悪の組織*2
そうしてスフィンクスがとどめを刺される直前でマスターの声がかかったため、観客からはブーイングが上がり、ニワトリも苦い顔をすることになった。
だが、マスターが名刺をニワトリに見せると、ニワトリは顔を顰め、『そういうことなら』とため息交じりに鉄パイプを下ろした。観客は残念そうにしつつも、『まあ、こういうこともある』と割り切ってまた店の中へぞろぞろと戻っていく。
「もう少し早く言え。半殺しにした後だぞ」
「いや、もうこれ4分の3殺しだろう。サバを読むんじゃない」
そして残ったニワトリとマスターと僕とで、倒れてぴくぴく動いているスフィンクス頭を取り囲みつつため息を吐く。空飛ぶサバ缶が『読まれた気がする!』と寄ってきたが、敢え無くマスターにつかみ取りされた。きっとどこかで誰かの食事になってくれることだろう。
「さて……仕方ない。ニワトリ。医者を呼んできてくれ。店のバックヤードに運び込んでおく。ストレンジャー、悪いんだが、こいつを運ぶのを手伝ってくれるかい?」
「ああ、勿論」
ニワトリが走って行ったのを見送って、僕はマスターと一緒にスフィンクス頭を運ぶ。スフィンクス頭はあちこち骨が折れている様子だ。実に4分の3殺し、といったところだろう。下手すると5分の4殺しぐらいになってるかも。
これ以上殺さないよう、慎重に慎重にスフィンクス頭を運ぶ。パブの横を回って裏口から入れば、待機していた他のマスター達が『ん!?何があった!?』『おいおい、そりゃ死体か?』『生きてるのか。厄介だなあ……』などと言いながら、スフィンクス頭の運搬を手伝ってくれた。こういう時、自分が沢山いるって便利なんだろうな、と思う。
そうしてスフィンクス頭は無事に運び込まれて、折り畳み式のベッドの上に寝かされた。後は医者を待つことになるだろう。
「ええと、マスター。これはどういう状況か、聞いてもいいかな?」
さて、状況が落ち着いたら、僕は早速、聞かなきゃならない。
何故、こいつを殺すのを止めたのか。理由が何もない、なんてことは無いだろう。間違いなく、何かがあるらしい。
「ああ……そうだな、うーん」
だが、僕が尋ねるとマスターは唸って、それから、『ごめん』というように両手を頭の前で合わせた。
「悪いがそれはニワトリに聞いてくれ。俺が言うことじゃない」
「そうか。分かった。ありがとう、マスター」
マスターがこう言うくらいだ。きっと何か事情があるんだろう。それも、きっと、深い事情が。
それから少しして、ニワトリが医者を担いで帰ってきた。杖に巻き付いた蛇の医者は『まあ、私がこのように運ばれるのはよくあることでして……』とのことだった。まあ、運ばれやすそうな形状だな、と思う。
だが、外を凄い速さで運ばれたものだから体が冷えてしまったらしく、半分冬眠しかかっている。僕と待機中のマスター達は慌てて、毛布やゆたんぽを用意して蛇の医者を温めることになった。『いやはや、ありがたい。私、よく冬眠してしまうので……』とのことだった。ドクター、しっかりしてくれ。
そうしてようやく動けるようになった蛇医者は、一通りスフィンクスを診て、処置を行ってくれた。長い尻尾と大きく開く口、そしてくねるボディを駆使した処置は、正に芸術的だった。間違いない。この蛇は名医だ。
そして蛇医者曰く、『人生山あり谷ありですが、今夜が峠です』とのことだった。つまりスフィンクス頭の怪我と人生のピークが今夜ってことかな。
「ニワトリ、聞いてもいいかな」
「ああ」
そして、医者が杖に巻き付いたままふわふわ空を飛んで帰っていくのを見送って、僕らはようやく話すことができる。
「分かってる。このスフィンクス頭の奴のことだろう。何故殺しちゃあいけないのか、それを聞きたい。違うか?」
「概ねその通りさ」
ニワトリは少し躊躇うように居住まいを正して、椅子に座り直す。僕ら2人は並んでスフィンクス頭を見守る位置に座りながら、少しの間、沈黙していた。
だがやがて、ニワトリは話し始める。ただ、目の前のスフィンクス頭だけを見つめて。
「このスフィンクスの野郎は、どうやら、俺がずっと追ってる連中とかかわりがあるらしくてな。それを聞き出すために、まだ殺さずにいることにした」
成程ね。ということはこのスフィンクス頭、起きたら起きたで死ぬより酷い目が待ってるのか。となると、本当に彼の怪我も人生も今夜がピークなんだろうな。
さて、ニワトリに追われている連中、というと、何か罪を犯したのだろうが、一体何をしでかしたのやら。
「追ってる連中、というと?そいつらは何をしたんだ?」
僕はそう尋ねてみて、そして、ニワトリの表情に初めて、微かな恐怖を覚えた。それほどまでに、ニワトリは強く、憎悪と怒りを露わにしていた。
「そいつらは……」
そして、ニワトリは静かに、言う。
「俺の娘をスナッフフィルムに出演させた連中だ。当然、被害者役として、な」
