Unnamed*4
ストレンジタウンからリトルハット行政区役所までは、片道でも半日かかる。だから僕達は適当なところでモーテルに泊まってからストレンジタウンへ戻ることになる。
ストレンジタウンへ向かう人間なんて、この世界にはほとんど居ない。ストレンジタウンから出てくる人間はもっと少ない。多分、今回の僕達の他には、フォーリンが行き来しているくらいじゃないかな。まあ、そういうわけで、需要が著しく少ないモーテルなものだから、供給もまあ、その程度のものだ。
剥がれた壁紙の下からは罅の入ったコンクリート壁が露出しているし、個室のトイレや洗面台からは長らく使われていなかった水回り特有の臭いがする。唯一、掃除だけはそれなりに済ませてあって、多少の黴臭さはあったものの、埃っぽいようなことは無かった。まあ、つまり、上々ってことさ。
そんな僕らは部屋に荷物を置いて、近場の飲食店で適当に夕食を済ませることにした。こんなところに出店していて採算がとれるのか甚だ疑問な飲食店は、そんな疑問に答えるかのように『欠品』ばかりだ。これならいっそのこと、メニューを提示しないっていうのはどうだろう。
「これ、冷凍食品かしら。まあ、美味しいから構わないわ」
「最近の冷凍食品はどんどん品質が上がっているからね。決して馬鹿にはできない」
そうして届いた料理……僕はドリア、フォーリンはピザ、ニワトリは手羽先のロースト、といったものを食べつつ、昨今の冷凍食品事情に思いを馳せる。
「酒を置いていないのが悔やまれるな」
「欠品だったね」
ニワトリは少々物足りなさそうな顔でぶどうジュースを飲みつつ、そうぼやく。まあ、酒のつまみに丁度良さそうなものを食べているよね、彼。
「なら、どこかで買って戻って、宿で飲みましょうか。レンタカーはもう返したから、ストレンジャーも深酒できるでしょう?」
「深酒する気は無いけれど、まあ、多少なら」
二日酔いっていうのはごめんだけれど、まあ、そうじゃなければ、いくらでも。生憎、酒にさほど強い方じゃないけれど、酒を楽しむくらいはできるからね。
「ここ、テイクアウトやってないかしら。ニワトリの手羽先、おいしそうなのよね」
フォーリンはそんなことを言いつつ、ニワトリの手羽先……つまり、ニワトリの前の皿の中をじっと見つめる。まあ、ニワトリに対して言うには、少々誤解を招く言い方だね。どうか彼のことは食べないで。
手羽先については、テイクアウトが可能だった。
どん、と2㎏程度の冷凍品をそのまま購入できたので、それを購入して宿へ帰る。それから適当なコンビニエンス・ストアでいくらか酒を購入して、僕らは宿へ戻る。
宿の部屋は全部狭くて全部それなりの状態だったが、まだニワトリの部屋が一番マシな作りをしていたので、そこに皆で集まることになる。備え付けの電子レンジで手羽先を解凍して食べながら、僕らはそれぞれに酒の封を切った。
ニワトリは缶ビールを2本ほど。僕はカクテル缶を1本。そしてフォーリンはワインを一瓶。アルコール格差が生じているね。どうも。
「それじゃあ、ストレンジャーが喧嘩を売った記念に乾杯しましょうか!」
