ラブソングを*4
「あまり俺に似ていないかもしれないな。だが、確実に俺の一部を持った子だった」
ニワトリは懐かしそうに、愛おしそうに、そして何より、深く静かに凪いだ悲しみに満ちて、写真を見つめている。
「……僕はてっきり、君の娘さんはひよこなんだろうと思っていたけれど」
僕は咄嗟に気の利いたことも言えずにそんなことを言う。するとニワトリは楽しげに笑う。
「俺がニワトリだからといって、ニワトリしか産めないわけじゃない。卵の可能性は無限にある」
「成程ね」
そうか。まあ、それはそうだ。特に彼は、本当に様々な卵を産むわけだし、その卵の1つからひよこでもニワトリでもなく天使が生まれたって、別におかしくはない。その通りだ。
「あー、その、本当に、可愛い娘さんだ。それから、綺麗だね」
「そうだろう。俺の自慢の娘だ」
ニワトリは嬉しそうに目を細めて、また写真に視線を落とす。
……僕はそんなニワトリを見て、『君の娘さん、もしかしてまだ死んでいないんじゃないか?』なんてことは聞けずに、そのまま朝食を食べ終えて出社することになった。
出社した僕は、カルメ焼きを職場の面々に配る。
ハトロン紙の大きな紙袋にたっぷりと詰め込まれたカルメ焼きは、全員に配れるほどの数があった。
案の定、サボテンはカルメ焼きを気に入ったらしくて、さくさくと齧っては伸び縮みして美味しさと喜びを表現していた。軍曹蜘蛛も新兵蜘蛛も、それぞれにカルメ焼きを食べては『美味であります!』と喜んでくれた。きっとマスターも喜ぶよ。
それから、タワシはカルメ焼きの見た目を気に入ったらしくて、眺めながら『あなたはタワシですか?』とカルメ焼きに聞いていた。カルメ焼きは喋らないので、僕が代わりに『それはカルメ焼きだよ』と教えてやったら、タワシは『もしかして私もカルメ焼きですか?』と聞いてきた。なので『違うよ』と教えてやりつつカルメ焼きを食べさせてみると、こちらも大喜びしてくれた。よかったね。
ガラス戸は遠慮がちに一欠片だけカルメ焼きを食べて、それから、控えめに、そっと10㎝くらいの幅で開いたり閉じたりして美味しさを表現してくれた。それからも時々、大切そうに一欠片ずつカルメ焼きを食べるガラス戸の姿が見られたので、僕は心底マスターに感謝した。職場の仲間達の嬉しそうな様子を見せてもらえたんだから、今度、マスターにお礼をしないとね。
さて、そうしてカルメ焼きを配っていたところ、今日もサボテンが外に出て日光浴を始めた。
最近のサボテンは日光浴がマイブームらしい。多分、新兵蜘蛛が町のどこかから拾ってきた雑誌を一緒に読んでいた時に『日光浴はあなたの骨の成長を助けます!』と書いてあったからだと思う。
そして、サボテンが外で日光を浴びていると、そこにひょっこり、白銀の天使がやってくる。
ふわふわ、と白い羽を揺らしながら駆けてきて、サボテンに何か挨拶している。サボテンは嬉しそうに伸び縮みしつつ、天使に『うるとらさぼてんあたっく!』とやって懐いている様子だ。
改めて天使を見てみると、やはり、ニワトリが見せてくれた写真の少女によく似ている。顔立ちは当然そっくりだし、白い羽だって、そっくりだ。到底、単なる他人の空似なんて思えないくらいに。
天使を眺めていたら、天使に少し不思議そうな顔をされてしまった。僕は誤魔化すように、彼女にもカルメ焼きを配る。すると、天使はそれはそれは喜んで、大切そうにカルメ焼きをさくさくと齧り始めた。
サボテンと並んでにこにこと笑い合いながらカルメ焼きを食べる姿を見ていたら、何となく、『君のお父さんはニワトリ?』とも聞きにくい。
さて、どうしたものかな。
その日はそれなりに真っ当に仕事をした。
というのも、アスファルトの罅割れがたんぽぽによるものであるからたんぽぽを排除してくれ、という訴えをタケノコが持ってきたのだが、現場を見てみたら実際のところ、竹がアスファルトを割ったところにたんぽぽの種が根付いている、というのが実情であったのだ。