スナッフフィルム、というと、あれだろう。実際に見たことは無いが……人を殺す瞬間を収めた映像のことだ。
当然、そんなものは違法なブツなので、通常、出回ることは無い。だが、ストレンジタウンに違法も合法もありはしない。この町では殺人動画が出回ることも珍しくないのだろうし、その需要がそれなりにあるのだろう。
だから、罪もなく、望まずして、それでも殺される奴が居る。そういうことだ。
「娘……君、娘が居たのか」
何と声を掛けたらいいのか分からなかった僕は、結局、そんなことを言うことになる。だって、他に何が言える?『お気の毒に』なんて言うべきじゃないだろう。少なくとも、悲しみに暮れるニワトリではなく、復讐に燃えるニワトリになら、もっと他に掛ける言葉があるはずだ。
「ああ。一等良い卵から生まれたんだ」
ニワトリは懐かしむようにそう言うと、ふ、と笑った。
「可愛い娘だった。羽なんか、本当にふわふわで……」
成程。つまりひよこか。ひよこなんだろうな。ニワトリの卵から生まれたなら多分ひよこだ。
僕は自分が毎日食べさせてもらっているものについては考えないようにしつつ、『つまり、有精卵……』とまた別の考えに至りかけて遂に考えることを止めた。
「……だからあの時、送り出すべきじゃなかった」
僕はただ、ニワトリの言葉を聞く。その言葉は苦悩と後悔に満ちていて、けれどそれらの隙間を埋めるように、怒りにすっかり浸されている。
「あの時、俺はまだ若かった。だから判断を誤った。ああ、今思えば、完全に間違いだった。失敗だった。なんて愚かなことをしたんだろうと今でも思ってる。最初は、娘を主演にして映画を撮らせてくれと持ち掛けられたんだ。フォーリンは乗り気だったし、俺も悪くない話だと思った。ちゃんと、こうした内容はNGだ、というような希望も出して、話し合いも終わって、それから、娘を送り出した」
ニワトリの言葉が、僕の中にも怒りを生じさせる。取り返しのつかないものへの悲しみは、怒りへと変えていくしかないから。
「……だが、娘を送り出して、その晩、帰ってきたのは1本のビデオテープだけだった」
ニワトリはそこで一度呼吸をして、そして、吸った息を吐き出すのと同時に、言葉をもまた、吐き出す。
「それが娘のスナッフフィルムだ」
僕はまだ、掛けるべき言葉を見つけられない。何か言うべきだろうと思うし、けれどそれ以上に、僕の中で渦巻き始めた激情をどうすべきか、考えあぐねている。
「娘が惨殺される様子が映ったフィルムを、俺は一通り、見ることになった。ビデオの最後には、『暴力はNGとのことでしたが、映画っていうものは血が流れないと売れませんのでこういう風に直しておきました!』と笑顔で話す野郎が居た」
それなら何のためにNGが何だと聞いたのか。何故話し合いの間にそれを言わなかったのか。色々と思うことはあるが、そんなことを思っても仕方がない。キチガイ相手に何か真っ当なことをしようとした時点で、まともな結果は望めない。ただそれだけのことなんだから。
そう。キチガイ相手に何か真っ当な働きかけをしようとしたって、無駄だ。
奴らに何かできることがあるとすれば……1つしかない。
「……殺さないと」
思わず僕は、そう言っていた。
「そんな奴らは、殺さないといけない」
悲しみも失意も乗り越えて、怒りと狂気に身を任せる。それだけが僕らを悲しみから救い出してくれる。そうだ。これはこの町でだけ許される救いだ。ストレンジタウンのいいところだ。
この町では、僕らは悲しみから救われることができる。暴力によって。
「そうだな。その通りだ、ストレンジャー」
ニワトリは調子を取り戻したように笑う。
「俺もその気でいる。絶対に、連中を見つけ出して死より惨い死を与えてやらなきゃいけない。目には目を。歯には歯を。そしてキチガイにはキチガイをぶつけるしかない」
そう言って笑うニワトリに、僕も何とか笑い返す。
やっぱりこのニワトリは大した奴だと思う。僕は話を聞いただけなのに、まだ、悲しみを振り切れていない。全てを怒りに変換するには、まだもう少しかかりそうだというのに。
「このスフィンクス頭が例のスナッフフィルムを流通させてたことはもう判明してる。だが、こいつを殺したところで何にもならない。あのスナッフフィルムを作った奴を、殺さなきゃいけない」
「そのためにも、このスフィンクス頭が起きてくれることを祈ろう」
「ああ、そうだな」
そうして僕らはしばらく、スフィンクス頭を眺めながら沈黙することになった。
けれどその内、マスターがやってきてくれたので、沈黙は楽しい食事へと移り変わった。マスターは親切にも、僕が食べかけで放っておいてしまった食事を温め直して持ってきてくれて、ついでにニワトリにはニワトリが今日街灯からプレゼントされたチョコレートリキュールと、バニラアイスのパフェを持ってきてくれたのだ。
僕らはスフィンクス頭を眺めながら、それぞれの食事を楽しんだ。
