Unknown*2
「ふん、お前は無能そうだが、金は持っていそうだな。さあ、さっさと金を出すんだ」
随分と大きな態度の一万円札だ。どうやら、体だけじゃなくて態度もXXLサイズらしい。
「お前、役所の職員だろう?」
「よく知ってるね」
「既に調べが付いているからな!金を持っていそうな奴は皆、調べてある!」
それは大した情報網だ。いや、僕については、出張所の前を一日中見張っていれば僕が役場の職員だっていうことは分かるし、そもそもカウンターに出れば僕かタワシが対応するんだから、それでもう顔は分かるんだろうけれど。
「お前の給料は並の二倍らしいな?更に、お前の住居はこのパブの二階だ!毎日リトルハット行政区出張所に勤めていて、消火器吸引摘発にも協力したことがある!……そして俺はお前の名前も知っている!お前の名前はアン・ノーラ!出身地はリバプール!そして俺はお前の経歴も知っている!お前は木材の鉋削り世界一の座を獲得したことがある配管工!そして俺はお前の二つ名も知っているぞ!……お前は『春風の殺し屋』と呼ばれているな!」
「ああ、途中までいい線いってたのに、途中からまるで身に覚えのない話になった」
さて、この奇妙な一万円札をどうすべきだろうか。まあ、簡単にいくなら、燃やすべきだと思うんだけれど。
ただ問題は、こんな狂った一万円札も銃を持っているということだ。僕も銃を持っていればよかったのかもしれないが、残念ながら、僕の手には今日の業務で使っていたカッターナイフしか無い。
「さあ、分かったら金を置いていけ!お前がこのパブで毎日食事を摂っていることも知っているんだぞ!いいのか?お前はこのままだと永遠に食事を摂れない!」
それは相手も同じことだと思うんだが、この一万円札、もしかしたら食事なしでも生きていけるのかもしれない。ほら光合成とかするのかも。
「どうする!アン・ノーラ!いや、『春風の殺し屋』!金を出さないならお前には永遠にここに居てもらうことになるぞ!」
銃で撃つのが先じゃないのか、とも思ったが、この一万円札に真っ当な犯行なんて期待しちゃいけないか。さて、どうしたものかな。
僕がポケットの中のカッターナイフに触れつつどうするべきか考えていると……ふと、一万円札は何かに気づいたようにはっとした。
「……もしかして、お前、サン・テグジュペリだったか?」
「いや、僕は『星の王子様』を執筆してなんかいないけれどね」
一体何に気づいたんだろうか、この一万円札は。色々と気になることはあるけれど、まあ、それももう終わりだ。
かろろん、と音がして、パブのドアが開く。そこから顔を出したのは、フォーリンだ。その手に『FALLING is coming!』の張り紙がある所を見ると、今日も彼女は歌うんだろう。
「あら?変わったお客さんね」
フォーリンは一万円札を見て、不思議そうに首を傾げた。だが、一万円札の手に銃があって、その銃が僕に向いているところを見ると、『あら』と一声上げつつ目を瞬かせる。
「いや、客じゃないみたいだよ」
なので僕がそう注釈を入れておくと、フォーリンは『成程ね』というように頷いて、小首を傾げて、笑った。
「あら、そう?なら燃やしておくわね」
フォーリンの手の中には、ライターがあった。
「なっ……貴様!まさか『冬の一番星』か!?」
一万円札はフォーリンにそう言ったが、フォーリンは眉を顰めつつ、『身に覚えが無い二つ名ねえ……』と言って、容赦なく一万円札に火を点けた。
「ほうら、明るくなったでしょう?……ってね」
「そうだね。これは中々明るい」
そうして一万円札は燃えた。XXLサイズだったから、燃える時にも中々明るい。銃までもが綺麗に燃えていったところを見ると、あの銃も紙でできていたのかもしれないね。
僕らが見ている前で、一万円札は絶叫しながら最後の一片に至るまで、しっかりと灰になった。灰になってからも少しの間は絶叫していたけれど、フォーリンが『あなた、もう死んだわよ』と教えてやるとそれきり静かになった。自分の死にも気づかないなんて、中々間抜けな一万円札だったな。
「さあ、ストレンジャー。中へ入ったら?そろそろ私、歌うから」
「それは素敵だ」
さて、今夜もフォーリンの歌が聞けるらしい。一万円札に絡まれたことはさっぱり忘れて、今夜も楽しく過ごすとしようかな。
