ラブソングを*8
「いいのか、ストレンジャー」
「ああ。今までだってずっと、処理されていなかったんだ。それが、これからもずっと処理されない。それだけのことだろう?」
ニワトリは僕の職業と死亡届の抹殺との関係について案じてくれているようだったけれど、僕はもう、構わないと思っている。
天使には是非、このままこの町に居てほしい。ニワトリと再会してすぐさようならっていうのもあんまりだ。
何より僕は……『Bud company』の連中とか、それにまつわる話とか、そういったものに非常に苛立っていたから。それらへの抵抗として天使を生き返らせるっていうのは、丁度いい。
そうと決まれば早速動く。
翌日、職場からこっそり死亡届を盗み出してきた。職場の外でやるのは、軍曹蜘蛛達やタワシやサボテンやガラス戸達、職場の皆を巻き込みたくなかったからだ。ニワトリと天使のことは職場とは関係なく、あくまでも僕個人として行うことであって、職場の皆には関係ない。
サボテンは僕が死亡届を持ち出すのを見て首を傾げていたけれど、僕は笑って誤魔化すことにした。サボテンは友達である天使の死亡届が気になったようだったけれど、僕が曖昧に笑えば何かを感じ取ったのか、『うるとらさぼてんしらんぷり!』と頷いて、しらんぷりすることに決めてくれたらしい。ありがたいね。
その夜、パブには『焼き芋パーティ開催』のビラがあった。一体何が起こるっていうんだろう。
不思議に思いつつ店内へ入ると、カウンター席に座っていたフォーリンが笑顔で手を振ってくれた。
「戻ってたのか」
「ええ。ニワトリから連絡を受けたから。天使、見つかったのね」
断りを入れてから隣の席に座ると、フォーリンはコーラのグラスを傾けながら、少しの寂しさと心底の安堵を乗せた、最高に美しい笑顔を見せてくれた。
「よかったわ。これ以外、言うことが見当たらないの。本当に、よかった。ありがとう、ストレンジャー」
「僕は大したことはしていないのだけれどね」
僕が肩を竦めると、フォーリンはくすくす笑って、フライドポテトをつまむ。
「そう言うだろうってニワトリも言っていたけれど。でも、私はやっぱり、あなたが居たからこそ、天使が見つかったんだと思うの。あなた、最高よ」
「恐れ多い評価だ」
僕の答えに、またフォーリンは笑う。彼女、酔っているんじゃないだろうな。彼女がコーラで酔えたとしても、僕は驚かないけれど。
「とにかく、よかったわ。本当に。……彼が生み出したものが、傷つけられて、踏み躙られて、それでもちゃんと汚されずに残っているっていうことが、私にとっても救いなのよ」
フォーリンは僕に言うというよりは自分自身に言っているような、そんな様子で言葉を発して、泣き顔にも見えるような顔を見せた。
でも、そんな顔はすぐ、満面の笑みにかき消される。
「本当にこの町はいいところね。ねえ、そう思わない?」
いいね。やっぱり彼女は、こういう顔をしていた方が似合う。
「僕も最近、そう思うようになってきたところさ」
僕も彼女の笑顔に応えるべく、正直にそう答えて、笑い返した。
僕らが話していると、マスターがカウンターの奥から出てきた。ああ、よかった。今日は不在なのかと少し不安に思っていたところだった。
「やあ、ストレンジャー。君、死亡届を燃やすんだって?」
そして出てきてすぐ、マスターはうきうきと、そう、聞いてきた。
「ああ、うん。そのつもりだ」
僕が答えると、マスターは笑顔で『それはいいね!』と頷いて……それから、アルミホイルの塊を見せてくれた。
「なら、一緒にこれも焼いていいかな?俺は焚火をすっかり当て込んで、焼き芋パーティ開催のお知らせを掲示しちまったんだが」
成程。どうやら、これは芋らしい。そして、死亡届はただ燃やされるだけじゃなくて、立派に焼き芋の燃料となるらしい。それはいいね。時代はエコ志向だから、世間にも受け入れられるはずだ。僕はどうでもいいと思っているけれど。
「まあ、フォーリンが居るっていうのに、フォーリンの歌は今晩はナシってことらしいからな。客連中に納得してもらうためにも、代わりのイベントは必要になるところだし、そういうことで焼き芋もねじ込ませてもらうぜ」
そういえばフォーリンが帰ってきているっていうのに、いつもの『FALLING IS COMING!』の張り紙は無かったな、と思い出す。まあ、フォーリンも天使の復活に思うことが沢山あるらしいし、歌う気分じゃない、ってことなんだろう。そういう日があったっていいと思うよ。
