ラブソングを*2
蓮の花が一斉に襲い掛かってきたのを見て、僕らはひとまず、逃げ出すことにした。流石に分が悪い。
一度道を戻って、さて、そこで僕らは考えることになる。
「迂回していく?」
「いや、この道しかない。あのすぐ向こうが墓場なんだ」
まず、迂回してあの桜の木を避けていく、という案は早速駄目になった。全く、迷惑な場所に迷惑なものがあるものだね。
「なんとか攻撃を避けて通れないだろうか」
「どうだろうな。あの桜の木は中々の巨木だが、あの枝全てに蓮の花が寄生しているとしたら、木の向こう側へ行ったところで相手の手数の多さにやられるだけだろう」
なんとか回避しながら通る、というのも確実じゃない。まあ、僕もそんな気はしていたよ。鋸だの鉈だのを持って襲い掛かってくる蓮の花は一匹でも脅威なのにそれが何匹も居るんだから。
「なら、あれと戦うしかないか」
「そうだな。……切り倒すか。あの木を切るのは惜しいが。くそ、あの蓮め」
ニワトリは酷く渋い顔でそう言う。その顔があまりにも苦々しいものだったから、ふと、僕は気になった。
「あの桜の木に思い入れが?」
そしてそう尋ねてみると、ニワトリは片眉を上げて、肩を竦めた。
「ああ。娘と一緒に花見をした場所なものでな」
ニワトリの心中を察する。察する、というのも烏滸がましいような気がするが、それでも、娘の墓参りの道中、娘との思い出がある場所が悪意ある蓮の花によって台無しにされている場面を見つけた時の気分の、その一欠片くらいは僕にだって理解できるだろう。
「できるなら、桜の木はそのままに、蓮の花だけ始末できるといいね。多少、手間になってもいいから」
僕がそう言うと、ニワトリは少し驚いたような顔をして、それから、笑う。
「中々難しいことを言うじゃないか、ストレンジャー。だが、その通りだ。俺もそう思っていた」
「それはよかった。じゃあ、一匹ずつ叩く、っていうことになるのかな」
「それが妥当だろう。だが、一匹叩いている間にもう一匹か二匹、寄ってくるだろうからな」
ニワトリが示す通り、今も蓮の花は何匹も桜の木の枝に寄生しながら、じっとこちらの様子を見ている。皆で一斉に襲い掛かってくるつもりなのだろう。
「なら、遠距離から攻撃できる武器を使うしかないかな」
「鉄パイプを振り回すのは得意だが、銃の類は苦手だな。ストレンジャー、お前はどうだ?」
「生憎、銃を撃った経験は無いね。弓は一度だけ、高校の弓道部の体験入部でやったことがあるよ。2mくらいの距離から撃って、的の端にギリギリで当たった」
昔の思い出を掘り起こしてから、僕はそっと、それを埋めた。まあ、要は僕には射撃の類の才能はまるきり無いってことだ。つくづく、西部劇の世界に生まれなくてよかったよ。ガンマンには到底なれないだろうからね。
……さて。こうなると、いよいよ僕にできることと言ったら、軍曹蜘蛛達に助けを求めるか、はたまた、クロスボウを持ったマスターを連れてくるか、フォーリンがこの町に帰ってくるのを待つか、くらいしか無い。だがそんなことをしていたら時間がかかる。できるのであれば、今日、ニワトリが墓参りできるといいんだが。
その時だった。
「そこまでだ!」
悩む僕らの後ろから、ふと、声を掛けてくるものがあった。
「有り金と有りレシート全部置いていきな!領収書も全部だ!定期券も寄越せ!」
それは、丁度良くやってきたギャング羊の群れだった。
丁度良く生贄がくるものだな、と僕は感心した。
「まあ、物は試しだ。やってみるか」
やがて、襲い掛かってきた羊が全てニワトリの鉄パイプによって死ぬと、僕らは思いついたことを実践してみることになった。
ニワトリは、ひょい、と羊の死体を担いで桜の木へ向かっていく。桜の木は沈黙していたが、そこに寄生した蓮の花は、羊の死体とニワトリに反応して騒ぎ始める。
そして、蓮の花が伸ばした根だか茎だかよく分からない何かがニワトリに届かないそのギリギリの距離にニワトリは進み出ると、そこから、羊の死体をぽい、と投げた。
途端に蓮の花が殺到する。放り込まれた死体へ、歓喜の声を上げながら殺到していく。
そして、蓮の花はそこで羊の死体を解体し始めた。鋸や鉈で雑に肉や骨を切り分けて、そうして出来上がった肉の塊をそれぞれの蓮の花がずるずると引きずっていき、そして、桜の木の根元に埋め始める。実に文学的な光景とも言えるだろうが、まあ、率直に言ってしまえば、醜悪だ。
