悪の組織*3
それからマスターは電話を掛ける。『任せとけ!』と明るく言ってくれたマスターを信じて、僕とニワトリはじっと、カウンター席で成果を待つ。
「あー……あー、もしもし?」
そしてマスターの電話が始まる。ひとまず、繋がったことは間違いないらしい。つながった先がちくわ教団じゃなければいいけれど。
「最近おたくから買ったビデオテープ、聞いてたのと違うものが録画されてたんだが、どうしてくれるんだ?ええ?俺は9時のニュースが見たくて金を払ったわけじゃないんだぞ!?」
普段の温厚な様子をかなぐり捨てて電話に向かって怒鳴るマスターは、成程、中々の役者だ。ちら、とニワトリを見てみたら、『こいつはこういう奴だ』と言うように笑ってみせてくれた。いいね。最高だ。
「うん、うん……ああくそ、それでいいが、急げ!明日の夜に上映会をやるってもう友達連中に声を掛けちまってるんだよ!ああ、当然だ!郵送じゃ間に合わないに決まってるだろ!せめて届けに……ああ!?舐めた口利いてるとお前の所にオカメインコ100匹嗾けるぞ!?俺はオカメインコだけじゃない、セキセイインコにもコネがあるんだ!」
そうか。マスターはインコに多大なるコネがあるのか。いや、嘘だろうけれど。
「……ああ、そうだろうな。オカメインコは怖いだろう?ああ……うん、そう。そうだ。それならいい。ああ?まだ文句を……ああ、分かったならそれでいい。じゃあ、明日の夜8時、公園だ!遅れたらオカメインコだ!忘れるな!」
そしてマスターはしばらく何か話していたかと思うと、受話器をガチャン、と乱暴に置いて電話を切った。……それからそっと受話器を持ち上げて、そっと撫でてやっている。どうやら、演技だったとはいえ、乱暴に置かれた受話器は少し拗ねてしまったようだ。僕の鍵も似たような甘えん坊だから分かるよ。
「まあ、今ので分かったかもしれないが、交渉は成立だ」
聞いていても今一つ分からなかったが、どうやら交渉成立したらしい。流石はマスターだ。
「よし、よくやった」
「だから今日の夜、奴には公園に来るように言っておいた。そこでビデオテープの返品作業を行う予定だ。だから、ビデオテープをやりとりしておいて、相手の後をつけるか……」
「捕らえて拷問にかけるか、だな」
ニワトリは頷いて、それから思い出したように鉄パイプをマスターに返す。マスターは受け取った鉄パイプをカウンターの下に片付けた。ボトルキープならぬパイプキープしてあるってことかな。
「まあ、俺は尾行を推奨するよ、ニワトリ。最初から拷問を狙っていても、うっかり加減を間違えたら、またドクターの世話になることになりかねないし……」
「そうだな。俺は殺すのは得意だが、殺さないようにするのは不得意だ」
ニワトリはそう言って、しかし、眉間に皺を寄せる。
「だが、俺は尾行にも向かない。相手が俺の顔を知っていてもおかしくはないしな。その点、ただぶん殴って半殺しにする分には、相手が俺の顔を知っていても何ら問題が無い」
「まあ、それは言えるね」
マスターは少し考えて、頷いた。ニワトリは背丈もあるし、トサカが目立つ。相手がニワトリを警戒していたら、間違いなく相手には逃げられるだろう。
「ということは……行くのは俺かな?」
そういうわけでマスターが挙手したわけなんだけれど、折角だ。僕も待ったをかけてみる。
「いや、僕が行くよ」
そう申し出ると、マスターもニワトリも、驚いた顔を見せてくれた。だが、僕だってやる時はやる。特に、こういう、どうしようもない悲しみを怒りで塗り潰して、暴力で全部洗い流していくような、そんな作戦の時には僕だって動くさ。
「マスターがニワトリと懇意だってことも、知ってる連中かもしれない。なら、知り合って一月足らずの奴が行った方がいいんじゃないかな。或いは、接触はマスターが行うにしても、尾行は僕がやる、とか。どうだろう」
僕の案に、ニワトリとマスターは顔を見合わせる。まあ、知り合って一月足らずの僕にこんな大役を任せられるか、っていう問題もあるわけだし、僕の申し出を受理するかどうかは彼ら次第だ。
「……そうだな」
けれど、結局、ニワトリは頷いた。
「接触はポテトヘッド、お前に頼む。だが、その後の尾行は、ストレンジャーに頼みたい。……いいか?ストレンジャー」
「勿論」
こうして僕は、大役を任された。少しの緊張と信用された喜びを胸に、僕は今夜、作戦に臨むことになる。