「ちなみにこれはサツマイモじゃなくてジャガイモだ。バターと塩で食おう」
「悪くないね」
まあ、『PUB POTATO HEAD』に来る客は、大抵、サツマイモよりジャガイモが好きだと思うし、丁度いいんじゃないかな。
そしていよいよ、僕らは死亡届を燃やすことになる。
僕らが店の裏手に回ると、いつかマスターが生えていた畑の土の上に、落ち葉や紙くず、乾燥剤や松ぼっくりやアブラゼミやメデューサの頭なんかが集められている。ニワトリがそこでそわそわと佇んでいた。ニワトリの横には、天使も居る。天使はそわそわしているニワトリが面白いらしくて、くすくす笑いながらニワトリの羽にじゃれついていた。
「やあ、ニワトリ。持ってきたよ」
僕が鞄から死亡届を出すと、ニワトリは頷いて、僕からそれを受け取った。
天使から見えないようにそれを確認して、細く長く、ため息を吐く。
「よし……こんなものはもう、必要ない。燃やしてやろう」
ニワトリはそう言うと、死亡届を丸めて、よく燃えそうなものの山の上に乗せた。
「念のため、消火器を持ってきておいたぞ。勿論、吸引不可の純正品だ」
ニワトリは消火器を用意して、緊張した面持ちで居た。ああ、そういえばこの町に来て初めて、消火器が真っ当な理由で用意されているのを見る気がする。そうだね。消火器っていうのは吸引するものじゃなくて、火にかけて火を消すものだった。
「ついでに先に芋も入れさせてくれ。山の下の方に入れておくと丁度いいんだ」
それからマスターがアルミホイルの包みを山の中につっこみ始める。天使もぱたぱたと駆けよっていって、それを手伝い始めた。まあ、彼女にとっては自分の死亡届を燃やす会であるよりは、純然たる焼き芋パーティであってほしいから、にこにこと楽し気な天使を見て、僕は喜ばしく思う。
「折角焚火をやるなら、焼き芋をやるに限るな!」
「そうね。ついでに花火でも打ち上げる?あるわよ?」
「それは無事に燃えた後にしよう」
さて、そうして僕らは緊張しながら、燃えそうなものの山を眺める。湿気た落ち葉は混ざっていないようだし、アブラゼミの脚はちゃんと閉じているからこれはちゃんと死んだ奴だ。それに、メデューサの頭にはちゃんと目隠しがしてあるから石化の恐れは無い。よし。
「では……着火するぞ」
そして、ニワトリはそう言うと、フォーリンから受け取った火炎放射器で、勢いよくそれらに着火したのだった。
ごう、と炎が燃え上がる。はじめは火炎放射器の燃料の炎で、それはその内、落ち葉や紙くずやその他諸々の炎になる。
山のてっぺんで、死亡届も燃えていく。乱暴に丸めた紙切れ一枚、燃えるまでにそう時間はかからない。僕らはそれぞれに思うことを思いながら、燃えていく死亡届を見つめていた。
……だが、燃えない。
「おかしいな」
ニワトリが首を傾げる。僕も首を傾げたい。
そう。死亡届には火が付いていたが、そのくせ、まるで燃え尽きようとしないのだ。たかが紙一枚がこれだけ燃え残ることって、あるだろうか?
「まさか」
そして、ニワトリが身構えた、その瞬間。
炎を巻き上げて、何かが空へと昇っていく。轟々と音を上げながら、それは空で固まっていき、やがて、口を開いた。
「ささささささささ……三秒ルール!」
炎の中から現れた骸骨は、そう叫びながら鎌を振りかざし、天使へと襲い掛かっていった。
「ふざけるな!くたばれ!」
ニワトリが消火器の栓を抜き、骸骨に向けて噴射する。骸骨はもろに消火器の粉を浴びて、ぎゃあぎゃあと聞き苦しい悲鳴を上げた。
「五秒ルール!五秒ルール!」
だが、骸骨は消火器の粉を振り払うと、火の消えた体で尚も天使へと襲い掛かる。ニワトリは消火器のホース部分を握ると、まるでモーニングスターのように消火器を振り回し、勢いよく骸骨を打ち据えた。
「あら、暴れる機会があるなんて、素敵ね!」
そこへ、フォーリンがマシンガンを打ち込む。小気味いい掃射音が響いて、骸骨は次第に骨粉へと変わっていく。
骸骨は尚も『十秒ルール!十秒ルール!ルルルールル!』と叫びながら天使に向かっていこうとするが、さっきまでニワトリが持っていた火炎放射器がマスターの手に渡っている。マスターは『汚物は消毒だ!って一回言ってみたかったんだ!』とにこにこ笑いながら、骨粉を焼いていった。いいね。骨を焼くとリン酸カルシウムができるけれど、これは畑のいい肥料になる。
