ラブソングを*6
僕は職場を飛び出して、天使を探そうとした。
だが、天使はもう、どこにも見当たらない。職場に戻ってサボテンに『天使がどこに住んでいるか知らないか』と尋ねたが、サボテンは首を傾げるばかりだった。
僕はもう一度職場を出て、一通り、辺りを探す。軍曹蜘蛛達も手伝ってくれて、皆で一斉に近辺を捜索した。……だが、天使は見つからない。そうしている間に定時になったので、僕は蜘蛛達を職場へ帰した。
僕は引き続き、天使を探す。
錦糸卵がポールダンスを踊っている横を通り過ぎて、スチールウール達が株主総会を開催しているのを横目に進んで、ほうれん草が青梗菜を不法投棄しようとしているのを見かけて『青梗菜の不法投棄は条例違反だ。ところでこの辺りで天使を見なかったか』と声を掛けては首を傾げられ。
……そうして当てもなく彷徨うように歩いて天使を探していたところ。
「あら?異邦人さん、こんばんは!いい夜ね!」
そこで、小さなレディと行き会った。
小さなレディはどうやら、『今日の私は一つの困難を乗り越えたから、今日は夜にも外出していいことにしたの!』ということだったらしい。小さいとはいえ、レディはレディだ。きっと彼女にも色々あるんだろうね。
僕は少し迷ったが、天使探しを一時中断して、小さなレディをパブまで送ることにした。小さなレディを夜、一人で出歩かせるわけにはいかないから。特に、こんな町じゃ猶更だ。
僕は焦燥を腹の中に抱えながらも、小さなレディには失礼のないように、と焦燥を隠して歩く。自然と速足になりそうな足を宥めて、でも、天使を探して彷徨う視線はそのままに。
「私ね、今日は嫌なことがあって……」
そんな僕と一緒に歩きながら、小さなレディはそう、話し始める。
「私のおうちの傍には大きな木があってね、その木の下で本を読むのが私の日課なの。でも、今日はその木の下に、子供が何人か居てね……私は1人で本を読みたいのに、その子達が居ると、私も一緒に遊ばなきゃいけなくなっちゃうでしょう?そうするのが良い子だもの。知りもしない『お友達』が遊んでいるのに1人で本を読んでいる子は不健康で悪い子だってことにされちゃうんだもの」
小さなレディはそう言って、ふう、とため息を吐いた。やっぱり彼女も色々と大変なんだね。
「でもね、私、思い切って言ってやったの。『私は本を読みたいの。あなた達とは遊ばないわ』って。そんなこと言うの、生まれて初めてだったけれど。今まで、そんな勇気、無かったけれど。でもね……そう言ったら、その子供達ったら逃げて行っちゃったの!だから私はいつも通り、1人でお気に入りの木の下で、本を読むことができたのよ。思い切ってみてよかったわ!」
小さなレディは満面の笑みでそう言って……それから、ふと、僕を見上げて、微笑んだ。それは随分と大人びた笑顔で、一瞬、はっとさせられる。
「だからね、異邦人さん。もしあなたが悩んでいるとしたら、思い切りが必要なのかもしれないわ」
「……そういう風に、見えたかな」
全く、この小さなレディには驚かされる。彼女、本当に立派なレディだね。
「ええ。ちょっとだけ、ね。もしかしたら何か悩んでるんじゃないかしら、って思ったの!」
小さなレディはにっこり笑った。ああ、参ったな。こんな小さなレディにまで心配をかけるなんて。まあ、彼女は立派なレディなんだから、しょうがない。僕は脱帽するしかないね。
「ね、異邦人さん。どうかしら。少し、あなたの助けになれたならいいんだけれど」
僕は、小さなレディを見て、それから、そろそろ見えてきたPUB POTATO HEADから漏れる灯りを見て……意を決した。
「ありがとう、レディ。僕も思い切ってみることにするよ」
おせっかいも取り越し苦労も、この際置いておこう。
ただ僕は何も考えずに、1人の少女のために、1人の紳士に手伝ってくれるよう、頼むだけだ。
「おお、いらっしゃい」
パブに入ると、マスターが挨拶してくれる。僕はそれに挨拶をすると、すぐ、カウンター席に座っていたニワトリに近づいていく。ニワトリはすぐ僕に気づいて、不思議そうに顔を上げた。
「どうした、ストレンジャー」
「手伝ってほしいことがあるんだ。緊急に」
ニワトリは僕の言葉に首を傾げる。ああ、この仕草、あの天使にそっくりだ。
「天使を1人、探さなきゃいけなくなった」
僕が思い切ってそう言えば、ニワトリは緊張を走らせた。
「天使?それは、一体……」
「最近、うちの職場に遊びに来てる子だ。うちのサボテンと仲がいい。今日は職場の皆で花見に行ったのだけれど、彼女も一緒だった」
ニワトリは混乱と緊張を微かに滲ませて、確かに困惑していた。思い出したくないものを思い出しかけているような、そういう様子にも見える。
「皆で一緒に桜の木の下まで行った。この間、君と一緒に蓮の花や報道陣を殺した、あの桜の木の下だ。そこでその天使は金平糖を食べて、紙風船で遊んだ」
「待ってくれ、ストレンジャー。何のことだ」
ニワトリは尚も混乱していたが、僕だって今、混乱してる。焦燥に憑りつかれている。そしてこの焦燥は、手遅れになるんじゃないかという焦燥だ。それはきっと同時に、『まだ間に合う』という希望でもある。
