Unnamed*1
「それは」
「ああ、そうだ。『安浦京』についての調査結果だな。フォーリンがお前に渡さなかった、もう一通だ」
言われて、思い出す。確かにあの時、フォーリンは2通の封筒を持っていた。そして、僕に渡された封筒は1通分だった。
でも、それで十分だった。僕が受け取った『安浦京』の情報だけでほとんど答えは分かったようなものだったし、『封筒が2通ある』ってところも含めれば、答え合わせには十分だった。
「開けるぞ」
一瞬、迷った。ここからすぐに去るべきか、封筒を奪うべきか、礼を言って封筒を受け取るべきか、それとも。
けれど、その一瞬の内にニワトリは動いていた。こういう時、迷いが無い奴の方が強いね。まあつまり、狂人は最強だってことさ。
ニワトリは封筒の封を切って、折り畳まれていた紙を広げる。僕はもう、逃げるも奪うもする気力が消えていたので、諦めてそれを一緒に眺めることにした。おかしいな、これ、依頼主は僕だったはずなんだが。
紙の上には、僕が既に知っている情報が並んでいた。ああ、そうだ。うんざりするくらいよく知ってる。だから、僕にとってこの紙面上の情報は何の価値もない。『ここに知っている情報がある』っていう情報だけが、唯一の価値だ。
「……成程な」
ニワトリはそれを一通り読んで、ふむ、と頷く。
「君、これを読んでいて楽しいかい?」
「まあ、楽しくないと言ってしまうと嘘になるだろうな。少なくとも俺は、お前がテトリスを趣味としていることを初めて知った」
少しばかり、非難めいた言葉を発してみたんだが、ニワトリは気にする様子を見せない。
「それから、名前も。やはり『安浦京』というんだな。いや……」
そしてニワトリは、僕を見て言った。
「『だった』と言うべきか?」
僕は、ニワトリに飛び掛かるべきだったかもしれない。それで、一発くらい殴ってみるべきだったかも。
だが、そうしなかった。しなかったのか、できなかったのかは、まあ、さておき。
「……あんまり愉快じゃないね」
「そう言ってくれるな、ストレンジャー」
ニワトリは、少々緊張しているようだった。いや、よくよく思い出してみれば、封筒を出してきた時点で、彼はきっと、少しばかり緊張していた。僕にそれを見せることがどういうことか、きっと彼はもう、知っていたはずだ。
「弁明させてもらうと、俺はこの封筒の中身を見る権利があった。俺もお前についての調査依頼を出していたからな」
まあ、それもある程度、予想できたことだ。ニワトリは僕よりフォーリンと親しい。その程度の融通は利かせてもらえるだろう。
「元々、お前に対して、違和感はあった。お前が名前を使っているのを、一度も見たことが無かったからな。だから『安浦京』について調べるよう、フォーリンに頼んだ」
ニワトリがそう話すのを聞いて、僕はふと、違和感を覚える。だって、僕の名前を今日初めて知った割に、『安浦京』について調べられるっていうのは、どういうことだろうか、と。
「えーと、その名前はどこから?君、僕の名前は初めて知ったんじゃなかったか?」
「お前と出会った日、荷物を運んだのは俺だ。忘れたか?」
けれど、説明されればすぐに思い出した。……ああ、そう言われてみれば、そういうことも、あったね。そうだ。僕はまだあの時、『安浦京』だった。あの荷物は、ストレンジタウンの外から送ったものだ。ストレンジタウンの外に居た頃、僕はまだ、『安浦京』だったから、受取人も差出人も、『安浦京』だったんだ。
「そしてお前については……まあ、また、謎が増えた。これのおかげで」
ニワトリは、ずっと持ったままだった調査結果の紙を軽く振ってみせた。
「『安浦京』。リトルハット行政区の職員で、区民課担当。勤務姿勢良好。特に問題を起こしたことは無く、交友関係はごく狭い。趣味はテトリス。テトリスマイクロカードを購入する程度に嗜んでいる。……そして、何故か、『何もしていないのに』ストレンジタウン送りにされた」
僕はどうしていいものやら、もう、降参したい気分だ。ああ、こういうのは本当に、得意じゃない。何もかも明らかにするっていうのなら、それこそ、フォーリンに頼んでくれ。
「おかしな話だ。何故、何もしていない奴がストレンジタウン送りにされる?こんな町に寄越されるくらいだ、不祥事の1つや2つが無いと釣り合わない」
まあ、そうだね。本来、ここはそういうポストだ。
不祥事を起こした奴をここに異動させておけば、一年持たずに死ぬか辞めるかする。そう。ここに送り込まれる奴は、本当に、業績どころか生存すら、期待されていない。
むしろ、死を望まれてる。
そう。僕は、ここへ、死ぬことを期待して、送り込まれた。そういうことだ。
「と、まあ……そこで、『2通目』の報告だ」
ニワトリはいよいよ真相に踏み込むことを少々躊躇うように、緊張した面持ちで、続けた。