骨粉はこれで、燃え尽きた。そして最後に、粉になり切らなかった骨の欠片が『ルールル!ルルル!ルールル!ルルル!』と歌うように叫びながら天使へ襲い掛かって行ったけれど……骨の欠片程度なら、怖がる必要もない。僕は鞄を振り回して、骨の欠片を叩き落した。
天使だって、守られているばかりじゃない。いつの間にか手にしていたハタキでぽんぽんと骨の欠片を叩いては落としている。
……そうして最後の一欠片まで骨が潰えた時。焚火からは『食中毒うううううう!』と悲鳴が上がり、そして、死亡届がぼうっと燃え上がる。
ここまで粘ってきた紙切れ一枚は、案外呆気なく、燃え尽きてこの世から消えたのだった。
それから改めて、焼き芋パーティが開催された。
店の表にはぼたもち伯爵や整合性売り、体長30㎝のアルマジロやかの有名な国際的エノキまでもが集まっていて、焼き芋を楽しみにわくわくと待っていた。
さっきの戦いのせいで芋がどうなっているかは不安だったけれど、案外、上手に焼けていた。そこにとろりとバターを溶かして、塩をきつめに振りかけて頂く。この組み合わせが美味くないわけはないし、特に、こんがりと少々焦げたところが最高に美味い。
そもそも、焚火を眺めてかぶりつく芋というのは、独自の旨さを備えているものだ。この味わいには国際的エノキも唸らされているほどだ。
焼けた芋が店の前で振るまわれていると、自然と客が集まってくる。イリオモテヤマネコも呪いの市松人形も、クエン酸を添加された消波ブロックも、次々と集まってきては焼けたジャガイモに舌鼓を打つのだ。
実に平和で、奇妙で、穏やかな光景だ。まあ、一部、ウォーターサーバーに芋が詰まったり、ハシビロコウが芋と間違えてアルマジロを食べようとしていたりといったトラブルはあったけれどね。
けれど、そんなトラブルも気にならない程、いい気分だった。天使の死亡届は燃えて、もうこの世にない。天使はこれからもしばらくは、この世に居られるだろう。
「これでようやく、カタが付いた」
平和で奇妙で穏やかな光景を眺めながら、ニワトリはそう言って笑った。
「ようやくだ。カタが付くとも思っていなかったものも、こうしてカタが付くことがあるんだな」
僕らが眺めている先では、整合性売りがバンドネオンを演奏し始めていた。そして、それに合わせてフォーリンが歌い始める。珍しく、聞き覚えのあるポップスだ。それを見てニワトリは『なんだ、あいつ、今日は歌わないんじゃなかったのか』と笑っていたけれど、まあ、途中で気分が変わることなんてよくあることだ。今、彼女は歌いたい気分なんだろう。
フォーリンの歌につられて、より一層、客が集まってくる。マスターは何時の間にか7人ほどが同時に働いていて、忙しなく裏の焚火と店の表とを行き来しては客にジャガイモを売り捌いていた。
皆が笑い、ジャガイモを食べ、フォーリンの歌に手拍子や拍手を送っている。天使も整合性売りの隣に座って、タンバリンを鳴らして笑っていた。
「娘がああして笑っているところをまた見られるなんて、こんな幸福なことは、中々無いな」
「そうだね。いい光景だ」
楽し気な天使を見ながら、僕らは互いにジャガイモを食べ、飲み物を飲む。ニワトリはバーボンで、僕はハイネケンのグリーンボトルだ。今日くらいは飲酒してみようかな、っていう気分だったものだから。
「ありがとう、ストレンジャー。お前のおかげだ」
「僕は何もしていないけれどね」
改めてこう言われると、照れくさいというよりは、気まずい。僕は何もしていない。天使だって、僕が見つけなくともいずれニワトリが見つけていたような気がするし。
「いや、お前のおかげだ」
けれど、ニワトリはそう言う。
「お前がこの町に来たからこそ、様々なことが変わった。お前は気づいていないかもしれないがな」
「そういうものかな」
「そういうものだ」
まあ、ニワトリがこうまで言うのだから、そういうことにしておこうか。なんだか不正利得を得てしまったような気分だけれどね。
「礼をしたい。何をやっても大抵、つり合いが取れないだろうが……」
「いや、いいよ、気にしないで」
これ以上不正利得を積み重ねるのも気が退けるし、僕はすぐさま断りを入れる。
だが、ニワトリはにやり、と笑った。
「まあ、そう遠慮してくれるな。1つ、心当たりがあるんだ」
「……心当たり?」
僕が尋ね返すと、ニワトリは頷いて……真剣な顔をする。
「お前は俺を救った。俺の愛するもの、俺の魂の一欠片を救ってくれた。だから次は、俺がお前を救う番だ」
ニワトリはジャケットの内側に手を入れると、そこから、1通の封筒を取り出す。
「フォーリンから、これを預かってる」




