Unknown*1
その日の夜は、パブで盛大にパーティが開かれた。というのも、パブに戻ったらもう、人がたくさん詰めかけていたから。
彼らの内半分くらいは、ニワトリが討ち入りに行くと聞いて集まっていた人達で、残り半分くらいは、フォーリンが昨日帰ってきたなら今日も歌うかもしれないと期待して集まっていた人達だ。
人がこれだけ集まっているなら仕方ない。僕らは苦笑しながら込み合ったパブで上手く席を見つけて、それぞれに飲食を楽しむことになった。
貸し切りでしんみりやるっていうのも悪くなかっただろうが、こういう賑やかなのも悪くない。少なくとも、気は紛れるし、どうせ夜更けにベッドへ潜ればその時は一人だ。考え事をするのはその時でいい。
パブは賑やかに夜を迎えた。相変わらずフォーリンの歌は素晴らしかったし、それに好意的な客の笑い声も快かった。流石にあれだけ鉄パイプを振り回したニワトリは疲れているようだったけれど、彼は彼が生んだばかりの卵で作った、両面焼きの目玉焼きを口にして、満足気にしていた。
そして僕はというと、今日は客として寛いでいるニワトリに代わって、エプロンを着けてパブの手伝いをしていた。公務員は副業が禁止なので、これは無給の労働ってことになるね。まあ、悪くないよ、こういうのも。
「おにいさーん!こっちにもビールお願い!」
「はいはい」
今も整合性売りが笑顔でビールを飲み干していくので、そこにビールを運んでやっている。整合性売りはニワトリのお祝いとフォーリンの歌のどちらも目当てにやってきた部類らしく、さっきからずっとにこにこしている。まあ、僕はこの整合性売りがにこにこしていないところを見たことが無いのだけれどね。
「今日のニワトリはいつも以上に格好いいね!」
「まあ、ようやく大きな仕事が一つ終わったところなんだと思うよ」
ニワトリは今も、カウンター席の端でフォーリンの歌を聞きながら、のんびりと何かのグラスを傾けている。多分、ウイスキーかブランデーか、味醂か、麦茶だ。
その姿もまた、戦いを終えた戦士の風貌を備えていて、成程、整合性売りの言う『格好いい』もよく分かる。
フォーリンが昨日より随分と暴力的で魅力的な歌を数曲歌い終わってしばらくすると、客がある程度帰っていって、僕は臨時のウェイターから客に戻ることができた。
ニワトリとフォーリンが並んだカウンター席に僕もお邪魔して、早速、夕食を頂くことにする。今日の夕食は燻煙の効いたベーコンと、そのベーコンを焼いた後のフライパンでカリッと焼き上げたジャガイモのガレットだ。ベーコンの旨味をじっくり味わうことができたし、そのベーコンの旨味たっぷりの脂で焼き上げたジャガイモの美味さは最高だった。
「ま、なんだ。皆、お疲れ。ニワトリは特にそうだな。今日はゆっくり眠ってくれ」
「そうだな。流石に疲れた」
ニワトリはマスターに笑って、また飲み物のグラスを傾ける。まあ、あれだけ鉄パイプを振るっていればね。
「だが、よく眠れそうだ。悪い気分じゃない」
「でしょうね。ああ、私ももうあと何発か、ぶっ放したかったわ」
フォーリンが笑い、それにニワトリもくつくつと笑う。それを聞いて、僕はなんだか安心しながら夕食を食べ進めていく。
「よし、じゃあ皆に特別メニューだ。味わって食えよ!」
そんな僕らの皿に、そっと卵が載せられた。固茹で卵で作ったデビルズエッグのようだ。ニワトリがさっき生んだ卵なんだろうな。
僕はありがたくそれを頂く。卵には少々の苦みがあって、塩味が強めで、けれどそれが調理によってまろやかに整えられている。そして、卵にはいくらか香りがあった。ビターオレンジのような、胡椒のような、煙草のような、コーヒーのような……そんな香りと共に頂くデビルズエッグは、今日の気分にぴったりの味だ。
このまま夜更かししたい気持ちは山々だったのだけれど、残念ながら、明日は月曜日だ。出勤しなければならない。僕はマスターみたいに自分が沢山いるわけでもないし、ニワトリやフォーリンのように曜日を気にせず生きられるわけでもない。悲しいことにね。
