おかしな話だね。そもそも、役所の職員は君達のサンドバッグじゃないんだけれど。
「ここは狂気の町だ。君達もよく知っていることだったと思うけれどね。だからこそ、そこへの異動が嫌で、僕の名前を盗んだんだろうから」
僕ははっきりと、目の前の2人に敵意をぶつけて、存分に睨む。
「そう。君達の覚悟が甘いのは分かったけれど……それでも、ここは狂気の町だ。理性にも法律にも救われない者が、狂気と暴力によって救われる町だ」
初めて僕から敵意を向けられて、2人は面白いくらいに竦んだ。見ていて情けなくなってくるくらいだよ。僕に意思があるってたった今知ったみたいな顔をされたって困る。
「僕をこの町に送り込んだのは君達だ。なら、僕が狂気と暴力に従って君達に何をしたって、それは君達の行動の結果だ。そうだろう?」
全くダメだね。こいつらには、狂気が足りない。
「僕は君達を殺す」
ばん、と、僕はカウンターに紙きれを叩きつける。
「お悔やみ申し上げます」
彼ら2人分の死亡届だ。
「……は?これ、何?」
『安浦京』は憎悪と侮蔑を表情に乗せながら、僕が叩きつけた死亡届に目を通して、そして、それを嘲笑した。
「子供のままごとじゃん。何、こんな嫌がらせして恥ずかしくないの?」
彼女は僕を馬鹿にして、そしてそうすることで自らを鼓舞すべく、嘲笑する。
そして、彼女は彼女が馬鹿にした死亡届を、その場で破り捨てた。
「あーあ、君、やっちゃったね」
だから僕はそんな彼女を嘲笑する。
こういうことをしなければ、ただ死亡届を受理してそれで終わりってことにしようとも思ったんだけどな。いや、嘘。その程度で済ます気は無かった。
「な、なんだ?これ……」
さて。僕にとっては分かり切った結果、彼らにとっては全くの未知の現象が起こっている。
『三秒……』と低く唸るような声が響き、破り捨てられた死亡届から、もうもうと煙が立ち上る。
やがてそこには火がついて、炎を巻き上げて、何かが昇る。轟々と音を上げながら、それは天井付近で固まっていき……やがて、骸骨の形になった。
「な、なに、これ」
「この町ではよくあることだよ。まあ、この町では死亡届がまともに存在することがほぼ無いから、これが出てくるのもすごく稀だけれど」
『安浦京』は、骸骨の姿を見て、自分の認識の甘さに気づいたことだろう。この町の狂気を舐めすぎた。そして、もう遅い。
『安浦京』はすぐさま走っていって、ガラス戸を開けようとした。けれど、ガラス戸は開かない。どうもガラス戸には、まるで開く気が無いらしい。
そして逃げられない『安浦京』に構わず、骸骨は動く。『さささささささささ三秒ルール!』と叫びながら、骸骨は鎌を振り上げて……その前に、ちら、と、僕を見た。ああ、前回、天使の時に僕らが邪魔をしたから、この骸骨は僕らにお伺いを立ててから動くことにしたらしい。なんだかいじらしいね。
「ああ、今回は止めないよ。好きにやるといい。ただし、役所に被害は出さないでほしいな」
僕がにっこり笑って許可を出せば、骸骨はほっとしたようににっこり笑った。そして、『一秒ルールで十分!』と叫んで鎌を大きく振った。
「あああああああああああ!」
上司の絶叫と共に、上司の首に骸骨の鎌が食い込む。骸骨は『あれ?こんなはずでは……』みたいな顔をしながら首を傾げているけれど、よく見てみれば、鎌は錆びついていて、切れ味が落ちているように見えた。まあ、つまり、スパッとやる予定だったのだろうけれど、鎌の手入れをサボっていたためにそうできなかった、っていうことだろう。
骸骨が気を取り直して鎌を抜き取る。そうすると上司の首の傷口がこじ開けられて、そこから噴水のように血が噴き出す。ああ、掃除が大変そうだ。骸骨にも手伝ってもらおう。