蓮の花がゲタゲタと笑い声を上げるのを聞いて、なんとなく、僕は不愉快な気分にさせられる。品が無い奴らだ。
「まあ、あれは使えるな。丁度いいところに羊共が来てくれたもんだ」
「そうだね。ひとまず死体を投げておいて、そっちに集中させればいいかな。それで、その隙に一匹ずつ叩く。どうだろう」
「いや、それよりもっといい方法がある。こういうのはフォーリンのやり口だが……まあ、俺達がやっても問題ないだろう」
ニワトリはにやりと笑うと、元来た道の方へ進んでいく。僕もそれについていくと、やがて、ニワトリは露店の前に立った。露店はこの地区に似つかわしい、穏やかなものだ。すっかり色褪せて端が擦り切れたペルシャ絨毯の上に店主が座り、その前に色硝子の香水瓶だのよく分からない瓶詰だの、しゃもじだの皿だの手榴弾だの、実に様々なものが置いてある。
「店主。爆発物はあるか?発火するものでもいい」
ニワトリがそう尋ねると、店主は黙って店主の後ろに置いてあった木箱の中から、黒くて艶やかな球体をいくつも取り出した。それらの球体にはそれぞれ、『トリニトロトルエン』『残り一秒のタイマー』『超新星』『芸術』『中国製』なんていう手書きのラベルが張り付けてある。成程、爆発しそうだ。
ニワトリはそれらを選んで受け取ると、代わりに金を幾らか払う。店主はそれを黙って受け取ると、ちょっと首を傾げて、それから、そっと、律儀にお釣りを出してくれた。五千円出して、お釣りが七百八十二円だった。
「まあ、こういう訳だ、ストレンジャー」
こうして大量の爆発物を手に入れたニワトリは、また、桜の木の方へと向かっていく。
「連中にはこれで吹っ飛んでもらう」
成程ね。中々悪くないアイデアだ。
それから僕は、羊の死体の腹をカッターナイフで切り開く作業に入った。
カッターナイフだと、肉を切るのは中々大変だ。だが、これ以外に刃物の類を持っていなかったし、こうするのが一番安全だと思ったから、ちまちまとカッターナイフで肉を切る。
そうしてある程度の長さに渡って腹を切り開くことができたら、その中に、さっき買い込んできた爆発物を詰め込んでいく。そうして、爆弾入りの死体が出来上がった。
「さて。これで上手くいくことを祈ろう」
「どの程度の爆発が起こるかが問題だね」
一応、それなりにラベルを選んで羊に詰めた。『トリニトロトルエン』や『中国製』や『残り一秒のタイマー』あたりは精々半径10mが燃える程度で済むだろうと思われたので、採用している。『芸術』はどの程度爆発するか読めないので今回は見送った。『超新星』はどう考えてもとんでもない威力になりそうだったので最初から買わなかった。
「よし……いくぞ」
ニワトリは爆弾を詰めた羊の死体を持って、桜の木へと近づいていく。すると蓮の花がこちらに向かって伸びてきて、たちまち、ニワトリに向かって『早くそれを寄越せ』とばかりに蠢くことになる。
ニワトリはそれを確認してから……羊の死体を蓮の花に向かって投げて、そして、すぐさまニワトリ自身はこちらに向かって逃げてくる。
ニワトリが何故逃げたのかも考えない蓮の花は、あっという間に羊の死体へ殺到して、鉈や鋸を振りかざし、羊の死体に向けて、それらを振り下ろし……。
爆発した。
それはそれは見事な、完璧な爆発だった。
僕らの背中は爆風に煽られて、シャツの裾も髪も、大きく揺れる。激しい爆発音が鼓膜を破るかと思われるほどに大きく響いて、町をも揺らす。
爆発は僕が予想していた規模よりも幾分、大きかった。だが、僕が予想していたよりも蓮が強かったらしく、蓮の花が寄って集って覗き込んでいたこともあってか、蓮の花以外の被害はほとんど出ていないようだ。実にいい塩梅だったね。
「よし」
ニワトリもまた、出来上がった光景に満足したらしい。
千切れて吹き飛んだ蓮の花は、もうピクリとも動かない。桜の木からは、ぶらり、と蓮の花の茎か根っこだったものが垂れ下がっているが、それもみるみる枯れていく。桜の木はようやく、本来の姿を取り戻した。
「フォーリンが見たら喜ぶ光景かな」
「まあ、あいつは派手好きだからな」
僕とニワトリも顔を見合わせて笑って、自分達の仕事の出来を喜んだ。やっぱり、鬱陶しいものが爆発で吹き飛ぶっていうのは、気分がいいね。