そういうわけで僕は早目に切り上げて、自分の部屋へと戻った。今日は鍵も気合を入れて起きていたらしく、鞄から取り出すと、む!と鳴いて背筋をしゃんと伸ばし、一生懸命に開錠してくれた。僕は鍵に礼を言いつつ部屋に入って、鍵と一緒に入浴して、鍵と一緒にベッドに入る。……そういえば、僕はベッドに入る時も鍵が一緒なんだった。一人で物思いに沈むには、少々鍵が可愛らしすぎるね。
結局、僕はすやすや眠る鍵を眺めながら少しだけのんびりと過ごして、それからすぐ、眠ってしまった。何かを考えたり思ったりする暇もないくらいに気持ちいい入眠だった。
翌朝、またいつも通りに朝が来る。太陽を恨めしく思いながら体を起こして、ベッドの上でころんころんと寝返りを打っていた鍵におはようの挨拶をする。それから身支度を整えて、いつも通り、パブへ向かうべく部屋を出る。
「ああ、早いな、ストレンジャー」
「おはよう、ニワトリ」
そしてこの町に来て最初の朝と同じように、玄関前でニワトリと鉢合わせした。ニワトリには昨日の疲れが見当たらなかったが、幾分、すっきりした顔をしているような気がした。
「鍵がすっかり懐いたようだな」
「うん。まあ、可愛い奴だよ」
甘えん坊の鍵はニワトリを見て少し人見知りしていたけれど、僕が撫でてやると途端に落ち着いて、ころん、と手の中で寝返りを打った。この町に来た当初はこの鍵が不思議だったけれど、今となってはすっかり可愛いだけになっている。面白いものだ。
「これから飯か?」
「ああ、そうだね。君もかな?なら、ご一緒させていただいても?」
「よし、そうしよう。……小さなレディも来ているかもしれないな。賑やかな食事になりそうだ」
僕らは連れ立ってスチール階段を下りていく。すると丁度、店の前に小さなレディが来ていたので彼女に挨拶して、僕ら3人は一緒に入店することになった。
平和な、いつも通りの朝だ。
それから僕は出勤した。出勤路は流石にいつも通り、という訳にはいかない。まあ、『いつも』が無いのがこの町の常か。
まあ、そういうわけで往来では空飛ぶナイフが地を這う糸切りハサミに恋をして熱烈なアプローチを仕掛けていたし、ソンブレロがよたよたと覚束ない足取りで歩いていたし、マンホールの中から出てきたつり革が『今なら105%OFF!』と何かを宣伝していた。
ここまでなら実に平和なんだが、路地裏を覗いてみたらホワイトソースをぶちまけた水風船の死体があって、その横では『俺がやったんじゃない!俺はただ食べようとしただけだ!』と誰にともなく弁明している河童が居た。まあ、通常通り。
僕はこうして何ということも無く職場の前まで辿り着いて、職場前で日光浴していたサボテンと、そのサボテンを撫でていた白銀の天使に挨拶し、それからガラス戸にも挨拶して、いつも通りにデスクへ向かう。
……まあ、何ていうことのない日常が、また始まった。ニワトリの復讐が終わって、『悪の組織』も『Bud company』も潰えても、それでも何も変わりなく一週間が始まるのだ。
ただ、先週とは異なることも、当然、ある。
僕がストレンジタウンの真っ当な地図を作り、住所を作るべく方眼用紙を広げたところへ、軍曹蜘蛛がそっと、進み出てきた。
どうしたのか尋ねると、軍曹蜘蛛は『中尉!我が部隊の人数が増えました!それにより、兵舎が少々、手狭になって参りまして……』と、答えが返ってくる。
そして軍曹蜘蛛に促されて挨拶に来たのは、何とも初々しい新兵蜘蛛達だ。どうやら増員されたらしい。これはいよいよ、この出張所もこの近辺も、安心安全というわけだ。
しかし、実に喜ばしいことだけれど、当然、問題も出てきている。この数の蜘蛛が収まるには、今の引き出しは狭いだろう。
『引っ越しの許可を頂ければと思います!』と、軍曹蜘蛛がもじもじとその旨を伝えてきたので、僕は即座に対応することにした。
僕は早速、蜘蛛達のためにデスクの引き出しを全て明け渡すことにした。元々輪ゴムの塊が入っていた1段目も、元々ダイナマイトが入っていた3段目も、今日から蜘蛛達の居住区だ。