……そう。この町の救いの中には、美味い食事ってのも、あったね。
そうして僕らが見守った甲斐もなく、スフィンクス頭は夜明け前に死んだ。彼は峠を越えられなかったというわけだ。全く、最悪だ。殺すのをやめてやったのも、一晩見守り続けてやったのも、全部無駄だったっていうわけなんだから。
「まあ、仕方ないな。名刺にあった住所を調べてみるとして……後はいよいよフォーリンからの情報待ちか」
「フォーリンに頼んでる情報って、これについてだったのか」
「ああ。フォーリンとも長い付き合いだからな」
僕らはスフィンクス頭の死体をゴミ捨て場に捨てに行く。今日は丁度、生ごみの日らしいので丁度いい。不幸中の幸いというやつだ。
「フォーリンはあれで腕がいい。何か調べてくるだろう。さて、或いは、ポテトヘッドが奴の鞄から他にも何か面白い情報を手に入れているかもしれないが……」
そうして僕らはパブの表へと戻る。朝食には早い時間だが、腹が減っていた。少し何か腹に入れてから仮眠して、そのまま出勤することになるだろうか。
かろん、とドアベルを鳴らしてパブに入れば、サボテンに霧吹きで水をやっていたマスターが顔を上げた。
「おお、お帰り。どうだった」
「吐く前にくたばりやがった」
「そうか……ああくそ、もう数秒早く、鞄を漁ってやるべきだったな」
マスターも悔しそうな顔をしつつ、カウンター席に着いた僕らに、赤みがかった茶色に透き通った液体のカップを渡してくれる。ほっこりと湯気を立てるそれからは、甘い香りがした。これは何だろう、と思っていると、マスターは『ワインのお湯割り。これから仮眠をとるっていう時には丁度いいよ』と教えてくれた。ありがたくカップに口を付けると、どうやら蜂蜜で味付けされているらしいそれの甘さが染み渡る。
「美味しいね、これ」
ワインのお湯割りは、お湯割りの割に薄っぺらい味わいではなかった。蜂蜜の甘さとワインの酸味が程よくて、ついでに、お湯割りになっている分、香りがいい。少量のアルコールが体を温めて、疲れが取れていくような気さえした。
「まあ、お疲れ様、ってことで。何か食べるかい?夜食に丁度いい特別メニューもあるよ」
「ならそれを2人前。……ストレンジャー、お前も食べるだろう?」
「ああ。ありがとう」
ニワトリとマスターが笑い合うのを見て少々期待していると、やがて、マスターはジャガイモの頭にカウンター下から取り出した手ぬぐいを、きゅ、と巻いた。そして小さな鍋に湯を沸かして……インスタントの袋麺を作り始める。
「ここではこういうものも出す」
「いいね!ああ、夜食にぴったりだ!」
そうして少しすれば、インスタントの醤油スープの中に、硬めに茹でられたフライ麺がふわり、と広がる。そこに刻んだネギがぱらりと乗せられて、それだけ。このシンプルすぎるくらいにシンプルな奴が美味いんだ。
洒落たスープカップに盛りつけられたラーメンを啜れば、胃の腑が温まって落ち着いていく。ついでに舌と脳が満足するような、そんな感覚があった。夜明け前に食べるインスタント・ラーメンからしか摂取できない何かがきっとあるんだと思う。
「さて、腹が少し満たされたところで、いいお知らせと悪いお知らせがある。悪いお知らせから行こうか」
僕とニワトリが無心にラーメンを食べ進め、スープを残すばかりとなったところで、マスターはそっと身を乗り出した。
そして、カウンターの上に、例の名刺を置いてくれた。あの、スフィンクス頭こと羅夢背酢2世の名詞だが……。
「ここに書いてある住所も電話番号も、出鱈目だった。他の俺が確認しに行ったが、住所は空地だったし、電話番号に電話を掛けてみたらちくわ教団の入会窓口だった」
そうか。残念だな。スフィンクス頭の職場に踏み入れば、新しい情報が入ったかもしれないけれど、それはどうやら望めないらしい。ちなみに、ちくわ教団がその職場だっていう線は薄いだろう。ちくわ教団はちくわのように、後ろ暗いところのまるでない教団だから。
ニワトリも僕と同様に苦い顔をしている。今すぐにでも鉄パイプを振るいたいくらいの気分だろうから、本当に心底同情するよ。
「だが、ここでいいお知らせだ」
けれど、そんな僕らを見てにっこり笑ったマスターは、出した名刺を、くるり、とひっくり返した。
「一枚だけ、裏に落書きがある名刺が入ってた」
裏返った名刺には、油性ボールペンで雑にメモ書きがしてある。『ご連絡の際はこちらもで!』という添え書きと共に、電話番号らしいものが書いてあった。『こちらもで』の上に二重線が引かれてその上に『こちらまで』と書き直してあるのだが、まあつまり、あのスフィンクス頭が書き損じたためにこれを使わずにまた財布の中にしまい込んでいた、といったところだろう。
「この電話番号に、これからかけてみようと思う。どうだい?」
マスターの言葉に、僕もニワトリも、身を乗り出して頷くことになった。