それから僕らは、余った羊の死体をさっきの露天商のところまで売りに行った。露天商は『じんぎすかん……』と嬉しそうに羊の死体を買い取ってくれた。また、羊の毛を幾らかむしり取ってから棒の先につけて、『わたあめ……』とにこにこした。そしてそれはそのまま、近くで遊んでいた子供にプレゼントされた。子供は歓声を上げて羊の毛を口に含み、そして、『わあ、甘くて苦い!これ、失恋の味!?』と喜んでいた。そうか。羊の毛は失恋の味なのか。初めて知ったよ。
狂気の町の穏やかな通りを蓮の花の残骸で散らかしておくのも悪いので、僕らは露天商から箒と塵取りを借りて、簡単に掃除をしていくことにする。
蓮の花の死体はもうすっかり萎れて乾いて、見るも無残な出来上がりになっていた。まあ、いい気味だ。自分の持ち場である水辺を離れて桜の木に寄生するのが悪い。
僕とニワトリはそれぞれに蓮の花の残骸を片付けていって、それらをゴミ袋へとつっこんでいく。ゴミ袋は案外すぐにいっぱいになった。
「ご覧ください!こちらが今日起きた爆発事故の現場です!」
そうして僕らが掃除をしていると、唐突に、声が聞こえてくる。
見てみると、そこには妙に露出度の高い服で着飾った女が、話しながら後ろ歩きをしていた。どうやら、アナウンサーらしい。
そして彼女の正面には、多くのカメラ頭の人間が、爆発現場を背景に彼女を画角に収めようとしている。マイク頭の人間もこぞって彼女に近づいて、彼女の声を収めようとしているらしい。押し合いへし合い、大勢がそうしているものだから、まるで押しくら饅頭のようになっている。
静かな狂気の通りに似つかわしくない連中だな、と思いながら見ていると、なんと、また別の、かつ似たような集団が現れた。更に、また別の集団がやってきて、皆、同じようにアナウンサーが喋り、カメラがそれを撮影し、マイクが収音している。
「後ろの爆発事故の現場では、爆発事故が起こりました。こんな現場も爆発事故の現場になり得るという事実を、今、私は痛感しています!」
アナウンサーはスカスカな中身の言葉を喋っている。あれは一体、何のための報道なのだろうか。
「ああ、あそこに近隣の住民らしい人達が居ますね!すみませーん!」
そして、アナウンサーは僕とニワトリを『たった今見つけた』というような顔をして、僕らに向かってやってくる。僕はニワトリと一瞬で『逃げる?』『いや、もう遅いな』と視線を交わして、諦めて互いに頷き合った。
「すみませーん!この辺りにお住まいの方ですか!?」
「いや、違うが」
「ではお話を伺ってもいいですか!?」
「悪いけれど急ぐんだ」
ニワトリも僕もお断りの姿勢を前面に押し出して対応したのだが、アナウンサーはまるで気にした様子もなく詰め寄ってくる。
「ここで爆発事故が起こったことについて、どのようにお考えですか?」
更に、カメラ頭の連中がどんどん寄ってきて、僕もニワトリも取り囲まれた。見れば、他の局のカメラ達もどんどんやってきていて、僕らは押しくら饅頭の中心になってしまう。
「お答えください!どうして爆発事故について何も仰らないんですか!?」
「詳しいことは何も知らないよ」
「それはあまりにも無責任ではありませんか!?あなたには一切の責任が無いのですか!?」
何が楽しいのか、アナウンサーは如何にも真剣そうな顔を作って実に身の無いインタビューを続けてくる。そして、それがまるで正しいことだとでも言うかのように、カメラ頭がフラッシュを焚き、マイク頭がグイグイと頭を僕らに押し付けてくる。実に不愉快だ。
「爆発事故について何か仰ってください!」
「何も仰らないということは、肯定ですか!?」
「あなた達は本当に近所の方なんですか!?」
更に他のアナウンサー共も寄って集って騒ぎ始めるものだから、僕もニワトリも、すっかりうんざりさせられた。
「爆発事故は清々しいな」
そうしてニワトリは、そう言って笑う。
「えっ!?今、爆発事故を認めるような発言をされましたよね!そんな発言はあまりにも不適切では!?」
「責任問題に発展しますよ!?」
「国民にどう弁明するおつもりですか!?」
「早く辞任してください!正義は私達にあります!」
アナウンサー達はニワトリの嘲笑を何だと思ったのか、鬼の首を取ったように騒ぎ始める。どうして正義を名乗る奴らって皆、こうなんだろうね。
「ああ、爆発事故は清々しい」
ニワトリは煩いアナウンサー共を見下ろして、その手に竹箒の柄を握り直すと、にやり、と笑った。
「そして、お前らは目障りだ」