昨夜とは違って、僕はウェイターをやる必要が無かった。ニワトリが臨時ウェイター役に復帰してくれたからだ。おかげで僕は単なる客として、フォーリンの歌を楽しむことができた。
フォーリンの歌は昨日より幾分落ち着いて、幾分優しくて、そしてやっぱり狂っていた。だからこそ美しくて、僕も他の客も皆、すっかりフォーリンの歌に聞き惚れていた。
今日の食事ならびにつまみはコンビーフポテト。カリッと焼けたジャガイモに、しっかり塩味の効いたコンビーフの旨味が纏わりついて最高の味だった。客は皆、酒のつまみにコンビーフポテトを食べつつフォーリンの歌を聞いていた。
ニワトリはそんな店内をあれこれ運んで歩きながら、やっぱりフォーリンの歌に耳を傾けていた。ニワトリがじんわりと笑みを浮かべながらフォーリンの歌を聞いているのを眺めて、僕は、2人の関係について考えてみたりもしたのだけれど、まあ、考えてみても何があるわけでもない。結局のところ、僕の考えはフォーリンの歌とコンビーフポテト、それにソーセージとパンとスープに食後のコーヒー、といったものに押し流されて、掻き消えていくことになった。
フォーリンが歌い終わって少しすると、店の中は閑散としてくる。ニワトリもようやくエプロンを脱いで、臨時ウェイター業務を終了した。お疲れ様。
「連日こうだと儲けが出ていいんだけどなあ」
マスターは今日の利益を計上しながらほくほくとそう言って笑う。フォーリンは『お役に立てて光栄よ』なんて言いながら笑って、いつも通り、コーラとフライドチキンを楽しんでいるところだ。
そして、そんなフォーリンはふと、僕を見て思い出したように尋ねてきた。
「ねえ、ストレンジャー。この後少し時間はある?」
「え?」
「ご依頼の報告をしたいの。本当なら、一昨日の内に伝えたかったんだけれどね」
僕は、これに少々、驚いた。もっと時間がかかるかと思ったから。どうやらフォーリンは中々に仕事の腕がいいらしい。
「ああ。いいよ。場所もここで構わない。マスターやニワトリに聞かれて困ることでもないから」
僕がそう言うと、マスターとニワトリは『なんだなんだ』というように少し身を乗り出してきた。好奇心旺盛なことだね。まあ、嫌じゃないよ。
「そういうことなら、早速だけれど……」
フォーリンは胸元から、封筒を2通、取り出した。僕は早速それを受け取ろうとして、そこで、さっ、と封筒を引っ込められる。
「最初に、一つ、聞きたいことがあるの。いいかしら」
「うーん、それは、君の情報を聞いてから答える。それでいいかな」
僕は一秒、フォーリンと見つめ合った。フォーリンの考えはまるで読めなかったけれど、どうせ、フォーリンだって僕の考えが読めるわけじゃない。
「……そうね。なら、どうぞ」
フォーリンはそう言うと、封筒を一通、僕にくれた。僕は早速、その封筒を開けて中の紙を開く。
「まあ、書いてあることと同じになるけれど、一応、口頭でも報告するわね」
僕が文字に目を走らせる間、フォーリンが横で文字の内容とその補足を話してくれるらしい。至れり尽くせりだね。
「あなたの探し人は、リトルハット行政区の職員として働いているわ。今は区役所の区民課で働いているみたいね。優しい笑顔と丁寧な対応で区民からの信頼も厚いわ」
フォーリンは全く感情というものを挟まずに伝えてくれる。僕としてはそれがありがたい。どうにも、僕の中では感情なんてものが揺れそうになるから。
「上司からの信頼もあるみたいね。区役所内の評価も高いわ。より高いポストに就くのも時間の問題でしょうね」
「成程ね。まあ、彼女は優秀な人だったから納得だ」
僕がつい言葉を挟むと、フォーリンはふと、目を眇める。けれど、流石はプロだ。感情を挟まず、言葉も挟まず、彼女は報告を続けてくれた。
「それから、プライベートも充実してるみたい。彼女の直属の上司とお付き合いしているみたいね。私がストレンジタウンに戻ってくる前の日の夜はちょっといいレストランで食事をしていたわ。……まあ、そこの料理、このパブの料理には劣るけれど」
フォーリンはここで初めて感情というか、彼女自身の見解を見せた。彼女の見解に、マスターもにっこりだ。
そこで彼女はコーラを一口飲んで、それからまた続ける。
