ラブソングを*7
僕は、少し迷ったけれど、天使を連れて南西の桜の木まで行くことにした。偉大なる街灯ネットワークに頼んでニワトリを探して連絡してもらおうかと思ったのだけれど、街灯達は天使の言葉を聞いて感涙に咽び泣いており、到底、何かを連絡できそうな状態じゃなかった。なんてこった。
そうして僕は天使と2人、歩いていく。
天使の足取りは随分としっかりしていた。はっきりと意思を持った彼女の歩みは非常に早くて、僕もついていくのがやっとになりそうだった。……ところでこの天使は急いでいてもご覧の通り、全く飛ばない。ニワトリから生まれた天使なら、あまり飛ばないのも納得だ。
天使が急ぐあまり躓きそうになったら彼女を支えて、僕は一緒に早足で進む。彼女は迷うことなく、南西の桜へ向かっている。ちゃんと道を覚えているようだし、ちゃんとそこへ向かう意思があるらしい。
ニワトリが彼女に会いたいと思っていて、彼女がニワトリに会いたいと思ってくれているのなら、最悪の事態にはならないだろう。
僕は次第に大きくなってきた希望を胸に、頭の中で考えを練り直す。ニワトリと天使に提案したいことがあるから、それについて考えをまとめておこうかと。……役場の職員としてはちょっとどうかと思われる提案だけれどね。
街灯もまばらな南西地区の桜の木は、すっかり昇った月に照らされてそこに佇んでいた。そして、ニワトリもまた、そこに居た。
彼は、疲れた顔をしていた。じっと何かを考えているような様子で、その表情は何かを祈っているようでもあった。……けれど、それももう終わりだ。
「ニワトリ」
僕が声を掛けると、彼はこちらを向いて……そして、目を見開く。
ニワトリははっきりと、天使の姿を見つけていた。そして天使もまた、ニワトリを見つける。
ニワトリはすぐさま駆け寄ってきて、天使を強く抱きしめた。天使は突然の抱擁にびっくりしていたようだったけれど、やがて、くしゃ、と顔を歪ませて、ぴいぴいと泣きながらニワトリに強く強く抱き着いた。
夜の桜の木の下、こうして2人が再会を果たして抱き合う横で、僕は『この天使、やっぱり鳴く声はヒヨコなんだな』と気づいて、こっそり笑みを漏らしていた。
「夢でも見ているような気分だ」
一頻り天使を抱きしめて、天使も幾分落ち着いた頃。ニワトリは天使を膝に抱えつつ桜の木の下に座って、今まで見たことの無かった穏やかな笑みを浮かべていた。苦みの一切無い笑みだ。ストレンジタウンに似つかわしくない表情かもしれないけれど、僕がずっと見てみたかった表情でもある。
「また娘に会えるとはな。ありがとう、ストレンジャー」
「僕は大したことはしていないよ」
僕が答えると、天使がそっと僕に手を伸ばしてきた。何だろう、と思っていると、天使は僕の手を握って、にこにこと笑う。可愛らしいね。
「何故、こいつが生きているのかは分からないが……この奇跡に感謝する。心から」
「まあ、天使だからね。死ななくったって、何度復活したって、まるで不思議はないよ。違うかな」
「そうだな。スナッフフィルムを撮影されたからって、天使は天使だ」
そう。天使は天使だ。ヒヨコよりずっと強い生き物だ。それこそ、人間如きが殺せるような生き物じゃないってことなんじゃないかな。だから、殺されたって死ななかったんだろう。
……僕も、ニワトリの娘というのがヒヨコじゃなくて天使だと最初から分かっていれば、もう少し探せていたかもしれないけれど……まあ、死んだと思っていたものを探す、なんてことは普通、できない。そういう意味では、普通じゃないこのストレンジタウンに居てよかった、っていうところかな。
「随分長い間待たせてしまったな」
ニワトリは天使を見つめて、また大切そうに翼で抱き込む。天使はふわふわしたニワトリの羽に抱きしめられて、にこにことご機嫌だ。
「今までどうやって生きていたのか……いや、もしかすると、最近復活した、ということか?まあ、分からないがもう何でもいい」
