ラブソングを*1
それからストレンジタウンでの生活を続けて、しばらく経った。
ストレンジタウンに来た当初には考えられなかったくらい、僕はこの町に慣れてしまった。
マンホールからサンショウウオが這い出してきても驚かないし、突然ヤギが生えてきても驚かない。空飛ぶ鉛筆を捕まえてメモに使うことだってあるし、路地裏で死んでいる何かを見ても、特にどうとも思わない。
今日もミンスパイが路地裏で死んでいたが、だからといってどうとも思わない。ああ、ただ、顔面が肘でできた男が死んでいるのを見た時には、少々の安堵と清々しいような気分を味わうことになったけれど。ほら、僕がこの町に来て最初に、僕を殺そうとしてくれた奴だったからね。多少、思い入れがあったっていうわけだ。
このストレンジタウンで上手く生きていくコツは、知り合いを沢山持つことだろう。そうすれば案外、この狂気の町でも楽しく、そしてそれなりに安全に暮らすことができる。
知り合いが居れば色々なことを教えてもらえるし、助け合える。そして何より、味方が多いっていうのはいいことだ。
少し前も職場には『鐘を出せ!除夜の奴じゃないぞ、普通の鐘だ!寺に飾ってある奴じゃなくて教会のやつだ!』と強盗がやってきたが、僕が銃を突きつけられている間に軍曹蜘蛛達が犯人を射殺してくれた。このように、仲間が多いっていうのはそれだけ動きやすさや、それによって得られる生存率へと繋がっていくのだ。
そういうわけで、僕は顔見知りになった幾らかの住民と共に、今日も楽しくやっている、というわけだ。
整合性売りがラジオ体操のスタンプを売っていたので、昔を思い出しつつカードにスタンプを押してもらったり。ぼたもち伯爵と粒餡の魅力について話し合ったり。壁からにゅっと生えてきたヤギが2㎝ほどのティラノサウルスを咥えているのを見て、代わりに紙を与えてティラノサウルスを助けてやったり。
そうそう、あと、天使だ。白銀に輝く天使は、ふわふわとした羽をぱたぱたさせつつ、うちのサボテンと仲良く過ごしている。
サボテンはすっかり天使に懐いたらしく、天使相手に『うるとらさぼてんあたっくー!』とやっている。天使はにこにこしながら役場の前で日向ぼっこして、サボテンと一緒にのんびり過ごすことが多い。
そして、天使は僕を見つけると、笑顔を向けてくれるようになった。最初に会った時から彼女は比較的好意的に接してくれているけれど、神輿の一件があって以来、より一層、僕に懐いてくれたらしい。
今日もふわふわと柔らかな羽を揺らして太陽の光を浴びている天使を見ていると、太陽もそう悪くないな、と思えてくる。ストレンジタウンにおいては特に、太陽は下品でいけすかない奴だが、その光がそう強くなく降り注いでいる時に限っては、許容してもいいかな、と思うことにした。
そんなある日のこと。
その日は休日で、僕は少し遅く起きてパブへと向かった。いつも通りコーヒーを注文して、朝食にパンケーキとハッシュドポテトのセットを頼む。相変わらずハッシュドポテトはマスターの頭部でできているようだったし、パンケーキはふんわりとしていながらパサつかなくて、最高に美味かった。
そんな朝食を楽しんでいたら、かろん、とドアベルが鳴って、ニワトリが入ってくる。どうやら彼も今日は少し寝坊したらしい。
「おはよう、ポテトヘッド、ストレンジャー」
「ああ、おはよう」
ニワトリは僕の隣の席に座って、僕と同じものを注文した。
「ああ、そうだ、ニワトリ。君、このあたりでオキシドールを売っている店、知らないかな」
そこで、ふと思い出した僕は、そう、ニワトリに聞いてみる。
以前、オキシドールを買った店は、最近、店主と人骨がハネムーンに出かけてしまったので、しばらく閉店している。そして僕はというと、昨日、道を歩いていたら頭部がエリンギの男が『何故俺はチェーンソーじゃないんだ!』と叫びながら自分の首をチェーンソーで切断して死ぬ場面に遭遇してしまって、そこでまともに血を浴びてしまった。
シャツが一着血まみれなので、早いところ血を落としたいんだが、不運にもオキシドールが丁度切れた。本当に、このストレンジタウンにおいてはオキシドールが欠かせない。いつどこで突然血まみれになるか分からないんだから。
「オキシドールを売っている店、か。それなら、町の南西にあるが……ふむ」
ニワトリはそこまで言って、ふと、何か思いついたように考え込んだ。