早速、ワインのスクリュー蓋を捻じ切ったフォーリンが瓶を掲げてそう言うので、僕とニワトリもそれぞれに缶を掲げてそれに応える。缶と缶と瓶が軽くぶつかり合ったら、後は至極単純だ。飲んで、食べればいい。
「さて、ストレンジャー。お前が殺すべき相手に喧嘩を売った感想はどうだ?」
「うーん、まだ、感想と言えるほどのものは無いな。ただ、待ち遠しい。そういう気分だ。それから……」
僕はカクテル缶を一気に3分の1ほど空けながら、自分の中の形の無いものを言葉にできるよう努めてみる。
けれど、どうにも上手く、纏まりそうにない。何かから解き放たれるような、或いは何かから転落していくような、そんな感覚だ。爽快でもあるし、多少の恐怖も、感じないでもない。
……だが、少なくとも今は、気分がいい。待ち遠しい。それだけだ。
「まあ、上手く言えないけれど、とりあえずは『上手くいくといいな』っていうところかな」
僕はそう答えつつ、色々と片付いたら改めて、この気持ちを言葉にできるように努めてみよう、と思う。今はそれどころじゃない。目の前のことで手いっぱいだから。まあ、こんなに手一杯になれるっていうのは、喜ばしいことだけれどね。
「成程な。まあ、それなら全て終わった後にもう一度、感想を聞くことにしよう」
ニワトリはにやりと笑ってビールの缶を傾けると、それからまた、僕に尋ねてくる。
「それで、勝算はどうだ?」
「そうだね。奴らがちゃんと来てくれさえすれば、上手くやる自信はあるんだけれど。さて、どうなることやら……」
僕も上手くやりたいところだけれど、結局のところ、彼らがストレンジタウンまでやってくるかどうかは彼ら次第だ。僕に決められることじゃない。
「そうね。彼女が上司との幸せな結婚を諦めて事実婚のまま生活していくことを選んだなら、それまでかもしれないわ」
フォーリンは中々のスピードでワインを空けていきつつ、にっこりと完璧な笑みを浮かべてみせてくれた。
「でも、きっと上手くいくと思うの。ああいう女は自分が自分の理想から外れることを、決して許せないはずよ」
「だろうね。僕もそう思う」
だからこそ、横領しておきながら他人の名前を盗んで生活を続ける、なんてことができる。そして当然、そんな奴のことを許してやる義理は無い。
「張った見栄の分の支払いは、してもらわなきゃあね」
「ああ。是非、そうしてやれ」
僕らは笑い合って、それから暫し、各自で手羽先をつまむ。
手羽先って最高に美味いけれど、両手が塞がるのが唯一の難点だな。美味いんだけどね。美味いんだけど。
「ちなみに、手段はどうするつもりだ、ストレンジャー」
それから手羽先をそれなりに食べ進めた後、ふとニワトリがそう聞いてきた。
「ロケットランチャー、貸してあげましょうか?ああ、自走砲がいい?」
更にフォーリンが明らかに悪乗りした調子で聞いてくる。いや、流石に対人でロケランはね。それに自走砲って、一体どうやって用意するつもりなんだい?そしてそんなもの扱う技量は僕には無いよ。
「まあ、メインウエポンはボールペンかな」
そう。僕は、僕に扱う技量があるもので戦おうと思う。
「ボールペン?ボールペン、か?」
「ああ、そうだ」
ニワトリもフォーリンも、不思議そうな顔をしていたけれど、まあ、ね。ペンは剣より強し、とか何とか、言うだろ?