天使は首を傾げながら、にこにこしている。もしかすると、彼女自身、自分がずっと生きていたのか、それとも最近復活したのか、分からないのかもしれないね。
けれど、最近復活したにしても、それは僕がこの町に来た頃より前に、だろう。
「そういえば、君、肉まん聖人として活動していなかったかい?」
何せ、僕らは前から、会っている。僕がそう尋ねると、天使はにこにこと嬉しそうに頷く。
「何?肉まん聖人として、だと?」
「ああ。路地裏で肉まんを虐殺しようとしている奴が居たんだけれどね。その時、哀れな肉まんを救ってくれたのが彼女だ」
あの時の肉まんが恩返しに肉まん神輿を担いでやってきてくれたんだから、やはり彼女の功績はそれだけのものだったはずだ。あの時の奇跡を、僕は一生忘れないだろう。
それにしても、天使が救いをもたらす肉まん聖人をやっている、というのは実にぴったりだね。
「成程。肉まん聖人のところで世話になっていたか。となると……もしかすると、肉まんの奇跡が働いて、お前がここに居るのかもしれないな」
僕らは誰からともなく、『にくまん』と聖句を呟く。そう。いつだって肉まんは僕らに救いをもたらしてくれるから。
そうして、僕らは連れ立ってパブへ帰ることにした。
帰り道は、明るかった。というのも、街灯がニワトリと天使の様子を見てすっかり感激したらしく、『おお、見よ!この感動の再会を!』『どんな戯曲にも勝る、素晴らしい奇跡だ!』と褒め称えていたものだから。何かを褒め称える時、街灯はより一層明るくなるらしい。中には感激し過ぎて、顔面から七色のレーザービームを放って夜空を派手に彩っている街灯も居たし、その場でパラパラを踊り出して電球に窘められている街灯も居た。賑やかだ。
パブに入ると、真っ先にマスターが反応した。身を乗り出すようにカウンターからこちらを見て、そして、ニワトリと手を繋いで白銀の天使が入ってきたのを見て、なんと、マスターは感涙に咽び始めた。
「どうした、ポテトヘッド。ジャガイモの塩漬けは不味いんじゃなかったか?」
「おい、おいニワトリ!お前、よかったなあ!あああ……」
ニワトリが幸福そうに笑い、天使がにこにこと嬉しそうにニワトリの手を握り直す。マスターは塩漬けになりそうな勢いで涙を流しているのだけれど、ところでジャガイモの目ってどこだろうね。ジャガイモの芽はたくさんあるわけだけれど。
「あら、その方はどちら様?綺麗な羽ね!」
そして、カウンター席にちょこんと座っていた小さなレディは、自分と同じくらいの年頃の天使を見て、ぱっと顔を輝かせる。天使は少し人見知りしてニワトリの影に隠れてしまったけれど、ニワトリが『こちらの小さなレディは良い子だぞ。そして、小さなレディ。こちらは俺の娘だ』と紹介すると、天使はそっとニワトリの後ろから出てきて、ぺこ、と小さくお辞儀した。
小さなレディは早速、天使と何か話し始めた。僕には天使の声が聞こえないのだけれど、小さなレディには聞こえているらしい。2人はなんだか楽しそうに話し始めた。仲がいいことは良いことだね。
「よし、ポテトヘッド。今日のおすすめを3人前頼む。今日の会計は全て俺が持とう」
マスターがちり紙で鼻をかんでいるところに、ニワトリはそう、注文する。僕は僕の分くらい自分で出そうと思っていたので、咄嗟にこれを断ろうかとも思ったけれど……まあ、僕らはもう、そんな仲でもないね。
「なら、マスター。今日のおすすめに合いそうな、上等な酒を2人分頼むよ。……これくらいは僕にもお祝いさせてくれるね?」
ニワトリに確認すると、ニワトリは目を円くしてから、やがて、にやり、と笑った。
マスターはしっかり手を洗ってからずびずび鼻を啜りつつ、僕らの食事と酒の準備を始めてくれる。今日のおすすめはハンバーガーらしい。それに、砕いたナッツが衣に混ぜ込まれたチキンナゲットと、カリッと揚げられたフライドポテトが付いてくる。更にコーンポタージュが付いて、なんと、ケーキも付いてくる!