そこから始まるたんぽぽとタケノコの喧嘩を仲裁するのに時間がかかり、それから、たんぽぽを植木鉢や道の脇の花壇、『俺はハゲじゃねえ!』と煩い酔っ払いの頭などに移植する作業が始まって、更に、タケノコが地面に引っ込んでいくのを見守った。
タケノコが地面に潜るにあたっては、40度ぐらいの温風を当ててやると良いらしいので、仕方なく延長コードを何本も繋いで近くのコンセントから電源を引き、そこにドライヤーを繋いで、タケノコが地面に潜り切るまで温風を当ててやることになった。タケノコは実に気持ちよさそうに地面へ潜っていった。やれやれ。
そしてアスファルトを舗装してもらうための業者とやりとりをして、最終的にアリクイ舗装さんに委託したものの、従業員がアリクイであるという説明に偽りがあってアリクイではなくアジクイであったため空を飛んでいた鯵が食べられてしまい、その賠償責任が区にあるとした訴えを鯵を食ったアジクイ本人が言ってきたものだからいい加減鬱陶しくなってサボテンに『ウルトラサボテンアタック』をやってもらい……。
まあ、要は、大変だった。色々あった。そういうことだ。公共の水道や道路の整備は公共機関である僕の仕事ではあるんだが、そこにやってくる喧嘩の仲裁までさせられるとなると、流石に辟易させられる。
そうこうしている間に定時がやってきてしまったので、僕はさっさと帰宅する。気が狂った町で定時を越えてまで働く義理は無い。流石に。
帰宅するべく歩いていると、朝からの悩みがまた鎌首をもたげてやってくる。
ニワトリの娘は、あの白銀の天使じゃないんだろうか、という。
……くだらない考えだとは思うよ。だって、ニワトリの娘は死んだらしい。なのに今、あの天使が生きているのだから、それこそ正に、ニワトリの娘とあの天使が全くの別人、人違いであることの証明だろうと思う。
だがどうにも引っかかる。一度、彼らを引き合わせてみた方がいいんじゃないか、なんて思ってしまう。
死んだ娘によく似た別人と出会った時、ニワトリはどう思うだろうか。懐かしむことよりも、悲しむんじゃないかという気もしてしまうが、彼はどう望むだろう。
考えていたら、いつの間にかパブに到着していた。到着した以上は入店する。
かろん、と軽やかなドアベルとは裏腹に、僕自身はどことなく重い気分だ。いらっしゃい、と声を掛けてくれたマスターに挨拶しながら、僕はいつものカウンター席に着いた。
「やあ、来てくれてよかったよ、ストレンジャー。今日は見ての通り、正真正銘の閑古鳥だったからね!」
パブの中はがらんとしていた。要は、僕を除いては客が1人も居ない。そう。1人も、だ。中々すごいね。
「今日、ぼたもち伯爵はデートらしいぜ。あの色男、中々やるじゃないか。そう思わないかい、ストレンジャー」
僕は笑ってマスターに返しつつ、さて、今日の夕食を、と注文する。するとマスターは『今日はハッシュドビーフだよ!』と教えてくれつつ、早速、盛り付けにかかってくれた。
「ところで、ストレンジャー。僭越ながら、君、何か悩みでもあるのかい?」
そして、マスターは僕にハッシュドビーフの皿を出してくれつつ、そんなことを言う。
「まあね」
悩んでいる。悩んでいるとも。大いに悩んでいるし、悩んでいること自体は別に隠すことでもない。
僕はスプーンを手に、牛肉とトマトと玉ねぎの旨味が溶け込んだルーを口に運んで、その旨味に暫し、癒される。何時だって美味いものは救いだ。特に、こんな狂気の町じゃあ、尚更。
「そうか。まあ、どんな悩みかは分からないが……どうする、ストレンジャー。丁度おあつらえ向きに、今、君以外の客は居ない。少し、話してみないか?力になれることがあるかもしれない」