そして僕の午後の業務は、デスクの引き出し3段目を新兵蜘蛛達の集合住宅へと改造することになった。
デスクの引き出し3段目は、深い引き出しだ。ダイナマイトが入っていたくらいには深いし、大きなペットボトルも瓶ビールも余裕をもってしまっておける大きさだ。
大きいのは良いことだけれど、このままだと蜘蛛達には少々、広すぎる。彼らは天井が高すぎると落ち着かないんだそうだ。彼らは隙間が大好きらしく、軍曹蜘蛛も『デスクの引き出し2段目は、非常によい高さなのです!あの狭さが我々にとっては至上の狭さなのです!』と力説してくれた。
僕としても、蜘蛛達には健康的に過ごしてほしい。そこで、引き出し3段目を区切って蜘蛛達が程よく狭い空間に住めるように、空き箱を使うことにした。
空き箱は、倉庫に入りっぱなしになっていたものを使う。蜘蛛達に選んでもらって、『このボール紙の模様が素晴らしい!』『こっちの箱の角が潰れたかんじが最高だ!』などと意見を聞きながら、それの側面にカッターナイフで穴を開けていく。ここが蜘蛛達の出入り口になるという訳だ。
箱の内部にはいくつか間仕切りを用意して、集合住宅の体を成すようにしておいた。箱の中には防音と防寒を兼ねて、ふわふわしたものを入れていく。
ふわふわしたものは、サボテンから提供してもらった。サボテンはそのふんわりとした毛を少々、蜘蛛達のために分けてくれたのだ。更に、サボテンと戯れていた白銀の天使も、自分の羽毛を分けてくれた。ふわふわと柔らかな白い羽毛は、蜘蛛達を温めてくれるだろう。僕はサボテンと天使にお礼を言って、ついでに彼らの頭を撫でた。サボテンは『うるとらさぼてんあたっくー!』とやってきたし、天使もそれを見て真似してきたので、つい。
さて、こうして寝具つきの集合住宅がデスクの引き出し3段目に備え付けられると、そこに蜘蛛達がぞろぞろと引っ越しを始めた。今まで壁の隙間やキャビネットの裏、そしてデスクの引き出しの2段目にぎゅうぎゅう詰まっていた彼らは、自分の部屋を持てたことを大層喜んでくれた。僕としても、彼らが喜んでくれると嬉しいね。
蜘蛛達は私物のビー玉や押し花の栞、『整合性90%配合』のシール、リタ・ヘイワースの切手サイズのポスターやマイクロ手榴弾やつまようじボウガンなんかを部屋に運び込んで、『自分の部屋』を満喫し始めたようだ。
軍曹蜘蛛は、『このたび一等兵蜘蛛に昇格した者達に引き出し2段目を与えようと思います!自分は1段目に引っ越し、1段目は武器庫としても使おうと思います!』とのことだったので、『天板の近くの引き出しも使っていいからね』と伝えた。すると、『なら武器庫はそちらにします!』と元気に答えてくれたので、明日は武器庫の整備が始まるだろう。
引き出しの中には何かまだ入っていたような気もするけれど、もし入っているものがあったらデスクの上に出しておいてくれ、ということにして、僕はひとまず、残りの時間でデスクの引き出し2段目の整備を行うことにした。
そうして定時を迎えた僕らはさっさと業務を終え、蜘蛛達は新居へと帰っていった。それを見送って、僕も帰路に就くことにする。
帰り道の途中でモルモットの大名行列に行き会ってしまったため、少し立ち往生する羽目になった。モルモット達は大名を乗せた篭を運びながら、ブラックペッパーを撒き、そして、ゆっくりと尻を振りつつ行進していく。その間、往来の人々は立ち止まって静かに見守らなくてはならないのだ。まあ、然程嫌な出来事でもないので、構わない。
モルモットの大名行列が通り過ぎて行った後には撒かれたブラックペッパーを舐めるガマガエルや、モルモットが通った後に五体投地する正四面体が押し合いへし合いしていたので、僕はそれらの間を縫うようにして道を進んでいく。スカートを履いたハウスダストが宙を舞う中、僕はなんとかパブの前まで辿り着き……。
「動くな!手を挙げろ!金を出せ!」
……そこには、銃を構えたXXLサイズの一万円札が、待ち構えていた。