まあ、大役はともかく、ひとまず家に帰って寝ることにした。出勤ギリギリまで寝ても4時間程度しかないが、全く眠らないよりはずっといい。
鍵を起こすのはかわいそうだったのだが、鞄から鍵を出して、鍵穴にそっと差し込む。案の定寝ていた鍵は、ふにゅん、と曲がってしまって鍵穴に入らなかったのだけれど、そうしていたら目を覚ましたらしい。む、む、と慌てた声を上げながら、すぐにぴんとして鍵穴に潜り込んでくれた。
眠いだろうに開錠してくれた鍵にお礼を言って、僕は簡単にシャワーだけ浴びてから眠る。鍵だけ先にベッドに入れておいたら、鍵は僕の枕に陣取ってむうむう眠っていた。仕方がないので枕は可愛い鍵のために諦めて、僕は枕無しで仮眠することにした。
それから大体4時間後にアラームが鳴ったので、僕と鍵はそれぞれ目を覚ます。鍵が眠たげにむうむう言っているのを撫でてやりながら、身支度を整えてパブへ向かう。睡眠不足の頭は、まるで頭が膨張しているような、そんな緩い痛みと怠さと熱っぽさを持っていたが、コーヒーを飲めば収まるだろう。
マスターは僕を見て『眠そうな顔だ……』と言っていたが、正にその通りだよ。小さなレディは僕を見て『まあ!眠そうなお顔だわ!』と言ってくれたが、こちらもその通りだ。ぼたもち伯爵は、そっと、僕に向かって小さな旗を振ってくれた。ありがとう、ぼたもち伯爵。今日もがんばるよ。
予想通り、最高のコーヒーを飲んだら、眠気は大分マシになった。後は、昼休みに少し仮眠をとらせてもらって、定時で上がってまたすぐ仮眠を摂れば今晩の尾行には十分だな、と思う。
僕はマスターと小さなレディの声援を受け、ぼたもち伯爵に見送られてパブを出る。今日もストレンジタウンは快晴だ。まあつまり全く快くない天気なのだが、今日の作戦決行は夜だ。その頃には鬱陶しい太陽なんて関係ない。大丈夫。
道端でころころ丸まっていた鉛筆を間違えて蹴ってしまったのでそれに謝って元の位置に戻してやったり、ぷかぷかと空に浮かぶダンベルが『俺に足りないものは何だ!?』と嘆いているのに『重さじゃないかな』とアドバイスしたりしながら出社して、そっと開いてくれたガラス戸に挨拶をしながらデスクへ向かう。
僕のデスクの横のデスクでは、軍曹蜘蛛が新兵達と一緒に訓練していた。一生懸命な彼らの様子を見ていると、なんとも快い。
それから、すっかり棘が伸びてかつ柔らかくなってしまったサボテンが、まるでモップのようになっていた。折角なのでその毛並みをきちんと梳かして、ついでに三つ編みにしてみた。サボテンはこれを気に入ったらしく、三つ編みを2本ふらふらさせながら揺れていた。
タワシは今日もカウンター業務をやるつもりらしく、流し台からカウンターへと移動していた。もそもそとした移動はあまり早くなかったので、僕が持ち上げてそっと運んでやった。するとタワシは『もしかして私って、歩くの遅いですか?』と聞いてきたので、『そうかもね。でも得意不得意があるものだし、特に気にしてないよ』と答えてみたところ、タワシは嬉しそうに胸を張って『私はタワシです!』とやってくれた。そうだね。君はタワシだ。
まあ、こうしていつも通り、業務が始まった。今日は外回りは無しにして、書類の整理や倉庫の片付けを主に行うことにした。
書類の整理の中には、開封されないまま溜め込まれた封筒の開封作業も含まれたが、それについてはペーパーナイフ五寸釘が大いに活躍してくれた。五寸釘もこの業務で自分の能力を確認できたらしく、『成程、こうしてペーパーナイフとして生きるのも悪くはない……』と喜んでくれた。よかった。
特に何事もなく業務時間は過ぎ、僕は定時で帰宅した。パブに寄らずに一度部屋に戻って、仮眠を摂る。1時間程度の睡眠の後でパブに向かって、夕食を摂りつつマスターとニワトリと打ち合わせだ。
「今晩8時、公園に奴は来る。どんな格好の奴が来るかは分からんが……大丈夫か?ストレンジャー」
「ひとまず電話ができて、まともにやりとりができる相手だってことは分かってるんだ。ならそう難しいことじゃあないと思う」
「それもそうか」
この町でもこの町の外でも、話が通じない奴っていうのは始末に負えない。けれど、逆に言えば、話がある程度通じる奴は、最悪じゃない。大丈夫だ。
「接触は俺の仕事だったな。それで、尾行をストレンジャーが担当する、と。この町の地理は分かるかい?ストレンジャー」
「正直なところ、あんまり。ただ、道を覚えるのは元々得意なんだ」
「それから、もし何かあったら逃げられるか?君はどうも、あまり喧嘩が得意そうには見えないからね」
