ラブソングを*5
急に持ち掛けた花見の誘いに、職場の皆は大いに賛同してくれた。
軍曹蜘蛛は新兵蜘蛛や二等兵蜘蛛、一等兵蜘蛛らと一緒に『敷物の準備を!』『お菓子の補給を急げ!』『衛生兵!お茶を用意せよ!』と楽し気にはしゃいでいる。サボテンは言わずもがな、『うるとらさぼてんわくわく!』と伸び縮みしているし、天使もそんなサボテンの鉢を抱えてにこにこしている。
タワシも大いに賛成してくれたし、そして何より驚いたことに、ガラス戸までもが参加することになった。
ガラス戸は器用にそっと玄関を抜け出すと、代わりになるベニヤ板をそっと自分の持ち場に置いて、『ガラス戸不在。また、本日出張所は閉庁につきまたのお越しをお待ちしております』と張り紙をした。素晴らしい。これなら皆で出かけられる!
途中で緑茶の彼が『住民票……いや、今日はいいです!』と合流して、僕らは早速、桜の木へ向かった。
南西部の穏やかな様子を眺めながら、僕らはぞろぞろと歩く。子供達が火縄銃からティラノサウルスを発射して遊んでいる横を通り過ぎて、バナナの木がアボカドとゴッホのひまわりを実らせているのを眺めて。
バナナの木の下に『ご自由にお持ちください』と書いてあったのを見た緑茶の彼が『住民票だ!』と喜んでゴッホのひまわりを一枚、持って行くことにしたらしい。実った時から既に額縁に入っていたそれを大事そうに抱えて、にこにことまた歩き出す。
軍曹蜘蛛達は『この辺りは大変治安が良いのですね!』と驚いていたし、ガラス戸は時々街の片隅で打ち出されるティラノサウルスに驚きながらもそわそわと楽し気にしていた。タワシは僕の肩の上で歌っていたし、サボテンは天使に抱えられて嬉しそうに伸び縮みしている。
つまり、まあ、平和だっていうことだ。僕らは平和に、ストレンジタウンの南西部を進んでいく。
そうしていれば、そう時間もかからずに桜の木まで到着した。桜の木は蓮の花に寄生されることもなく、ただ美しく、そこにあった。僕とニワトリが見た時よりもさらにもう少し、桜が咲いている。満開には程遠いが、花を愛でるには十分だろう。
桜の木の下には早速、軍曹蜘蛛の指示によって敷物が敷かれ、真っ先に僕がそこに座らされた。軍曹蜘蛛曰く、『中尉は是非ごゆっくりと!普段から中尉が率先して働いてくださっているのですから、こんな日くらいは!』とのことだったので、お言葉に甘えさせてもらうことにする。
そうしている間に蜘蛛達はお菓子を出してきたり、お茶をポリタンクからコップに注いだりし始める。僕が持ってきたバスケットは天使がそっと持って行って、そこでタワシやサボテン、ガラス戸と協力しながら中身を上手く広げ始めた。
……僕が昨夜マスターに頼んだのは、お花見セットだ。まあ、要は、何か食べ物を、と。
そうしたらマスターは中々張り切ってくれたらしい。バスケットにはサンドイッチが綺麗に並び、唐揚げとフライドチキンが詰め込まれている。更に、キッシュやトマトのファルシ、クッキーにカップケーキ、と、実に美味しそうな食べ物がたっぷり詰まっているものだから、バスケットを見ているだけでも楽しい。
バスケットの中の食品はそれぞれ上手く取り分けられ、人数分の皿が並ぶ。サボテンはその過程でサボテン型のクッキーを見つけて『うるとらさぼてんくっきー!』と喜んでいた。
そうして皆で楽しく昼食と相成った。サンドイッチはトマトやレタスが瑞々しいのがなんとも美味かったし、それからやはり、卵サンドが絶品だった。思い出してみると、僕がこの町に来て最初に食べたのはポテトサラダサンドと卵サンドだったな。卵サンドは僕にとっても思い入れのある食べ物だ。
僕らがそれぞれに食べ物を食べ、お茶を飲んで、お菓子をつまんで楽しんでいると、ふと、上空からぽとり、と小さな紙包みが落ちてくる。人数分落ちてきたそれは、案の定、金平糖だ。ほんのりと桜色をしたそれは、清涼感のある甘さでよくお茶に合う。
突然の金平糖に、僕以外の皆は驚いていた。だがその内、金平糖の礼を桜に言って、それぞれに美味しいプレゼントを味わい始める。タワシは特にこの金平糖が気に入ったらしくて、『私って金平糖ですか?』と聞いてきた。なので僕は『違うよ』と訂正しておいた。
サボテンは大いにはしゃいでいたし、ガラス戸も控えめながらそっと楽しんでいるようだった。緑茶の彼は『住民票より美味しい!』と喜んでいたし、蜘蛛達は個性豊かに、燥いだり騒いだりしていて……そして、天使は、唯一この中で金平糖の出現に驚いていなかった。
天使はただ、上を見上げて、にっこり笑って、金平糖の包みを開けてすぐ食べ始めた。まるで、ここに来ると金平糖がもらえると知っていたかのような行動だ。
更に、桜の木はサボテンや天使、新兵蜘蛛達の上から、そっと紙風船を落としてくれた。これについても天使は驚かず、ただにっこり笑って紙風船を受け取ると、早速それを膨らませて、ぽんぽん、と宙に浮かべては楽しみ始める。
サボテンや新兵蜘蛛達は紙風船について知らなかったらしく、紙風船を眺めては不思議そうにしていた。それを見た天使は彼らの分の紙風船も膨らませてやって、一緒にぽんぽんやって遊び始める。
慣れた様子だ。何度もここでこうして、紙風船を貰って遊んできたような、そんな様子だった。