「区民楽団に所属していて、クラリネットを担当しているみたいね。週末は楽団で演奏しているか、スポーツジムに通うか、或いは上司とのデートか。大体そんなところかしら。最近の大きな買い物はバーバリーのコート。残業時間は多少の増加傾向。住所や電話番号、学歴や出身地については紙面の通り。……こんなところでどうかしら」
「素晴らしい腕だね」
フォーリンが仕入れてきた情報に、僕はただ素直に驚く。こんなに色々、こんな短時間で調べがつくとはね。彼女、本当に良い腕をしている。
「まあ、一応、これでも情報屋だもの。ある程度は、ね」
フォーリンは一つウインクをして、それからまた、コーラを飲む。コーラのグラスは勢いよく傾けられて、残っていた液体は全て、彼女の喉へと消えていった。
「さて、じゃあ、約束よ、ストレンジャー。教えて頂戴」
そうしてコーラを飲み干したフォーリンは、じっと僕を見つめて、問う。
「あなた、どうして『安浦京』の情報を知りたかったの?」
だから僕は、笑って答える。
「同僚が今どうしているか、気になっただけさ」
その日はそれでお開きになった。僕は部屋に帰って、鍵と一緒に入浴して、鍵と一緒に少々テトリスを楽しんだ。鍵は僕がテトリスをやっているのを横から覗き込みながら、ふにゅ、むにゅ、くにゅ、と曲がって、その都度落ちてくるテトロミノの形になろうとする。鍵なりのテトリスの楽しみ方らしいのだけれど、これがなんとも可愛らしいものだから、僕は時々画面じゃなくて鍵を見てしまって、ゲームの方が疎かになってしまった。まあ、こういうのも中々悪くない。
翌朝は少し早く目が覚めたけれど、特にやるべきことも無かったのでベッドの中に居ることにした。
むうむうと寝息を立てる鍵を眺めながらシーツと布団の間でただ、ぼんやりと思考に耽る。
考えることは山ほどある。別に、考えなければいけないことではないが、体を動かさないまま頭の中だけ動かすのは、まあ、悪くない。
こういう日、こういう時間があってもいい。これは多分、僕には必要な時間だ。
そのまましばらく、ベッドの中で身じろぎもせずにじっと考えていたら、むう、と鍵が鳴く。どうやら鍵もお目覚めのようだ。
「おはよう」
僕は鍵に挨拶して、ようやくベッドから出ることにした。
いつも通りパブで朝食を摂ろうとしたら、なんと、ニワトリが着席するカウンターの向こうにマスターはおらず、フォーリンが居た。
「どうしたんだい、一体」
「ああ、昨夜、マスターと飲み比べしてたんだけれど、ラムコークを飲ませすぎちゃってね。それで私がここに立つ羽目になってるの」
フォーリンの言葉に一瞬納得しかけたけれど、いや、やっぱりおかしい。
「マスターって、何人か居るんじゃないか?」
「ええ。5人とも潰しちゃったのよ……」
「あいつは然程強くないくせに飲みたがる。その上、1人潰れると『次は俺が相手だ!』ってのを全員繰り返すからな」
僕が絶句していると、ニワトリがくつくつ笑う。ああ、マスター、マスター。君、そういうタイプだったんだね。
「そういうわけで、今日のコーヒーはコールドブリューしか無いわ。私、ドリップ苦手なの」
「成程ね」
いつものコーヒーが飲めないのは残念だけれど、まあ、偶にはこういう日があってもいい。僕は早速、コールドブリューのコーヒーを1杯と、朝食を適当に注文する。するとフォーリンはトーストを焼いて、ソーセージをボイルして、サニーサイドアップを作ってくれた。
結論から言えば、それらの朝食は十分に満足できるものだった。サニーサイドアップはカリッと焼けた白身の縁にとろりと半熟の黄身が絡んで最高だったし、ただ茹でただけのソーセージもただ焼いただけのトーストも、あっさりとしたコーヒーによく合った。
そうして中々悪くない朝食を摂っていると、ふと、カウンターの奥からぐったりした様子のマスターが出てきた。
「おーい……すまないが、ちょっと、手伝ってくれ……」
あまりにもぐったりした様子でマスターがそう言うので、店はフォーリンに任せて、僕とニワトリとでカウンターの奥へ向かう。
すると、マスターは僕らを手招きしつつ、裏口から外に出て、そこにあるものを見せてくれた。
「酔った勢いで俺が1人、埋まっちまったもんだから……ちょっと、これから、株分けしようと思ってね……」
そこには、プランターに頭から突き刺さって尻を突き出した格好のまま動かないマスターが1人居た。
成程。分からない。