「その通りだよ、マスター。でもまあ、上手くやってみる」
僕自身は、然程自分の心配はしていない。見つかって殺されたらその時はその時だ。ただ、上手くやれるか、しくじらないかは多少心配だ。まあ、そのくらい。
「さて……すまないが、頼んだぞ、ポテトヘッド、ストレンジャー。俺はここでマスターのポテトヘッドと待機していることにする」
ニワトリに頼まれるのは、嬉しいね。ニワトリにはずっと世話になってるから、少しくらいは彼に返せるものがあるといいな、とずっと思ってた。そして今回はそのいいチャンスだ。僕自身も、ニワトリの娘を殺したという奴らに怒りを覚えているし、そいつらを叩きのめすために働けることを喜ばしく思う。
「よし、そうと決まれば腹ごしらえだ!さあストレンジャー。今日のも中々美味いぞ!」
それから僕らは食事を摂った。いつも通り、マスターが作った料理はどれも美味しかった。ちなみに、メニューはフライドポテトとサバサンド。ジャガイモの出処はさておき、サバの出処は分かる。空を飛んでいたサバ缶だろう。
フライドポテトはカリッとしながらホクッとして、強めの塩が最高に美味い。そしてサバサンドも中々いい味だったから、これからも時々、意識してサバを読んでみようかと思う。この町ではサバを読むとサバ缶が引き寄せられてくるみたいだから。
さて、それから僕らは食後のコーヒーもしっかり飲んで、出掛けることになった。私服姿のマスターと一緒だ。……ただし、パブの店主としてのマスターは別でまた店に残っている。つまり彼はマスターというよりはポテトヘッド、というべきなのだろう。
月夜でもなければ楽しい出来事があったわけでもない夜の町は、静かで、少々剣呑な気配を漂わせている。路地裏を覗けば簡単に死体が見つかるし、ふやけた障子紙が話しかけてきたりもする。『一回300円でいいよ』とのことだが、一体何が300円なのやら。
空に月は無い。今日の月は、うっかり空に引っかかり損ねてそのまま流れていってしまったようだ。少々ツイてないね。
「よし……じゃあ俺は行ってくる。ストレンジャー、君は様子を見て動いてくれ」
「ああ、分かった」
やがて、公園へと辿り着く。公園ではブランコと滑り台が絡み合い、熱く愛を語り合っている。ブランコ台にもう1つブランコがあるというのに、随分と憚りのないことだ。
僕は公園の手前で立ち止まり、丁度良く現れた耳と尻尾の生えたポリ袋を構うことにした。こうしていれば、ポリ袋と戯れているだけの人に見えるだろう。
そうしている内にマスターは公園の中へと入っていき、そこで、キリンの首を持つ男と話し始めた。ジャガイモとキリンによる対談だ。中々珍しい光景だね。
何を話しているのかはよく分からなかったが、ひとまず、マスターは非常に話しづらそうな様子だった。それはそうだ。キリンの首なんかに頭がついてるものだから、随分と相手の頭が高い位置にある。その割に『頭が高い』ようなことがないのは良心的だと言ってもいいだろう。
それから少しして、キリン首がマスターにビデオテープを手渡しているのが分かった。あれが例の物、なんだろうか。
マスターはビデオテープを受け取ると、少しキリン首と話して、それから2人は別れた。マスターが歩き去っていくと、キリン首は少ししてから歩き出す。僕はまた少ししてから、キリン首を追いかけることにした。
十分に距離をとって、キリン首を追いかける。キリン首は実に追いかけやすい相手だった。何せ、キリン首だ。塀の向こうに行ってしまってもどこに進んだかが分かるし、人ごみに紛れられても十分に目立つ。これは随分と尾行しやすい。初心者向けでありがたいことだね。
そうして僕は尾行初心者でありながら、キリン首の後をつけて、キリン首がどこに入っていったかを調べることができた。
……キリンが入っていったのは、ありふれたビル。4階建てという、ビルにしては慎ましやかなそこには、いくつかの団体が入っているらしい。
まず、1階には、『蕪式会社すずしろ』。蕪の可愛らしいキャラクターが書かれた看板が印象的だ。
それから2階には、『サイバーエージェント浪人派遣』。一体何が派遣されてくるのか分からない会社だ。
それから3階には、『ハンムラビ法典研究会』。目には目を、歯には歯を、と日々唱えているのかもしれない。
そして4階には、『悪の組織』。
成程。あのスーパーヒーローとやら、あながち間違ってなかったのかもしれないね。