「ねえ、もしかして君、前にもここに来たことがあるのかな」
僕は、微かに緊張しながら、努めてさりげなく、天使にそう尋ねてみる。
すると天使は、にっこり笑って頷いた。
「それは、誰かと一緒に、かな。例えば、君のお父さん、とか」
天使は途中まで頷いていたのだが、『お父さん』という言葉に、首を傾げてしまう。おや、困ったな。やっぱり、違ったか。
それ以上何かを聞くのも躊躇われて、僕はそこで一旦、質問を切る。天使は首を傾げつつも微笑んで、また、紙風船をぽんぽんやって遊び始めた。風に煽られて宙で不安定に動く紙風船と、紙風船に笑顔を向けている天使とを見ていると、どうも、ニワトリがここで紙風船をつついていたことを思い出す。
「ええと……君、一緒に来た人って、卵を生み出す人だった?」
卵生だったなら、『お父さん』という認識が無いかもしれない。僕はそんな期待を込めて、もう一度、聞いてみる。
すると天使はまた、首を傾げる。……やっぱり、違うのか。
天使が不思議そうにしているのに『ごめんね、なんでもないよ』と言って曖昧に笑うと、天使は首を傾げつつもまた、遊びに戻っていった。
天使が遊んでいるところにサボテンがやってきて、『うるとらさぼてんあたっく!』と紙風船に頭突きする。柔らかいトゲもとい毛に押されて、紙風船はまたふわりと宙を舞った。
その内、軍曹蜘蛛達が紙風船バレーボールを始めたり、タワシとガラス戸が金平糖とお茶を楽しみながら咲き切らない桜をのんびり眺めていたり、穏やかな時間が流れていく。
僕は、穏やかな時間の中にぽつんと浮かんだような心地になりながら、どうにも、期待外れを悲しむような、まだ期待しているような、そんな気分に満たされている。
……ニワトリの娘がまだ生きていればいい、なんて、身勝手もいいところだ。それを誰よりも強く望んでいるはずのニワトリに対して、失礼だろうとも思う。
だが、それでも、僕は期待していたらしい。こんな狂気の町で、暴力以外の救いなんて、どうせ期待できないっていうのに、だ。
「そろそろ戻ろうか」
太陽がすっかり傾いてきた頃、僕は皆にそう声を掛けて、職場への帰路に付くことにした。どうにも、もやもやとした気分を抱えながら。
職場に戻ると、ガラス戸がベニヤ板を退かして、よっこいしょ、とばかり、元の位置に戻った。お腹いっぱいになった分、少しレールがきつかったようで、戻るのに時間がかかっていたし、ガラス戸はそれを少々恥ずかしがっていたけれど。
そうして職場に戻った僕らだったが、サボテンやタワシ、新兵蜘蛛なんかはまだ興奮冷めやらぬ様子だったし、緑茶の彼は『住民票、入れておきますね!』と、拾ってきたゴッホのひまわりをキャビネットの中につっこんで帰っていく。
やれやれ、仕方がない。僕はキャビネットの中につっこまれたゴッホのひまわりを取り出して、受付カウンターにでも飾っておこうか、と、閉められたばかりのキャビネットの扉を開けた。
すると、ゴッホのひまわりの額縁についていた紐が、何か、引っかかったらしい。ファイルが落ちてきて、その中身を床にぶちまけてしまう。
ああ、この間見た、死亡届のファイルだったらしい。床に散らばってしまった紙を見て、僕はため息を吐いてからそれらを片付けるべく屈む。
すると、優しい天使がやってきて、一緒に死亡届を拾い集めてくれた。
蜘蛛達もわらわらとやってきて、一緒に紙を拾い集めてくれるものだから、案外早く、散らばった紙は再びファイルの中に戻ってきた。
……ただ一枚を除いては。
「あれ?どうしたんだい?」
ふと見ると、天使が、じっと、死亡届を見つめていた。
死亡届が珍しいのかな、とも思ったが、どうも、違うように見える。
天使はじっと死亡届を見つめている。それだけだ。瞬きすら忘れているのか、本当にただそのまま、動かない。
サボテンが『うるとらさぼてんあたっく?』と聞きながら天使に向かって伸びてみても、天使はサボテンが目に入っていないらしい。撫でられることが無かったサボテンは、そっと静かに、しゅるる、と元の身長まで縮んでいく。
「……大丈夫かな」
声を掛けているのか独り言なのか、自分でもよく分からない言葉を宙に浮かせながら天使を覗き込んでみると、天使はようやく、反応らしい反応を示した。
天使は、困惑していた。同時に何か、恐れているようでもあった。
おや、と僕が思う間にも、天使は途方に暮れたように僕を見て、それからまた死亡届を見て、どんどん焦燥と困惑を強めていく。
そして遂に、天使は、ぱっ、と飛び出していってしまった。ぱたぱたと走る天使に合わせてガラス戸がさっと開いたため、天使はそのまま止まることなく走って、職場を出ていってしまう。
後に残されたのは、ぽかんとした僕らと、僕らの間に漂う微かな不穏。そして、床に放り出されていった死亡届だけ。
僕は死亡届をそっと拾い上げて、見つめてみた。さっき天使が見つめていたものは何だったのか、どうにも、気になって。
そこには、ある少女の死亡について、書いてあった。きっとどこにでもあるのであろう、形式に則ったただの情報の羅列だ。
だが、『死因の種類』の欄を見て、僕ははっとした。
『他殺』。そこにチェックが入っている。
そしてよくよく死亡届を見た僕は……ようやく、諸々を理解した。
死亡届の届出人の住所。
これは、僕の家の、隣の住所だ。