「そう。『安浦京』について調べたフォーリンが、2人分の報告を持ってきた。そうだな、ストレンジャー?」
聞くにつれ、僕は嫌な汗をかいてきた。それに加えて、鼓動が煩い。
「フォーリンがお前に伝えた『安浦京』の情報は、今、リトルハット行政区役所の区民課で働いている奴のことだったな。上司と交際中の」
鼓動が煩い。自分の心臓に『黙ってろよ』と言ってやりたい。
「おかしな話だ。ここに居るお前が『安浦京』なら、今、リトルハット行政区役所の区民課で働いている『安浦京』は一体何だ?同姓同名が同じ部署に居たってことか?」
鼓動が煩い。
「それからフォーリンは、もう一度調べた。すると、去年、『安浦京』と同じ区民課に居た奴が、『ストレンジタウンへ異動した』ことになっているのが分かった」
頭痛がしてきた。
「だが、そいつの名前で調べても、『過去どうしていたか』は分かっても、『今どうしているか』は分からなかったらしい。まるで、今、実在しない人物のように」
吐きそうだ。
「ついでに、その現在実在しない人物について、どうも、以前から上司のお気に入りだったらしいことが分かったな。だが、ストレンジタウンへ異動させられるようなことをやらかしたらしいことも分かった」
鼓動が煩い。
「そして、そいつの罪を上司へ報告したのが、『安浦京』だったことも、分かっている」
鼓動が、煩い。
「『安浦京』が2人居る。これがどういうことかは、まあ、想像だが……『途中で入れ替わっている』と考えるべきだろうと考えた」
ニワトリが、緊張した面持ちで、じっと僕を見つめている。
「ストレンジャー。お前はかつて『安浦京』で、そして……その名前をかつての同僚に盗まれた。違うか?」
僕は、まるで地面が溶けていくかのように、平衡感覚を失っていく。
気が付いたら、天使が僕を覗き込んでいた。霞む視界でぼんやりと彼女を見上げていたら、天使はぱたぱたと駆けていって、やがて、マスターがやってきた。
「やあ、ストレンジャー。気分はどうだい?」
「あまり、よくないな」
相変わらず、心臓の調子はおかしかった。緩く吐き気も続いている。しかも妙に理性的で、多分、狂気が足りない。いや、理性が足りないのかもしれない。だがどちらにせよ、明るく楽しく朗らかに狂っていられる気分じゃない。
けれど、さっきほど酷くはないし、頭が割れるような痛みも無い。あと、冷や汗は止まってる。大丈夫だ。
体を起こして回りを見てみると、どうやら、パブの奥、マスター達のマスター達によるマスター達の為の休憩室の一角、仮眠用のベッドに寝かされているらしいことが分かった。
「ニワトリが無礼を働いたみたいだね。すまなかった、と伝言を預かってるよ」
マスターはそう言いつつ、ガラスのコップを手渡してくれる。中身は水だった。ありがたくそれを飲み干す。体は冷えていたが、冷たい水が美味かった。
「いや……別に、気にしていないよ。大丈夫だ」
「今の君の状態を見るに、大丈夫とは思えんがね。まあ、そう言ってやればニワトリもほっとするだろうが……」
マスターは空になったコップを回収しつつそう言って、『やれやれ』と言うように肩を竦めた。
「まあ……すまないね、ストレンジャー。俺もちょいと、聞いてしまった」
「ははは、まあ、そうだろうと思った」
正直なマスターに、少々笑ってしまう。まあ、悪くない。これくらい正直な人が居たっていい。まあ、人っていうか、ジャガイモだけれどね。
「まあ、中々に……中々に、君、とんでもないことに巻き込まれていそうじゃないか」
「そうかもしれない」
どうなんだろうね。自分じゃ自分のことはよく分からない。狂人が自らを狂人だと認識できないのと一緒かもね。
「僕としては、ニワトリが僕の名前を段ボール箱から読み取って覚えていたっていうことに驚いているけれどね。彼、ああいう特技もあるのか」
「あいつはああいう奴だぞ。案外ねちっこい。ニワトリの癖に」
僕とマスターは少しばかり、笑い合う。そうしていると、次第に自分が自分へ戻っていくような、そういう感覚があった。まあ、つまり、落ち着いてきた、ってことだ。
眠ってしまう直前にニワトリと話していたことを少し思い出して、まあ、いけるな、と確認する。大丈夫だ。
「じゃあ、マスター。ニワトリとフォーリンを呼んでくれ」
僕はマスターに、そう頼む。マスターは『いいのか?』と心配そうな顔をしていたけれど、それを押し退けるように頷いて見せた。
「多分、彼らだって答え合わせが欲しいだろうから。マスターも、そうだろう?」
「まあ……気にならないと言ったら、嘘になるけれどね」
「なら決まりだ。……少し娯楽を提供するよ。ちょっと付き合ってほしいな」
こういう時には話してしまうに限る。ついでに、笑い飛ばしてしまえたら、もっといい。
……つまらない身の上話だけれど、まあ、暇潰し程度にはなるだろうから。