マスターの申し出は魅力的だった。恐らく僕は、1人で天使とニワトリのことを抱えているのに、少々疲れているのだと思う。
「……じゃあ、曖昧な話になるけれど」
だが、それを手放しに話せるほどには、理性が失われていない。中途半端な僕は結局、諸々を伏せて、相談してみることにした。
「ある人が、ずっと、あるものを見つめていたんだ。ただ、それは入手することはできないもので……まあ、ものすごく貴重なものだと思ってくれたら、それでいい」
曖昧に、抽象的に話す。マスターはそれを聞きながら興味深げに頷いてくれる。僕が言葉を探して沈黙すれば、マスターの手元でカップが磨かれる、きゅ、きゅ、という音だけが店内に響く。
「その人が、それを欲しがっているのだと、僕は思った。そして、それに非常によく似たものを、見つけてしまった。手を伸ばせば手に入るくらいの距離に」
「ほう」
「けれど、それは贋作かもしれない。貴重なものが見つかったっていうこと自体、僕は半信半疑でね。それに、それを見つめていた人だって、欲しくて見つめていたわけじゃなかったのかもしれない。だから、僕がそれをプレゼントするのはお門違いじゃないかとも思う」
僕はそこまで話して、ハッシュドビーフをまた一匙、口へ運ぶ。さっきからずっとスプーンでかき混ぜるだけだったそれは、再び口の中に入れてみると、やはり素晴らしく美味かった。
「成程。よく分かるよ、ストレンジャー」
そしてマスターは、そう言って僕に笑いかける。僕もそれになんとか笑い返してみた。まあ、こんな町だから。お互い笑いでもしないとやってられない。
「ストレンジャー。俺から1つ、言わせてもらえることがあるとすれば……『考えるだけ無駄だ』ってことさ」
マスターは丁度磨き終わったカップをソーサーの上に置きながら、そう言った。
「ここはストレンジタウンだぜ、ストレンジャー。こんな狂気の町で、まともな理屈が通るはずがない。贋作だって土に埋めて水をやって一晩経ったら本物になるかもしれない。本物だって、明日には消えているかも。そして何より、何かを思う奴は全員、気が狂ってるんだ。何を思っているかなんて、考えるだけ無駄さ。全部『気が狂ってる』以外の理由なんて必要ないのさ」
マスターは肩を竦めてそう言うと、にやりと笑ってまたカップを磨き始めた。
「成程ね。参考になるよ」
狂気の町で正気でいるということは、こういうことだ。要らないことについて悩む。全く無駄である可能性が高いことについてでも。
「まあ、俺なら、そうだな……それが贋作かどうかだけ調べておくかな。そんなに高価じゃないものなら、先に自分で買っておいてもいいし。それで踏ん切りがついたら、プレゼントするとか。どうかな、ストレンジャー」
「そうだね。まずはできるところからやってみるよ」
どうせここはストレンジタウンだ。ニワトリの娘が天使でもおかしくないし、死んだ者が生きていてもおかしくない。どうせ皆、どこかは正気じゃない。気を遣ったってどこで狂気に触れるか分からない。だから迷うのは馬鹿らしい。そうだ。実にその通りだ。
「よし。お役に立てたなら光栄だ。ついでに、ストレンジャー。どうだい。今日はデザートにアップルパイがあるよ」
「それも頼もうかな。それから、コーヒーも」
「よし来た!」
僕は幾分軽くなった気分に浮かれながら、ひとまず食事を楽しむことにした。
それから……。
「マスター。1つ、頼みがあるんだけれど、良いかな」
そうして翌日。僕はパブで朝食を摂って、それから、マスターに昨夜頼んでおいたものを受け取って、そのまま出勤する。
出勤すれば、今日もサボテンと一緒に天使が日向ぼっこをしていた。そんな彼女を見て、僕は……手に持ったバスケットを、見せる。
「今日、昼休みを長く取って皆で花見をしようと思うんだけれど。君も一緒にどうだい?」
僕は今日、この天使をあの桜の木の下まで連れて行こうと思う。