ケーキは、ココア味のスポンジケーキにチョコレートクリームやナッツやバナナ、それにガナッシュなんかも挟まった、少々手の込んだ代物だった。いいね。こういうケーキ、久しぶりに食べるよ。
「よし、じゃあ、こちら10年物の味醂だ!」
酒も揃ったところで、僕はニワトリと乾杯した。見れば、マスターもいつのまにか味醂のグラスを傾けている。まあ、今日みたいなめでたい日には、業務中だから、なんて固いこと言わずに味醂の一杯くらいは飲んでもいいだろう。
天使は小さなレディとすっかり仲良くなったらしい。小さなレディの話を楽し気に頷きながら聞いたり、一緒にケーキを食べて『美味しい!』と嬉しそうな顔をしたり。
そして、ニワトリはそんな天使を愛おし気に見つめている。何時間見ていたって飽きない、というように、ただ見つめるだけだ。話しかけるでも触れるでもなく、ただ、見ている。
「……ストレンジャー。本当に、ありがとう。娘ともう一度会えたのは、お前のおかげだ」
そしてニワトリは、ふと、そう言った。彼の表情は只々穏やかで、眼差しは優しい。どこか悟りを開いたようなニワトリに礼を言われてしまうと、なんとなく、嬉しさよりも、畏怖にも似た申し訳なさが先走る。
「僕がしたことなんてたかが知れてる。むしろ、天使に彼女自身の死亡届を見せてしまって……彼女、酷くショックを受けていた。大丈夫かな」
僕が懺悔するつもりでそう言えば、ニワトリは笑った。
「それなら問題ない。こうして再び、生きて会えたんだ。むしろ、その死亡届があったからこそ、俺達は再会できた。そしてそれはお前のおかげでもある」
「そう言ってくれると、ありがたいけれどね」
僕はまだ少々申し訳ないような気持ちのまま、天使と小さなレディが話している様子を見る。今、2人は『ビスケットとミルクがおやつに出てきた時、どうやって食べれば最大限に楽しめるか』という興味深い議題について論じているらしい。
「それにしても、死亡届、か。面白いものだ。それが俺達を再会させてくれたとは」
天使に聞こえないようにそう小声で言って、ニワトリは笑う。
「書類上はもう死んでいる娘、か。まあ、悪くないだろう。こんな町には丁度いい」
……そんなニワトリを見て、僕はそっと、声を掛けてみる。天使に聞こえないくらいの小声で。
「ニワトリ。1つ、提案があるんだ」
「まず、前提として……あの死亡届は実はまだ、処理されてないんだ。前任かその前かさらに前か、とにかくあれを受け取った当時の職員が、死亡届の処理をサボっていたらしくてね」
今回、ニワトリと天使の再会のきっかけとなった死亡届だけれど、あれがキャビネットの中にあったということは、まあ、あれが死亡届としての役割を半分果たしていなかったということになる。
そう。あれは、まだ、処理されていない。
……僕は、そこに、天使の生存の理由があるような気がしてならない。
僕の言葉に、ニワトリははっとした顔をする。
「つまりこいつはまだ死んでいない、ということか」
「ああ、そういうことになる。少なくとも、書類上はね。……そして、どこか1つででも、死が認められていないのだったら、それが真実になったっていい。ここは奇妙な街なんだから」
僕がそう言えば、ニワトリは少々緊張の走った顔で頷く。
「なら、逆に……死亡届が処理されたなら、死ぬ可能性がある。ここは、奇妙な街だからな」
僕らは頷き合う。
この町が奇妙だからか、それとも何か、より奇妙な何かが働いているのか……何はともあれ、天使は今、生きている。スナッフフィルムに出演した被害者が生きている、というのも不思議な話だ。撮影現場で殺されていなかったとしたら、『Bud company』の連中が何も言わなかったのもおかしいし。
天使が生きているという状況は『普通じゃない』けれど、この町は『普通じゃない』し、天使の死について、『普通じゃない』ことが実際に起きていたわけだ。
そう。それが、死亡届の未処理だ。
天使は死んだ後、死亡届をずっと処理されていなかった。だから、この町で彼女は、『死んだことになっていない』。だから今、彼女は生きている。この『普通じゃない』状況は、そういうことなんじゃないか、と思う。
……そんな奇妙なことがあっていいのか、とも思うけれど、実際、そう考えると辻褄が合うんだからしょうがない。もう、理屈なんて考えるだけ無駄だ。だってここは、奇妙な街なんだから。
「成程な。死亡届が鍵だったか。それならまあ、納得はいく、か……」
ニワトリも不思議そうにしているが、まあ、それはそういうこと、という風に考えよう。違ったとしても然程問題は無いし。
「それで、ニワトリ。僕からの提案なのだけれど」
ここで僕は、話を最初に戻す。
ずっと考えていた提案だ。公務員としては良くない選択で、でも、このストレンジタウンにおいては賢い選択だと言えるだろう。
「死亡届を処理せず、このまま荼毘に附してしまうっていうのは、どうだろう」