「今日、俺は娘の墓参りに行こうと思ってな。丁度その店のあたりを通る。どうだ、ストレンジャー。一緒に来るか?」
「僕が?いいのか?」
「ああ。Bud companyを潰した仲だ。それに、俺に何かあった時には俺もあそこに入るわけだからな。一度、場所を教えておきたい」
彼の娘さんの墓参り、という、非常に個人的なイベントに僕がお邪魔していいのか。少々気が退ける思いなのだけれど、まあ、いざとなった時に必要になる知識かもしれないな、とも思う。
「そういうことなら、喜んで」
折角だ。僕も、彼女の墓参りに行こうと思う。
ストレンジタウンの入り口は北にある。そして、区役所出張所はそこから南に少し行って、東にもう少し行ったところにある。パブもストレンジタウンの中では北東の方に位置している。
そんなものだから、僕はストレンジタウンの南西部には行ったことが無かった。どのみち、この町の地図を作ろうとするならば見て回ることになったのだろうけれど、少なくとも、それはもう少し先のことになる予定だったわけだ。
そんな僕は、ニワトリと一緒に南西へ向かいつつ、見慣れない町の風景を見て歩くことになった。
混沌としているのはどこも同じだ。ナイフが空を飛んでいるし、モグラが空気を掘っている。髭面のさつまいもが道端でヨガに勤しんでいるし、道路標識がリンボーダンスに勤しんでいる。まあ、そんな調子だ。
けれど、比較的、この辺りは静かだった。大通りから外れているから、というだけじゃなくて、この辺りは静かなのだと思う。
塀の漆喰の罅割れは概ね、経年劣化による穏やかなものだったし、滑らかにすり減った石畳も、色褪せた看板も、どこか穏やかに感じられる。
墓場があるなら、こういう地区がいい。僕はそう、ぼんやり思った。
「この辺りに来るのは初めてか」
「うん。初めてだ」
ニワトリに話しかけられてそう答えれば、ニワトリは笑って頷いた。
「この辺りに住んでいる連中は、行き過ぎた狂人ばかりだ。行き過ぎた狂人は自分の中で全てが完結してるから、暴れたり他者に迷惑をかけたりすることが少ない」
「ああ、成程」
そう言われてみれば確かに、周囲に居る人々は穏やかだ。勿論、その穏やかさが独自の方向に伸びたまろやかな狂気由来であることは間違いなくて、ラヴェルのボレロに合わせて踊る白鳥頭の九官鳥とか、トレンチコートの上にダウンジャケットを着て、その上に半纏を着て白紙のノートを読んでいる舞茸とか、まあ、そういう人に迷惑を掛けない狂人が沢山居る。
「墓場があるに相応しい地区だな、となんとなく思ったよ」
「そうか。お前もそう思うか、ストレンジャー。俺もそう思う」
ああ、やっぱり?僕はニワトリと同意見であれたことを少々嬉しく思う。娘の墓参りのために歩くニワトリの気分に、少しでも寄り添えたら僕がここに居る意味が多少はあるってものじゃないかな、と思うのだ。
「この辺りに来ると穏やかな気分になれる。尤も、墓参りを穏やかな気分でやれるようになってからは然程時間が経っていないし、本当の意味で穏やかに墓参りができるのは今日が初めてだが」
ニワトリは少し笑ってそう言うと、ふと、空を見上げた。
「いい天気だ」
今にも雨が降りそうな空の下、僕らは歩く。
ああ、本当に良い天気だ。
そうして僕らが歩いていくと、町はどんどん寂れていく。錆びた配管がむき出しになった路地裏も、古めかしい音を立てて回る換気扇も、土埃を被ってほんのり茶色くなった室外機も、石畳の隙間から芽吹いてすっかり目地を埋めた雑草や苔も、全てが静かで穏やかだ。
道を歩いていくにつれて、次第に心が洗われていくような、そんな錯覚すら覚える。ああ、これからも時々、こっちの方に散歩に出てみても悪くないかもしれない。
そんな僕らの前に、ふと、立ち塞がるものが現れる。
何だ、と思って見上げてみれば、それは、大きな桜の木だ。だが、様子がおかしい。
「変わった木だね」
「前に見た時はこうじゃなかったんだがな」
桜の木に薄紅色の花が咲いている、というところまでは正しいのだが、それが桜ではなく蓮の花だというところが奇妙だった。どうも、この木には蓮の花が寄生しているらしい。
蓮の花が姦しく笑い声をあげている。
そして、蓮の花は笑い声を上げながら、鋸や鉈を振りかざす。
「桜の木の下には死体が埋まっている、なんて言うけれどね」
「まさか、自主的に死体を埋めようとする桜の木と出くわすなんてな」
蓮の花はどうやら、僕らを殺すつもりらしい。
全く、穏やかな地区にも穏やかじゃない奴は居るものだね。