「そしてその天使は、うちの職場に帰ってきた後でとある死亡届を見つけてしまって、それで、酷くショックを受けて、飛び出していってしまった」
しぼうとどけ、と、ニワトリの口が動き、目が微かに見開かれる。
「その死亡届の届出人。その人の住所が……君の部屋の住所だったよ」
そして僕がそう言った途端。
「恩に着る、ストレンジャー!」
ニワトリはすぐさま、パブを飛び出していった。
ニワトリを追って、僕もパブを飛び出した。走るニワトリは大層速かったけれど、僕も多少は体力がある。ニワトリが周囲を見回すために立ち止まったところで、追いつくことができた。
「この辺りはもう、一通り探したよ」
「そうか。なら、どこに……」
「二手に分かれよう。どこか、心当たりのある場所はあるかい?」
僕が尋ねると、ニワトリは少し考えてすぐ、『南西部の桜』と答えた。『なら、君はそっちを見てくれ。僕はこっちの方を一応探しておく』と伝えると、ニワトリは頷いて、南西部に向かって走っていった。
僕は少し考えて、南東部へ向かうことにした。北部には僕らの職場やパブがあるわけだけれど、まあ、つまり、一通り僕らが捜した後だということだ。なら、南へ行った方が望みがありそうな気がする。
南東部には初めて来る。南西部の穏やかさはあまり無くて、穏やかというよりは寂れた、という印象が強い。知らない通りの知らない眺めは、夜闇に紛れて、余計に余所者に冷たく感じられる。
けれど、街灯は顔見知りだ。何せ彼らの電球を取り換えたのは僕だから。
手近な街灯に『この辺りで天使を見かけなかったか』と聞いてみると、街灯は『ふむ。なら偉大なる街灯ネットワークで聞いてみることにしよう』と言って、他の街灯達に天使の居場所を聞いてくれた。僕がその場で少し待っていると、街灯は『少なくとも俺達の光の届くところには居ないようだ』と教えてくれた。
この町で街灯の光の届かない場所、というのは、決して少なくない。大抵の路地裏には街灯の光なんて届かない。だから、場所を絞るのにはほとんど役に立たないけれど……偉大なる街灯ネットワークは、偉大だから偉大なる街灯ネットワークなんだ。
街灯は『では、俺達も探してみよう。勘違いしないでくれ。これは俺達の可愛い電球がお人よしだから協力するってだけさ……』なんて言いながら、のそのそと歩き始めた。他の街灯達ものそのそと歩き始めた。そうしている内に、街灯はどんどん、ストレンジタウンを照らしていく。
『あの道には居なかった』『こっちにも居なかったようだ』なんて話が偉大なる街灯ネットワークによって僕のところまで届く。
そして、ついに街灯から『それらしい姿を見つけたぞ。彼女はこの町に月光の如く舞い降りた天使。柔らかな光、微かな希望……』と報告される。実に詩的な表現だ。ありがとう。
さて、彼女が居るのは南西の桜か、と僕が身構える中……街灯は、少し意外な住所を教えてくれた。
「ここに居たんだね」
僕はパブの外のスチール階段を上って、自分の家の前へやってきた。すると、僕の隣の家のドアの前で、白銀の天使がぼんやりと佇んでいたのだ。
僕が声を掛けると、天使ははっとして、それから、不思議そうな顔をした。まあ、彼女からしてみたら、ここに僕が居るのは不思議だろう。
「僕はそこに住んでいるんだ」
僕が僕の部屋の扉を示して言うと、天使は気が抜けたような顔で瞬きをした。僕は僕の鞄から鍵を取り出して、ほらね、と見せる。鍵は天使に対して少し人見知りを発揮している。ふにゅ、と曲がって恥ずかしがる姿勢だ。
天使はそんな鍵を見て微笑むと、指先でつんつんと鍵をつつき始める。優しくつつかれた鍵は人見知りも解けて、やがて、む、む、と鳴きながら天使の指先に反応して寝返りを打つようになった。そんな鍵を見て、天使の表情も幾分、解けてきた。
天使は今、不安だろう。間違いなく。
自分自身の死亡届なんていうものを見つけてしまったのだから、間違いなく今、彼女は動揺している。
けれど、動揺した彼女が来た場所がここだというのなら……それを彼女が望んだということなら、まだ、希望はあると思う。
「その、随分と不用意なものを見せてしまって、ごめん。配慮が足りなかった」
僕がそう言うと、天使は僕を見上げて、ふるふる、と首を横に振る。気にしないで、ってことかな。本当に優しい子だ。
「あの書類を見て、君は、ここに来たのか」
尋ねると、天使はこくりと頷く。……恐らく彼女は、自分の名前や年齢を見て、あれが自分自身の死亡届だっていうことに気づいて、それから、届出人の住所を初めて知ったんだろう。
「君は、ここに、誰かに会いに来たのかな」
僕がそう尋ねると、天使は鍵から指を離して、僕を見上げた。不安そうな顔だ。自分でも答えが分かっていない、というような。
「僕の隣人は、今、君のことを探してる。君に会いたいみたいだ。あの桜の木の方に探しに行ったのだけれど……」
僕は少しの迷いを胸に、けれどその胸の中で小さなレディが『思い切りって、大切よ』と言ってくれるので、その言葉に押されるようにして、尋ねた。
「君は、彼に会いたいと、思うかな」
どうか、という気持ちで天使を見つめる。
天使も僕を見つめる。
やがて、天使の目は、不安や困惑ではなく、もっとはっきりと強い意思を宿す。
「会いたい」
……そして天使ははっきりと、そう言った。