そうして翌朝、僕らはモーテルを出発して、ストレンジタウンへと帰る。
「手羽先2㎏は買いすぎだったかしら」
「まあ、朝食も一度に手に入ったと思えば悪くない」
「まあ、そうね。味は中々いいし……うん、美味しい!」
帰る前に、昨夜買ってしまった手羽先2㎏の残りを消費する作業が挟まったけれど、まあ、悪くない作業だったよ。ニワトリもフォーリンも手羽先が好きみたいだし、そしてどうやら、僕も手羽先が好きらしい。
手羽先を無事に片付けた僕らは、そこから徒歩でストレンジタウンへ向かった。
何故徒歩かって?ストレンジタウンへ向かう奴なんてそうはいないから、バスも電車も通っていないんだ。レンタカーを借りても、それを返す場所は無い。自転車だって同じことだ。だったら歩くしかない。残念ながら。
「ああ、2日離れていただけなのに、随分と懐かしいな」
そうして僕らはストレンジタウンへ帰ってきた。
ストレンジタウンは相変わらず滅茶苦茶で、トライデントが尺取り虫のようにそっと地面を這っていたり、空飛ぶパンケーキが『シロップを零しちゃった!』と慌てていたり。通りの奥からは『新陳代謝は要らないかい?そこのあなた!新陳代謝は要らない?中古品だけれど新品同様に使えるよ!』と整合性売りの声が聞こえてくる。今日も元気だね。
そのままパブの方へ向かって歩けば、途中で『お前が俺の消火器をタコ焼き用ホットプレートに変えたんだろう!責任を取って靴下を食べろ!』と喚く男が消火器を片手に襲い掛かってきて、ニワトリの鉄パイプに吹き飛ばされた。今日もストレンジタウンは奇々怪々だ。
「良い町だね」
「そう思うようになったか」
僕が呟くと、ニワトリはにやりと笑う。僕はそれに笑い返しながら、正直に答える。
「それなりに前からもう、そう思うようになってたよ」
それから僕は休日を楽しんだ。休日には鍵と一緒にテトリスをやって、PUB POTATO HEADでフォーリンが歌うのを聞いて、天使がウェイトレスをやっているのを微笑ましく見守った。マスターの料理は相変わらず美味かったし、小さなレディの話を聞くのは楽しかったし、ニワトリがアコースティックギターを弾き始めた時には、僕は整合性売りと一緒になって大いに拍手をしたものだ。
まあ、そうして愉快に休日が過ぎていき、僕は大いに楽しんだ。人生でも一二を争うくらい、良き休日だったよ。
休日が終わったら平日が来る。僕は朝起きて、鍵におはようの挨拶をして、パブでコーヒーと朝食のセットを頼んで、小さなレディとニワトリに挨拶して、そして出勤するべく大通りを行く。
町はいつも通り。ちくわを覗いて朝の空を天体観測しているカニカマがいたり、ポプラの木がペットボトルの蓋を開けるのに苦労していたり、ごく普通の見た目の女性が歩いていく後ろに、よく躾けられたどんぐりがしずしずと歩いていたり。
そんな大通りを進んでいけば、やがて、僕の職場が見える。
ガラス戸に挨拶して職場の中へ入って、そこにいたサボテンから『うるとらさぼてんひさしぶり!』と挨拶される。軍曹蜘蛛から『中尉殿の留守の間、セアカコケグモが襲来してきましたが、我々で撃退しておきました!』と報告を受けて、彼らを労う。そうしている間にタワシが『もしかして私って有休ありますか?』と聞いてきたので、『年間20日の有給休暇を取得できるからね』と説明しておく。
さて。
そうして僕は、カウンターにて、必要な書類を揃えながら、来客を待ち構える。
いつもはタワシにカウンター業務を任せてしまうことが多いけれど、今日は僕が担当しないとね。
そうして、昼前。
ガラス戸が開かれて、待ち望んでいた人達がやってきた。
『安浦京』と上司。仲良く2人でやってきたらしい。まあどうせ、彼女が上司に『1人じゃ不安』だなんて言ったんだろうけれど。
彼らはおっかなびっくり、やってくる。彼女の高そうなコートにはトマトらしいものの染みがある。表の通りでは今日をトマト祭だと勘違いしている誰かが居るのかもしれない。
上司の方も、額をハンカチで拭っている。顔面にトマトをぶつけられたのかもしれないね。まあ、トマトならいいね、ということにしておこうか。
彼らは憎悪と『どうしてこんな面倒なことをしなきゃならないんだ』という態度を露わにしながら、カウンターの前へやってきた。
「ようこそ、ストレンジタウンへ」
僕が挨拶すると、彼らは随分と嫌そうな顔をする。だがこんなのは序の口だ。この狂気の町で育った狂気を、はっきりと見せてやろう。そして、この町の外の、真っ当な世界で真っ当じゃなく生きている連中を、引きずり降ろしてやるのだ。
「本日は、どのようなご用件ですか?」
僕はカウンターの下にそっと死亡届を用意しながら、僕がずっと殺したかった奴らを見て、笑ってやった。