この光景を見て、『安浦京』も悲鳴を上げていた。ガラス戸をばんばん叩いて自分一人は逃げ出そうとしている様子だったけれど、ガラス戸はまるで開かないし、割れることも無い。今日のガラス戸は気合の入り方が違うからね。
そうする間にも、上司は切り刻まれていく。錆びついた鎌が振り下ろされる度に上司の体は刻まれていき、血を噴き上げた。けれど次第に血が噴き上がる勢いは弱くなっていき、やがて、上司は悲鳴を上げなくなっていたし、血も噴き出ないようになっていた。
まあ、要は、死んだ。
そうして上司が切り刻まれている間に、『安浦京』はなんと、ようやく動いていた。
「こ、これのせいなの!?ねえ、これのせいなんでしょう!?」
彼女は自分の死亡届をさらに細かく引き裂いていく。丸めて、ごみ箱に放り込む。すると、骸骨はしゅんとして、そっと消えていってしまった。ああ、なんてこった。掃除する人員が減った。
僕ががっかりしていると、『安浦京』は緊張と恐怖に引き攣った顔で、それでも勝ち誇ってみせた。
「ほら!これでもう大丈夫!こういうことでしょ!?もう私を殺すものはいない!」
彼女は如何にも『出し抜いてやった』というような気分でいるらしいのだけれど、それにしては、あまりにも詰めが甘いんじゃないかと思う。
「何を言ってるんだ?別に、骸骨だけが特権を持ってるわけじゃない。人を殺すのは、誰でもいい」
ジャキ、と音がする。見れば、軍曹蜘蛛達が一斉に銃を構えて、『安浦京』を包囲していた。いつでも殺せる、という構えだ。いつの間にかカウンターの上にはサボテンとタワシが一緒になってこの状況を見守っていたし、ガラス戸の外ではさっきの悲鳴を聞きつけたらしい整合性売りやぼたもち伯爵、緑茶の彼なんかがこちらを覗き込んでいる。
「そう。人を殺すのは、誰でもいい」
僕はポケットに手を突っ込む。
「僕でも、いい」
僕はカッターナイフを取り出した。
人間をカッターナイフで切るのは、そう難しいことじゃなかった。
突進していけばそれだけで人間1人くらい簡単に転ばせることができるし、転んで尚逃げようとする奴の足首をすぱりと切ってやれば、ストッキングが一気に伝線していって、ついでに派手な悲鳴が響き渡った。
馬鹿なことに、『安浦京』はそこで動きを止めてしまったから、僕に反対側の足のふくらはぎをすぱりとやられることになる。また悲鳴を上げて、『安浦京』は逃げようと這いずり始めた。
まあ、這いずるだけの人間を切るのは簡単なことだ。僕はカッターナイフで彼女を切り付け続けることができた。
『安浦京』は抵抗しようとしていたけれど、僕は殴られようが引っかかれようが、特に気にせず彼女を切り付け続けた。当然だ。正気の人間と狂気の人間が戦ったらどうなるかなんて分かり切ったことだろ。
切り傷が増えていくごとに彼女は泣き言を言っていたけれど、何を言っていたのかはよく分からない。どうせくだらないことを言っていたんだろうし、聞く価値もない。
次第に泣き言は意味の分からない喚き声になった。やっぱり聞く価値は無かったね。
僕は彼女を切りつけて切り付けて、どんどん広がっていく血だまりの中、どんどんぐちゃぐちゃになっていく肉の塊の中で、ただ目玉がぎょろぎょろ動く。
切り付けて、切り付けて……そして遂に、カッターの刃が折れた。折れたカッターの刃は『さあ、そろそろフィナーレだ!』と高らかに宣言したので、僕もそれに同意して、カッターナイフ本体を逆手持ちする。
振り上げた手の下で「やめて」と喋る肉塊があったけれど、僕は無視して、カッターナイフ本体を振り下ろす。
肉塊の絶叫をBGMに目玉が潰れて、その奥にあった脳味噌まで潰れる。
これで終了だ。
僕は、ようやく人を殺した。
ああ、すっきりした。
次回、最終回です。